コリコが繋ぐ

 道端にはたくさんの屋台がある。すこし顔を出したら「にいちゃん、コレ食べてきな」と揚げたヤムイモ(「コリコ」と呼ばれる)をおばちゃんに渡された。

 そこでは井戸端会議か開催される。おばちゃんが「へんな日本人やけど、悪い人ちゃうからヨロシクね」とご近所さんに挨拶してくれている。おかげさまで、愉快な人たちに囲まれて、いい生活ができたのであった。

展示会に出展してきた

 先月末に工芸の見本市&展示販売会「DIALOGUE」がホテルカンラ京都で開催されて、ぼくたちも出展してきた。創業して1年半、こうしたイベントに挑戦するのは初めてだったが、めちゃくちゃいい経験になった。数十先と名刺交換する機会があったのだが、自力でここまでやろうと思えば1年以上はかかる。それをわずか2日間で一気にやると、足はガクガク、頭がボーっとしてノックアウト寸前になる。しかし素敵なご縁に恵まれて、おかげさまで3月は忙しくなりそうだ。

なぜかぼくたちのブースにはフランスやドイツ、ベラルーシからのお客さんで溢れた

 コロナの影響もあって、当初、3日間を予定していた展示会は2日間に縮小し、一般来場は中止になった。そうしたこともあってか、当日はぼくの会社のコンサルをお願いしている成澤さんと秘書の涌井さんも駆けつけてくれていたのだが、開場1時間で4人しか来てくれない状態だった。そんな状態を打破すべく成澤さんはブースを飛び出して「ここまだ4人しか来てないので空いてますよ」と叫んでもらったりした。(ぼくは4人しか来ていないことが恥ずかしくて心のなかでやめてくださいと叫んだ。)しかしそのことが功を奏して、目標としていた数のアポイントを獲得できた。成澤さんと涌井さんが居なければ、ぼくはめげていたと思う。

なぜか京都新聞に意気込みがチョイ載りしていた

 2日間で、次のステージへ繋がる人たちと出会えたことはもちろん嬉しかったのだが、古巣の京都信用金庫からの激励は、うまく言葉にできないくらいに嬉しい。退職しているというのに、未だにお世話になっている。ぼくが本当に実現したいと思っていることについて、キーマンとなるような人を紹介してもらったり、目の前の困難に一緒にぶつかってもらっている。そのサポートはどんどん強くなっていて、もはやぼくたちの会社の人たちではないかと思うほどにコミットいただいている。あとはぼくが現場で仕事を進めるだけだ。

 今年は正真正銘、勝負の年になる。できることはなんでもやる。ギリギリを生きているが、ぼくはまだファイティングポーズをとっている。倒れるなら前のめりにいくぞ。トーゴの人たちに届く道筋が、すこしだけ見えている。

わざわざ理事長も激励に駆け付けてくださった

トーゴとベナンの国境にて

 トーゴ共和国とベナン共和国との国境には、何十年か前のトヨタカローラを何台も見かける。乗り合いタクシーとして利用されていて、郊外へ出るのに便利だ。

 座席シートはベロベロ、フロントガラスはバリバリ、それでも車内はノリノリ。となりのオッチャン、すこしお尻が大きい。 空がきれいだった。

みんなで食べる

  一緒にごはんを食べれば、仲良くなれる。彼いわく「繋がりたければ、メシにいけ」という格言があるとかないとか。

 現地の食事を、現地の人と同じように食べる。それはシンプルなことなのだが、シンプルなだけに、奥が深い。

あるものを楽しむ

 町からすこし外れると、住宅が密集するエリアに出る。ひとはそこをスラム街というが、スラムは庶民の中心地である。

 子どもたちがたくさんいて、落ちていたポリタンクにまたがってレースを繰り広げていた。ぼくも参戦して、彼らに大差をつけて勝利したのだが、振り返ると彼らの冷ややかな目線があった。

 そこにあるもので時間をたのしむ。必要なものってなんだろうなあ。

オシャレを楽しむ

 ここでの生活で、目を惹くもののひとつにオシャレがある。小さなころからエクステをつけて、おめかしする。数週間に一度、さまざまな色のエクステを楽しむ。それがここのスタンダードである。


 そうして楽しむ感性は、とてもいいなと思う。毎日が忙しくて、洗濯物が乾いた順番に、そのへんのTシャツとジーパンで過ごすことはよくある。しかし、その日を彩るファッションに、ウキウキする毎日があったら、とてもいい生活だと思った。どうせ生きるなら、オシャレに。

トーゴ共和国・ビザ

 いつかどこかの誰かが、トーゴへ行くことになった、あるいは行きたいと思ったときに、どういう手続きをすればスムーズかをまとめてみた。タイトルにあるのは、ぼくがトーゴへ行くと決めたときに、真っ先にググったワードである。しかし2020年現在、いろんな情報がバラバラになっているので、ここに段取りを集約してみることにした。

①とにもかくにも「黄熱の予防接種証明書(イエローカード)」の取得

 ビザの取得、入国に際してはイエローカードが求められる。接種には予約が必要なところが多く、1ヵ月くらいかかることもある。また接種10日後から有効となるため、だいたいトーゴへ行こうとする1ヵ月半くらい前までには、接種の予約を取っておいたほうがいい。したがって、イエローカードを持っていない人がトーゴへ行くなら、その準備にだいたい1ヵ月半くらいは見ておくのが無難だ。ちなみに、2016年7月11日以降、黄熱の予防接種は生涯有効となったので、取得しておいて損はないと思う。

②英文残高証明書の取得

 金融機関で英文の残高証明書を取得する必要がある。通帳かキャッシュカード、届出印、本人確認書類、発行手数料が必要であるが、各金融機関で若干のちがいがあるので事前に確認するのがベターだ。発行内容は円建てでもドル建てでもどちらでも可、残高は滞在費をカバーできる金額があればok。ぼくは10万円ちょっとの残高でも受理してもらうことができた。発行に数日を要するばあいもあるので、ビザを申請する2週間くらい前までには手続きをしておくのがいい。
※残高証明書は発行日から1ヶ月以内のものが望ましい。

③証明写真(縦4.5cm×横3.5cm)を2枚用意する

 ①から③は外出するときに一気に用意すると気持ちがいいし、効率的だ。

④フライトチケットをとる

 ビザの取得にチケットの予約は必要ないが、日程が決まらないといろいろ気持ちが煩雑になるから、先に取っておいたほうがいい。もちろん、日にち単位で飛行機代の差があるから、安いタイミングを見計らうためにも、まずはいつからいつまで行くかを決めたほうが安上がりだ。いくつかフライトの比較検索サイトはあるが、ぼくはスカイスキャナーを使っている。航路は大きく4パターンあるので、以下に検索の方法を列挙する。いずれも片道でなく往復での予約のほうがいい。

1, 日本⇔トーゴ(ロメ)の1つ予約
2, 日本⇔フランス(シャルルドゴール)、フランス⇔トーゴの2つ予約
3, 日本⇔シンガポール(チャンギ)、シンガポール⇔トーゴの2つ予約
4, 日本⇔アラブ首長国連邦(ドバイ)、アラブ首長国連邦⇔トーゴの2つ予約

 シーズンにもよるが、ぼくは上記のパターンで検索して最安値をはじき出している。「2つ予約」パターンは、それぞれの経由地で荷物をピックアップする面倒があるものの、一人旅などで時間を気にせず動けるなら、それぞれの経由地はビザがいらないので、フラっとしてもいい。

⑤宿を決める

 フライトチケットを取得したら、現地到着のタイミングもクリアになるので、宿を予約する。これもいくつか比較検索サイトはあるが、ぼくはブッキングドットコムを使っている。宿については、首都ロメなら街の中心もいいが、ギニア湾沿いのビーチに近いところもいい。ぼくは空港からタクシーを乗り継いで3時間弱くらいのパリメという町へ行くことが多い。パリメにもたくさん宿はあるが、なかでも「Agbeviade」はいい。警備のおっちゃんを含めたスタッフが気さくで誠実、めちゃくちゃいい人たちばかりだ。

⑥ビザ申請書に記入する

 この段階まで進めば、行くことだけは固まっているから、あとはパスポートと宿の予約表をみながら書き込んでいけば終わり。申請書はコチラ↓ビザ申請書.

⑦最後にチェック

・パスポート 原本
※残存3ヶ月以上、スタンプが押されていないページが見開き2ページ以上
・イエローカード 原本
・英文残高証明書 原本
・証明写真(縦4.5cm×横3.5cm) 2枚
・宿の予約表
・ビザ申請書
・ビザ申請代金
※シングル8,500円(1回の出入国)、マルチ(複数回の出入国)11,000円
⭐︎フライトの予約表はなくてもいいが、あると親切かもしれない

 日本からみるとトーゴは遠い国のように思えるけれど、行くとみんなとの心の距離感は近めである。どこかの国のように、分断や孤立、自己責任とかの話にはならない。その人の問題はみんなの問題で、その人の楽しみはみんなの楽しみだ。そんなコミュニティが、ぼくはいいなと思っている。トーゴでの体験を、いつかこの記事を読んでいただいている方と同じにできたらいいなという下心もあって、まとめてみた。

あらためて

 旧年はアントレアフリカのブログ経由で知り合えた人も多かった。今年もできる限り更新して、新しい出会いがあれば嬉しいなと思っている。そこで、2020年最初の更新にあたり、あらためて考えていることなどをまとめておこうと思う。

 京都に生まれの京都で育った。いまはアフリカのトーゴ共和国という国での会社づくりに邁進している。トーゴを中心に住まうエウェ族と京都の染色文化の融合をディレクションしている。

 1年半前は、京都信用金庫の営業担当だった。行く先々で、これまで知らなかった京都をたくさん見た。たとえば、お世辞にも綺麗とはいえない佇まいの染色工場で、ドロドロのジーパンを履いて、爪のあいだには染料がこびりついている職人。その手が、ぼくはとても美しいと思った。翻って、アイロンのかかったスーツをパリッと着ていたぼくは、どうだったか。

 その京都の職人は、国内外のハイブランドからオファーが絶えず、モードの最高峰といわれるパリコレクションにも、多くの作品を納めていた。それでも、業況は悪かった。メーター数百円の加工賃で買い叩かれる一方で、染料の価格は値上がりし、あまりに厳しすぎる状況にあった。「先週、近所でまた廃業したとこあったわ」と何気ない会話で交わされたりする。市場から求められなければ淘汰されていくのはわかる。ただ、生活に根ざし、文化として培われてきたものが、経済的な理由だけで失われてしまっていいのか。

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 7年半前、ぼくは海を渡ってアフリカ大陸にいた。大学を休学して、当時、在留邦人が2人しか居ないトーゴ共和国へ向かった。物々交換で、ある程度の生活ができてしまうようなコミュニティが、そこにはあった。ぼくが痙攣で倒れたときも、近所のおばちゃんや子どもたちが助けてくれて、その地域に伝わる音楽をBGMにして手拍子とダンスで励ましてくれた。今ぼくが、たとえば道端で倒れたとして、声を掛けてくれる人は、果たしているだろうか。

 人間関係の豊かさのなかに、なにを大切にして生きていくかを考え直す機会もトーゴでの生活にはあった。

 ある日の昼下がり、現地の友だちが集団リンチを受けた。彼はダウン症で、まわりから悪魔だと罵られたり、唾を吐きかけられたり、体が血まみれになるまでムチで打たれたりした。そんな現実をまえに、「家も建てたいし、車にも乗りたいけれど、目の前の友だちが傷つく世の中に生きていたくない」と叫ぶ友だちとも出会った。「みんなが笑って過ごせる世界をつくる」と訴える彼の目をみて、ぼくはまたアフリカに戻る約束をした。いまぼくがトーゴで起業しているのは、彼らとのそんな時間があったからだ。

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 アフリカで会社をやっているというと、貧困に対する援助活動というニュアンスで捉えられることが多い。しかし生活を切り取ったとき、日本も同じくらいに、もしくはそれ以上に、貧困と思えるようなシーンが多くある。この世間一般の認識と、ぼく自身の体感との乖離に、ずっと違和感をもっていた。創業してから、このうまくいえない感情をどう伝えたらいいのかと考えてきた。

 最近、出会った人から「バイアスをかけた瞬間に、その人でなくなってしまう」と教えてもらったことがある。アフリカというバイアスが、そこに住まう人たちへのリスペクトを奪うことがある。ステレオタイプの「アフリカ」に対して違う角度から光をあてるためには、一次情報を届ける必要があると思った。

 現場の情報をその人の体験にしてしまえば、多様な視点から、複合的なテーマ設定で対話を重ねることができるのではないか。さらに生活の基盤となる衣食住の「衣」の延長に、ぼくたちの事業をとおして体感する「アフリカ」があれば、人類学や開発経済学の領域に留まらない何かが現れるのではないか。そしてそれは、いろんなものが見える化されて、数字に置き換えられていく世の中でこそ光を放つのではないか。

 染色文化を大切にするエウェ族と京都の職人たちの営みを、それぞれの感覚に届けるファッションを提案する。そのことは社会課題の解決みたいな、遠くて難しくて楽しくなさそうなものではなくて、もっと面白い未来に向けて、人類に一石を投じることができる可能性がある。合理的に説明できない、アフリカと京都のコラボレーションによって新たな価値を生み出し、既存の価値の概念(貨幣経済の枠組み、資本主義経済、経済至上主義みたいなやつ)を問い直すというのが、ぼくが挑戦していることだ。

 ぼくたちの生活は経済的なものだけでは語りきれない。文化的なものとか精神的なものとかも含めて、ごちゃまぜにしたようなグラデーションのなかを生きている。そういう当たり前の営みを再確認できる仲間(そんな存在をぼくたちは「DOGS」と呼ぶ)のコミュニティをつくろうとしている。人間的な、すこし泥くさいコミュニティが少しずつ大きくなれば、そこは世知辛さを感じている誰かの居場所になるし、そんな居場所があれば、きっと誰かの背中を押すことができる。ぼくたちのファッションは、その景色を実現するためにあるし、そこまで連れていってくれるプロセスを詰め込んでいる。

 今年もたくさんの人に出会えますように。

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