お互いさまってやつさ

トーゴ共和国に滞在して2ヶ月ほど経ったとき、体に異常を感じた。その日に食べたものを全て吐いて、その場に倒れこんだ。その場に居合わせたダニエルは、すぐにバイクを出してくれて、家まで送ってくれた。途中、マルシェでバナナやパイナップルを買ってきてくれた。ダニエルは言った。

「お互いさまってやつさ。」

彼に限ったことではない。ここのひとのスタンスは、お互いさまというシンプルな人間関係のうえにある。結局、ぼくは丸2日くらい痙攣が止まらなくて、悪寒はすごいし、吐き気はするし、下痢は尋常じゃないという状況であったが、当時お世話になっていたラジオ局のディレクターをはじめ、マルシェのおばちゃん、近所の子どもたちがお見舞いに来てくれた。

そしてエウェ民族に伝わる祈り(というよりは音楽)を捧げてくれた。自分は弱い。小さい。ひとりではなにもできない。ひとりでは生きていけない。そんなことを痛感した。

 

コシャのお土産屋さん

ぼくが住んでいたトーゴ共和国のパリメという町には、土産物屋がおよそ100メートル間隔で並んでいた。それぞれの店に個性が出ていて、比較的大きなお店で商品の種類が豊富なところもあれば、お店は小さいけれど、置物にフォーカスしたり、ブレスレットにフォーカスしたりしてブランディングしているところもある。

友人のコシャの店は「みんなが自由であるように」というメッセージを込めたブレスレットを取り扱っていた。それを文字にしたり、あるいはデザインで表現していたりする。現地の文化度の高さには、いつも驚かされる。同時に、これまで自分がいかに惰性で生きてきたかを思い知らされる。

どういう姿勢で生きるのか、どんな人生を歩みたいのか、誰と一緒に夢をみたいのか。彼らと話していると、そんなことばかり考えてしまうからよくない。

 

グローバル人材ってなんだ

ひとの笑顔がみたい、という気持ちは万国共通だと思う。マンツーマンで現地の変顔を教えてもらった。彼とふたり、この変顔で近所のマダムたちに挨拶まわりをした記憶は忘れないと思う。

よく声高に喧伝されている「グローバル人材」ってなんだろう。語学が堪能で、パリっとした交渉をして、クールに商談を成立させることができる人のことをいうのだろうか。

考えてみたけれど、そんなことはよくわからない。でも彼のように、肌の色や国籍、宗教がちがっても、同じ時間を泣いたり笑ったりできる人で溢れたらいいなって思う。

お互いがお互いを知っているということ

体調を崩したときはいつも、アメリが新鮮なフルーツをカットしてくれた。フルーツは南国に限る。甘さのなかにコクがある感じで、とても美味しい。アメリのやさしさと相まって、元気がわいてくる。

現地には様々な感染症がある。ただ、それを上回る勢いで、人のやさしさが伝染している気がする。みんな密なコミュニケーションをとるから、ぼくが体調を崩していることに、すぐに気づいてくれる。お互いがお互いをよく知っているから、助けてくれる。

誰しも、ひとりでは生きていけない。にも関わらず、みんな抱え込んでしまったり、まわりから自己責任だといわれたりする。そんな窮屈にならなくても、弱さを出したらいいし、その弱さを受け入れてくれる人たちが居れば、それは強いコミュニティになり得る。

大丈夫じゃないときは、大丈夫じゃないって言っていい。

 

トーゴ共和国から、ダニエラについて

ダニエラという3歳の女の子がいた。ここの子どもたちの特徴のひとつは、初めてみる外国人にも全くビビらないことだ。トーゴでの生活は、ほとんどダニエラとともに過ごした。

↑ダニエラとぼく

 

朝起きると必ず部屋の前にダニエラが立っていて、グータッチからのシャキーンを20回ぐらいするのが日課になっていた。現地はフランス語圏でラジオ局での仕事もあったから、語学の学習は必須だったのだが、そんなことお構いなしにダニエラは部屋に侵入してきた。

↑ぼくの部屋に侵入を試みるダニエラ

 

よくダニエラのママからベビーシッターをお願いされていて、一緒にお風呂(お風呂というよりは水浴び。井戸から水をくんで体を洗う)に入ったりした。ここにはキレイ好きなひとが多いみたいで、一日に複数回、体を洗ったりするし、毎朝欠かさずホウキで庭を掃いたりする。

そういうスタイルを幼少期からみているからか、ダニエラも入念に体を洗う。バケツにダイブし、キレイをたのしむ。屋外で開放的に洗えるのがいい。朝日を浴びながらもよし、夕日が沈むのを眺めながらもよし。個人的には、音楽をかけて、満天の星空のしたで誰かを思いながら洗うのが好きだった。

 

 

トーゴ共和国の結婚式に潜入してきた

 

幸運なことに、現地の結婚式に参列することができた。新郎新婦の友人が結婚の証人となるスタイルでおこなわれた。

派手な装飾や演出はなく、ただそこに友人が集う。なかには、「ワイワイしているから」という理由で通りすがりの方も参加したりする。式後のパーティーは、コミュニティに住まう女性たちが腕によりをかけて料理を振る舞う。

大切なことは「みんなが居ること」だ。余計なものはいらない。ぼくらはもっと、シンプルになれる。

 

 

ハレの日には、女性たちが腕によりをかけて料理を振る舞う。現地に普及しているパーニュと呼ばれるアフリカ布で仕立てた衣装を身にまとい、楽しい雰囲気を演出する。

食べるもの、着るもの、そこに集うひとたち。誰かのために一生懸命につくる料理、自分の気分が高まる服、そして誰かと自分が繋がる空間。

生活がシンプルだと、そういう目に見えないものが際立っていたりする。

 

西アフリカ地域のフランス語圏における子どもたちの挨拶

サハラ以南のフランス語圏の国々では、外国人をみると何の躊躇いもなく子どもたちが近づいてくる。

彼らは独特の歌をうたう。

「Yowo yowo bonsoir! Ça va bien, merci!!!」(白人、白人こんばんは!元気です、ありがとう!!!)

これをリズミカルに連呼する。「yowo」とは白人の意で、彼らからすれば黄色人種も白人種も同じらしい。

 

そうやって、人種や宗教、国籍をこえることができれば、争いなんてしないですむのに。

みんな同じ空のした、お酒でも飲んで肩を組めたら。ただそれだけでいいのに、みんな意地を張ったりするんだなあ。

クラウドファンディング開始!

人生初のクラウドファンディングに挑戦している。

↑アフリカ布に織り込む京都の伝統技術!~元バンカーの挑戦!~(https://camp-fire.jp/projects/view/94504

 

西アフリカ地域に普及しているアフリカ布、パーニュ。そこに住まう人が、それぞれのスタイルで着こなしているが、流通しているパーニュの多くは、オランダや中国で製造されている。せっかくなら、そのパーニュを彼らの企画で、彼らが製造することはできないか。そんなプロジェクトを考えた。ただ、そのパーニュが売れないと仕事にすることができない。そこで、バンカー時代に触れた京都の伝統技術を活かして商品自体のクオリティをあげる構想をしている。

その製造するための拠点をさぐるために、来月トーゴに向かう。トーゴには5つの州があり、それぞれに県がある。さらにそこに住まう民族がちがうから、エリアごとに特性が異なってくる。そのため、誤ったところに拠点を設けてしまうと、それまでそこに根付いてきた文化や伝統が崩れてしまうかもしれない。そこに住まう人たちにとって、できるだけお邪魔ではないところはどこか。その場所を探ってくる。

 

創業期は初めての連続だ。そのなかでも今回のクラウドファンディングは、ほかの「初めて」よりもはるかに緊張と不安が大きい。プロジェクトを公開するまで、かなりの時間をかけて事業計画を練ってきたし、話し合いを重ねてきた。そのほとんどすべてを凝縮したから、ある意味、人前で裸になる感覚がある。

だから批判的な意見もダイレクトに受け止めることになる。そのことの恐怖はあるが、それでも果たさないといけない約束がある。むこうの友人と描いた夢がある。その景色をみるまでは諦められない。

自分で自分を奮い立たせるのはたいへんだ。中島みゆきさんの「ファイト!」を聴いている。

 

未来フェスというイベントに参加してきた

未来フェスというイベントに参加してきた。未来に向けた、さまざまな現場の人たちの声・想い・提案を集めたソーシャル・フェスで、元オリンピック選手や日本ライトフライ級チャンピオンのプロボクサーなど名だたる方々が登壇された。100年以上も前に建てられたという大江能楽堂で開催され、それはそれは厳かな雰囲気でおこなわれた。そんなところで、なぜかぼくも登壇してしまった。

講演
↑なぜかプレゼンテーションしているトシハル

そもそも未来フェスには、お友だちの西岡さんにお誘い頂いて参加した。西岡さんもヤバい人で、長期入院している子どもたちにオンラインで勉強できる環境を提供されている。長期入院している子どもは免疫力が低下している傾向にあるので、勉強したくても先生と接すると感染症のリスクが増大してしまう。オンラインであればそのリスクはないし、しかも親や看護師以外の方と話す機会にもなるのでリフレッシュできる。したがって、オンラインで生を超える授業を提供しているというバリシブな方なのである。(オンライン院内学級CA・YO・U→https://aidnet.jp/cayou/

そんな西岡さんにヒョコヒョコついていったら「勝手にプレゼン」なる企画があって、喋っていいよということになり、靴下を2枚履いて(床に足のアブラがつくとダメ)、たいへん厚かましくもお話させて頂くことになった。貴重な機会であるにも関わらず、稚拙なプレゼンテーションをしてしまって落ち込んでいたら、音楽投稿雑誌『ロッキング・オン』創始者の橘川幸夫さんに有難いコメントを頂いた。

 「聞いた中で、心に残ったのは、京都信金を退職して、学生時代にアフリカの小国を旅して出会った人たちとの約束を実現するために、一人で向かうという青年。人生において、一番大事なことは、自分の夢とか野望ではない。約束を忘れないこと、約束を果たすことだ。

 そこでもうひとつ感動したのが、京都信金が、ベンチャー育成のため、事業を立ち上げるために退職した人が、事業に失敗しても、5年後に復帰できるという制度を作ったということ。自社のことだけではなく社会全体、行員個人のことを考えることの出来る組織は、信頼できる」https://note.mu/metakit/n/nd93324e2540bより抜粋)

もし京都信用金庫に「アントレ・サポート」みたいな人事制度がなかったら、どうだったか。いずれ起業に挑戦しようとは思っていたが、その一歩が遅かっただろうし、こんなにいろんな人と繋がることもなかったかもしれない。退職してからも上司の方々に応援してもらっている。もう退職しているのに、わざわざぼくのために頭を下げて挨拶まわりをしていただく上司までいるような金融機関だから、マジで前代未聞である。

たくさんの方に支えられて何とか食らいついている状況であるが、いつかぼくも、そんな上司と同じことを次世代にできるような器になっていきたいと密かに思っている。そのまえに、自分の思いをしっかり伝えられるようにならないと。

トーゴ共和国大使館との商談

社会人になって初めての東京に行ってきた。主な目的としてはトーゴ共和国大使館での商談だった。アフォニョン・クアク・セダミヌ大使、チョンダ・コッシ・ヘム一等書記官、そして6年前にもお世話になったジュルス・カンコエ・アデュアヨムさんに挨拶をして、ぼくが構想している事業内容をお話してきた。商談にあたっては、津田祐可子秘書に手厚いサポートをいただいた。商談の実現のみならず、事業を進めるうえでキーマンとなるような、たくさんのヤバい人を紹介いただいた。おかげさまで、すごくいい時間を東京では過ごすことができた。

 

京都・大阪でブラッシュアップしてきた事業内容を大使館にぶつけた。「是非ともやってください」とお墨付きをいただけたことは、ほんとうによかったと思っている。まだまだスタートラインにも立っていないが、そもそも見当違いの事業内容だったら話にならなかったので、すこし安心できた。トーゴ共和国において、これまで日本人が会社をつくったことはない。かなりプレッシャーはあるが、いい会社をつくりたい。現地の人にとって迷惑にならないように、そこに脈々と流れている時間を乱すことがないように、慎重に、丁寧にやりたい。

 

フィールドとなる国がニッチな国だけあって、関係する方との繋がりは早い。つい最近まで同国を訪問していた人から、リアルタイムな情報を仕入れることもできた。しかしながら、まだまだ情報は少ない。やはり、現場で生の情報を仕入れる必要がある。来月、じつに6年ぶりにトーゴ共和国を訪問する。そのときにひとつでも多くの判断材料を集めて、活動拠点を探っていきたい。

 

トーゴでの挑戦に先立って、明日からクラウドファンディングのページを公開する。そもそも一人ではできないことに挑戦している。できるだけ多くの方から応援して頂かないと前に進まないプロジェクトだから、どこまでいけるかわからないけれど、いけるところまでいく。

 

金融機関を退職してから、なぜかラッキーなことが続いて、導かれるように前に進んでいる感じがある。ぼくは頭がいいほうではないし、要領もよくない。ただ、アクションを起こして、感性を研ぎ澄まし、根拠はないけど何となく選んだ道が、人生でかけがえのない体験に繋がったりした。これまでアクションを起こして後悔したことはない。動き回っているうちは、なんとかなる。大丈夫。と自分に言い聞かす。

 

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