住居と作業場所が決まりました

作業場所は前々から何度か使っていたiHUBに決定。

月々7000Kshで使えるので、かなり多くの方が利用しています。

残念ながら夜8時以降と、日曜日は使えないので、

早々に切り上げるか、近くのカフェで遅くまで作業をしています。

ここにいると、日本人の能力の無さが露呈します(というか僕ですw)

中国語、英語、スワヒリ語を巧みに使い分けるケニア人が2人程います。

デザイナーのレベルも高く、

エンジニアも日本のレベルと引けを取らないです。

もはや、日本の方が想像しているケニアの姿と違いすぎてビックリするかもしれませんが、

これは多くの人が知っておくべき大事な情報。

 

実際、グローバルで戦っている日本人が中国人・インド人に比べ圧倒的に少なく、

能力も変わらないか、もしくは負けているレベルにあるにも関わらず、

給与水準は世界でもかなり高い基準。

これは危機感を覚えます。

もっと頑張らねば、と思わされた出来事でした。

 

そしてこっちに来て早3ヶ月。念願の住居が決まり、ナイロビはキリマニ近くに無事定住する事ができそうです。

居場所ができて逆にまったりしすぎないように、

ビジネス調査もどんどん進めていきたいと思います。

ケニア・ナイロビに決めました

はじめまして、小林嶺司(れーじ)と申します。

ナイロビの街中で会ったらお気軽にお声がけください。

さて、現在ケニアに起業場所を決めてからちょうど3ヶ月が経ちました。

現在やっている事(がまだ定まってないので)、自己紹介をちょっとだけさせてください。


 

小林嶺司 平成元年7月20日生まれ

子供の頃の自分は、友達の名前を呼ぶ事すら恥ずかしがってしまうぐらいの人見知りでした。

3才上の兄は友人も多く社交的で常に〇〇の弟ね、と括られ自分のアイデンティティを探し続けていたかもしれません。

成績も平凡で偏差値は高校も大学も50前後。

スポーツも平凡で、普通の恋愛、友人の数もそこそこ、なんでも満遍なくこなし、できない事は少ないが、逆に突出した強みが無いのがコンプレックスでした。

大学に入り友人に誘われて行った同世代の人が主催するイベントで衝撃を受けました。

”起業してます” ”世界中を数年間放浪してました”

学生の自分からしたら、想像もつかない世界。そこからイベントに通い詰め、友人が爆発的に増え、今でも世界中で共に闘う仲間ができます。

 

自分も何かやってやろうと、知り合いを巻き込み、

渋谷にカフェをOPENしました。19才の時です。

これが人生初起業。

 

結果はそこそこ。店舗の場所的に地下だったので販促不足により、まあまあ儲かりましたが

人生何度もある”まあまあ”。最終的には後輩に経営権を譲り、そこから数年間は学生の溜まり場になって繁盛していました。

 

ですが、学べたのはとにかく”やってみる”という事

カフェの利益率は〜とか、仕入れはここで〜とか、今考えれば甘っちょろい計画でしたが、

実際にやってみた事で、立地の課題や原価率のリアルな数字が手に入りました。

その後、何を思ったか起業家として生きていくと心に決め、20才の時に大学を中退。

ベトナム行きの片道チケットだけを握りしめ、東南アジア〜中東〜アフリカ〜南米〜北米の50ヶ国以上の国々を陸路でバックパック。

(2010年当時のナイロビ)

その時にアフリカに出会いました。

2010年当時のアフリカは今と変わらず人々は陽気で、

思い描いた通りのエネルギッシュ大陸でした。

”また来たい”そう思わせるに十分な旅でした。

 

 

そして帰国後、鎌倉に会社を立ち上げ年商1億円弱の零細企業でしたが、5年程黒字経営。

理想のビジネスができあがり、利益追及をしてしまうとその理想空間が崩れると思い、知り合いの会社に事業譲渡し、

どうしても再度来たかったアフリカ大陸へ。

(2018年現在のナイロビ)

現在はナイロビにて、物流においての課題検証・BtoB EC(アリババ的な)の2つのビジネス基軸で市場検証をしています。(Eコマース事業は日本でやっていたため知見があります)

どちらも理念だけは明確で「可能性を増やす人を増やす」です。

この人生において一貫している軸です。

当然、日本にいる海外に出たいと思いつつ出れてない人にも発破をかける、という行動理念もここに含まれてます。

 

 

現在ようやく就労許可を申請する段階で、テスト検証も大々的にはできていませんでした。

どちらのビジネスになるかは市場の調査中によりまだ未定ですが、

外国人である僕がケニアでやる意義のある仕事を手がけたいと考えています。