激動のケニアの現場を伝えたい!
初めまして、㈱グラスルーツウォーカーズの長谷川将士(はせがわ まさし)です。2016年からケニアでWEBメディア&リサーチ事業を行うために会社を立ち上げており、これまで調査案件や現地調整案件を中心にケニアを歩き回っています。ようやくメディア用WEBサイトも準備できそうなので今月末を目途にメディア事業も開始していきます。
アフリカで日本人の先輩方が様々な事業で起業されている中、「なぜわざわざメディア事業なの?」、「そもそもアフリカでメディア事業は必要なのか?」と疑問に思われる方も多いかもしれません。自己紹介も兼ねてここら辺をざっくり説明できればと思います。
<自己紹介>
北海道の北見というオホーツク海に面したところで生まれ、海を眺める度に「この海の先には何があるんだろう、いつか海の向こうへ行ってやるべ!」と思ってました。実際には地元で農家になろうとしていたつもりが祖母の勧めもあり大学、大学院と進学。20歳からケニアでフィールドワークと開発研究(政治経済学)を続け、紛争や市民暴力などのおっかない分野を専門にしていました。リサーチパートナーと二人で紛争加害者側(とされている)村の全数調査(一軒残らず全ての家庭の調査を行うこと)を行い、指導教官との共著論文が書籍化、英訳もされました。興味ある方はリンク先からご参照を。アフリカに興味ある方には面白いっすよ!
http://www.kyoto-up.or.jp/book.php?id=2114&lang=jp
https://muse.jhu.edu/book/51761
<なんで起業しちゃったの?>
それまで危ない調査もこなしてきましたが、就活の時期に入り両親にも心配をかけていたので、ようやく安定した社会人になれると思っていました。そこで一冊の本を読んだことをきっかけにアフリカでの起業へ大きく舵を切ることになります。それが白戸圭一教授の『ルポ資源大陸アフリカ 暴力が結ぶ貧困と繁栄(朝日文庫)』です。そこではアフリカを伝える大手日系新聞社についてこのように書かれています。
「(ヨハネスブルク)支局にいると、ロイター通信や現地アフリカ各国の現地メディアの情報がパソコンの画面上に次々と入ってくる。私の仕事は、こうしたニュースを日本の読者向けに分かりやすく、かつ短い日本語の記事にし、本社へ送ることだ」(p84)
「つまり、あの広大な地域に、日本人記者は四人しかいない」(p84~p85)
当時は4社がそれぞれ一名の常駐員を配置し、サブサハラアフリカ全域を各々に担当させていました。10年ほどたった今でもほとんど体制は変わらず、朝日新聞がナイロビ(ケニア)から支局を撤退するなど後退しているといっていいかもしれません。
一人でサブサハラを全てカバーするという無理難題の中、多くの日本人記者は何とか時間を捻りだして現場取材を行います。しかし、苦労して作った記事を本社が採用することはとても少ないのです。本書にありますが、心理的にも地理的にも遠いアフリカの記事は序列的に最下位にあるためです。先日朝日新聞の駐在員の方に一人で本当にサブサハラ全域をカバーできるのかと聞いたところ「物理的に不可能」と回答されました。つまり、10年前も今も、アフリカの現場を伝えるメディアや情報が極めて少ないのです。
本書を読んでこんなことを思いました。日本人のアフリカへの関心は間違いなく高まっている。実際に現地に赴き、ビジネスなり援助なりに関わる人口は間違いなく増えていく。その一方でアフリカを伝える情報が決定的に足りていない。アフリカで活動されているほぼ全ての人が思っているだろうことですが、日本メディアと現地で体感する『アフリカ』には絶望的な距離がある。
沸々と抑えきれない気持ちが沸き上がりました。地球の裏側の情報が簡単に手に入る今、なんでここまでアフリカの現場が伝えられていないのだろう。この先誤った理解でアフリカに向かった日本人や企業は危険なのではないか。なにより、この状況はあまりにもアフリカやそこで住む人々にフェアじゃないと。フィールドワーカーとして目の前の相手に一言一句を大切に扱ってきました。1ミリでも相手の心に寄り添うために泥だらけになってきました。メディアで伝えられる情報とアフリカの現実には今でも大きな溝がある。現場に行けば簡単に分かることなのに。それを伝えるメディアがあれば簡単に解消できる問題なのに。
現場を歩き、そこで生きる人々の声を伝えずして、本当にアフリカを理解することはできるのだろうか。その感情が生まれたときが、自分がアフリカでの起業を決めた瞬間でした。
<実際にはどう動くか>
起業を決めてからは、勢いだけではなく本当にアフリカで起業すべきかを見極めるため一度半導体企業に就職し、一年間働いた後2016年の6月にケニアに渡り会社を設立しました。色々理由はありますが、アフリカ発のTICAD開催があったことが大きかったかなと思います。
その後は悪戦苦闘の連続です。警官に手錠をかけられたり銃を突きつけられて脅されたり取材中選挙の暴動に巻き込まれ催涙ガスを食らったりケニア人パートナーが問題を起こしたため解雇したり不正を働いた従業員から訴えかけられたり。そんなこんなを乗り越えながら、多くの方に助けられたおかげでようやく二つの事業を始められそうな状況になりました。
一つ目は既に行っている調査事業。研究者や援助機関向けの学術的なものと企業や個人向けの商業調査を行っています。元々現地調査を得意としていたこともあり、論文に乗せられるレベルのデータをお客様に情報をお届けしています。
二つ目は本丸のWEBメディア事業。取材自体は昨年から続けており、ケニア人SEとのトラブルを乗り越えながらようやくWEBサイトが今月末くらいに完成しそうです。弊社のフィールドワークで得られた独自ネットワークを基に、他社では絶対に得られない情報を公開していきます。
元々フィールドワークと取材活動は親和性が高いといわれていますが、弊社ではフィールドワーカー=記者として相互の活動をカバーしており、一次情報を取ってくるのにめっぽう強い体制を生むことができました。サイトを公開後、どんどん情報をアップしていきたいと思います。
長くなってしまったので会社のことはまた別の記事でアップしたいと思います。読んでいただきありがとうございます!