とにかく、前へ。

これまで金融機関でしか働いたことがなく、デザインやファッション関係の学校にも行ったことがないぼくにとって、アパレルへの挑戦は死ぬほど難しい。

ただ動いているといいこともあって、そんなぼくを哀れに思って助けてくれる人たちが集まってくれている。どのみち、仕事は一人ではできない。たくさんの頭で考えたことを、たくさんの仲間と一緒にぶつかるほうがいいということをトーゴでの現地法人設立のときに強く思った。

 

そこで今は、わからないなりに一度モノをつくる作業を進めている。どうなるかわからない状況では、とにかくやりながら反省をして前に進む方法以外に、ぼくは知らない。エウェ族が丹精込めて織り込んだ品物に光を当てる。手作業でしか生み出さない価値が、そこにはある。そしてそれは大量生産・大量消費のモノづくりに一石を投じることにもなると思っている。

 

今日も京都の職人のもとで商談をしてきた。とても寒い日だったが、職人は冷たい水に手を突っ込んで染めを施してくれている。鼻水を垂らして、爪のあいだの染料を光らせながら職人は言った。

「おもろいもん作るで、諦めたらそこで試合終了や」

半世紀近くにわたって仕事に向き合ってきた人の言葉は、シンプルなのに勇気が出る。トライ&エラーで、とにかく前へ。

惨敗を喫する

ぼくたちのモットーは、試しにやってみることだ。「始めからできたら男前、できなくて当たり前」とも言うし、できないことから始まる可能性に賭けるのが、ぼくたちのやり方だ。でも、ほんのちょっとだけ、男前だと思っていたところがあったのかもしれない。大都会・東京で苦汁をなめる結果となった。

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↑ケチョンケチョンにされた相棒
 この4ヶ月半、死ぬ気でやってきた。累計して164人の方々にアドバイスを頂きながら、日本から13,000km離れたトーゴという馴染みのない国に往復5日かけて行き、言葉の通じない現地の職人と交渉して何とか調達できた素材を持って、京都の職人のもとへ駆け込み、少しずつ形にしてきた。道の途中ではあるが、形になってきたものが、市場でどのような反応を受けるのか知りたくて、東京に乗り込んだ。

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↑会社の全財産をスーツケースに詰め込んだ
 東京は、多種多様なコレクションブランドをラインナップする世界でも珍しい都市だ。そんな都市の第一線で活躍するバイヤーたちの審美眼で、ぼくたちの魂を込めた商品を見てほしい。なぜかぼくたちは自信があって、彼らの度肝を抜き、商品を詰め込んだスーツケースが空っぽになるイメージをしていた。しかしスーツケースの重さは変わらなかったし、なんならテンションの分だけ帰りの方が重く感じた。
 ぼくのせいで、商談では相棒と店員さんが喧嘩みたいになってしまい、得も言われぬ空気が流れた。お互いに真剣だからこそヒートアップする。伝えたいことが伝えきれない歯がゆさ。言葉ではなくて、もっと深いところの何かが足りない。
 いつのまにか、スーツケースのコロコロは壊れていた。自分たちを奮い立たそうとして、一本の缶ビールを二人でわけて飲んだ。これが限界だと、言い訳をしてみたりした。ぼくたちは見事なまでの惨敗を喫した。
 帰りの駅のホーム、たまたま隣に並んでいた女の子がドリカムの「何度でも」を歌っていた。「10000回ダメでヘトヘトになっても、10001回目は何か変わるかもしれない」と。うまくいかないことが、諦める理由にはならない。力をつけて何度でも戻る。東京の寒空を見上げて、ぼくは白い息をはいた。

バイクタクシーから見る生活水準

 

西アフリカの小国・トーゴ共和国は、いわゆる「世界最貧国」として位置付けられる。個人的に、それは先進国が定めた尺度でのポジションでしかないし、いろんな価値尺度があるなかで、その意味合いも薄れつつあると思っている。しかしその世界最貧国とされる国に住まう人たちが、どれくらいの水準で生活しているかという事例は、ミクロな視点ではあるものの、全体をうつす一部であるような気がしている。そういった統計情報もないので、現地の主要産業であるバイクタクシー(ゼミジャンと呼ばれて親しまれている)の運ちゃんの単月収支を、備忘のためにも残しておこうと思った。

 

バイクタクシーは、営業するエリアによって金額の多寡はある。ここではトーゴ共和国の首都ロメから125km北上したパリメというエリアの、34歳男性の事例を挙げる。配偶者と娘3人(小学3年、2歳半、6ヶ月)、配偶者の母の6人家族だ。

 

※トーゴ共和国で流通する通貨はセーファーフラン(以下、cfa)で、だいたいcfaを5分の1した金額が日本円になる。(たとえば、10,000cfaは2,000円くらい)

 

彼の勤務時間は、朝5時から12時、15時から18時までの計10時間である。日によってバラツキはあるが、10時間働いて、7,000cfaから10,000cfaくらい稼ぐ。トーゴは乾期と雨期しかないのだが、雨が降れば、基本的に外出しないので、雨期には売上は下がる。月収は、210,000cfaから250,000cfaくらいだ。

トータルの支出は214,000cfaくらいで、その内訳は以下のとおり。

・食費75,000cfa

・電気代2,000cfa

・家賃5,000cfa(トタン屋根で8畳ほどの大きさの部屋)

・電話代6,000cfa(キオスクなどでクレジットを購入し、チャージするスタイル)

・ガソリン代66,000cfa(ガソリン1ℓ=500cfaくらい。1日2,500cfaがガソリン代に消える)

・バイクオーナーへ60,000cfa(バイクは一括購入できなければローンとなる。市場ではバイク1台320,000cfa-390,000cfaで取引されるが、ほとんどの労働者は一括購入できない。パリメでは資産家にバイクをローン購入することになればトータル700,000cfaを支払うことになる。資産家に1週間、15,000cfaを支払う。)

加えて、毎日バイクを走らせれば修理もしないといけないし、子どもが風邪になれば薬を買わなければいけないし、教材を購入していくとなると、おおよそ1ヶ月240,000cfa前後が必要となるから、とても余裕がある生活とは言えない。

 

バイクタクシーは腰への負担が大きく、また後部座席に人や荷物を乗せて神経を使いながら運転するために、肉体的にも精神的にもダメージが大きい、と彼は話す。競合他社が増えたことで運賃が下がり、ガソリンの値上げもあったので、業況は厳しくフラストレーションを抱えている印象も受けた。

 

 

京都の職人のもとへ

トーゴから帰国してすぐに、京都の職人のもとへ駆け込んだ。ご自身で創業されて半世紀。独自に染色技法を生み出し、ルイヴィトンやエルメス、イッセイミヤケなど、名だたる国内外のハイブランドからのオファーが絶えない職人だ。

なぜトップクリエイターが、京都の職人のもとへ足繁く通うのか。世界広しといえども、ここでしか出来ない染色があるからだ。その高い技術は、想像を絶する失敗に裏付けされている。お話を伺うと、幾度となく失敗を重ね、しかしその失敗こそがヒントになり、画期的な技法を生み出してきた。広幅(112cm幅)の手染めができる工場はここにしかない。手作業の味わい深い染色が、ここにはある。

 

「おまえホンマに持って帰ってきたんかいな」と呆れた顔をされながらも、「その生地、はよこっち持ってきい」とワクワクされている。

しかし、じっくり現物をみて、ボソッと口にしたのは「これは難しい」という一言だった。長年にわたって様々な生地をみてきた職人でさえも、トーゴという馴染みのない国から持って帰ってきた代物は初めて見たという。

 

ぼくが持ち込んだケンテと呼ばれるアフリカ布は13cm前後の布を繋ぎ合わせたものだ。それが面白いと思って仕入れてきたのはいいものの、その繋ぎ目の弱さが染色加工で大きなネックとなることを、そのとき初めて知った。

 また生地をもった感じが、ほかのものと比べると、すこし重いことも懸念事項として挙げられた。服にしたとき、重量感が出るため、レディースには向かないのではないかという意見を頂いたのだ。
ぼくはとても嬉しい気持ちになった。課題が明確になったからだ。繋ぎ目を活かすことができて、多少の重量感があっても楽しめる完成品はなにか。そんなテーマでモノづくりを進めることができる。ある程度、制限があるほうがクリエイティブな発想が出やすいと、なにかの本で読んだことがある。そういう意味で、職人の目に触れたことは大きな一歩となった。
 実際に染色を施したらどのようになるのか。数百あるデザインから、選りすぐりの10種類をピックアップし、色合いをみんなで相談しながらオーダーした。
気づいたときには日が暮れていた。職人は言った。
「昔はおまえみたいにアホなこと考えて訪ねてくるやつも多かった。みんなで輪になって話し合って、たまに喧嘩もしながらモノづくりをしたもんや。でもいまは全部パソコンやもんなあ。」
パソコンでは味わえない体験がある。人が生み出す体験が人の心を動かすと思う。一歩ずつ、前へ。みんなの気持ちをのせて、カタチにしていく。

 

弊社オリジナル商品の開発

アフリカ×京都のモノづくりをする。アフリカ・トーゴにある素材と、京都の伝統技術を組み合わせる。トーゴでピックアップする素材は、ケンテというアフリカ布に決めた。それも、かつては王しか身につけることができなかったとされる、オーガニックコットンのケンテだ。しかしそれを京都の技術と組み合わせようと思えば、1cm単位の調整が必要だった。

 

ケンテは13cm-15cm幅の布を10枚繋ぎ合わせてつくるから、出来上がりは130cm-150cmとなるが、京都でアパレルの手染めを施そうと思えば、112cm-114cmに収めなければならない。オーダーをお願いしたところ、ケンテ職人の親方は「臨むところだ」と胸を張ったが、それからぼくはメジャー片手に何度も現場へ足を運んだ。

 

既存の受注があるなかで、初めてみるアジア人が、すべて白地で、しかも幅の指定をするという「めんどくさい」仕事だった。お願いをしているこちらも申し訳なく思うくらいに、彼らは炎天下、汗を光らせながら手に意識を集中させ、まばたき一つせず微調整を重ねてくれた。「決して無理はせずに、そちらのペースで出来たぶんでいい」と言ってはいたものの、果たしてどれくらいできるのかという不安と、どんな感じになるのかという期待が交差して、なかなか眠れなかった。

 

そんな夜、気分を整えようと外に出て歩いていると、ラジオから流れる音楽と、聞き慣れたカチャカチャという音が聞こえてきた。

 なんと、彼ら職人は夜通しで生産にあたってくれていた。ぼくは急いで「そこまでやらなくていい、帰って寝てくれ」と声を掛けに行った。すると親方は、「おまえは約束を守るためにこんなところに帰ってきたんだろ。だからオレも約束を守る。受けたオーダーは、きっちり揃えて納めてやる」と胸に手を当てた。
 お調子者で、ムードメーカーのヤオヴィは「これが日本に行くんだろ。車はTOYOTA、エレクトロニクスはTOSHIBA、ケンテはTOSHIHARU(わたしの名前)だ」とエウェ族独特のダンスを踊りながら言った。
そうして、納期の10日以上も早く、圧倒的な職人技を見せつけられて、京都の112cm幅に対応するオリジナルのケンテが出来上がった。独特の、ケンテならではの風合い。これを次に繋げる。考えられるなかで、一番可能性が広がりそうな、京都の職人のもとへ。
 職人の手から、職人の手へ。手作業だからこそ、手の温もりを伝えられる。いつの時代も、人の気持ちを動かすのは、人だと思う。その温もりある人たちの顔が見える商品ができたとき、響いてくれる人は、きっといるはずだ。

 

現地法人を設立しました

土地が決まって、その土地を耕すところから店づくりはスタートした。ハンマーと鍬とスコップと。マンパワーで掘り起こす。これまであまりスコップなんて握ったことがなかったので、すぐにマメができた。マメが潰れて血が滲んだのは中学生ぶりだ。

 

炎天下での作業は過酷を超えて、危険ですらある。日差しが痛くて、首と腕に軽く火傷を負いながら土を穿つ。セメントを購入して、土を混ぜてコンクリートブロックをつくる。近くに流れる小川から水を汲むのも一苦労である。なんて自分は体力がないのだろうと情けなく思いながら、周りのサポートは強力で、人が人を呼んで、ものすごい数の人たちが助けてくれたりした。

 

「トシは約束を守るために帰ってきたんやろ。俺も約束する。トシが日本に出発するまでに完成させる。」とリシャは笑って、ぼくは泣いた。行動を起こせば起こすほど、自分の無力さを知る。知るからこそ、まわりと一緒にやらないと前に進まないことを痛感する。気づけば40-50人体制で店づくりをしていた。

 

ぼくが大してお金を持っていないことは、周知の事実であったので、ペンキ塗りの友だちが「出血大サービスだ」と社名を綺麗にプリントしてくれた。なけなしのお金を渡そうとすると、人差し指と人差し指を交差するようにして、「俺とお前は繋がっている。金じゃない、友情だ」と突き返された。

 

そうして出来たお店は、みんなの思いが詰まっている。トーゴ共和国で、日本人第一号となったお店のまえで、ぼくたちはビールで乾杯した。

 

[現地法人情報]

ETS : AFURIKA DOGS

adresse : sur la route d’Atakpamé non loin de lycée de Kpodzi à côté de bar Albatros Kpalimé, TOGO

tél : (+228)93 31 11 58, (+228)98 41 17 09

ついに土地が決まる

ここに拠点をつくると決めてから、土地はすぐに見つかった。見つかったが、なかなか決まらなかった。いろいろと理由はあるけれど、大きく2つあって、①周りと違っている点についてのプレゼンテーション(お客さんの奪い合いが起きないように、周りと違ったことをしないといけない)がうまく伝わらなかったことと、②外国人がここで仕事をしようとすることが不自然であったことである。

 

①については、回数を重ねていくとだいたい要領をつかめてきて、そのエリアの現状を自分なりに分析したあとに、やろうとしていることを伝えれば、怪訝そうな顔をされるだけで問題は解消された。

しかし、②については、なかなか納得してもらえなかった。

「日本人がわざわざここに来て会社をつくるなんて考えられない。」

「日本にはテクノロジーもあって仕事もあるのに、なぜこんなテクノロジーも仕事もない所に来るんだ。」

「この地域には一度だけインド人が来て仕事をしようとしたが今は誰もいない。外国人がここでやろうなんて無理だ。」

ぼくは何度も説明にあがったが、いちど難色を示した人を覆すのは極めて困難だ。なかなか承諾を得られないなか、8人目か9人目の地主との交渉でようやく事態は前に進んだ。

それはとても些細なことで、ぼくは虫があまり得意ではないのだが、交渉中に蛾がぼくの顔に止まり、驚いて椅子から転げ落ちたことが地主の笑いのツボにハマったことが功を奏した。ユーモアはコミュニケーションを潤滑にする。

6年前にここに来たこと、また帰ると約束して、こうして帰ってきたこと、ここでつくりたい世界を身振り手振りで説明した。ぼくの力説とは裏腹に、笑い転げている地主は暫く経ってから言った。

 

「おまえみたいなやつを、ずっと待ってた。」

話を聞くと、彼の家族にも障害をもつ人がいた。トーゴには障害をもつ人に対する制度保障はない。そんななか、民間で何とかしようとする姿勢に共感してくれた。

ついに、土地が決まった。面積はそんなに大きくはないけれど、日本人がここで仕事を始めるという意味において、それは大きな一歩となる土地だと思っている。

 

ほかと違っていることが価値になる

トーゴは可能性に溢れている。天然のコットンが採れるし、ここの民族しか持ち得ない技術があって、なにより穏やかで明るい人が多い。首都からタクシーで2時間半ほど北上したところにあるパリメという町は、6年前に、また戻ってくると約束した地でもあるが、市場調査に出ても、モノづくりに取りかかっても、そこで出会う人たちはいい人ばかりで、とてもフィーリングが合う。

 

ここに拠点をつくる。土地は意外にも簡単に見つかった。不動産屋みたいなものはないから、口コミで空き地を探す。2人くらいに聞いて、7ヶ所くらい候補があがった。特段、土地にこだわりもなかったので、外国人が入ってもお邪魔じゃなさそうな、すこし町から外れた山の麓の土地に決めた。

 

そこは身の丈以上の草が生い茂るエリアで、ぼくは草刈りから始めた。マルシェでナタを購入し、茂みに入って草刈りをしていたら、たまたま通りかかったおっちゃんに声をかけられた。

そのおっちゃんは、役所のお偉いさんで、「せっかく初めて日本人が会社をつくるんだ、もっといいところがある」と大通りに面した土地を紹介してくれた。

 

役所に事業申請を出すときに、大切なことは「ほかと違っていること」である。たとえば、そのエリアに飲食店が多いのに飲食系の仕事をするとなると、お客さんの奪い合いになり、地域経済によくない。だから、そのエリアで誰もやっていない、もしくはやっている人が少ないことをしなければならないのだ。

そういった理由で、事業をはじめる土地を変更しなければならないことは往々にしてある。

 

拠点をつくるにしても、どのような場所づくりがいいのか。単純に事務所のようなものをつくっても面白くないし、ここの人たちの生活にも馴染まない気がしたので、近所の人たちに相談している。その地域に住まうおばちゃんたちの家を訪問したり、屋台が出ているところにタムロしている人たちと、どんな場所がいいだろうかと思案している。

みんなで考えて、みんなでつくる。そうして出来たものだったら、この地域の人たちは、ぼくを受け入れてくれるだろうか。そんなことを思いつつ、たくさん葛藤しながらも、一歩でも前に進めたらいいなと思っている。

 

 

 

アフリカ×京都の商品をつくる

アフリカ×京都の商品をつくる。アフリカの素材、ケンテに京都の伝統技術を駆使した染めを融合させる。大将は早速、白地のピュアケンテの製造に入ってくれた。

京都の染めを入れるには1cm単位の調整が必要だ。ケンテは、13cmから15cm程度の幅の布を10枚つなげて1枚の布に仕立てる。したがって、出来上がりの幅は130cmから150cmとなる。しかし、京都の職人技を入れようと思えば、112cmから長くても114cm幅に収めなければならない。

 

かつて、着物産業で栄えた京都・嵐山にはたくさんの染工場がある。染工場は大きく2つに分かれる。①小幅と呼ばれる90cm幅のものを染める工場と、②広幅と呼ばれる112cm幅のものを染める工場である。①は着物に用いられ、②は洋服に用いられる。圧倒的に①の工場のほうが全国的にも多いといわれ、②の工場で、かつ手の込んだ染めができる工場は、世界広しと言えども京都にただ一つしかない。

 

ぼくは②の工場に染めをお願いする約束をしている。大量生産・大量消費の流れのなかで、②のような広幅の手染めのものは衰退していた。職人の手仕事が、ここでも失われつつあった。業界全体では衰退傾向にあるものの、そこの職人技は一級品である。

わざわざフランスのパリから、エルメスやルイヴィトンの担当者が、通訳とエージェントを引き連れて、その工場を訪れる。そこしかできない仕事があるからだ。パリコレクションでも大きな評価を得る仕事が、京都にはある。

 

その一級品の京都の職人技を、西アフリカ地域の最高級品とされるケンテと融合させる。それはアフリカの職人と京都の職人とのコラボレーションでもある。

課題を解決しようとするとき、最終財が売れなければ解決には向かわない。だからこそ、できあがりの商品には魂を込める。そんな商品は、きっとお客さんにも響く。

 

そんな思いを、ケンテ職人の大将にぶつけた。「1cm単位の仕事はこれまで受けたことがない。臨むところだ。」

京都の職人にも連絡を入れた。

「おまえホンマにやってるんかいな。帰ってきたらすぐこっち来い。いの一番にやったるさかい」

 

彼らの職人魂に、火がついた。

 

 

 

 

フルオーダーのケンテ、生産開始

ケンテ職人のもとに通い詰める。

京都でいうところの、「一見さんお断り」である。

マルシェに出回らず、ごく一部の王族、役人、エリート層にしか販売しないというコットンピュアのケンテ。マルシェで販売されているものも、確かにいい。しかしコットンピュアのものは肌触り、風合い、オーラがちがう。

 

6年前、トーゴの友人と「みんなが笑って過ごせる世界をつくろう」と約束した。障害者差別の現実。それを打破したいと願う友人と語り合った夢だ。目の見えない人は、たとえば一般の人に比べて、耳が良かったり、感触をもって的確に判断することができる。耳のきこえない人は、察する能力が高かったりする。個性的は、魅力的だ。それぞれの個性を活かしたチームをつくる。

モノづくりであれば、それぞれが個性を活かし合って仕事ができる。そんなことを、ケンテ職人の大将に直談判した。

 

夜な夜な通い詰めた甲斐もあって、ついに大将が折れた。

「おまえみたいなクレイジーなやつは初めてだ」と。

話を聞くと、従業員も大将にお願いしてくれていたらしい。大将のところへ行くまえには必ず、従業員と話をしていた。現地語で挨拶をしながら、徐々に距離を詰めていたことが功を奏した。

 

とにもかくにも、完全フルオーダー、コットンピュアのケンテの生産を開始することができた。

「早速、材料の買い付けに行ってやる。トーゴのコットンピュア、腕利きの職人たち、俺らがどれほどすごい仕事をしているか見せつけてやる」と大将はハニカんだ。

 

 

 

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