尊敬するガーナ人女性起業家との出会い

みなさんこんにちわ!ガーナ発kawaiiコスメの相川香菜です。

今回は前々回の出張でご紹介により出会い、8月から9月にかけて協同(というよりほぼ一方的に私がホームステイしてるだけ。。)でついて回っていた尊敬するガーナ人女性起業家の方を紹介させていただきたいと思います。

写真の中のチェックシャツの女性がオーガニック農場をガーナ国内に3つ持ち、20年以上に渡ってオーガニックティーやジャムの生産販売を行なっているジョージナさんという40代のガーナ人女性起業家です。

(写真:農場にて作物を採取中)

ガーナでは現在の日本の低金利とはほぼ真逆の状態で、詳しい利率は銀行によっても違いまずが、10%返済利子なんていうことはザラだそう。そんな中彼女はスモールビジネスからコツコツと事業を拡大し、いまではヨーロッパ諸国にも商品を輸入するまでに事業を発展させた女性です。

彼女の尊敬するところは、起業家として事業を成功させていることだけではなく、明確なvisionとpassionを持ちながら事業を前に進めているところです。

上の写真は農場近くに住むその地域のQueen mother(村の中心的女性リーダー)とそのお母さんとの写真ですが、村の人々が昔から持つ伝統的な農作物の活用方法、知識に敬意を払い情報収集していました。この姿勢は、海外からの製品の方が信頼できる、ガーナの化粧品よりも輸入物の化粧品を好むガーナ人女性の中にあっては極めて際立った姿勢だと思います。

また自身が成功すると海外移住を行ったり、自身の成功だけを考えるガーナ国内の一部の成功者たちとは一線をかき、売り上げの一部で村落部に学校を建設するという社会貢献活動などを行っています。

彼女のこのような姿勢は、ガーナで入手可能な原材料を使った質の高い化粧品を提供したい

昔から伝統的に伝わる村の人々の生活の知恵・叡智を集結させたい

いい商品を作ることでガーナ人の人々自身がガーナ発の商品にもっと誇りを持って欲しい

という私の思いと同じものです。

肌の色や国、言葉などに関係なく、visionを共有しあえる素晴らしい人たちと出会えることに日々感謝しながら、頑張っていきたいと思います。

 

こども時代から広がり続ける超えられない格差

みなさんこんにちわ。ガーナ発kawaiiコスメの相川香菜です!

今回はガーナ北部滞在で感じる都市部と村落部の格差問題について書かせていただきたいと思います。

いわゆる先進国と途上国間の格差問題だけではなく、ガーナでは首都アクラのある南部の地域と私が滞在していたタマレのある北部州の間では大きな経済格差があります。

特に北部3州のNorthern, Upper East, Upper West州はいわゆる貧困3州と呼ばれ、援助機関等でも特に重点地域として認識されています。

私が住んでいた村はNwodua(モデュア)というところは、上の写真で黒囲みをしているTamale(タマレ)という北部州の州都から車で約30分ほどの距離にあります。

物理的な距離としてはそんなに遠くありませんが、この30分の距離の間には、多くの違いが存在しています。

今回は北部州の州都タマレ近郊と村落部で見られる格差についてお話ししたいと思います。

(写真①:タマレに住む元同僚の小学校の先生のお宅でホームステイした時の家族写真)

(写真②:Nwodua村の隣にあるKpilo/Napagyili村(ピロ・ナパイレ村)のこども達と撮影)

(写真③:Nwodua村でシアバターを作る女性たちの全体集会を行った時に撮影)

このように3枚の写真を並べた時に何か違いに気付くでしょうか?

まず写真だけで判断できる点として、子供達の服装があると思います。

写真①の子供達の服装に比べて、写真②の子供達の服装は少し汚れなどが目立ちます。

村落部ではひとりのお母さんが5、6人の子供を産むのは当たり前の光景ですが、写真①の元同僚の家庭では今のところ子どもの数は2人で、1人あたりの子どもにかけられる費用に違いがあるのが理由の一つだと思われます。

次に写真①と写真③の女性の服装にも気づくでしょうか?

写真①の中の子供を抱いているお母さんはジーンズを履いていますが、写真③の女性たちはみな色鮮やかなアフリカ布をスカートのように巻いているのが分かるかと思います。

ガーナ北部ではイスラム教を信仰している人々が約90%おり、イスラム教を信仰する北部では、女性が下半身を晒すのはよくないと言われます。(暑いので上半身は比較的軽装なのが上手いことアフリカナイズドされている気がするけれど。。)

都市部の女性たちは社会進出も進み、ジーンズなどのズボンを履くようになってきていますが、村落部の女性たちでズボンを履いている女性を見たことはありませんでした。

最後にこれは写真からは判断出来ませんが、言語の面で大きな違いがあります。

写真①の元同僚の家庭では誰もが英語を話しますが、写真②と③に写っている人々の中で英語で会話することができるのは、唯一私の右隣に立っている男性だけです。

ガーナの公用語はイギリスの植民地支配を受けていた影響から「英語」ですが、各地域で様々な部族の言葉が話されています。ここガーナ北部州ではダゴンバ族の言葉であるDagbani語(ダバニ語)が日常的に話されています。

英語は学校教育で身につけていくことになりますが、そもそも村落部では親世代が学校教育をまともに受けていなかったり英語を話せないので、子供達の英語定着度はかなり低く、すべての教科の教科書が英語で書かれ、教室でも英語を話すことが推奨されている学校現場では、現状と理想の間に大きな開きがあります。英語での理解が難しい村落部の子供達はこのため学習定着度もかなり遅く、中には授業内容についていけなかったり、家庭内労働に従事するため学校からドロップアウトする子も少なくはありません。

一方で、都市部に住む子供達がなぜ早い段階から英語を話せるかというと、親世代が英語を身につけていること、公立学校ではなく幼少教育から英語を使うことを訓練させる私立学校に入学させることなどが理由に挙げられます。

このため写真①のお母さんの腕に抱かれている3歳にも満たない幼い子供でも英語で会話が成り立つくらいにはなっていました。

まとめると、

親世代が教育を受けていない→子供も学習環境が整わない→英語での理解が難しくなりすべての教科にも悪影響→農業等の肉体労働以外に従事できない→貧困家庭に陥る

という流れがこども時代から根付き、世代を重ねるごとにその格差は超えがたいものになっていくのです。

私がガーナ北部、しかも村落部の特産品であるシアバターを生産している女性たちを巻き込んで事業を展開していきたいと考えた理由はここにあります。

こども時代から広がり続ける格差に終止符を打ち、

世代を超えて続いていく貧困連鎖を断ち切ち、

お母さん世代に継続的な雇用を創出することで次の世代の子供達が平等に教育を受ける権利を確保すること、

これらの目標達成のために、このガーナ北部から発信する可愛い化粧品が欲しいと思ったのです。

 

途上国ガーナで人の命について考えた日

みなさんこんにちわ!ガーナ発kawaiiコスメの相川香菜です。

前回年末年始のガーナ出張の話を前回書かせていただきましたが、今回は出張中にあった出来事の続きについて書かせていただきます。

1週間のガーナ滞在では懐かしい出会いが盛り沢山でしたが、唯一私にとって悲しく衝撃的な知らせがありました。

2010年、私がガーナに村落開発普及員として赴任し最初の学校として、受け入れてくれていたNwodua(モデュア)小学校のMoses校長先生(写真では左から2番目の男性)が亡くなったと聞かされました。

当時の詳しい年齢は分かりませんが、おそらく50歳前後であったと思います。まだまだ若い年齢での死がショックで話を聞いた時はただただ衝撃でした。Moses(モゼス)校長先生とは当時は何度か意見がぶつかり合い喧嘩したこともよくありました。

赴任当初、日本人がガーナでどのように思われているかも知る由もなかった「国際協力思考」の私に、君の手伝いよりも学校に図書館を作るだけの資金が欲しいと言われ、自分がここに来た意味はなんだったのかと愕然とさせられたこともあります。

今ではそんな言葉には慣れっこですが、当時24歳で国際協力をしようと意気揚々とガーナに飛び込んで来た私には自分の存在意義は金だけだと言われているようで悲しかったことを覚えています。

また日本では確実に問題になるであろうレベルのセクハラ的な発言をされたこともしばしば。。。

Silminga(シルミンガ:現地語で白い人の意味)も妊娠したらお腹が大きくなるのか?

と言われたり。。

でも、彼の人柄なのか、なぜだか憎めないガーナ人の気質なのかは分かりませんが、私も言いたいことはしっかり主張し、向こうも言いたいことは主張しと、お互い譲ることはないものの、遠慮することなくいい関係は築けていたのでした。そして帰国直前には、ガーナでは高価な布で作った現地服をくれ、Tunteeya(私の現地での呼び名)の功績にはとても感謝している、ありがとう。ととても真剣な表情で言ってくれました。

そんな彼の死因は小学校校庭で子供達とサッカーをし、帰宅した日の夜に突然発作に襲われ亡くなったということでした。

急に運動したから?

日本だったらAEDとかあって助かった命だったのかな?

素人考えですが、こんな考えが消えず、途上国ガーナでの人の命に儚さに無念な思いが募りました。

ガーナでは人の平均寿命はずっと短いのだと底抜けに明るいガーナで忘れていたことを思い出した1日です。

(写真:Nwodua小学校の教室と外観。校舎前に停まっているYAMAHAバイクが校長先生が毎日通勤に使っていたもの。とても懐かしい。)

ガーナでの死という話題で恐縮ですが、是非とも紹介させていただきたい日本人の大先輩がいます。

武辺寛則さんという私よりもずっと先輩の青年海外協力隊の方でガーナの村でパイナップル栽培に尽力された方です。

https://www.jica.go.jp/volunteer/outline/story/11/index.html

私は直接の面識はありませんが、日本でガーナ元隊員の方々と会う機会があり、武辺さんの当時の様子を知っている方々からお話を聞く機会がありました。

話を聞いていて感じたのは、もし武辺さんがご存命であれば親世代の年齢の方でもっともっとガーナで活躍されていたんだろうなということ。そして人の命なんて先は本当に誰にも分からないという焦燥感にも似た気持ちでした。

ガーナにいると私自身も含めて、生きていることが当たり前であるという感覚は薄くなります。

正直日本の清潔で何もかもきちんと管理された世界にいると死を身近に感じる機会は私には多くありません。

そんな中モセズ校長先生の訃報を聞き、限られた命の中で自分に出来ることは何なのかと問いかけた時、せっかく心に灯した

ガーナで入手可能な原材料を使って現地で可愛い化粧品を作りたいという夢。

その雇用を通して従業員もお客様にも幸せになっていただきたい。

その流れの中心にいて、ガーナの変化をずっと見て行きたい。

という夢を叶えずには死ねないなと強く思いました。

なぜガーナで起業したいのか?

(写真:Nwodua村(モデュア村)に続く何度もバイクで駆け抜けたアフリカらしい大好きな1本道)

みなさんお久しぶりです!ガーナ発kawaiiコスメの相川香菜です!

約1年ぶりの投稿となりました。昨年第2回アントレアフリカにファイナリストとして残していただきましたが、残念ながら最終的に支援先には残れずかなりの悔し涙を流しましたが、コンテスト応募を通して自分に残ったものはとても大きく、今年も再挑戦させていただくことにしました。

昨年の応募時は会社勤めをしていた私ですが、2018年4月末で勤めていた大阪にある会社を退職致しました。心の内に秘かにガーナ起業への熱い思いを抱えていた私を最後まで温かく見守り送り出していただいた前職の会社の皆様には本当に感謝してもしきれません。

西アフリカのガーナで異業種の化粧品ビジネスをするという私を当然のことながら、社長を初めて会社の皆さんは心配してくださいました。そして自分自身もたくさんの不安がありました。

しかしながら、この場を通してブログを書いているうちに自分自身の言葉に嘘はつけないなと強く思うようになりました。支援先に残れたとか残れなかったとか結果論でなくて、自分でここまで書いておいてそれを反古にすることはできないと強く思うようになりました。

人に嘘を付くことはできても、自分に嘘をついて生きていったらこの先私は何にも真剣にはなれないと。

とはいうものの2012年の帰国からガーナから遠ざかり大阪で普通の会社員として生活していた私には、会社員を辞めてガーナでの起業の道一本で生きていくことを決意するのは簡単ではありませんでした。JICAボランティアでガーナに滞在していたとは言え、当時は大きな組織の後ろ盾があったけれど、今回は完全に一人でのスタートになります。

色々考えた末に結局ガーナに行くことを決意しました。この時点でコンテスト応募などをきっかけに99%ほとんど起業に対する決意は固まっていましたが、最後の1%の自分の気持ちをこの旅で確認しようと思って出かけました。最後の一押しの為に。会社員だった私は年末年始に数日の有給休暇をいただき、10日間のガーナへの旅に出ました。

ガーナに着くとまず空気の匂いが違い、ガーナの香りでとても懐かしく嬉しくなりました。

日本では色々と考え過ぎて動けなくなったいた私ですが、結局約1週間のガーナ滞在で感じたのは、自分はガーナの友人も人も食べ物も景色もどれも好きなんだなということでした。

 

(写真:首都アクラからガーナ北部州タマレを結ぶ国内線。飛行時間は約1時間)

(タマレ空港で見たブラジルとガーナ協同によるタマレ空港の国際空港化プロジェクト。タマレでは約90%の人々がイスラム教を信仰しており、メッカ巡礼への需要があるため。)

ガーナ滞在では3日間ほど首都のアクラに滞在し、4日間ほど北部のタマレと住んでいた村に滞在しました。滞在中は懐かしい人々に会うのがメインで慌ただしく時間が過ぎていき、起業を決意するような特段大きな出来事があった訳ではありませんが、5年も前のことなのに昨日のことのように私との再会を喜んでくれるガーナのみんなを見ているとただただ懐かしく、嬉しく、自分がした決意はやはり間違っていなかったんだなと思うにはそれだけで十分でした。

(写真:ボランティア活動当時シアバター作りのグループとして一番熱心についてきてくれていた女性たち。再会を喜んでくれて本当に嬉しかった。左手をあげている女性の手についている黄色いものがシアバター)

(写真:ホームステイしていた家族と。子供達が成長していて時間の流れを感じる!私の隣の女の子は生まれた時から知っている!)

ガーナの友人に言われたとても印象的な言葉があります。

「一度家族として香菜(ガーナの現地語ではTunteeyaと呼ばれる)を受け入れたから何度ここに帰ってきても Tunteeyaは家族だ。」

これを聞いた瞬間私はふっと全てが腑に落ちたような気がしました。

ガーナは途上国だから助けないといけないとか、アフリカだから貧しいとかそんなことではなく、日本で私を待ってくれている家族や友人と同じように、ガーナの村の人たちもみんな家族で、青年海外協力隊の隊員として活動していた当時私は彼らの力になるどころか彼らの力がなければ生活することすらできませんでした。水汲みを手伝ってくれる子供達、ご飯を作って持ってきてくれるホストファミリー。助けに行くと思っていたのも束の間、生活の知恵に溢れたくましく生きる彼らの姿に毎日尊敬の念を抱き、感心する日々でした。ただ少しのきっかけにアクセスできないだけで、彼らの生活は困窮していました。少しのきっかけとは私がそれまで当たり前だと思っていたスキルや環境でした。

普通に学校にいけたこと。

文字が書けること。

計算ができること。

英語が話せること。

そんな当たり前へのアクセスがないために、彼らの生活は何年立っても変わらずわずかな現金収入を得られる道も閉ざされていました。

 

私が日本に生まれて得たスキルや環境と少しの勇気で、世界が少し変わるなら、今こそその勇気を出すときだと起業への最後の1%の決意を固めたのでした。

 

 

 

 

 

 

なぜカワイイが大切なのか?『ガーナ発kawaiiコスメ』で実現させたい世界

みなさん、こんにちは!ガーナ発kawaiiコスメ作りに挑戦中の相川香菜です!

今回は私が言い続けている『ガーナ発kawaiiコスメ』に込められた意味についてご説明したいと思います!

前回ガーナの人々の着飾る事への意識の高さ、日本の人たちと変わらぬ綺麗で美しくいたいという女性達の想いについて書かせていただきましたが、今回はさらに踏み込んで、なぜkawaiiコスメである必要があるのか?を書かせていただきたいと思います!

 

ガーナから帰国した後、日本の学校にガーナ体験談を話しに行ったり、友人、知人にガーナでの生活について聞かれる事が多々ありました。

 

『ガーナどうだった?』

皆こんな風に聞いてくれるのですが、あまりに濃い2年間だったので一言で答えられるはずもなく笑、その時々によって適当に答えていました(失礼でごめんよ!笑)。

ただ話していて思うのは、みんな、私が行った事のあるガーナだから興味を持ってくれたり、話を聞いてくれようとするけど、ガーナとかアフリカそのものはやはりすごく遠い存在だと感じているのだなぁということでした。

 

私は大学時代、国際関係学部に所属しており、周りは海外に行く事が好きな人たちがばかりだったので、国際協力に興味を持っている事自体が当たり前のことだと思っていました。

しかし、大学時代以外の友人達と話していると、私のガーナでの体験や感じたことなどは、別世界のことだと感じられているように思う事が多かったです。

 

国際協力に興味が無い人の方がむしろマジョリティーなのか。

自分がいた場所がある意味特殊だったんだ。

この気づきは逆カルチャーショックでした。

そして、国際協力に興味のある一部の人たちが動いて変えようとしているのが、現状ではないかと思うようになったのです。

同時に、それはそうだよね、日本で普通に働いて、快適なものに囲まれて、平和に暮らしている方がいいもんね、と共感する部分もかなりありました。

 

国際協力に興味のある人と無い人の乖離。

 

それに気付いてからというもの、私はずっと

 

途上国に行って国際協力を志す人は自分の好きな事すべてを捨てて、自己を犠牲にして仕事に取り組まねばならないのか?

 

私がガーナで見た社会問題を解決するには、自分の幸せを犠牲にしないといけないのか?

 

自分を犠牲にした志が高い人だけにしか途上国の問題は解決できないのか?

 

自分の好きなことと国際協力は両立出来ないのか?

 

こんなことを考え続けていました。

 

それは自分自身が一番ガーナを遠く感じてしまう瞬間でした。

 

ガーナで感じた社会問題を見なかったことにすることは出来ない。

 

 

でも、同時に

可愛くいること

お化粧で綺麗になること

おしゃれな服を着ること

心ときめく好きなモノに囲まれていること

 

も大好きなことに気づきました。

 

それらは自分にとってすごくすごく大事なことだし、それを失ってしまったら私は絶対に幸せではいられない。

 

All or Nothingなんて私には絶対にできないと気付きました。

 

可愛いものが好きな普通の女の子だから

好きなものに囲まれてわくわく幸せに生きたいから

でも、ガーナがなければ今の私は絶対にいないから

異文化が与えてくれるドキドキに一生触れていたいから

 

だからこそガーナ発kawaiiコスメを通して、100%の国際協力でなくても、1%の国際協力が出来る人を100人作りたい。

 

その架け橋に私はなりたい。

 

私は自分の事業をするにあたって、自分に正直であろうと思い続けてきました。

今、私は自分の夢に向かってどこも無理をしていません。

 

好きなことに好きな場所で取り組む。

 

そのシンプルな思いしかありません。

 

日本のおしゃれ感度の高い可愛い女性達がある日、ガーナ発kawaiiコスメを目にする、初めて見たけど可愛いなぁ、使ってみようかなと思って購入してみる。

一緒に入っているリーフレットを見てみると、ガーナの女性達が生産していると書いてある。

ヘーこんなことしている会社があるんだ。面白いな。

 

こんな日が現実になれば私にとってこれ以上幸せなことはありません。

 

世界を氷山の一角ではなく全体で変えていくこと。

 

私にとってkawaiiはその為の最大の武器なのです。

(生まれたての子羊。可愛いからいつも追いかけ回していた笑)

Kana Aikawa

 

ガーナを変えるアイテムに『コスメ』を選んだ訳

 

みなさん、こんにちは!ガーナ発kawaiiコスメ作りに挑戦中の相川香菜です!

今回はいよいよなぜコスメなのか?をご説明したいと思います!

 

その前にみなさんアフリカ諸国ここでは特にガーナについてどんなイメージをお持ちですか?

 

貧困?

紛争?

サファリ?

ライオン?

チョコレート?

みんな裸で生活して、いつも踊っている?

(ガーナ体験談を話しに行った時に実際にこう言った人がいた笑)

 

いろいろと答えが出てくると思いますが、多分アフリカに行った事のない人たちにとって共通のイメージとしてあるのは『貧困』なのだと思います。

確かに日本に比べたら現金収入を得られる方法はかなり限られているし、物質的に無いものがたくさんあります。

 

そして『貧困』と一緒に思いつくのか『かわいそう』とか『粗末』とか『汚い』という言葉だったりするのではないでしょうか。

 

では、ガーナの人々は『かわいそう』で『粗末』なものばかりを身につけて、『汚い』格好をしているのでしょうか?

 

 

実際に現地に行ってみて感じたのは、これらのイメージとは全く真逆のものでした。ガーナの人々は、『貧困』であるからこそ『きちんとした』服装を身につけ、『綺麗で』いようとしています。そしてかなり?結構プライドが高い国民性であると思います。

貧しいから汚い格好でも仕方ないじゃない、お金がないんだもの、ということには決してならない。

 

むしろガーナ国内で活動していたJICA青年海外協力隊の隊員達のほうが、ガーナにいるんだから日本で出来ない格好をしようと思い切った行動に出ている人が多かったです。女性隊員でも丸刈りにしちゃう人とか、日本だったら完全アウトな長髪とのび放題の髭で過ごす男性隊員とか。

かく言う私も砂埃の中バイクに乗らないといけないので、最初はコンタクトレンズを使っていたのがいつの間にか眼鏡になり、ガーナ北部のタマレ周辺ではシャンプーは全く手に入らないので(首都アクラにある外国人向けスーパーでは入手可能)、髪の毛はいつも無印良品の髪切りばさみでめちゃめちゃにセルフカットしていました。

お風呂、というか土壁の囲いの中での行水なので、お化粧という概念すら忘れつつりました。

 

そんな風に日常を過ごす中、私がアイロンがけのされていないしわくちゃのガーナ服を着ていくようなことがあると、学校の先生達に

「アイロン持ってないのか?!持ってないなら生徒達にかけさせたらいいんだよ!」

と生徒の1人を呼ぼうとしたり、私が伸びてきた髪の毛をそろそろ切らないとなーと言うと

「黒くてまっすぐで綺麗な髪の毛なのになんで切るの!?いらないならちょうだい!」と言われたりしました。

また私が日焼け止めを塗っていたりすると、女性たちが「何を使っているの?日本製?それを使ったらマダムみたいに白くて綺麗な肌になれるの?」と興味津々に質問攻めにされました。

 

ガーナで私たち隊員が月額頂いていた生活費は400USドル(日本円にして約4万円)でしたが、ガーナの人々は日常的にアフリカ布で仕立てた服を着ており、それを完成させるのに高いものでは6ヤードの布代4,000円と、仕立て代に1,000円ほどかかることもあります。4万円のうちの5,000円と言えば、日本のお給料に換算すれば、20万円のうちの2万5千円にあたります。

 

服飾費と言えば、日本の人々の間でも個人差がかなり大きい出費項目です。

ファッションにこだわりのある人は無理してでもこだわりのある高い服を買おうとするだろうし、それほど興味のない人にとっては、必要な分だけ数着あれば事足りるという感じだと思います。

 

この着飾るということについては、ガーナの人々はかなりこだわりがありました。女性達が色とりどりのアフリカ布の服を身にまとうのはもちろん、男性達もアフリカ布で仕立てたシャツをおしゃれに着こなしていました。

 

(結婚式に出席した時の写真)

そして美容面では、タマレでも入手可能なすっごく匂いのきついボディクリームや香水などをよくつけていました。

 

私は、昔から入浴剤やボディケア用品がすごく好きだったこと、またそれまで当たり前のアイテムとして使用していたボディ、スキン、ヘアケア用品が全然手に入らない事への渇望から、タマレに行くとしょっちゅう使えそうなアイテムはないかと目を光らせていました。

 

私が見る限り、大半の製品はヨーロッパか南アフリカからの輸入物で、村の人々にとってはかなりの高額(日本円にして500円〜1,000円くらい)で売られていました。

私は危なくなさそうな製品を試しに買ってみては、自分の体で実験してみるということを繰り返していました。輸入物の中にはガーナならではの原材料を使って、使い心地のよいものになっている商品はほぼなく、ガーナには有名コスメブランドが使用しているシアバターやカカオバターなどたくさんのいい材料があるのにもったいないなと常々思っていました。

 

そして、ガーナの女性達の高い美意識、貧するからこその誇り高さを実感するにつれ、

 

ガーナで入手可能な原材料を使った化粧品があればいいのに、

美しく綺麗でいたいと思う気持ちは世界中の女性に共通なのに

 

と思うようになっていきました。

 

今は何を馬鹿な事を言ってるんだと思われるかもしれません。

でも、私はこのガーナ発kawaiiコスメをガーナ人なら誰もが知っている化粧品に成長させ、ガーナを代表する化粧品会社になる、と決意しています。当面は日本での販売を想定していますが、いつかガーナの人たちがこの化粧品を手にして、自分たちの国で作った誇りある化粧品だと、美しく綺麗でいたいという女性達の変わらぬ想いに応えられる日が必ず来ると信じて、私のライフワークとしてこの事業に一生をかけて取り組んでいきたいと思います。

 

次回もなぜコスメなのか?の続きを書かせていただこうと思います!

 

Kana Aikawa

なぜビジネスなのか?ガーナで初めて気付いた経営の神様の水道哲学の功績

みなさん、こんにちは!ガーナ発kawaiiコスメ作りに挑戦中の相川香菜です!

今日は、これまで書いてきたガーナの社会問題を解決する方法としてなぜ私が『ビジネス』という手法を選んだのか書かせていただきたいと思います!

今でこそ、こうして起業家という立場でブログを書かせていただいている私ですが、正直ガーナに行くまではビジネスには全く興味がありませんでした笑。

むしろ、私の事業家に対するイメージはお金儲けにだけ興味のある人々という最悪のもので、金銭的な見返りを求めず国際協力を行っている人々の方が尊いと勝手に決めつけていました。本当に失礼な奴だなぁと今更ながら思います。

そんな狭い視野の中で生きてきた私が、

今まさに起業家になろうとしているのは、なぜなのか?

 

唐突ですが、みなさん経営の神様こと松下幸之助氏(松下電器(現Panasonic)創業者)の『水道哲学』ってご存知ですか?

(各家庭には水道がまだ来ていないので、村に4カ所ほどある水汲み場で毎日水を汲む。

子ども達はみんな手伝ってくれる。)

多分このブログを読んでいらっしゃる皆さんのほうがよほど経営学に明るいと思うのでそんなの常識さ!と言われるかもしれませんが、1932年に松下幸之助氏が発表した「良質廉価な製品を水道水のように世の中に無尽蔵たらしめよう!」という理念のことです。

ガーナに赴任する前の大学時代、この文章を最初に読んだ時、私は(ふーん、そうなんや。で、なんで皆がこれをすごいって言うの?)と感じました。笑

経営の神様に対してなんと失礼な!笑

 

でも、今にして思えば当然かなとも思います。

水道哲学が発表されたのは1932年。

私が生まれたのはそれから53年後の1985年。この年何があったかと言うと、ドル高是正の為にG5(日・米・英・独・仏)諸国がプラザ合意に締結し、阪神が21年ぶりに優勝しました。(阪神優勝はこの話に関係ない笑。)プラザ合意についての詳しい説明は他の賢いサイトにお任せするとして笑、私がここで強調したいことは、日本は1985年には立派に先進5カ国であるG5のメンバーに入っており、世界の為替市場に影響力を及ぼす強い立場を堅持していたと言うことです。

そんな時代に生まれ育った私は、当然生まれた時からテレビ、クーラー、冷蔵庫、洗濯機といった家電は既にすべて揃っており、成長するにつれ、テレビゲーム、ポケベル、スマホと電化製品の性能向上と共に歩んできました。

 

そんなあまちゃんだった私がガーナに行って、苦労しないはずもなく、最初は(いや最後まで笑)

 

洗濯機が欲しいよー、手洗い洗濯するだけで1日が終わるよー泣。

 

クーラーが欲しいよー、暑いよー。でも電気も止まってるよー。

 

中国製のミキサー買ったら、煙が出て逆回転を始めたよー。ミキサーで死にたくないよー。

 

市場で1本10円の乾電池買ったら、1週間でなくなったよー。夏のセミと同じ寿命だよー。また懐中電灯使えないよー。

 

と思うばかりの日々でした。

 

そんな実体験を通して、ある日気付いたのです。

 

自分のそれまでの生活がどれほどの先人達の努力の上に成り立っていたか。

当たり前だと思っていたクーラーも、洗濯機も、ミキサーも、乾電池も、みんなが手に入れられる値段で、安全に使える製品を提供してくれている人たちのものすごい努力があったからなんだと。

 

『分かる』と『気付く』には、本当に大きな大きな違いがあると思います。

それまでの私は、日本語だからもちろん『水道哲学』を分かってはいたけれど、その言葉の背景に全く気付いてもいなかったのです。

 

そしてその2年間の経験を通して、『安心して使える製品を企業が世の中に提供していること自体が既に社会貢献活動なのだ』と初めて気付いたのです。

 

 

そしてその努力が正当に評価され、報酬を頂くことは組織が永続していく為には必要なことなのだと。

 

あまりにモノに恵まれていて、私は本当に何も分かっていませんでした。

いい商品を提供できるという大前提の上に成り立つ表層の競争だけを見て『金儲け』だと勝手に決めつけていたのです。

 

ガーナに2年間住んでみて良かったことの1つにタイムマシンの力を借りずにタイムトリップが出来た事があります。私が経験したガーナでの2年間の生活はもしかしたら1932年の世界に近い部分があるのかもしれません。

そのせいか、帰国後は私の祖父母世代の方々とやたらと話が合うようになり、高齢者には今時珍しい子だとモテるようになりました笑。きっと、そんな生活をしないと未熟な私には気付けないことばかりだっただろうと思います。

 

 

今の日本にはありすぎるくらいモノがあふれています。

『水道哲学』がもはや現実のものになり飽和していること、日本でモノを売ることがどれほど大変なことかも私なりに覚悟しています。

だけど、やはりガーナ発のkawaiiコスメでやりたい事があるから、その商品を通して実現させたい世界があるから壮大な夢を心から信じて、突き進んでいきたいと思います。本気のモノ作りは受け取る側にも絶対に伝わるから。

 

それでは次回はなぜコスメ作りなのか?

私のキャッチフレーズである『ガーナ発kawaiiコスメ〜世界の女性を強く美しく!〜』の意味をご説明したいと思います!

 

 

Kana Aikawa

企てる楽しみと起業について

みなさん、こんにちは!ガーナ発kawaiiコスメ作りに挑戦中の相川香菜です!

この10月で私、おかげさまで32歳になりました!といっても、特別なことも何もないのですが笑、ガーナで過ごした2年分の誕生日の過ごし方がなかなか印象深かったのでご紹介しつつ、今回は企てることの楽しさについて書かせていただきたいと思います!

私は、25歳と26歳の誕生日をガーナで迎えたのですが、ガーナ到着後ちょうど4ヶ月後くらいに1年目の誕生日を迎えることになりました。

村の人たちに誕生日はみんなどうやって祝うの?と聞くと、ここでは誕生日の人がみんなをもてなすんだよと教えてくれました。

 

(ヘー!そうなのかー!だったら私が日頃お世話になっているみんなをもてなそう!)と決めるやいなや、近所に住む職業訓練校の生徒達に助けを求め、

「自分の誕生日にご飯を作って、みんなを呼びたいからご飯を作るの手伝って!もちろんご飯いっぱい食べていいから!」

というと、

その中の1人のMemunatu(メムナトゥ)が

「いいわよ。お祝いなんだからお肉も用意してちょうだいね!」というので、

「そっかー!肉だね!じゃあせっかくだし、生きたの買って私が絞めるよ!」と言うと、またトゥンテーヤ(私の現地語の名前)がおかしな事言い出した、

ほんとに出来るの?という顔で

「まぁとにかくみんなでご飯は手伝うから」と言ってくれました。

 

ということで早速、お肉になるホロホロ鳥を売ってくれるようにホストファミリー先のお父さんに頼みに行きました。すると、ここはイスラム教の人が多いから(ガーナ北部の州はイスラム教を信仰する人が約9割を占める)、女性が家畜を殺すことは出来ないし、外国人という事で絞めたとしてもイスラム教信者でない私がするとイスラム教の人たちはお肉を食べる事が出来ないから止めておきなさいと諭されました。

でも、私はいつも頂いているお肉がどうやって出来ているのか知る事が私にはどうしても必要で日本では絶対に出来ない経験だから絶対にさせて欲しいと粘りました。するとホストファミリーのお父さんは、そこまで言うなら2羽買って、1羽は自分で絞めて日本人の友達たちと一緒に食べなさい、もう1羽は息子に絞めさせるから、それを村の人たちで分けたらいいと提案してくれ、その通りにすることにしました。

(これから食べられるホロホロ鳥さんコンビと三男坊のアイザック)

当日、ご飯の準備はばっちりで、後はいよいよ私がホロホロ鳥と戦う番になりました。初めて身近に見るホロホロ鳥。じっと見つめ、(ごめんなさい。)と言いながら包丁をのど元に立てました。当たり前ですが、血が出ています。それを見てビビる私。そしてびびりながら切っているので、全くとどめをさす事が出来ません。それを見かねたホストファミリーの三男坊Issac(アイザック)が「もっと強く!早くしないと可哀想だろ!」というので、余計に焦る私。最後はホロホロ鳥の断末魔の鳴き声よりも大声を出して(うわぁぁーーー!)と叫びながら必死で絞めました。終わった後は手が震えていました。

(そのホロホロ鳥と落花生、トマトなどで作ったスープとケンケ(トウモロコシを水で練って固めたものを葉っぱで包んで発酵させた酸っぱい主食の一種))

 

(誕生日メッセージをみんなに書いてもらった自作ノートとプレゼントのNeat Fufu(ニートフフ)。ニートフフはガーナのカップ麺的な感じかなぁ。またいつか話そう笑)

こうして1年目の誕生日会は近くの職業訓練校の教室を借りて、皆で仲良くご飯を食べて終わりました。

 

2年目の誕生日は現地にもさらに慣れてきたので、よし!日本の文化も紹介しつつ誕生日会を開催しようと決め、日本の夏祭りと夜店を再現する事を決めました。

日本の家族からヨーヨー釣りのためのヨーヨーだけは送ってもらい、残りの出し物の輪投げやボール入れ、くじ引きなどのゲームは夜な夜な1人で作っていきました。そしてタマレ在住の隊員のなっちゃんに浴衣を借りて着付けてもらい準備万端となりました。当日は、子ども達だけでなく、大人達も無邪気に遊んでくれ、とても楽しい誕生日となりました。

(きのこハウスと浴衣。合成写真感満載だな笑)

(誰よりも無邪気に折り紙で遊ぶベテランの小学校の先生笑)

こんな風に誕生日会を企画したり、授業準備でも生徒が登場する教材を作って、生徒達が驚く様子を楽しんだり、私は何かを企てている時いつもわくわくが止まりませんでした。夢中で道具や教材を作っていました。

 

学校での授業は大変で辛い事も多かったけど、部屋で1人で密かにたくらんで(ちょっと怪しい笑)、みんなの反応を想像しながら、何かを作ったりしている時間はとてもとても楽しかったのです。そして、日本に帰ってもずっとこんなことができたらなぁと考えていた時の気持ちを今でも鮮明に覚えています。

起業するということは、自分たちでしなければいけないことのオンパレードなのだと思います。きっと苦労の連続でしょう。でも、多分それは私にとっては、ガーナで1人企んでいたことの延長上にあるのだと思います。

ガーナのみんなや日本のみんなを巻き込んで、楽しい企てを実現させたい。

もちろんガーナで解決したい社会問題もたくさんあります。

でも、やはりワクワクできないことを一生続ける事はできないと思うから、企ててみんなの反応を見て、それを見て喜ぶという純粋な遊び心を大切にしたいなと思います。

 

今、私の頭にはたくさんの企てがあります。早く実現したくて、形になっているところが見てみたくてうずうずするものばかりです。

商品作りにおいても、お客様や従業員のみんなを巻き込んだイベントにおいても、少しずつ楽しみながら形にしていければいいなぁと思っています。

ですので、是非ともみなさんも私と一緒にわくわくしながら夢に参加してくださいね!

 

Kana Aikawa

ガーナでの起業を考え始めたきっかけ 仕事に対する私の考え

みなさん、こんにちは!

ガーナ発kawaiiコスメ作り挑戦中の相川香菜です!

今回はガーナで企業を思い立ったエピソードの3つ目をお話したいと思います!

今回のお話はかなり辛口というか、愚痴ぽい話になってしまうかもしれませんがご了承ください笑。

 

私はガーナでの2年間の活動中、合計4校の小学校を巡回して算数、英語、日本語、図画工作、衛生についての授業などを教師として行っていました。

1学期間まるまる1つの学校にいて、それを4回行うというイメージです。

学校は住んでいる村周辺にあるすべて公立の小学校でした。

 

到着後すぐに授業を行う事になったのは、住んでいるモデュア村にある小学校です。最初は意欲満々であれもしたい、これもしたいと思っていたのですが、すぐに現実に打ちのめされることになります。

 

まず先生が時間通りに学校に来ないのです。

8時から授業が始まると聞いていた私は、7時半頃学校に着きました。

7時45分になりました。誰も来ない。

8時になりました。誰も来ない。

 

一体いつになったら来るのか。

 

では生徒たちはどうかと言うと、来ているのです。

7時半には生徒達は来ていて、ほうきで庭や教室を掃除したり、草むしりをしていました。

でも先生達は誰も来ていませんでした。

 

9時前ごろになりようやく校長先生が来ました。

「8時からって聞いてたからずっと待ってました。何かあったんですか?」

と私は少し怒り気味に聞きました。

 

すると先生はいつも通りといった風に

「新学年が始まったばかりだから生徒たちに庭の草むしりや掃除をするよう言っていたんだ。これが終わったら明日以降授業が始まるよ」

と答えました。

 

それを聞いて私は、教師が来てないのに生徒達だけで掃除を行わせるなんて、日本だとあり得ないよなーと心の中で思いながらも、明日には授業が行えるだろうと思っていました。

後にガーナ人のいう”tomorrow”は文字通りの「明日」ではなく、「明日以降」という広すぎる意味だと理解することになります笑。

 

 

私は校長先生との話し合いの結果、一番英語を理解してくれるであろう小学校6年生の教室のお手伝いをすることになっていました。

 

そう当初の予定では「お手伝い」のはずでした。

でも、実際に学校が始まってみると6年生の担任の先生が来ないのです。

私は再び校長先生に聞きにいきました。

 

「6年生の先生が来ないです。いつになったら来るんですか?」

すると校長先生は

「あぁ、そういえばSaaka(サーカ)先生は国勢調査*の調査員に選ばれていたから1週間ほどは来れないな。その間キミが授業代わりにやっておいて」と言いました。

(*ガーナでは日本のように誰もが文字を読める訳でないので、紙を配って調査するのではなく、文字の読み書きができる調査員が各家庭を廻って聞き取りながら国勢調査を行う)

 

それを聞いた私は、(そんなの前から知ってたでしょー!? ガーナに着いてわずか3ヶ月ばかりで現地語も出来ないし、いきなり1人で教えるとか無理だよ!)と思いました。

でも、出来ないばかり言っていても仕方ないと思い直し、

「急に1人は無理なので、校長先生一緒についてきてください。そして私の話が通じてなかったらサポートしてください」と言うと、先生は

「小学校1、2年生の先生達がまだ来ていなくてそちらの教室に行かないといけないから、少ししたら様子を見に行くからなんとかやっておいて」

と言われ、途方にくれながら仕方なく1人で教室に向かいました。

教室に入ると、40人以上の生徒達が一斉に私を見つめました。

(わー!あの最近やってきた外国人のトゥンテーヤだ!何してくれんだろう!)

という期待感をひしひし感じました。

とりあえず英語で自己紹介をしてみました。みんな、ぽかーんと私の顔を見つめていました。

次に現地語のダバニ語で自己紹介すると、うんうんと分かってくれたようです。

まず何を教えたらいいか分からなかったので、今日は何の授業するの?と聞くと答えらしい答えは返ってきませんでした。

仕方が無いので、英語の教科書を開いてもらい1人の生徒に音読してもらうことにしました。

ほとんどの単語を読む事ができませんでした。また別の生徒に音読をさせてみても結果は同じ。

どうしようもなくなって、私の後に音読をするように身振り手振りで伝え、2ページほどをなんとか読み終えると予想外以上の学力に焦り、私は汗だくになっていました。

その後もとりあえずこの子達の学力を見ようと思い、6年生なので簡単な割り算の問題を黒板に書いてみました。解けませんでした。

2桁同士のかけ算の問題を書いてみました。やはり解けません。

さすがに2桁同士の足し算は出来るだろうと思い黒板に書くと、指を必死におり始めました。

あぁ、本当の本当にこのレベルが出来ないんだ。。

私は、小学校6年生という前提を一切忘れることを心に決めました。

 

その後、2年間ガーナ村落部の小学校の様子を見てきましたが、どこも学力状況は同じようなものでした。

またこの最初の1週間だけ1人で授業をしていたかというと、決してそんな訳ではなく、日本のように時間通りに教室に来て、私を「補佐」してくれる先生はほとんど現れず、結局悪戦苦闘しながら1人で授業を行う事が大半でした。

 

9時、10時頃になってようやくふらっと現れる先生、急に何の連絡もなく無断欠勤する先生、強めの雨が降った時にはひとりも先生達が来ず、生徒達は学校に来ているので学校に私1人の事もありました。

また私が先生達の力を借りて、ゴミを捨てないようにしようという啓発活動の紙芝居を実施しようとしていると、

「では、教室に2人も教師はいらないから私は失礼するね」

とガーナ人教師に帰られたこともありました。

 

日本であれば、短期で外国人教師が授業をしにきて、教室に1人で置き去りにするということなどあり得ないと思います。

ましてやここでは小学生の子ども達は英語もままならず、地元民族が話すダバニ語を話さないと意思の疎通が難しいのです。

私がダバニ語を十分に話せないと分かった上での置き去りでした。

私は呆れを通り越して憤りを覚えました。

 

そんな経験を通して自分が学校にいる事がかえって教師達を怠けさせることにつながっているのではないか、自分はここにいない方がいいのではないか、と何度も思ったこともありました。

 

でも、私には2年間という限られた時間しかなく、いざ学校に行って教師達がいない教室で待ちぼうけている生徒達を見ていると、責任感の強さが勝って結局試行錯誤1人で授業することになるのでした。

 

せっかく高い学歴を持って教師という社会的責任がある職業についている人たちがこんなにやる気が無いのは、いったい何故なんだろう?

当時はこんなに冷静に考えることは出来ませんでしたが、今はただただ疑問に思います。

 

その答えは未だに出ていません。

 

 

なるべく働きたくないから?

なるべく楽してお金を貰いたいから?

頑張ってやっても頑張らなくても違いはないから?

 

2年間いても結局分かりませんでした。

 

でも、ひとつ分かったことがあります。

損得勘定でなく、興味関心だけで動く子ども達の方がずっと変化のスピードは早く、大人達は自分のメリットになると判断するまでは絶対動かない

ということです。

 

だったら、それでいいやと今は思っています。

 

メリットを見せないと動かないのであれば、私はガーナで調達できる原材料を使って、kawaiiコスメを企画販売し、日本のお客様にわくわくする商品を届け、その売り上げを従業員たち、地元地域、株主さんなどすべてのステークホルダーたちに還元する。

 

ガーナだから、途上国だからって中途半端なダサいものは絶対に作らない。

国際協力でアピールする商品じゃなくて、他の普通に可愛い商品と並べて選んでもらえるものを作りたい。

本気の仕事で、人の心を動かす。

そんな真摯に仕事に取り組む姿勢を見せ、変化を見せる事でしか、大人達の心を動かす事は出来ないのではないかと思っています。

 

 

私は仕事をすることはお金の為だけでは無いと思うし、かといって労働の対価が不当に扱われていいものでもないとも思います。1人1人の労働が正当に評価され、それぞれが自分らくし働ける場所を作ること、その結果仕事を通して自尊心や自信をつけて貰えたらそれに勝る喜びはありません。

 

3回にわたって起業の動機について書いてきましたが、思い返してみると私はガーナで怒ってばかりだったなと思います笑。

こんなのあり得ない?!なんで?と思ってばかりの毎日でした。

でも今思うと起業したいという自分を突き動かしているのは何よりも『怒り』ではないかと思います。もしかすると、そのエネルギーの強さは、喜びよりもどんな感情よりも強いかもしれません。

なんでこんな現実があるのだ。ムカつく。あり得ない。

そんなことを感じてばかりの毎日でした。

 

けれど、そんな現実を1ミリでもいいから良い方向に変えたくて、その変化を自分の目で実際に見続けていたいから、私は突き進んでいきたいのだと思います。

(写真は、テストの成績上位者に手作りのメダルを渡した時のものと、私が作成した教材を頑張って解いてくれる生徒の様子です)

 

Kana Aikawa

ガーナでの起業を考え始めたきっかけ 教育の視点から

みなさん、こんにちは!

ガーナ発kawaiiコスメ作りを目指す相川香菜です!

今回はガーナにて起業を考え始めたきっかけの2つ目のエピソードをお話ししたいと思います。

 

私は2年間の活動中、合計4校の小学校を巡回して教師として授業を行うという活動と、シアバター生産(後述予定)についての活動を行っていました。

小学校での授業を終えてバイクで帰宅していたある日、近くの村の高校生に

「Madam Tunteeya(マダム・トゥンテーヤ=私の現地でのダバニ語の名前)、ちょっと相談があります!」

と呼び止められました。

 

なんだ、なんだと思ってバイクを止めると彼は深刻そうな顔つきで

 

「僕、高校を辞めようと思います。」

と言いました。

 

私はかなりびっくりしてしまいました。なぜならこのガーナ北部州の村から高校に進学している事は、日本で高校に進学していることとは訳が違うからです。

私はとっさに(もったいない!辞めないように説得しなくては!)と思い、彼にそのまま伝えました。

すると生徒は、

「学校の授業についていけないし、家に帰って農業を手伝おうと思います」

と言いました。

授業についていけないという言葉を聞き、私は(あぁそうだろうな)と納得すると同時にとても悲しい気持ちになりました。

私が教えていたのは小学生達だけですが、文字を書く事すらかなり遅くその上スペルミスだらけだったり、小学校6年になってもかけ算を言えない子、簡単な四則計算ですら間違う子どもたちをたくさん見てきたので、高校生の彼が授業についていけないというのは、全く疑問を感じないことでした。高校生になっても多分基礎的な計算、読み書き力もそれほど身に付いていないのだと思います。

しかしそうだとしても、ガーナで高校を卒業したという資格は貴重なものだし、教育は続けていって欲しかったので、

「もったいないよ!せっかく高校まで進学できているんだから頑張りなよ!」

と必死に言いました。

 

しかし、その時私は自分の言葉にはっとしました。

 

私は自分の価値観で教育を勧めているけれど、彼の家で農作業の担い手が必要なのは本当の事だろうし、これだけ教育の大切さを説いているけれど、果たして私は、彼の卒業後の進路に責任を持てるのか?と。

 

日本であれば、学校を出れば受け皿になる民間企業がたくさんあります。

私は残念ながら就活失敗組(笑)だけれど、大学の友人達は大手企業に就職を華々しく決めて働いていました。

けれど、ガーナでいい学校を出て、みんなどこに就職していくんだろう。

今この子に高校に居続けることを勧めても、企業のひとつでも紹介出来る訳でないのに。だとしたら、このまま家の農業を手伝う方が、労働力が増えてマシな選択だと考えるのはもっともだよな、と思いました。

 

それでも、やはり諦めきれず、

「辞めないで。きっといつか高校を出ていて良かったと思う日がくるから」

とそれだけ伝え、私は村に戻りました。

 

 

 

 

その後、人づてに彼が高校を退学したことを知りました。

 

 

ボランティアでガーナに来ていて自分の無力さを痛感した瞬間でした。

自分が特別すごいとか、何か大きなことをしてやろうと思っていた訳ではありません。ただ、ガーナ人でなくわざわざ外国人である私に相談したのは、最後の最後のSOSのサインだったんだろうなと思うと、やはり言いようのない無力感に恐れました。

 

しかし、今でも私は教育の力を強く信じています。

 

祖父母や母親が教師をしていたからかもしれません。

でも、多分それだけでなく、教育が人生の可能性を開く唯一の平等なチャンスだと信じているからです。

 

自分の事業で変化をもたらせる相手は誰が一番嬉しいか?

 

この質問に私は即答できます。

 

「私が住んでいた村の子どもたち」

 

これからガーナも選択の余地無くさらなる世界の急激な変化の波に飲み込まれていくでしょう。

でも、たとえ世界がどんな風になったとしても、自分の力で自分の人生を切り開いて行く力を身につけて欲しい。

 

だからこそ、ガーナに産業を作りたい、高い教育を受けた人が、卒業後の目標となるような企業をひとつでもいいから生み出したい。

 

それが私が事業をする意義であり、存在理由です。

(写真は隣村のKpillo/Napagyili(ピロ・ナパイレ)小学校の1つの教室の様子。生徒数が多くなりすぎたので仮設の教室です。)

Kana Aikawa

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