「エゴ」からすべてが始まった–私がセネガル行きを決めた理由
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【忙しい人のための3行まとめ】
・人生を充実させたいという「エゴ」からすべてが始まった
・自分が全力を出し続けても一生取り組む事ができそうな難しい目標として「アフリカの貧困状態の改善」に興味を持つ
・セネガルは治安が良く仏語圏西アフリカの拠点として良さそうな国だった
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みなさまこんにちは。JAPON COMMERCEの山田です。
本日は、色々な方にご質問をいただく「セネガルに渡った理由」を記します。
そもそものきっかけは「自分の人生は幸せ過ぎる」と思っていた事から始まります。
大学卒業後しばらくは、仕事がうまく行かず、その事で頭がいっぱいでした。新卒で入社した会社を精神的に追い詰められて1か月半で退職したり、2社目でもなかなか結果が出ず、毎日悩みながら試行錯誤する苦しい時期が続きました。
しかしながら、2012年に入ってから急に結果が出始め(この体験が現在の活動理念に繋がっているので、後日詳細を記したいと思います)、余裕もでき、余暇の時間も取れるようになりました。週末や休暇は趣味で充実、友人にも恵まれ、家族みんなが健康と、ストレスも不安も無く毎日楽しく過ごしていました。
そんな時です。私はふと、
「自分は今後なにを目標に生きていけばいいのか?」
という疑問を持つようになりました。
「自分は幸せだ」と思っていたので、これ以上何を目標にして良いのか分からなかったのです。
また、自分は幸せだと思いつつも、なぜか私はこの生活に満足できていませんでした。
「自分は足るを知るべきだ」
と思う一方で、
「人生って本当にこんなものなのか?」
「もっともっと毎日を全力で生きられるはずだ!」
と、情熱を持て余してモヤモヤした気持ちを抱えていました。
この頃から、自分の今後の人生について考えるようになりました。
(私は覚えていないのですが、複数の友人曰く、当時私から電話がかかってきて、「お前の夢は何だ!」と急に聞いてくる事があったそうです。友人の間では「山田の夢事件」と命名されているようです。)
人生について考えていくうちに、私は、
「幸せとは、自分が全力を出し続けて生きて行ける事なのではないか」
と考えるようになりました。
仕事の結果が出ず、うまくいかなかった時期はあんなに苦しかったのに、実はその試行錯誤こそが人生の幸せだったのかもしれないと感じ、自分でも不思議な気持ちになりました。
何か新しい事に挑戦しなくてはと思い、プログラミングや英会話の勉強を始めましたが、「なんか違う」と感じて続きませんでした。
もっと大きな事に挑戦する必要性を感じました。
しかしながら同時に、私は不安を感じていました。
新しい事に挑戦するために、いまの生活を捨てる事が怖かったのです。
「毎日楽しく何不自由ない生活をしているこの日常を捨てるのか」
「せっかくうまく行き始めたのにわざわざ自分で苦しい道を選ぶ必要があるのか」
「もしうまく行かなかったらどうしよう」
などと思い、挑戦したい気持ちがありつつも一歩を踏み出せない自分に悶々としていました。
そんな時、岡本太郎さんの『自分の中に毒を持て』という本を読みました。
自分の幸せについての考えを肯定してもらった気がして、とても嬉しかった事を覚えています。
また、
”よく考えてみてほしい。あれかこれかという場合に、なぜ迷うのか。こうやったら食えないかもしれない、もう一方の道は誰でもが選ぶ、ちゃんと食えることが保証された安全な道だ。それなら迷うことはないはずだ。もし食うことだけを考えるなら。
そうじゃないから迷うんだ。危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。”
という言葉を読み、自分が本当にやりたい事は、現在の生活の維持継続ではなく、何かに挑戦する事だと納得する事ができました。
そこで、
「自分が毎日全力を出し続けて、人生を燃えるように生きるための目標を立てよう」
「毎日やり続けたい事をやって生きよう」
と思い、何をやろうか、と真剣に考えました。
俳優になろうか(幼少期は劇団に所属し大河ドラマのオーディションを受けたり、小学校では毎年劇の主役をやるなど、演劇が好きだったので)、いや歌手になろう(歌うのが大好きで声が大きいので)、プロサーファーを目指そうか(当時サーフィンに熱中していました。下手でしたが、これなら365日やりたい、という想いがありました)、ナックルボールを習得してプロ野球選手になろうか、…
など、本当に真剣に考えていました。
一方で、大学時代からいつかは起業すると決めていたので、ビジネスで成功するのは頭が良さそうで(笑)格好良いしやってみたい、ビジネスで世の中に影響を与えたい、という想いもありました。
また、営業の仕事の経験から「人の役に立つ事は自分の存在意義を感じる事ができる人生の喜びだ」という実感があったので、困っている人が多い場所で働く方がやりがいがあるかもしれないと感じました。
そして、「どうせなら他の人がやっていない事をやりたい」という想いもありました。
そんななかで、世界中の人々が注力しているのに解決されない「貧困問題」を含む多くの社会課題を持つイメージがあり、かつ自分にとって未知の大陸だった「アフリカ」に興味を持ちました。
当時、
「日本企業が少ない地域での経済活動に意義があるのではないか」
「海がある国に住みたい」
「仕事で色々な国に行ってみたい」
「事故や事件で早死にはしたくない」
と感じていたため、日本人にとって言語的ハードルが高い非英語圏であり、日本企業が少なく、かつ治安が安定していて、海に面している国…と条件を絞っていき、その条件に当てはまったのが、仏語圏西アフリカの主要国、セネガルでした。
そして2013年の夏、最後までサーフィンに人生を賭けようか迷いましたが、ビジネスによる自己実現欲求の強さが勝り、「1年後の2014年9月にセネガルに移住しよう」と決め、ゼロからフランス語の勉強を始めました。
(奇しくもその数か月後、医師からヘルニアと診断され「最悪死ぬ可能性があるから当分の間サーフィンはやめなさい」とドクターストップを宣告された事もあり、これはセネガル行きに集中しろ、という事なのだと思いました。)
そして迎えた2014年夏。渡航が迫るなか、西アフリカではエボラ出血熱が流行していました。
両親含め、周囲からの心配の声には、
「セネガルは出ていないし大丈夫だ」
と言ってきたのですが、奇しくも渡航直前の8月末、セネガルでもエボラ出血熱の感染者が確認されました。
「絶対に行かない方が良い」
と皆から止められましたが、セネガル在住経験者やJICAの方のお話を参考に、渡航を決めました。
(決め手は、私の出発予定日の10日後に青年海外協力隊の派遣が予定されていて、それがエボラ出血熱患者発見のニュース後も派遣中止になっていなかった事です。JICAが派遣を中止しないという事は大丈夫だと判断しました。)
そして、そのまま住み続けて現在にいたります。

前職退職時に送別会を開いてくださいました
以上です。最後までご覧いただきありがとうございました。
この3年間、良い事も悪い事も、本当に色々な事がありました。
率直に言えば、正直、圧倒的に悪い事の方が多かったです。
では、なぜそんな思いをしながらも、諦めず、セネガルで活動をし続けているのか。
それは、上述の通り私の活動が「エゴ」から始まっていて、かつそれを自覚しているからです。
次回は、一般的にあまり良い印象が無い「エゴ」について、自分の考えを記します。
引き続きよろしくお願い申し上げます。
JAPON COMMERCE SUARL
山田 一雅
【WEB】