初となる常設店舗をオープン

来月、アフリカ文化にインスパイアされた仕立てのお店を京都にオープンする。アフリカ地域の広い範囲で楽しむことができるオーダーメイドのファッション文化。かつて京都でも「お誂え」で自分だけの一着を仕立ててもらう習慣があった。しかし今は贅沢品になってしまって、ぼくたちが気軽に楽しめるものではなくなってしまった。大量につくって、大量に消費され、大量に廃棄してしまうメインストリームから少し離れて、アフリカの「お誂え」を京都に持ち込む意義は、それなりにあると思っている。

ふつう、服をつくるときは紙からつくる。型紙にパターンをおこし、裁断して縫製していく。アフリカンファッションは、この紙をつかわないことが多い。そのぶん、多少のズレが生じることになるのだが、よほどのプロでなければ何も気にならない仕上がりになる。しかも紙をつくるコストがかからないので、お客さんに届けるときの価格もリーズナブルに抑えられる。ちょっとリッチな日常づかいをするのにはもってこいだ。

そこにぼくたちの会社ならではのこだわりとして、できるだけ職人文化をリスペクトしたサプライチェーンでファッションをつくりあげる。アフリカといえば鮮やかな色彩のテキスタイルではあるのだが、そのインクジェットプリントは工業化されていて、オランダの老舗企業であるフリスコ社や中国にあるプリント工場での生産がかなりのシェアを占めていることがわかっている。(もちろんアフリカ現地で生産されているものもある。)ぼくの強い気持ちとして、できるだけ人の手によって生み出される繊細さやムラ感、表現を尊重したいところがあって、職人文化の保存にも資するものでありたいと思っている。だからインクジェットのような表現ではなく、染色加工ならではの蒸し加工や水洗加工、仕上げや整理をかけた複雑な表現を大切にしている。

それは百貨店とかで購入すると、目ん玉が飛び出るほどの価格がついてしまうのだが、職人と直接取引をすることによって、中間コストをカットしつつも、職人には適正な価格を支払えるサプライチェーンを築いてきた。フランス出張のときにコレクションブランドと商談をしたときはエゲつない価格で卸してしまうところだったが、これから提案していく職人技のオーダーメイドは3万円前後でお客さんに届けられる。ここにぼくたちの会社が賭けてきた企業努力があるともいえる。

さらに、こうした商品のウラにある生産者さんを知ってもらうツアーも企画している。そうした生産者さんとのかかわりをもファッションに宿すことによって、モノだけではないコトの価値も含めて届けようとしている。その体験型のファッションを、京都の「一見さんお断り」の工房や、13,000km離れたアフリカ・トーゴ共和国の職人工房、そして今回オープンする仕立てのお店を起点に展開していく。この事業がどこでどんなかたちで転がっていくかわからないが、ありがたいことにカラフルな関係性のなかで楽しくできているから、それに越したことはないと自分に言い聞かせている。明るく楽しく面白く、世の中を1mmでも豊かなほうにシフトしていくそのプロセスに、人生の充実があるとぼくは信じている。

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★オンラインコミュニティをつくっています!ぜひご一緒しましょう!
https://community.camp-fire.jp/projects/view/319813

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京都の布×トーゴの技、miwodeka。

 奇跡的な出会いに恵まれて、京都の布 × トーゴの技、アフリカ大陸と日本をつなぐものとして、新作を発表できることになった。アフリカ・トーゴ出身のクチュリエによる京友禅のブルゾン。ぼくたちはこのブルゾンに「miwodeka(ミウォーデカ)」と名づけた。「MIWO DEKA」は、トーゴのエウェ民族のことばで「2つは1つ」という意味だ。初めてアフリカ大陸に足を踏み入れた2012年、お世話になった友だちがぼくにくれた大切なことばである。

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 今でも昨日のことのように覚えている。シューカツを辞めて単身アフリカへ向かったぼくは、当時、在留邦人が2人しかいない未知の国・トーゴ共和国へラジオ局のジャーナリストとして赴任した。鼻をつくガソリンのにおいと、鳴り響くクラクション、舞いあがる土埃、赤道近くの炎天下。その日はラジオ局への初出勤の日で、ドキドキしながら歩いていると、道を挟んだ向こう側の屋台から声を掛けられた。そいつは朝っぱらからビールを飲んでいて、ヒゲはもじゃもじゃ、へたくそなダンスを踊って、初対面のぼくにグラスを渡してきた。
 クソ暑いなかで飲むキンキンに冷えたトーゴの地ビールは、全身がとろけてしまうくらいウマかった。お互い誰なのかもわからないまま、一気に3杯くらい体にビールを流し込んで、彼は一生懸命に何かを伝えようと話しかけてくれるけど、ぼくは全然わからなくて、にもかかわらず、彼は屋台のマスターと腹を抱えて笑い転げていた。なんとか、彼の名前が「マックス」ということを聞きとり、ぼくはベロンベロンでラジオ局に向かったのだった。

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 それからなぜか、ぼくが行くところ行くところにマックスは出没して、毎晩のように飲んで騒いで、肩を組みながら朝まで踊った。彼はカタツムリを養殖するビジネスをしていて、なにかパーティーがあるたびに大量のカタツムリを持ってきていた。それをみんなで料理して、ぼくは周りの友だちに羽交い締めにされ、絶叫しながら人生初のエスカルゴ料理を味わったりもした。(カタツムリは貝のような味がして結構ウマい。)そんな楽しくて愛しい時間は、あっという間に過ぎた。
 トーゴを離れ、陸路でガーナへ向かうぼくを、マックスは心配だからと、国境沿いのバスロータリーまで見送ってくれた。ギロギロした目のイカついオジサンたちに絡まれたりしたが、彼は威嚇して追い払ってくれた。ガーナにいる彼の兄ちゃんの家でしばらく居候させてもらうことになっていたから、「今からトシがそっちに向かうからよろしく頼む」と兄に電話で40回くらい念を押していた。そのあとバスの運転手の胸ぐらを掴んで、「アクラのニュータウンのバス停にオレの家族がいるから、そこでトシを降ろしてくれ」と80回ぐらい怒鳴り散らすようにして伝えてくれていた。

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 バスが出発する直前、ぼくたちはいつもより長く、強くハグをした。ぼくは人目を憚らず号泣して、マックスはそれをみて爆笑した。「ミウォー、デカ」と、マックスは両手を合わせて言った。空を指さして「MIWO DEKA」と、ぼくの胸に手を当てた。人生で初めて、頭ではないところで、ことばを理解できたような気がした。
 あれから8年。めちゃくちゃ時間はかかってしまったけれど、「MIWO DEKA」、2つの地域や文化、肌の色、言語をこえて、1つのものをつくることができた。来月、いよいよ会社は3年目に突入する。攻めて、攻めて、攻めまくる。ぼくはまだ、ファイティングポーズをとっている。

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THE KYOTOシリーズ特集

 ありがたいことに、アート・文化のコミュニティーを生み出すプラットフォーム「THE KYOTO」で、ぼくたちの挑戦が特集された。嬉しかったのは、お世話になっている周りの人たちの特集をつないでシリーズ化してくださったことだ。アフリカドッグスの「ドッグス」は、アフリカの一部地域で使われる「友だち」を意味する。決して、きれいなことばではないけれど、人間くさくて、泥くさい関係性が結構ぼくは好きだ。パソコンやスマホで繰り広げられるバーチャルな世界に慣れきってしまっているなかで、リアルな息づかいを感じられる在り方がいい。

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 その大切にしたい価値をひろってくださったのが、旅行記エッセイ漫画家のトナカイフサコさんだ。『Go to Togo』を読んでいただいて、特集記事の企画をTHE KYOTOに持ち込んでくださったのだ。そしてフサコさんプロデュースのもと、記事の執筆は嶋田くんが担当してくれた。


 ここでもまた、嶋田くんのスペシャリティに度肝を抜かれてしまった。彼は編集だけでなく執筆もできる。うまくことばにできないことを、ちゃんと汲みとってくれる。アフリカ布を扱う仕事、ぼくは商品のつくり手の価値を届けるほうを選んだ。鮮やかさをウリにしてアパレル業界に新しい風を吹かせることではなく、アフリカの貧困を解決する美しい物語を描くことでもない挑戦を、ぼくは選んだ。

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 創業して丸2年。スコップを握りしめて会社を建てながら、寄生虫で身体を麻痺させながら、ギニア湾に沈む夕日を眺めながら、肌で感じてきたのは「アフリカ」の貧困と豊かさだった。そして、日本を飛び出したからこそ見えてきた、ぼくたち自身の貧困と豊かさだった。そのどちらもがあったときに、どちらかだけを論うことはできなかった。だからこそ、ぼくたちの事業に関わってくださる職人たちの臨場感を届けたいと思った。


 体験をデザインすることで、見えない価値をダイレクトに伝えていく。この実践をとおして、曖昧なグラデーションのある生活、ことばにならない気持ち、自分のなかにある問いを大切にして走りだすことができるのではないか。どう考えても、ひとりの力では限界がある。しかし、走りだす人を増やすことができたとしたら。それは確かなムーブメントになるはずだ。


 半年前、売上がすべて吹っ飛んで、アフリカ渡航もできなくなり、万事休すかと思われた。そのような状況でも、ポジティブにアクションを起こしつづければ、素敵な出会いがあり、救世主があらわれる。いまぼくは、また新たな一歩をドッグスたちと踏み出そうとしている。

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THE KYOTOシリーズ特集「京都と世界をつなぐ舞台裏」

#1 自分の物語を切り開く(AFURIKA DOGS 中須俊治)
https://the.kyoto/article/75946ef3-dab4-4a5b-803e-9eb03a719173

#2 未知なる染色技術求め(アート・ユニ 西田 清)
https://the.kyoto/article/6a4e60cc-64d2-43dd-a72a-4110e2e0e7db

#3 ことばの通じない国で(デアバロクチュール カブレッサ・デアバロ)
https://the.kyoto/article/c4c0140c-1ea8-42bc-8f60-4da81c5f5d20

#4 作り手に寄り添う書店(レティシア書房 小西徹)
https://the.kyoto/article/18b75ad9-7806-4fcb-809b-d7bb6ef6f18c

#5 誰もしたことない就活(職人見習い 越本大達)
https://the.kyoto/article/17c3de54-7ff8-4dac-b6ed-03d6bc75d672

京都と世界をつなぐ舞台裏

 アート・文化のコミュニティーを生み出すプラットフォーム「THE KYOTO」で、ぼくたちの挑戦がシリーズ記事になっている。創業当初、99%くらいの人から意味わからんと言われ続けていたことも、丸2年が経つと、よくわからんけどオモロイと思ってもらえることも増えてきた。おかげさまで、ひろく「世界各国の工芸×日本の工芸」というような掛け合わせのなかでの仕事も舞い込むようにもなった。それもこれも、地域に根ざすということからスタートしているようにも思う。そのローカルの延長にグローバルなるものがある気もする。

https://the.kyoto/article/75946ef3-dab4-4a5b-803e-9eb03a719173
(#京都と世界をつなぐ舞台裏)

 最近、学生の方々と話すことが多くなった。そこでわりと話に出てくるのが「グローバル人材ってなんですか」ということだ。本音をいえば、ぼくもそれ聞きたい。 グローバル人材ってなんだ。なんとなくのイメージがあるような気もするけど、言葉にすると、とても空虚になる。

 英語をペラペラ話せる人、帰国子女の方はグローバル人材っぽい感じがある。英語もフランス語もスペイン語も中国語も話せるという人がいれば、めちゃくちゃグローバル人材っぽい。その命題が成り立つとすれば、それでは、外国語を話せない人はグローバル人材ではないのか。

 ぼくが普段お世話になっている京都の染め職人。その人は関西弁しか話せない。海外へ行ったこともないし、もちろんほとんど英語も知らない。京都のなかでも市バスでしか行けないような辺鄙なところで事業を営んでおられる。でもそこには、パリコレクションで採用されるほどの技術があり、世界中のトップクリエイターが称賛するものがある。その技術を生み出している人はグローバル人材ではないのか。

 ぼくが学生時代から一貫して主張していることのひとつは、ローカルに突き抜けることができれば普遍性に到達するということだ。一部で表現されるものは全体のなかの一部に過ぎないのだけれど、それは確かに全体のなかの一部であるということ。その一部を究めることがすなわち、全部に共通するものになり得るのではないかと思う。

 イチロー選手に関する書籍の主なターゲットは、世の経営者だという。いわずもがなイチロー選手は野球のプロフェッショナルであり、経営のプロではない。しかしその思想に、野球選手以外の人にコミットするものが潜んでいるのだ。

 だからぼくは、生まれ育った京都に軸足をおいて、ローカルに突き抜けた先の現代アフリカ文化との掛け合わせを模索しようとしたのかもしれないと、自分でも意味わからん事業を整理している。まるで違うようにみえる遠く離れたアフリカ大陸においても、なにか京都と共通する普遍的な何かがある。そしてそのヒントをすでにもう掴んでいる。土着的なものであり、地域に根ざしたもののなかに、それは見出されると信じてやってきた。少しずつ、メディアでも取り上げていただけるようになったのは、そうしたところがポイントなのかもしれないと思う。

 自分でもこれから誰とどこへ向かうのか、よくわかっていない状況ではあるのだが、その場の空気感と、自分自身の気持ちに正直に動いてみようと思う。楽しいアンテナが振れるほうへ。おもしろい価値を世の中に提案したい。

なぜエウェ族のコミュニティは強いのか

 アフリカ大陸はデカい。南北の長さは8,000kmくらいあって、それは日本からウクライナくらいまでの距離に匹敵する。国は50以上あるし、民族は少なくとも3,000以上いる。


 日本人とウクライナ人が違っているように、もっといえば、京都府民と滋賀県民が違っているように、さらにいえば、京都市民と宇治市民が違っていたり、ぼくとアナタが違っていたりするように、「アフリカ」は想像を遥かにこえる多様性がある。だからもちろん、アフリカ全部のことを語ることはできないのだが、それでも、日本とアフリカ大陸を何度か往復しながら2つの地域を見てきたからこそ、気づいたことがある。

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 エウェ族は、トーゴを中心にガーナとベナンの一部にまたがって住まう民族だ。ぼくはいま、紆余曲折あって、エウェ族と京都の職人文化を掛け合わせた事業を展開している。エウェ族には、京都の西陣織のような織物や、高度に発展した染物の文化がある。遠く離れたアフリカ大陸と日本(京都)をつなぐポテンシャルがあると思った。それでぼくは、京都に本店をおき、トーゴのパリメというエウェ族のメッカとも言えるまちに現地法人を構え、広義のアパレル業を営んでいる。


 京都とアフリカ地域におけるコロナの影響には、大きな違いがあった。つい数か月前まで、京都はインバウンド需要を狙ったビジネスが最盛期で、錦市場あたりは外国人観光客で歩けないほどだった。それが今回のことで、そういう層をターゲットにしていた企業は壊滅的なダメージを受けている。いまは持続化給付金や緊急融資でつないでいるが、元金返済がはじまる2~3年後にはどうなるかわからない。事実としていえるのは、ここ数年で築き上げてきた経済は、予想以上に脆かったということだと思う。

 一方で、現地法人をおくトーゴ共和国・パリメ地域は、驚くほどに変化がなかった。確かに、マルシェでマスクの着用が義務づけられたり、夜間の外出禁止令が出されたりした。首都のロメは比較的、経済ボリュームが大きいので、とくにサービス業はダメージが大きかったと聞く。しかし、ぼくたちの会社がある界隈では、京都(あるいは日本)ほど、大きな影響はなかったという。現地スタッフをはじめ、友だちとWhatsAppというLINEみたいなアプリでやり取りしている限り、ほとんど普段と変わらない生活を送っている。

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 このことは、これからの地域コミュニティの在り方を示唆しているように思えた。より大きく、より早く、より稼げるほうにシフトしてきた結果として生まれた歪み。等身大で、効率的ではないかもしれないが、それなりに生きていけるだけのリソースが循環している豊かさ。明らかに、アフリカ的コミュニティに学ぶところがある。アフリカと京都の2つの地域のコントラストは、ぼくたちに大切な何かを教えてくれている。


 何度でもいうが、ぼくたちの生活は経済的なことだけでは語りきれない。文化的なことや、ときに感情的なことを含めて、ぐちゃぐちゃのグラデーションを生きている。うまく言葉にできない、目に見えない、数値化できないものに、今こそ価値を見出すときだと思う。経済がストップしただけで生活がストップしてしまうよりも、経済がストップしても、それなりに生きていけるコミュニティのほうがいい。そうした血の通った関係性のうえに暮らしがあれば、もうすこし生きやすくなるかもしれないと、エウェ族のコミュニティに触れて思った。

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トーゴ人起業家の現地レポート

 今夜18時半から、「コロナ禍における日本×アフリカでの起業・副業ビジネスの可能性」と題して、アフリカ大陸から生中継してトーゴ人起業家の現地レポートを開催する。

 いつも行き当たりばったりのぼくだが、今回は「ミネラルボックス」という副業でアフリカ・トーゴと日本を近づけるビジネスを展開しているブランドとのコラボイベントで、入念にリハーサルもおこなった。(ちなみに、ぼくは何もしていない。サヤカさんと、サヤカさんの相棒・バオさんのリーダーシップにより、おんぶに抱っこなリハーサルとなった。)

 そして何より、13,000km離れたトーゴから生中継してくれる起業家・パシーさんがめちゃくちゃいい人だ。実はサヤカさんつながりで、一度だけ、現地でパシーさんとお会いしたことがある。そのときも、これでもかというくらいにジェントルマンで、ハートフルな一面を垣間見せてくれた。そのときは帰りのフライトが迫っていたこともあり、20秒くらいしか話してないのだが、リハで1年ぶりくらいにちゃんとご挨拶できた。

 このイベントがいいなと思うのは、オンラインの真骨頂ともいえる国境をこえた試みであり、アフリカからアフリカのことをアフリカの人が話すというところだ。国際協力や人類学の領域をもこえて、現代アフリカの可能性と挑戦にフォーカスしているところもシブい。

 コロナだからこそ実現できたイベントとして、楽しみたいと思う。パシーさんの話は、英語バリバリのサヤカさんに通訳をしてもらう。臨場感あるアフリカの風を感じたい人は必聴だ。

 お時間あう人は下記のURLから。ミネラルボックスから配信リンクが送付される。

http://ptix.at/tlWAkT

 

 

京都のトーゴ人と出会う奇跡

 奇跡は起きる。先日、レティシア書房さん(京都市中京区)で展示会を開催したときに足を運んでくれたお客さんの友だちの旦那さんがトーゴ人だという情報をキャッチした。すぐにコンタクトをとり、会いに行った。なんと彼は、ぼくと同い年で、しかもトーゴで仕立屋を営んでいた経験があった。京都在住でトーゴ出身の仕立屋・デアバロさん、まさにぼくが探し求めていた人に巡り会えた。

 今まで出会わなかったのが不思議なくらいだ。でもこのタイミングに出会えたのは、理由があると思う。話を聞くと、ぼくがトーゴへ行っているとき、彼は日本にいて、彼がトーゴへ行っているとき、ぼくは日本で活動していた。もう少し早く出会っていたら「いつか一緒にできたらいいな」という話で終わっていたかもしれない。このコロナがあって事業を再構築する必要に迫られたからこそ、手を取り合えた。

 運命というのは奇妙だ。もし、コロナがなかったらレティシア書房さんでの展示会は実現しなかった。そうなると、デアバロさんと出会うことはなかったかもしれない。そもそも本の出版も、嶋田くんと出会わなければ実現しなかった。そんなことを言い出したら、キリがない。

 しかし、あまりに重なりすぎている。ここまで偶然が重なると、どこかに導かれているのではないかとさえ思えてくる。その時々の出会いを手繰り寄せ、筋書きのないドラマがここにはある。

 前職の京都信用金庫を退職して、丸2年が経った。よくここまで生き延びた。アフリカ大陸での起業、未曾有のコロナ災害を経験して、3期目が視野に入ってきた。2年前には想像できなかったことが起こっている。これもまた、序章に過ぎないのだと思う。

『Go to Togo』を出版してから

 ぼくと烽火書房・嶋田くんの渾身の一作、『Go to Togo』を出版してから2ヶ月くらい経った。ぼくたちにできることをやろうと、オンラインイベントをやりまくってきた。コロナ禍でこそ、ぼくたちの挑戦には価値がある。こういうときだからこそ、諦めわるくアクションを起こす。暗闇にいるからこそ星は輝いて見える。

 そうしてぼくたちのすべてをぶつけながら、倒れたり、すりむいたり、崖っぷちに立たされたりして実績をつくってきた。イギリス・ガーディアン紙「The world’s 10 best bookshops」に選出されたことでも有名な「恵文社一乗寺店」。その日本を代表する京都の書店に『Go to Togo』はラインナップされている。そしてその恵文社をブランディングしてきた名書店員がオープンした「誠光社」。京都最強の本屋さんと名高い書店にも『Go to Togo』はある。

 しかもその「誠光社」さんに至っては、買い取りでの取り扱いである。多くの書店で、基本的に委託取引となるため、売れなかった本は返本される。そんな中で、買い取りをするというのは「確実にお客さんに届けられる自信がある」ということの表れでもある。一流書店を築いてきた店長の目利きで『Go to Togo』は買い取りされた。本としての価値が、認められはじめていることの証左でもある。

 この写真は、北海道江別市にある蔦屋書店さん。人と人がつながって、『Go to Togo』は津軽海峡を渡った。これまでリーチしなかった人たちに、ぼくたちの挑戦を届けられることは、本を出す魅力のひとつだ。そのことが可能性を秘めているのは、いろんなジャンルの人の目にふれることで、これまで思いもしなかったようなアイディアやチャンスをもらえたりする点にある。発刊前(ビフォーコロナ)より活動の幅が広がって、そのぶん事業に多様性がうまれている。

 とはいえ、めざすべき方向性をぶらさず、コンセプトの設計を入念におこなうことも必要だ。しかし当然のことながら、ぼくにそんなスキルはないので、いまいろんな人にコミットしてもらって土台づくりに奔走している。これが結構しんどい。いまは我慢のとき、種まきのとき、踏ん張りどき。起業してからずっとそんなことを言っているような気もするが、しゃがんだぶんだけ高く飛べると信じて前を向きたいと思う。

初めてのインターン生、来たる。

  人の縁というのは不思議で、本当にどうなるかわからない。ぼくたちの会社のコンサルティングをお願いしている成澤俊輔さんをとおして、とても素敵な人に出会った。海外インターンシップを運営するタイガーモブ・CFOの上原さん。もともと信金マンで、税理士知識をもつぼくと、公認会計士の上原さんとのあいだで盛り上がったのは、財務諸表にあらわれない価値についてだった。ちらっとお話しただけだったのだが「めちゃくちゃええ人やったなあ」という印象が強く残るような人だった。


 このコロナ禍でも、タイガーモブという会社は前を向き、毎日のようにオンラインイベントを開催していた。そのコンテンツづくりのスピード感と熱量、そしてポジティブさは圧巻だった。ぼくも今できることを片っ端から手を付けていたなかで、偶然か必然か、上原さんとオンラインイベントを企画することになった。その企画案を練る打ち合わせでもまた、めちゃくちゃいい人な感じがすごくて、気づいたらインターン生を募集してみたい気持ちになっていた。そして上原さんにディレクションしてもらいページを公開してもらったところ、わずか数日のうちに何人かからエントリーがあったのだった。

 人生で初めて、面接をした。なぜぼくたちの会社にエントリーしてくれたのかと思うくらいにヤバい人たちばかりで、他力本願をモットーにしているぼくとしては、マジで渡りに船(飛んで火にいる夏の虫)だった。まさか、このタイミングにインターン生を受け入れることになるとは思わなかった。なんと一気に3人のインターン生をお迎えすることになった。コロナのおかげで、新たな仲間ができたのだ。

 さっそく打ち合わせを重ねて、いろんな企画を練っている。ユニークな面々が揃ってしまっているので、一人ではできなかったことに挑戦してみたいと思う。ぼくより遥かに経験豊富で工芸についての知識もある方、語学が堪能すぎる学生の方、そして今秋からイギリスの大学へ進学する19歳。どんな化学反応が起きるか楽しみ。人が増えると、嬉しい!

一夜限りのアフリカ談義

 日頃から大変お世話になっているコンソーシアムの皆さまに、感謝の気持ちを込めて、これまでのことについてご報告する機会があった。ほんとうはリアルイベントで、東京のどこかの会場をお借りしておこなう予定ではあった。しかしながら、オンラインで開催したことにより、なんとケニアから佐藤さんにも参加いただけて、アフリカ大陸を繋いだ報告会となった。

 オンラインであっても、お互いの息づかいを感じることはできる。ご支援をいただいている5人の起業家がアフリカ大陸で起こしつつあるムーブメントについて、またこれから夢みる活動について、アツくお話しさせていただいた。(個人的には大山さんが描いている「ファームハウス」に早く行きたい。)ネット社会になって人との関係性が希薄になり、孤独になる人が増えたという記事を読むこともあるけれど、今回のオンライン報告会はこれまでの通説をくつがえすほどに、懐かしい再会を喜ぶ方々の光景も垣間見ることができて、とてもハートフルな時間を過ごすことができた。

 その報告会のあとすぐに、渋澤さんと成澤俊輔さん(「世界一明るい視覚障害者」というキャッチコピーで、さまざまな組織の伴走をされていて、弊社も成澤さんにお世話になっている)を交え、「一夜限りのアフリカ談義」と題して3人のオンライントークセッションをYouTubeでライブ配信した。これまでアナログでトーゴ共和国での事業を構築してきたぼくとしては、かなりハイレベルな試みではあったが、お二方に助けられて盛会となった。トークセッションでは、ダイナミックでマクロな視点を渋澤さんの著書『SDGs投資 資産運用しながら社会貢献』(朝日新書)から引用させていただき、ミクロな視点は拙書『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』(烽火書房)から引用しながら、多くの人がコロナの逆境にいるからこそ、希望をお届けできる内容になったのではないかと思う。

 なかでも印象的だったのは、渋澤さんが提唱されている 「2020年からは繁栄の30年になる説」と、その繁栄のキーは「メイド・ウィズ・ジャパン」にあるのではないかということ、そして「カレーうどん」にヒントあり、というユーモラスでありながらも示唆に富んだ仮説だった。それは、withコロナ・アフターコロナ時代に間違いなく光を放つメッセージであったし、ぼくがめざしている「トーゴ×京都」のモデルに向かって走ってもいいのだという激励としても受け取ることができた。とにかく、相変わらず事業はピンチではあるが、なぜか清々しく背中を押してもらえた気分になれた。(そしてぼくの座右の銘は「カレーうどん」になった。)

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 「一夜限りのアフリカ談義」を見逃した方へ、こちらにリンクを貼らせていただきます。YouTubeリンクのコメント欄に、だいたいのタイムスケジュールも明記しています。是非ご覧ください!

「カレーうどん」が日本を救う!?

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