TOPISH Bakery No.58 ~使命感~

ガーナのパン屋の石本です。
クマシではMotor Kingというオート三輪の荷台に乗って駆け回っているのですが、あまりサスペンションが効いていない為、腰痛が少し悪化しました。湿布かマッサージ券が欲しいこの頃です。

さて、前回BBのオーナーからご指名を頂いてから、翌日からパートナーのKofiとJamesと3人で大手のパン屋を訪問して、協力してもらえる様に説得しに行く事にしました。クマシには大小合わせて100近いパン屋があると言われています(言う人によってバラバラであり、どこの地域まで入れているのかも不明瞭)。

全てのパン屋を訪問する事は不可能なので、大枠の方針として、まずは上位15社を訪問して合意を取り付け、その後その15社の連名のレターをお客さんや他の中小のパン屋に配って値上げを周知させる、と言う事になりました。また、7月中旬には15社のオーナー達に集まってもらい、会議を開く事となりました。

当初小麦粉メーカーが大手15社のリストと連絡先を提供してくれる、と言う話だったのですが、急に手のヒラを返して情報を出さなくなった為、自分たちで調査&アポ取りをして一件ずつ回る事にしました。最初に訪問したのは1965年からパン屋を営んでいるDorcas Appiah Bakeryというパン屋で、工場もヨーロッパから輸入した新しい機械を導入しており、ゆうに2000万円ほどは投資したのではないかと思われる大手です。

最初強面で、現在の状況について悲観的なコメントをしていたマダムでしたが、こちらの話に理解を示してくれ、全面的な協力をしてくれる事になりました。彼女達が持っている大きな会議室も、7月中旬のパン屋会議に使っていいと会場提供まで約束してくれ、帰りには次に会うべきパン屋の紹介と、自社のパンを2つお土産にくれました。

「パン屋が利益を削って我慢し続ける、材料を減らす、重量を減らす、そんなシステムを変えていかないとね!頑張りなさい!」

また、現在マネージャーとして働いている息子さんは非常に聡明で、お母さんのパン屋を大きくする為にアメリカから帰ってきたとあるだけあって、次世代のリーダーとしても非常に期待できる(将来的にパン屋の集まりをリードできそうな)人材でした。競合ながら、出会えた事を嬉しく感じました。

次に会いに行ったMrs.Amankwa BakeryはTOPISH Bakeryに近いローカル感のあるパン屋でしたが、生産規模は倍以上と流石のTOP10。オーナーと話をしていると、最近の原材料やガソリン・LPBの値上げや、お客さんの売掛金の踏み倒しなど多くの問題について、相談する相手がいなかったと泣き出しそうな様子で打ち明けてくれました。

「みんな利益が少ないから、もっと売らないとって沢山市場に卸すでしょう。すると、売れないパンは腐る、腐ったらお客さん達はパン屋のせいにして売掛金を踏み倒す。適正な利益が取れたら、みんな過剰に売ろうとしなくても良いはずなのに」

帰ってきた配送車両には30個ほどの腐って返品されたパンが積まれていました。

クマシではここ10年近くパンの値段は上がっていないと言います。少なくともTOPISH Bakeryを創業した4年前からは変わっていません。その間、上がりゆく原料価格に対し、各社様々な努力をしながら何とかやってきたものの、今限界に近いところまで来ているのだ、と改めて認識させられました。

そして、Mrs.Amankawaだけでなく、きっともっと多くのパン屋オーナー達が苦しんでいるのだと思うと、何とかせねばと再度決意を固くするのでした。

No.4 : TOP Bakery創業期 ~計画と現実~

今回はTOP Bakeryの創業期についてお話しさせて頂ければと思います。
まずはパン屋をスタートさせるにあたり、名前を決めようという事になりました。
TOP Bakeryの名前は、Tatsuno Otoshigo Project(TOP)という元青年海外協力隊の友人と立ち上げた聴覚障害を持つ人たちの就職支援をするNGOに由来します。(Projectとなってますが、NGOとして登録していました。)
なぜ、タツノオトシゴなのか。
「龍の耳が海の中に落ち、耳は転じて龍の落し子になる。ろうとしての龍の耳が海の中に落ちた事になれば、たつの落し子はろうあ者を象徴するシンボルになる。」(全日本ろうあ連盟より)
そのNGOの活動にもリンクする、聴覚障害を持つ人たちの就職口の一つとしてBakeryを位置付け、TOP Bakeryと名付けました。ただ、NGOとは異なり100%ビジネスで継続性を持ったfor profitの事業としてスタートしました。
TOP Bakery開業資金を集め、ガーナに送金し、2015年6月にガーナに戻るまでは、ちゃんと工場となる場所を借りられているか、送金したお金が横領されていないか、非常に心配でしたが、ちゃんとパートナー達がKumasiの中心地からほど近いPatasiというエリアのパン屋の居抜き物件を比較的良い条件で抑えてくれていました。
ついでにパン職人達もそのまま引き継いで雇う事となり、設備も人手も一気に揃い、幸先の良いスタートを切ったと意気揚々だったのも束の間、すぐに厳しい現実にぶち当たりました。
当初の事業計画では、パンは発酵させる為、利益率が高く比較的小規模でも十分利益が出る計算でした。パンを作った事のなかった私は、1泊二日でローカルのパン屋で体験学習させてもらった後、日本の料理好き達の叡智の結晶であるクック◯ッドを参考にしてレシピを作り、日本のマメなパン屋さんが投稿しているブログを読み漁り、試行錯誤を繰り返しました。
自信満々で作った”日本式”パン。ふわふわでバターの香り強めの日本人なら皆が好きそうなオーソドックスな食パンをガーナ人スタッフ達に試食してもらいました。お客さん候補のおばちゃん達にも試食してもらいました。結果は、惨敗でした。
– 一斤食べてもこれじゃお腹いっぱいにならない。
– ナツメグとその他の香りが弱い。
– 表面が焦げている。(ちょうど良い小麦色で日本人なら食欲をそそられる色が、、、)
– なんか違う。
どう食べ比べたって、俺が作ったパンの方が美味いだろう!と半日ほど悩みましたが、パン職人でもない私は、「売れるパンが良いパンだ」と直ぐに日本式パンを諦め、ガーナ人が好きになってくれるパンを作ろうと方針転換をしました。
そして、競合のパン屋で働いているスタッフや材料卸問屋から情報を仕入れ、ガーナの材料と機械で、ガーナ人職人によるガーナ人の為のガーナ人好みのパンを作る、いたって普通のローカルのパン屋を2015年7月からスタートさせる事になりました。初期メンバーは、私と友人の日本人2人、聴覚障害をもつ女子2人、マネージャーとパン職人の男子3人の7人体制でスタートしました。
*写真は創業から3ヶ月ほど経った時のもの。
商業生産初日、私たちの夢と希望である100個のパンを積んで配達に向かったタクシーは、全く売れず80個の売れ残りと翌日以降のお客さんからのクレームを持って帰ってきました。そして、作って見てわかったのは、ガーナのパンは原価が高い為利益率が低く、全然儲からないという事でした。
次回以降は、始まって早々に崖っぷちになったTOP BakeryがBreak-evenに行くまでの話をしていきたいと思います。