Verde Africaが養鶏を始めた理由

こんにちは。Verde Africaの有坂純子です。少しずつ暖かくなりつつあるモザンビークです。新型コロナウィルスの感染者は今週8000人を超えましたが死者は59人に留まり、今月は一部の高等教育機関や娯楽施設が再開しました。一方で幼稚園などは年内は閉まったままではないかと言われていますし、多くの企業や政府機関が在宅とオフィスを組み合わせた勤務を継続しています。

最近、Verde Africaでは養鶏をはじめました。InstagramやFacebookでは養鶏の写真ばかりですが、ブリケット作りも日々続けています!モザンビークの食用鶏は屋内平飼いで30日で成長するものが一般的です。当社のお客様など大規模にビジネス展開している養鶏農家は1ラウンドで10000羽前後育てますが、当社は初めてということで100羽のひよこを購入しました。

養鶏担当のジョアキンと一緒に。元気に大きく育ちました!

養鶏をする目的は3つあります。

  • 当社売上7割を占める、養鶏農家の仕事を理解する。
  • 社員の福利厚生を改善する。ボーナスとして鶏が貰える。
  • 自分たちで消費する鶏肉を出来るだけヘルシーで新鮮なものにする。

ひよこを健康に育てるために、暖房は大切な要素です。生後10日以内のひよこは寒いと死んでしまうからです。モザンビークは停電が定期的にありますし、まとまった設備投資資金の確保が難しい農家の大部分は木炭を暖房に使います。薪を使う農家さんも居ますが、煙による呼吸器疾患でひよこが大量死する場合があるのでおススメではないと認識されています。当社の再生炭を使うことで養鶏農家の悩みのネタである暖房をより安心に安価に出来ます。この部分をより説得力強く営業出来るように、データを集めていくことが目的です。

マプト市で育てた鶏を売り裁くのはなかなか大変です。売れ残った鶏は餌を消費するばかりか、味も落ちてしまい、赤字の原因にもなります。当社は…前々から従業員の満足度向上を図りたかったので、育てた鶏は従業員に原価で持って帰ってもらうことにしました。加えて、月末の給料日に鶏を1羽ずつプレゼントしたら、皆とても喜んでくれました。

よりヘルシーな鶏肉を食べたいと思うようになったのは、養鶏農家と密接に働く中で自分達が日頃食べている鶏肉について学んだことがきっかけです。モザンビークの養鶏協会は現在政府に鶏肉の輸入枠を撤廃し、国内養鶏産業を保護する政策を立案させるべく交渉を続けています。資源以外の国内産業が著しく乏しいモザンビークでは、国内の小規模農家が直接裨益できる効果的な政策だと個人的には考えてます。しかし、養鶏協会役員のアナさんいわく国内養鶏産業を脅かす真の問題は鶏肉の密輸です。南アフリカとモザンビークの最大の陸路国境 Resano Garcia では2020年上半期だけで170トンもの密輸鶏肉が差し押さえられました。生産原価が関係無い密輸品を相手に国産鶏肉には価格競争力が無いことが一番の問題なのです。

しかし、密輸された鶏肉にはどんな背景があるのか。盗品なのか賞味期限切れなのかどこかで大量に廃棄されたものかも知れません。このような背景を知って私達も製造元が記載されていない鶏肉を食べるのは止めることにしました。魚介類と同じように鶏肉もできるだけ新鮮なものを食べたいところ、自分たちで育てた鶏は新鮮で柔らかく美味しく感じます。

マプトで住む方達の需要があれば、このような鶏肉をお届けします。次回はマプトの孤児院に鶏肉や再生炭を寄付するようになった経緯についてブログに書きます。それでは、皆様良い一日を。

養鶏小屋の材料購入と建設から取り組みました。

最近のVerde Africa

こんにちは。Verde Africaの有坂純子です。

当社が所在するモザンビークでは4月1日に大統領がコロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態を宣言し、現在に至っています。主な規制は飲酒を伴う娯楽産業の営業規制や学校の休校や公共交通機関における乗車人数制限などで、幸いにもVerde Africaは営業を続けることが出来ています。

基本的に社員には公共交通機関による通勤を禁止していますが、近隣に住む従業員が殆どだったので自転車や徒歩で元気に通っています。毎日の朝礼で全員を検温するので少し時間がかかりますが、それも良いコミュニケーションの機会と思うことにしています。

ビジネスの方は不況を跳ね返して伸びています。当社の主なお客様はレストランまたは養鶏農家で、コロナ不況の影響はもちろん受けています。レストランは閉店してしまっているお客様も多く、テイクアウトやテラス席設置などで大変な時期を凌いでいます。

一方、養鶏は比較的ショックに強いとみえて、この不況をものともせず数千から数万の規模でも養鶏を続けている農家さんがおられます。5月から7月はモザンビーク南部は冬で最低気温は10度前後になるので、生後14日までのひよこを守る為の暖房が重要になります。今年に入ってから大量購入顧客向けの特別価格を推進してきましたが、それがお得意様の紹介でやっと少しずつ身を結び始めたことに救われています。

モザンビーク政府はまだ感染のピークは訪れていないとの見解を述べており、まだまだ予断を許しません。このような状況でも耐えて工夫して前に進んでいくモザンビーク中小企業の皆様と一緒に頑張りたいと思います。

養鶏農家からの発注を届ける営業社員

Verde Africaのウェブサイトができました!

こんにちは。Verde Africaの有坂です。モザンビークではつい先日10月15日に大統領選挙がありました。正式な結果発表は12月になるようですが、速報では現与党の勝利が見込まれているそうです。選挙キャンペーン中は幾つか不穏なニュースがありましたが、当日は死傷者もなく平和裏に選挙が行われてホッとしました。

【お知らせ】Verde Africaのウェブサイトが完成しました。

https://verdeafrica.com

商品や企業情報や募集について日本語でご覧頂けます。モザンビークの公用語であるポルトガル語版と英語版は現在準備中です。創業ストーリーやメンバー紹介も少しずつ作成予定です。

食堂や家庭向けに販売していた時代は、スマホがかなり普及しているモザンビークでも比較的アナログな類の方々がお客様だったので、顔の見える営業ばかりに注力してきましたが、ガソリンスタンドや養鶏場やレストランなど対企業相手の取引きが増えてきた最近では、お客様にも見て頂けることを期待しています。また、このウェブサイトを通して沢山の方に当社ビジネスを知って頂き、それが当社を応援してくれる方が1人でも増えることに繋がればと願っています。

このウェブサイトを作ってくれたのは、私の前職の同僚で良き友人のAさんです。Verde Africaを応援して、仕事と多趣味の多忙な日々を縫って、ボランティアで作成して頂きました。だから当サイト作成中には、(元職場で)Aさんとコーヒーを淹れながら交わした朝の会話や、残業中に雑談に花開いた夜や、一緒に取り組んだプロジェクトなどAさんとの思い出が蘇ってきてほんわかした気持ちになりました。Aさん、最高のプレゼントを頂きました。本当にどうもありがとうございました!

体制変更のお知らせ

こんにちは。Verde Africaの有坂純子です。この度、弊社の体制変更について下記のとおりお知せ致します。創業以来、有坂之良と純子の2人で会社を経営してきました。早いものでアントレアフリカからの支援も3年目に入り、残すところ半年を切っています。

私は起業時より代表取締役(Chief Executive Officer)を務めさせて頂きましたが、8月より代表を退くことになりました。今後は夫であり代表取締役副社長(Cheif Operating Officer )の有坂之良が代表取締役社長(CEO)に就任して経営の中心になります。私、有坂純子は、Verde Africaの副社長として資金面また戦略面から事業を支えていきます。

新社長 有坂之良

起業時より有坂之良と力を合わせて会社を経営して参りましたが、業務分担としては之良が販売管理や調達やその他のロジスティクス管理をしてきました。一方私は工場側の生産管理、ライセンス及び法務整備等を担当してきました。2016年11月の法人設立から2年半あまり経った現在、ビジネスライセンスや納税や人事の基本部分は整ってきたと感じています。工場では少数精鋭のスタッフと基本的な生産設備が揃い、収益規模を十分に満たす生産高に安定してきました。現在の課題は、市場と売上の拡大で、これまでの業務分担及び適性及から有坂之良の方が適任であると決定に至りました。

販売開始から1年半は家庭や食堂のBtoCに販売リソースを注力しましたが、需要の不安定さと営業コストの高さから、2018年に主要ターゲットをBtoBに切り替えました。それ以来毎月、定期購入の顧客が拡大し、売上も拡大しています。現在の主要ターゲットはレストラン(ケータリング会社を含む)と養鶏場です。特に養鶏場は購入継続率が高いだけでなく、未開拓の市場が大きく広がっています。その他にもBtoC向け販売代理店やスーパーマーケット向け高級商品なども方針変更以来、新たに始めた取組みです。新商品のR&Dも継続しており、今後は営業強化や新商品開発に注力していく計画です。今後Verde Africaの事業を持続可能にすることを目指し、その実現に全力を尽くすつもりです。これまで3年弱の間、本当に沢山の方にVerde Africaを支えて頂きました。

  • 弊社の株主になってくださった3名の方、
  • 3年の間支援を継続してくださった日本アフリカ企業支援イニシアチブ、
  • 経営コーチングをしてくださっているMさん及びJourney to Mozambique の皆様、
  • 起業時のライセンス等を支援してくださった、在モザンビーク大使館及びJETROの方々、
  • いつも仕事を頑張って会社を支えてくれるスタッフのみんな、
  • 当社の製品をいつも買ってくれるモザンビークのお客さまの皆様、
  • 遠く日本からVerde Africaを応援してくれている家族と友人達、
  • 夫であり戦友であり新社長の有坂、
Verde Africaのスタッフの皆とお客様に改めて感謝

この機会に皆様に深くお礼を申し上げたいと思います。これはVerde Africaにとって新しい出発だと考えていますし、そのような結果を実現するのも私達次第です。常に前向きに挑戦していきたいと考えていますので、今後も温かく見守って頂ければ幸いです。





異文化でのBtoCの難しさ➁

BOM DIA!こんにちは。Verde Africaの有坂です。日本は猛暑のようですね。マプトでは少しずつ暖かくなってきていますが、まだまだ夜は毛布が必要な寒さです。前回のブログから大分時間が経ってしまいましたが、後半部分をお伝えしたいと思います。前回はモザンビークと日本で家庭における節約感覚が異なっているという私の考えについて綴りました。今回はこの違いが生まれる背景に考えてみました。


➀ 貯蓄サービスへのアクセス 

サブサハラ・アフリカでは総人口の66%にあたる人口が預金口座を持っていない。(欧州開発銀行2017年レポート)この預金口座を持つ34%には、モバイルマネーの口座のみを所持している人口も含まれる。モザンビークも例外ではない。この数字を統計上は知りつつも、モザンビークに住むまでは何故銀行口座の利用率が低いのか疑問に思っていた。実際、当社に勤めるモザンビーク人スタッフ11人のうち使用可能な銀行口座を持っているのは1人だけ。M-PESAの口座は9人が持っているけど。

これは銀行の手数料が割高なことと、引出しや預入れにかかる時間が膨大なことが起因していると思う。日本の普通預金は月次口座維持費がかからない。しかし、モザンビークを含めた海外の口座では、月次維持費や手数料が馬鹿にならない。もっと、大変なのが預入れだ。ATMには何故か預入れの機能がなく、現金を預金するためには1-2時間程並んで待たなくてはいけない。手数料が割安な銀行ほどいつも混んでいて待ち時間が長い。これでは、小額を口座に入れて貯金しようという気持ちにはなれない。こんな現状だから、ぎりぎりのレベルの収入でやりくりしているモザンビーク人が少額を口座にいれてコツコツ貯金する気持ちにならないのも理解できる。

だけど、モザンビーク人が貯金に興味がない訳ではない。銀行口座に預けるという形を取らないだけだ。シュティックと呼ばれる頼母子講のようなグループ間貸し借りも活発に行われている。私がアフリカでBtoCビジネスをするにあたって、最もためになったと思うのは、この本だ。BOP(Base of Pyramid)層と呼ばれる貧困層の生活に密着してお金の流れ(収入、貸付、借入、貯金、保険など)をリアルにレポートして分析している。

最底辺のポートフォリオ スチュアート・ラザフォード(著) 他5名

この本にはBOP層の人々は実に多様な形でお金を運用し、いざという時のためにリスクをヘッジしている。ただ、フォーマルなサービスを利用しにくいが為に、不便を被る場合が多いということだ。実際にモザンビークに住んでみて、本当にそうだと実感する。

例えば、当社のR君は結婚式にかかる費用を貯めることに大変苦心していた。ある日のR君との会話はこうだ。

R君『最近、結婚資金を確保するために毎月貯金しているんですよ。』
私 『どうやって貯金しているの?銀行口座に預金するとか?』
R君『結婚式に必要なものリストを作って、少しずつ購入していってるです。』

彼らにとっての『貯金』とは必ずしも『お金』を貯めることではなくて、大切なお金を自分にとって価値ある資産に変えて保存することも含まれるのだ。資産というと大袈裟だけど、ついついビールを買ってしまう前にお米を買うとか、流動的な資産を非流動的な資産に変えて保管することに、ある程度重きが置かれているのではないか。当社の若手社員が給料日の2日後には、一文無しになっているのはあながち飲み代で使いきってしまっている訳ではないはずだ(と思いたい)。

ぎりぎりの収入で生活しているからこそ、このようなお金の使い方になるのだろう。手元に現金があると、泥棒とか火災とかいろいろな意味でそれがなくなってしまうリスクがあるけど、一番のリスクはやっぱり自分への誘惑だ。それは日本でもモザンビークでも一緒かもしれない。でも、お金に困っている家族が多くて人助けの心が強い、アフリカの人々にとっては尚一層誘惑が多いはずだ。

何が言いたいのかというと、お金を貯めるための手段が限られているモザンビークでは、1円でも安いものを買う努力よりも、10円を無駄使いしない努力の方が重視されているのではないかということだ。言い換えると、『1円節約してもそれを少しずつ貯めて、1万円にする方法がないならば、無駄になる前に少しでもより有意義なことに使ってしまいたい』という心情だ。携帯電話のデジタルマネー(M-pesaなど)が重宝される背景にはこんな背景もあると思う。

➁ より良い人生を求めてどのくらいの時間軸で行動するのか

モザンビーク人の将来への投資は『マイホームの建設』だ。土地の価値が上昇し続けることは皆よく分かっているらしい。銀行口座を持っていないけど、土地とマイホーム(建設途中)を持っている人はすごく多い。銀行に預金しても、インフレ率も高いし、通貨の価値が激変するかもしれないし、そんなリスクを理屈ではなく肌感覚で良く理解しているのだろう。自分の老後のセキュリティと現在の家賃節約を借入無しに実現できるなかなか賢い方法だ。(建設途中の家に住む我慢すらできれば)

将来について熟考するから、貯蓄や投資をするという側面もある。貧しかったり、希望がない状態だったりすると、将来について深く考えないことは大切な保身術の一つなのだろう。そして、今を楽しむことも将来に向けて蓄えることと同じように大切なことだ。モザンビークの人は家族に関係したお祝い事には積極的にお金を使うように思う。子供の誕生日にケーキを焼いて隣人と一緒に食べたり、親戚の結婚式に素敵な髪型とドレスを着て出席したり、大学の卒業パーティーを開いたりという行事を大切にしているように思う。その時にお金がなければ我慢するしかないと諦めるし、あればその時を大切にすることを選ぶのかもしれない。

節約感覚1つをとってみても、文化や経済事情で変化するので面白い。楽しみながら節約できる商品を提供することがアフリカで価格競争していく要素だと考える。

異文化でのBtoCの難しさ ➀

ブリケットは通常廃棄されるバイオマスを再利用して作られることが多い。当社は木炭の屑を木炭販売業者から買い取って、再利用している。何故、木炭屑を選んでいるのかというと当社の商圏においては品質と調達加工コストのパフォーマンスが最も優れているからだ。

モザンビークの木炭市場の1%を獲得できれば、十数人規模のブリケット企業には十分な売上がたつ。木炭との性能(火力や扱いやすさなど)の違いを考慮して、価格は木炭の6−7割程度に設定した。つまり安価な商品を大勢のお客さんに売りたかったのだ。

でもブリケットはなかなか売れない。特に家庭や食堂などのBtoC(個人客向け販売)での売上は計画を大幅に下回り、メインターゲットをBtoB(対ビジネス向けサービス)に変更するという軌道修正をせざるを得なかった。もちろんマーケティングとか販売形態とかセールスの改善点は山ほどあると思うけど、当社のリソースと頭脳を使って2年ほど苦心した結果、収益化する兆しが見えないという結論に至った。

現在の顧客はレストランや養鶏場が中心だ。注文があればBtoCのお客さんにも配達するが、積極的な営業活動は行っていない。家庭や食堂のお客さんは中産階級の比較的しっかりした家庭だったり、ビジネスを上手に仕切っているアクティブな食堂が大半を占める。

食堂は沢山の炭を使うけど、定期購入に繋がるお客さんは一握りだ。

これまで沢山の家庭や食堂のお客さんが興味を示して、買ってくれた。でも、継続購入につながらなかった。1回買ってやめてしまう人も多いけど、6ヶ月くらい使って突然やめてしまう人も結構多い。個人的に後者のケースはすごく落ち込むのだが、現実を見なければいけない。

起業前の私は休日や夜のスターバックスでエクセルの事業計画書を作りながら、現状よりもかなり楽観的な家庭顧客の商品リピート率を想定していた。仮説は『木炭をブリケットに変えて料理するだけで、1日10円以上を節約できるなら、多少の使いにくさがあっても節約重視で購入する』というものだった。正直、所得が低い人ほど節約に熱心だと想定していた。事業計画書とは何が違っていたのか。まだ自分の中でも答えがないけど、ここ一年考えて少しずつ見えてきた視点について綴ってみたい。

お客さんがどの調理燃料を選ぶかは ➀予算 ➁調理しやすさ ➂便利さ の3点が主にあると思う。当社の商品は予算と便利さの面では競争力があるはずだ。一方で、木炭との違いに慣れることができないお客さんが多く、調理しやすいとは言えないようだ。

難点を克服するために、丁寧な使用方法説明や技術的な改善を続けていくことが必要だ。ただ、最近気がついたことは、家庭における節約の感覚は日本のそれと全く異なっているということだ。

昭和の日本に生まれ育った私は、1円でも安いものを買おうとする母や祖母の情熱を見て育った。10円安い大根を買うために200メートル遠い店に行く。使っていない家電は主電源を切って電気代を節約する。時代は変わりつつあると思うけど、節約に対する私のイメージはこんな感じだ。

その同じ10円は月次最低賃金が1万円前後のモザンビークではどのくらいの価値があるか。私は結局日本人の感覚をベースにしか考えられていなかったのだと気がついた。一般的なモザンビーク家庭と日本家庭を比べると、より節約熱心なのは日本だと思う。総所得に対する節約額の割合と節約に費やすエネルギーで考えるとより明白だ。(もちろん節約感覚には個人差があり、一括りにして話すのは難しいのだけど全体的な傾向についての考えとしてご理解頂きたい。)

世界的にみると日本は節約熱心な国の部類に入ると思う。私が卒業したカナダの大学のマクロ経済学の教科書には、日本家庭で見られる節約努力(主電源を切るとか、炊飯器の保温電力節約など)についてコラムで特別に紹介されていた。それは文化背景により消費及び貯蓄行動が異なるというメッセージだ。なぜ、日本とモザンビークの節約の感覚が異なるのか。2つの社会文化背景の違いが影響しているのではないかと考えた。

➀ 貯蓄サービスへのアクセス

➁ より良い人生を求めてどのくらいの時間軸で行動するのか

続きはまた次回…

モザンビークの近代史について思うこと

1974年の独立以降のモザンビークの歴史を綴ったブログを読んだ。

これまで日本語や英語のまとまった文献に出会えず、知らなかったことばかりだった。現在のモザンビークから察することができる情報、これまで読んだ記事やニュースが繋がるようで興味深い。

モザンビークの首都マプト市には共産主義のヒーローにちなんで名付けられた通りが沢山ある。有名なところで挙げるとレーニン、毛沢東、ホーチミン、金日成などだ。2年前までパンの値段さえ価格統制されていたし、乗り合いバスは今でも上限が決まっている。独立直後のモザンビーク政府の共産主義政策にもうなずける。

南アフリカに支援された反政府ゲリラやジンバブエの独立運動についても、今まで少しずつ聞いていたことが一枚の絵として繋がる感じだ。ポルトガルの独裁政権とアフリカ植民地政策、ロシアや中国を中心とした共産主義と冷戦構造、南アフリカを中心とした巨大な旧植民地ローデシア。モザンビークは1974年に独立したあとも、世界を渦巻くいろいろな思惑の中で翻弄されていたのだと思う。経済復興に集中できるようになったのはきっと内戦が終結した1992年からなのではないか。

1990年後半のモザンビークは資本主義のサクセスストーリーとなる。年次7%を超える経済成長率と貧困率の削減。米国をはじめとした外国から開発援助が流れ込み、2014年にはIMFのAfrica Rising Conference を開催地に選ばれた。2000年~2010年前半のマプトが今より豊かだった様子はスタッフの若い頃の話を聞いても納得できる。

そして2016年に騒ぎになった国家の巨額隠し債務問題がある。モザンビークの通貨は4割以上暴落し、今でも隠し債務問題前の8割の価値に留まったままだ。IMFや海外援助は止まったままで、隠し債務問題の裁判は進行中だが解決策は見えていない。

モザンビークでは今も汚職や賄賂文化がなくならない。町を歩いていたら警官に、パスポートをいますぐ見せられないなら交番に連行されるか賄賂を払え、と要求されるのは珍しくない。隠し債務のこともそうだけど、10年とか20年で降って湧いたように現れた繁栄の甘い汁を吸おうと必死になった結果なのか。

そして今、モザンビークの新たな希望として北部カーボデルガード州で開発が進む巨大ガス田がある。資源開発により豊かになったボツワナ。紛争と格差がもたらされたナイジェリアやアンゴラ。

これからのモザンビークが良い方向に向かうように願う。過去の経験をより透明な政治への足場としてこそ価値があるはずだ。

品質管理への挑戦

過去2週間、お得意さんからのクレームが相次いで参っている。

大部分は当社製品を半年以上続けて、週1-2回の頻度で買ってくれる大切なお客さんだ。レストランや食堂で米を炊いたり鶏を焼いたりする時に使っている。

当社のブリケットで豚肉を焼いているところ。

クレームの内容は炭の火力がいつもより弱く、灰が多いというものだ。火力が弱いので使用量が増えて、経費がかさむと言われたケースもある。

Verde Africaを始めて以来、お客さんからのコメントを直接聞くことを大切にしてきたが、ブリケットの品質管理には主に4つの要素があると思う。

  1. 密度 ⇒ 形成機と破砕機の保守状態で商品の圧縮度合いが決まる。主に機械メンテナンスが原因だ。密度が低いと、ブリケットが通常より早くなくなってしまう。
  2. バインダー ⇒ ブリケットを形成する際に原料のつなぎとして、炭粉にどろどろのキャッサバ粉溶液を加える。これを入れすぎると、煙が増えて製造原価も高騰する。
  3. 乾燥 ⇒ ブリケットは7日間の天日乾燥後に袋詰めする。雨や朝露や湿気など季節による天候の変化に影響される。乾燥しきっていないブリケットは着火が悪く、火力も弱い。
  4. 原料 ⇒ 現在の主な原料は木炭屑だ。町の木炭商から細かく砕けて販売できない屑を購入している。通常ゴミとして捨てるものを購入しているので、いくらかは砂が入ってしまうが、製造コストを考えて選別の工程は設けていない。不純物が多いと、火力が弱く灰が多いブリケットになる。

このようにまとめてみると、過去2年半の生々しい思い出が蘇ってきて懐かしいくらいだ。今回の原因は原料だ。原料に含まれる砂の量が過去3週間で急に増えていたのだ。お客さんに指摘されるまで、変化に気づけなかったことが悔やまれる。

今年1月の末に原料調達担当のスタッフが急に退職した。政府省庁で仕事が見つかったので即日辞めたいとのことだった。急いで新しいスタッフを雇ったが、彼は真面目が取り柄のタイプでとにかく要領が悪い。過去1ヶ月ほど原料調達における効率(量や時間など)を集中的に指導したことも、今回の品質問題と関係しているのだろう。

起業する時に『ものづくり』に憧れてブリケットに決めた部分も大きい。製造業では品質管理は終わりなき挑戦だと思う。

原料に関しては特に大事なことだから、誰か一人に責任を押し付けるのではなく、チェック&バランス機能が働くような仕組みを社内に作っていきたい。管理と生産と原料調達の3者がそれぞれに原料状態をチェックして、それを全体に可視化するのだ。

改善には実行あるのみ。今はクレームを伝えてくれたお客さん訪問と製品の交換に奔走している。この経験がいつかVerde Africaの財産になることを信じつつ、問題解決と繰り返さないための仕組み作りに励んでいきたい。

形成機から出てくるブリケットを並べるスタッフ。

モザンビーク女性の日

4月7日はモザンビーク女性の日(Dia de Mulhers Moçambicanas) で祝日だ。明日が振替休日なので工場は久しぶりに連休だ。市場やビーチは揃いのアフリカンプリントの布(カプラナ)でおしゃれした女性に溢れていたし、夜8時の街は喚声や音楽や口笛が響き年越しさながらの賑やかさである。

国際女性デー(International Women Day)を祝う国は多い。しかし、私がこれまで住んだ数カ国の中で、その国独自の女性デーを設けている国は初めてだ。国際社会へのアピールだろうと斜めに捉えていた私だが、モザンビークに住んで2年半遅ればせながら気がついた。今日はJosina Machel (ジョシナ・マシェル)の命日なのだ。

Josina Machel とは誰なのか。マプト市内の目抜き通りの名前にもなっているし、彼女の顔がプリントされたカプラナを巻いている女性も良く見かける。今更感満載だが、同じ女性として彼女の人生に感動したのでここで紹介したい。(注:以下の情報は全てWikipedia からの抜粋なので興味を持った方はご自身で改めて調べて頂きたい。)

Josina Machel は1945年にモザンビーク中部のVilanculos に生まれる。父親は看護師で8人兄弟だった。ポルトガル植民地時代のモザンビークで看護師は黒人が就ける最も教育の高い職業だったそうだ。Josinaは進学の為に小学4年生で首都マプト(当時のLourenço Marques)にやってくる。

Josina Machel がプリントされたカプラナ。彼女の写真が見たいかたはこちら。美人です。


13歳で高等教育に進んだJosinaだが、1964年19歳の時にモザンビーク脱出を試みる。隣国タンザニアに拠点を構えるモザンビーク独立戦線(FRELIMO)に加わる為だった。数名の同志と1280キロ移動し、ザンビアとジンバブエ国境に位置するビクトリア滝に着いたところで彼女は捕らえられた。その後マプトで5ヶ月投獄される。

一旦は高校に戻った彼女だが、数ヶ月後に新たな脱出を図る。マプトからスワジランドの難民キャンプに行き、FRELIMO支持者や教会団体の助けを借りてボツワナまで辿り着く。イギリス植民地政府に連れ戻されそうになりながらも、国連 (UNHCR) やFRELIMO代表の力添えもあり、18名の有志と共にタンザニアの首都ダルエスサラームに辿り着きFRELIMOに迎えられた。3200キロの道のりであった。

20歳になったJosinaはFRELIMOの教育機関代表補佐として働くようになった。スイス留学のチャンスを蹴り、モザンビーク人女性に独立運動参加を促し訓練する運動を立ち上げる。

モザンビーク独立戦線(FRELIMO)はタンザニアの南部にゲリラ戦線を構えていた。ある時、25名の選ばれた女性がこの拠点での軍事訓練に送り込まれる。Josinaもその1人だった。この戦線を指揮していたのが、モザンビーク初代大統領でJosinaの未来の伴侶となるSamora Machel (サモラ・マシェル)だ。

1968年にはFRELIMOの社会福祉事業部の代表に任命され、戦争孤児を世話する事業を指揮する。Josinaは雄弁に語り、民衆(特に女性)を奮い立たせる力においても一目置かれていた。24歳でFRELIMO国際部の女性代表に任命され、独立運動と新しい時代の動きに女性も同等の権利を持って参加できるように働きかけた。

1969年は彼女にとって特別な年だった。当時のFRELIMO代表のEduardo Mondlaneが暗殺され、残された妻 Janet に付き添い寝食を共にする。5月、 JosinaはSamora Machel (サモラ・マシェル)と結婚した。そして、11月に息子(Samora Junior )が生まれた。

翌年、Josinaは激しい腹痛と疲労に襲われる。そして、モスクワの病院で肝臓ガンと診断される。医師からは静養と食事療法を指示されたが、幼い息子を預けて、Josinaは働き続けた。

1971年には北部モザンビークに2回に渡る長期出張をした帰り道、同士にピストルを手渡しながらJosinaは言った。『私はもうダメです。これを軍の指揮者にお返しして欲しい。このピストルはモザンビークの人々の救いの為に戦い続けるはずだから。』

そして4月7日 Josina Machel は25歳の生涯を閉じる。モザンビーク独立まで3年と5ヶ月だった。

なんて壮絶で熱い人生なんだろう。植民地政府の敵だらけの道中を3200キロも移動するなんて、リビングストンにも匹敵する冒険だ。男性でも看護師以上の職を望めなかった当時、家族だって同志だって女性戦士を受け入れてくれる保証はどこにもなかったのではないか。

サモラ・マシェルとの出会いもきっと大恋愛だったんだろう。大好きな人と結ばれたのに、一年で亡くなってしまうなんて悲しすぎるけど、それでも彼女は闘うことをやめなかった。

そして、現在 Josina Machel の命日がこんなに賑やかに祝われていることに、故サモラ・マシェル大統領をはじめモザンビークの人々の語り継ぐ努力と誇りを感じる。

アフリカで女性は強い。そして明るい。今日はモザンビーク人女性であることを祝いつつ、皆で食べて踊るんだろう。そんな素敵な祝日だ。

大口顧客を獲得したい!


商売をする上で1件あたりの顧客規模は大きな要素だろう。これはBtoC とBtoBの違いにも大きく関わっているが、Verde Africaの1件あたり顧客規模は次第に大きくなっている。

創業当時のメイン顧客は個人経営の食堂や家庭で、当時は市場をテストする意味もあり1袋100円以下の少量も直販していた。これはBOPビジネスのサクセスケースを作りたいという私の野望に少なからず関係しているはずで、創業してから1年半ほど売上の変動に悩みながらこだわり続けてきた。

現在Verde Africaの売上は右肩あがりである。前々回のブログにはEBITDA黒字化とか書いてみたけど(事実なのだけど)、それは現状を正確に表す言葉ではない。背伸びをしたブログを書くのは筆が鈍るので、もうやめようと思う。

右肩上がりは事実なのだが、薄利多売な商品を売っている割に規模が少ないので苦しい経営状態が続いているのだ。スタートアップとしてはよくあるケースなのかもしれないが、経営者2名は創業時以来無給状態が続いている。現在の売上規模は月次25トン程度だが、経営者の最低限の生活費を含め事業を持続的に経営するための損益分岐を達成するには40トンは必要だろう。

この目標値、売上の伸び悩みに苦しんだ昨年には蜃気楼のような数字であった。だが、ここにきて救世主が現れたかも?!しれない。

それは、大口顧客である。私達は商売をするためにモザンビークにいるのだから、当たり前のことだろう。

ブリケットの大口顧客とは往々にして”養鶏場”である。モザンビーク人は炭焼きの鶏が大好きだ。そして養鶏はモザンビーク人が”プチ起業”する際に真っ先に検討するほどメジャーなビジネスである。

設備の整った中規模の養鶏場。左隅に写っているドラム缶の中で暖を取る。

以前は調理用の炭として当社商品を使ってもらえるように営業していたが、BtoC顧客を相手に結果が出ないまま苦闘してきた。現在着目しているのは養鶏場の使う炭である。

モザンビークの一般的な養鶏は生後間もないヒヨコを企業から買い取って育てるところから始まる。規模にもよるが200羽から数万羽ヒヨコを一度に育てる。ヒヨコはとてもかよわい生き物なので、寒すぎても暑すぎても死んでしまう。特に生後7日が勝負で鶏舎の温度を45度から30度に保つ必要があるそうだ。このために炭を使う。

ヒヨコが死ぬ理由には煙などによる気管支系の病気も含まれるので、養鶏場で使う炭は”安い、煙がない、火力長持ち”という3点が求められる。当社の商品と木炭を比べると”安い、煙がない、火力長持ち”という利点がある代わりに”壊れやすい、火力が弱い、使い切りタイプ”という難点がある。そのためか一般家庭にくらべ、養鶏場のお客さんは増加傾向にあり継続率も高い、期待が高い分野なのだ。

比較的小規模な養鶏場。ドラム缶の中で木炭を燃やしている。

これまでモザンビークで誰もが知っているような養鶏企業にコンタクトしてはいたが、大規模な企業は設備投資もしっかりしているらしく”炭ではなく電気ヒーターでヒヨコを温めている”という残念な回答ばかりであった。

今回お得意さんの紹介で出会った養鶏場は大規模かつ木炭を使っている。しかも、現在の木炭調達状況に課題を感じており、解決策を探しているとのこと。これは、WIN-WINになれる自信がある!是非とも当社のお客さんになって欲しい!

しかし、紹介当初、活発だった交渉は徐々に停滞し細々としたやりとりが続いている。モザンビークで交渉相手からの連絡が停滞する時は、何か問題(言いたい事)がある時だ(と思う)。これはモザンビーク的センスをフルに働かせて臨まないといけないタイプの交渉なのだろう。

この商談、なんとしてでも獲得したい!と焦る気持ちを抑えながら、モザンビーク的交渉について考えを巡らす日々が続いている。

(続く)



1 2 3 8