西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)とフランセーファの今後

前回の投稿でフランセーファについて簡単に紹介しました。

今回は、フランセーファの歴史、西アフリカ経済通貨連合(UEMOA)と西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)、そしてフランセーファの今後について簡単に記してみます。

 

フランセーファとは(歴史など)

フランセーファ(Franc CFA)は、1945年のブレトン・ウッズ協定を機に創設されました。
通貨の名前ですが、「フラン」はいまは無き「フランス・フラン(Franc francais)」から、「CFA」は「Communaute financiere africaine(アフリカ金融共同体)」というフランス語の頭文字を取ったものです。

西アフリカ経済通貨連合(UEMOA)と西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)

西アフリカ経済通貨連合(UEMOA)は、名前こそ経済通貨連合となっていますが、まだEUのような経済通貨連合にはなれておらず、経済政策は国ごとにまちまち。いわゆる通貨連合にとどまっています。加盟国は前回の記事で記したフランセーファが利用可能な以下の8か国です。

(ギニアビサウ、コートジボワール、セネガル、トーゴ、ニジェール、ブルキナファソ、ベナン、マリ共和国)

 

西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS Economic Community of West African Statesの頭文字 仏語ではCEDEAO)は、以下の西アフリカ15か国からなる機関です。

(ガーナ、カーボヴェルデ、ガンビア、ギニア、ギニアビサウ、コートジボワール、シエラレオネ、セネガル、トーゴ、ナイジェリア、ニジェール、ブルキナファソ、ベナン、マリ、リベリア)

経済共同体とありますが、現在はその理想の実現には至っておらず、実際の主たる活動は経済統合の基盤構築に向けての活動、具体的には政治的安定のための紛争解決などを行っています。先日のガンビア新大統領就任の際の動きは記憶に新しいところです。

フランセーファの今後

現在、上述のECOWASでは「ECO」という域内通貨構想を掲げています。
2020年までの実現予定で動いていましたが、先日ニジェールで開催されたECOWASの会議についての以下の記事を見るに、難しいようです。

 
West African bloc’s 2020 single currency goal fails(Vanguard)

 

まずはUEMOA域外からECOを導入し、その後UEMOAと統合という事になっていますが、仮にUEMOA域外での導入が実現できたとしても。UEMOAとの統合は難しいのではないか、と思います。UEMOAは通貨価値下落の心配が無いこのユーロ固定通貨からの脱却を望むとは思えないからです。

という事で、フランセーファは少なくとも今後10年は無くならないでしょう。

 

 

以上、何かの参考になりましたら幸いです。

 

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山田一雅

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なぜカワイイが大切なのか?『ガーナ発kawaiiコスメ』で実現させたい世界

みなさん、こんにちは!ガーナ発kawaiiコスメ作りに挑戦中の相川香菜です!

今回は私が言い続けている『ガーナ発kawaiiコスメ』に込められた意味についてご説明したいと思います!

前回ガーナの人々の着飾る事への意識の高さ、日本の人たちと変わらぬ綺麗で美しくいたいという女性達の想いについて書かせていただきましたが、今回はさらに踏み込んで、なぜkawaiiコスメである必要があるのか?を書かせていただきたいと思います!

 

ガーナから帰国した後、日本の学校にガーナ体験談を話しに行ったり、友人、知人にガーナでの生活について聞かれる事が多々ありました。

 

『ガーナどうだった?』

皆こんな風に聞いてくれるのですが、あまりに濃い2年間だったので一言で答えられるはずもなく笑、その時々によって適当に答えていました(失礼でごめんよ!笑)。

ただ話していて思うのは、みんな、私が行った事のあるガーナだから興味を持ってくれたり、話を聞いてくれようとするけど、ガーナとかアフリカそのものはやはりすごく遠い存在だと感じているのだなぁということでした。

 

私は大学時代、国際関係学部に所属しており、周りは海外に行く事が好きな人たちがばかりだったので、国際協力に興味を持っている事自体が当たり前のことだと思っていました。

しかし、大学時代以外の友人達と話していると、私のガーナでの体験や感じたことなどは、別世界のことだと感じられているように思う事が多かったです。

 

国際協力に興味が無い人の方がむしろマジョリティーなのか。

自分がいた場所がある意味特殊だったんだ。

この気づきは逆カルチャーショックでした。

そして、国際協力に興味のある一部の人たちが動いて変えようとしているのが、現状ではないかと思うようになったのです。

同時に、それはそうだよね、日本で普通に働いて、快適なものに囲まれて、平和に暮らしている方がいいもんね、と共感する部分もかなりありました。

 

国際協力に興味のある人と無い人の乖離。

 

それに気付いてからというもの、私はずっと

 

途上国に行って国際協力を志す人は自分の好きな事すべてを捨てて、自己を犠牲にして仕事に取り組まねばならないのか?

 

私がガーナで見た社会問題を解決するには、自分の幸せを犠牲にしないといけないのか?

 

自分を犠牲にした志が高い人だけにしか途上国の問題は解決できないのか?

 

自分の好きなことと国際協力は両立出来ないのか?

 

こんなことを考え続けていました。

 

それは自分自身が一番ガーナを遠く感じてしまう瞬間でした。

 

ガーナで感じた社会問題を見なかったことにすることは出来ない。

 

 

でも、同時に

可愛くいること

お化粧で綺麗になること

おしゃれな服を着ること

心ときめく好きなモノに囲まれていること

 

も大好きなことに気づきました。

 

それらは自分にとってすごくすごく大事なことだし、それを失ってしまったら私は絶対に幸せではいられない。

 

All or Nothingなんて私には絶対にできないと気付きました。

 

可愛いものが好きな普通の女の子だから

好きなものに囲まれてわくわく幸せに生きたいから

でも、ガーナがなければ今の私は絶対にいないから

異文化が与えてくれるドキドキに一生触れていたいから

 

だからこそガーナ発kawaiiコスメを通して、100%の国際協力でなくても、1%の国際協力が出来る人を100人作りたい。

 

その架け橋に私はなりたい。

 

私は自分の事業をするにあたって、自分に正直であろうと思い続けてきました。

今、私は自分の夢に向かってどこも無理をしていません。

 

好きなことに好きな場所で取り組む。

 

そのシンプルな思いしかありません。

 

日本のおしゃれ感度の高い可愛い女性達がある日、ガーナ発kawaiiコスメを目にする、初めて見たけど可愛いなぁ、使ってみようかなと思って購入してみる。

一緒に入っているリーフレットを見てみると、ガーナの女性達が生産していると書いてある。

ヘーこんなことしている会社があるんだ。面白いな。

 

こんな日が現実になれば私にとってこれ以上幸せなことはありません。

 

世界を氷山の一角ではなく全体で変えていくこと。

 

私にとってkawaiiはその為の最大の武器なのです。

(生まれたての子羊。可愛いからいつも追いかけ回していた笑)

Kana Aikawa

 

ガーナを変えるアイテムに『コスメ』を選んだ訳

 

みなさん、こんにちは!ガーナ発kawaiiコスメ作りに挑戦中の相川香菜です!

今回はいよいよなぜコスメなのか?をご説明したいと思います!

 

その前にみなさんアフリカ諸国ここでは特にガーナについてどんなイメージをお持ちですか?

 

貧困?

紛争?

サファリ?

ライオン?

チョコレート?

みんな裸で生活して、いつも踊っている?

(ガーナ体験談を話しに行った時に実際にこう言った人がいた笑)

 

いろいろと答えが出てくると思いますが、多分アフリカに行った事のない人たちにとって共通のイメージとしてあるのは『貧困』なのだと思います。

確かに日本に比べたら現金収入を得られる方法はかなり限られているし、物質的に無いものがたくさんあります。

 

そして『貧困』と一緒に思いつくのか『かわいそう』とか『粗末』とか『汚い』という言葉だったりするのではないでしょうか。

 

では、ガーナの人々は『かわいそう』で『粗末』なものばかりを身につけて、『汚い』格好をしているのでしょうか?

 

 

実際に現地に行ってみて感じたのは、これらのイメージとは全く真逆のものでした。ガーナの人々は、『貧困』であるからこそ『きちんとした』服装を身につけ、『綺麗で』いようとしています。そしてかなり?結構プライドが高い国民性であると思います。

貧しいから汚い格好でも仕方ないじゃない、お金がないんだもの、ということには決してならない。

 

むしろガーナ国内で活動していたJICA青年海外協力隊の隊員達のほうが、ガーナにいるんだから日本で出来ない格好をしようと思い切った行動に出ている人が多かったです。女性隊員でも丸刈りにしちゃう人とか、日本だったら完全アウトな長髪とのび放題の髭で過ごす男性隊員とか。

かく言う私も砂埃の中バイクに乗らないといけないので、最初はコンタクトレンズを使っていたのがいつの間にか眼鏡になり、ガーナ北部のタマレ周辺ではシャンプーは全く手に入らないので(首都アクラにある外国人向けスーパーでは入手可能)、髪の毛はいつも無印良品の髪切りばさみでめちゃめちゃにセルフカットしていました。

お風呂、というか土壁の囲いの中での行水なので、お化粧という概念すら忘れつつりました。

 

そんな風に日常を過ごす中、私がアイロンがけのされていないしわくちゃのガーナ服を着ていくようなことがあると、学校の先生達に

「アイロン持ってないのか?!持ってないなら生徒達にかけさせたらいいんだよ!」

と生徒の1人を呼ぼうとしたり、私が伸びてきた髪の毛をそろそろ切らないとなーと言うと

「黒くてまっすぐで綺麗な髪の毛なのになんで切るの!?いらないならちょうだい!」と言われたりしました。

また私が日焼け止めを塗っていたりすると、女性たちが「何を使っているの?日本製?それを使ったらマダムみたいに白くて綺麗な肌になれるの?」と興味津々に質問攻めにされました。

 

ガーナで私たち隊員が月額頂いていた生活費は400USドル(日本円にして約4万円)でしたが、ガーナの人々は日常的にアフリカ布で仕立てた服を着ており、それを完成させるのに高いものでは6ヤードの布代4,000円と、仕立て代に1,000円ほどかかることもあります。4万円のうちの5,000円と言えば、日本のお給料に換算すれば、20万円のうちの2万5千円にあたります。

 

服飾費と言えば、日本の人々の間でも個人差がかなり大きい出費項目です。

ファッションにこだわりのある人は無理してでもこだわりのある高い服を買おうとするだろうし、それほど興味のない人にとっては、必要な分だけ数着あれば事足りるという感じだと思います。

 

この着飾るということについては、ガーナの人々はかなりこだわりがありました。女性達が色とりどりのアフリカ布の服を身にまとうのはもちろん、男性達もアフリカ布で仕立てたシャツをおしゃれに着こなしていました。

 

(結婚式に出席した時の写真)

そして美容面では、タマレでも入手可能なすっごく匂いのきついボディクリームや香水などをよくつけていました。

 

私は、昔から入浴剤やボディケア用品がすごく好きだったこと、またそれまで当たり前のアイテムとして使用していたボディ、スキン、ヘアケア用品が全然手に入らない事への渇望から、タマレに行くとしょっちゅう使えそうなアイテムはないかと目を光らせていました。

 

私が見る限り、大半の製品はヨーロッパか南アフリカからの輸入物で、村の人々にとってはかなりの高額(日本円にして500円〜1,000円くらい)で売られていました。

私は危なくなさそうな製品を試しに買ってみては、自分の体で実験してみるということを繰り返していました。輸入物の中にはガーナならではの原材料を使って、使い心地のよいものになっている商品はほぼなく、ガーナには有名コスメブランドが使用しているシアバターやカカオバターなどたくさんのいい材料があるのにもったいないなと常々思っていました。

 

そして、ガーナの女性達の高い美意識、貧するからこその誇り高さを実感するにつれ、

 

ガーナで入手可能な原材料を使った化粧品があればいいのに、

美しく綺麗でいたいと思う気持ちは世界中の女性に共通なのに

 

と思うようになっていきました。

 

今は何を馬鹿な事を言ってるんだと思われるかもしれません。

でも、私はこのガーナ発kawaiiコスメをガーナ人なら誰もが知っている化粧品に成長させ、ガーナを代表する化粧品会社になる、と決意しています。当面は日本での販売を想定していますが、いつかガーナの人たちがこの化粧品を手にして、自分たちの国で作った誇りある化粧品だと、美しく綺麗でいたいという女性達の変わらぬ想いに応えられる日が必ず来ると信じて、私のライフワークとしてこの事業に一生をかけて取り組んでいきたいと思います。

 

次回もなぜコスメなのか?の続きを書かせていただこうと思います!

 

Kana Aikawa

なぜビジネスなのか?ガーナで初めて気付いた経営の神様の水道哲学の功績

みなさん、こんにちは!ガーナ発kawaiiコスメ作りに挑戦中の相川香菜です!

今日は、これまで書いてきたガーナの社会問題を解決する方法としてなぜ私が『ビジネス』という手法を選んだのか書かせていただきたいと思います!

今でこそ、こうして起業家という立場でブログを書かせていただいている私ですが、正直ガーナに行くまではビジネスには全く興味がありませんでした笑。

むしろ、私の事業家に対するイメージはお金儲けにだけ興味のある人々という最悪のもので、金銭的な見返りを求めず国際協力を行っている人々の方が尊いと勝手に決めつけていました。本当に失礼な奴だなぁと今更ながら思います。

そんな狭い視野の中で生きてきた私が、

今まさに起業家になろうとしているのは、なぜなのか?

 

唐突ですが、みなさん経営の神様こと松下幸之助氏(松下電器(現Panasonic)創業者)の『水道哲学』ってご存知ですか?

(各家庭には水道がまだ来ていないので、村に4カ所ほどある水汲み場で毎日水を汲む。

子ども達はみんな手伝ってくれる。)

多分このブログを読んでいらっしゃる皆さんのほうがよほど経営学に明るいと思うのでそんなの常識さ!と言われるかもしれませんが、1932年に松下幸之助氏が発表した「良質廉価な製品を水道水のように世の中に無尽蔵たらしめよう!」という理念のことです。

ガーナに赴任する前の大学時代、この文章を最初に読んだ時、私は(ふーん、そうなんや。で、なんで皆がこれをすごいって言うの?)と感じました。笑

経営の神様に対してなんと失礼な!笑

 

でも、今にして思えば当然かなとも思います。

水道哲学が発表されたのは1932年。

私が生まれたのはそれから53年後の1985年。この年何があったかと言うと、ドル高是正の為にG5(日・米・英・独・仏)諸国がプラザ合意に締結し、阪神が21年ぶりに優勝しました。(阪神優勝はこの話に関係ない笑。)プラザ合意についての詳しい説明は他の賢いサイトにお任せするとして笑、私がここで強調したいことは、日本は1985年には立派に先進5カ国であるG5のメンバーに入っており、世界の為替市場に影響力を及ぼす強い立場を堅持していたと言うことです。

そんな時代に生まれ育った私は、当然生まれた時からテレビ、クーラー、冷蔵庫、洗濯機といった家電は既にすべて揃っており、成長するにつれ、テレビゲーム、ポケベル、スマホと電化製品の性能向上と共に歩んできました。

 

そんなあまちゃんだった私がガーナに行って、苦労しないはずもなく、最初は(いや最後まで笑)

 

洗濯機が欲しいよー、手洗い洗濯するだけで1日が終わるよー泣。

 

クーラーが欲しいよー、暑いよー。でも電気も止まってるよー。

 

中国製のミキサー買ったら、煙が出て逆回転を始めたよー。ミキサーで死にたくないよー。

 

市場で1本10円の乾電池買ったら、1週間でなくなったよー。夏のセミと同じ寿命だよー。また懐中電灯使えないよー。

 

と思うばかりの日々でした。

 

そんな実体験を通して、ある日気付いたのです。

 

自分のそれまでの生活がどれほどの先人達の努力の上に成り立っていたか。

当たり前だと思っていたクーラーも、洗濯機も、ミキサーも、乾電池も、みんなが手に入れられる値段で、安全に使える製品を提供してくれている人たちのものすごい努力があったからなんだと。

 

『分かる』と『気付く』には、本当に大きな大きな違いがあると思います。

それまでの私は、日本語だからもちろん『水道哲学』を分かってはいたけれど、その言葉の背景に全く気付いてもいなかったのです。

 

そしてその2年間の経験を通して、『安心して使える製品を企業が世の中に提供していること自体が既に社会貢献活動なのだ』と初めて気付いたのです。

 

 

そしてその努力が正当に評価され、報酬を頂くことは組織が永続していく為には必要なことなのだと。

 

あまりにモノに恵まれていて、私は本当に何も分かっていませんでした。

いい商品を提供できるという大前提の上に成り立つ表層の競争だけを見て『金儲け』だと勝手に決めつけていたのです。

 

ガーナに2年間住んでみて良かったことの1つにタイムマシンの力を借りずにタイムトリップが出来た事があります。私が経験したガーナでの2年間の生活はもしかしたら1932年の世界に近い部分があるのかもしれません。

そのせいか、帰国後は私の祖父母世代の方々とやたらと話が合うようになり、高齢者には今時珍しい子だとモテるようになりました笑。きっと、そんな生活をしないと未熟な私には気付けないことばかりだっただろうと思います。

 

 

今の日本にはありすぎるくらいモノがあふれています。

『水道哲学』がもはや現実のものになり飽和していること、日本でモノを売ることがどれほど大変なことかも私なりに覚悟しています。

だけど、やはりガーナ発のkawaiiコスメでやりたい事があるから、その商品を通して実現させたい世界があるから壮大な夢を心から信じて、突き進んでいきたいと思います。本気のモノ作りは受け取る側にも絶対に伝わるから。

 

それでは次回はなぜコスメ作りなのか?

私のキャッチフレーズである『ガーナ発kawaiiコスメ〜世界の女性を強く美しく!〜』の意味をご説明したいと思います!

 

 

Kana Aikawa

企てる楽しみと起業について

みなさん、こんにちは!ガーナ発kawaiiコスメ作りに挑戦中の相川香菜です!

この10月で私、おかげさまで32歳になりました!といっても、特別なことも何もないのですが笑、ガーナで過ごした2年分の誕生日の過ごし方がなかなか印象深かったのでご紹介しつつ、今回は企てることの楽しさについて書かせていただきたいと思います!

私は、25歳と26歳の誕生日をガーナで迎えたのですが、ガーナ到着後ちょうど4ヶ月後くらいに1年目の誕生日を迎えることになりました。

村の人たちに誕生日はみんなどうやって祝うの?と聞くと、ここでは誕生日の人がみんなをもてなすんだよと教えてくれました。

 

(ヘー!そうなのかー!だったら私が日頃お世話になっているみんなをもてなそう!)と決めるやいなや、近所に住む職業訓練校の生徒達に助けを求め、

「自分の誕生日にご飯を作って、みんなを呼びたいからご飯を作るの手伝って!もちろんご飯いっぱい食べていいから!」

というと、

その中の1人のMemunatu(メムナトゥ)が

「いいわよ。お祝いなんだからお肉も用意してちょうだいね!」というので、

「そっかー!肉だね!じゃあせっかくだし、生きたの買って私が絞めるよ!」と言うと、またトゥンテーヤ(私の現地語の名前)がおかしな事言い出した、

ほんとに出来るの?という顔で

「まぁとにかくみんなでご飯は手伝うから」と言ってくれました。

 

ということで早速、お肉になるホロホロ鳥を売ってくれるようにホストファミリー先のお父さんに頼みに行きました。すると、ここはイスラム教の人が多いから(ガーナ北部の州はイスラム教を信仰する人が約9割を占める)、女性が家畜を殺すことは出来ないし、外国人という事で絞めたとしてもイスラム教信者でない私がするとイスラム教の人たちはお肉を食べる事が出来ないから止めておきなさいと諭されました。

でも、私はいつも頂いているお肉がどうやって出来ているのか知る事が私にはどうしても必要で日本では絶対に出来ない経験だから絶対にさせて欲しいと粘りました。するとホストファミリーのお父さんは、そこまで言うなら2羽買って、1羽は自分で絞めて日本人の友達たちと一緒に食べなさい、もう1羽は息子に絞めさせるから、それを村の人たちで分けたらいいと提案してくれ、その通りにすることにしました。

(これから食べられるホロホロ鳥さんコンビと三男坊のアイザック)

当日、ご飯の準備はばっちりで、後はいよいよ私がホロホロ鳥と戦う番になりました。初めて身近に見るホロホロ鳥。じっと見つめ、(ごめんなさい。)と言いながら包丁をのど元に立てました。当たり前ですが、血が出ています。それを見てビビる私。そしてびびりながら切っているので、全くとどめをさす事が出来ません。それを見かねたホストファミリーの三男坊Issac(アイザック)が「もっと強く!早くしないと可哀想だろ!」というので、余計に焦る私。最後はホロホロ鳥の断末魔の鳴き声よりも大声を出して(うわぁぁーーー!)と叫びながら必死で絞めました。終わった後は手が震えていました。

(そのホロホロ鳥と落花生、トマトなどで作ったスープとケンケ(トウモロコシを水で練って固めたものを葉っぱで包んで発酵させた酸っぱい主食の一種))

 

(誕生日メッセージをみんなに書いてもらった自作ノートとプレゼントのNeat Fufu(ニートフフ)。ニートフフはガーナのカップ麺的な感じかなぁ。またいつか話そう笑)

こうして1年目の誕生日会は近くの職業訓練校の教室を借りて、皆で仲良くご飯を食べて終わりました。

 

2年目の誕生日は現地にもさらに慣れてきたので、よし!日本の文化も紹介しつつ誕生日会を開催しようと決め、日本の夏祭りと夜店を再現する事を決めました。

日本の家族からヨーヨー釣りのためのヨーヨーだけは送ってもらい、残りの出し物の輪投げやボール入れ、くじ引きなどのゲームは夜な夜な1人で作っていきました。そしてタマレ在住の隊員のなっちゃんに浴衣を借りて着付けてもらい準備万端となりました。当日は、子ども達だけでなく、大人達も無邪気に遊んでくれ、とても楽しい誕生日となりました。

(きのこハウスと浴衣。合成写真感満載だな笑)

(誰よりも無邪気に折り紙で遊ぶベテランの小学校の先生笑)

こんな風に誕生日会を企画したり、授業準備でも生徒が登場する教材を作って、生徒達が驚く様子を楽しんだり、私は何かを企てている時いつもわくわくが止まりませんでした。夢中で道具や教材を作っていました。

 

学校での授業は大変で辛い事も多かったけど、部屋で1人で密かにたくらんで(ちょっと怪しい笑)、みんなの反応を想像しながら、何かを作ったりしている時間はとてもとても楽しかったのです。そして、日本に帰ってもずっとこんなことができたらなぁと考えていた時の気持ちを今でも鮮明に覚えています。

起業するということは、自分たちでしなければいけないことのオンパレードなのだと思います。きっと苦労の連続でしょう。でも、多分それは私にとっては、ガーナで1人企んでいたことの延長上にあるのだと思います。

ガーナのみんなや日本のみんなを巻き込んで、楽しい企てを実現させたい。

もちろんガーナで解決したい社会問題もたくさんあります。

でも、やはりワクワクできないことを一生続ける事はできないと思うから、企ててみんなの反応を見て、それを見て喜ぶという純粋な遊び心を大切にしたいなと思います。

 

今、私の頭にはたくさんの企てがあります。早く実現したくて、形になっているところが見てみたくてうずうずするものばかりです。

商品作りにおいても、お客様や従業員のみんなを巻き込んだイベントにおいても、少しずつ楽しみながら形にしていければいいなぁと思っています。

ですので、是非ともみなさんも私と一緒にわくわくしながら夢に参加してくださいね!

 

Kana Aikawa

ガーナでの起業を考え始めたきっかけ 仕事に対する私の考え

みなさん、こんにちは!

ガーナ発kawaiiコスメ作り挑戦中の相川香菜です!

今回はガーナで企業を思い立ったエピソードの3つ目をお話したいと思います!

今回のお話はかなり辛口というか、愚痴ぽい話になってしまうかもしれませんがご了承ください笑。

 

私はガーナでの2年間の活動中、合計4校の小学校を巡回して算数、英語、日本語、図画工作、衛生についての授業などを教師として行っていました。

1学期間まるまる1つの学校にいて、それを4回行うというイメージです。

学校は住んでいる村周辺にあるすべて公立の小学校でした。

 

到着後すぐに授業を行う事になったのは、住んでいるモデュア村にある小学校です。最初は意欲満々であれもしたい、これもしたいと思っていたのですが、すぐに現実に打ちのめされることになります。

 

まず先生が時間通りに学校に来ないのです。

8時から授業が始まると聞いていた私は、7時半頃学校に着きました。

7時45分になりました。誰も来ない。

8時になりました。誰も来ない。

 

一体いつになったら来るのか。

 

では生徒たちはどうかと言うと、来ているのです。

7時半には生徒達は来ていて、ほうきで庭や教室を掃除したり、草むしりをしていました。

でも先生達は誰も来ていませんでした。

 

9時前ごろになりようやく校長先生が来ました。

「8時からって聞いてたからずっと待ってました。何かあったんですか?」

と私は少し怒り気味に聞きました。

 

すると先生はいつも通りといった風に

「新学年が始まったばかりだから生徒たちに庭の草むしりや掃除をするよう言っていたんだ。これが終わったら明日以降授業が始まるよ」

と答えました。

 

それを聞いて私は、教師が来てないのに生徒達だけで掃除を行わせるなんて、日本だとあり得ないよなーと心の中で思いながらも、明日には授業が行えるだろうと思っていました。

後にガーナ人のいう”tomorrow”は文字通りの「明日」ではなく、「明日以降」という広すぎる意味だと理解することになります笑。

 

 

私は校長先生との話し合いの結果、一番英語を理解してくれるであろう小学校6年生の教室のお手伝いをすることになっていました。

 

そう当初の予定では「お手伝い」のはずでした。

でも、実際に学校が始まってみると6年生の担任の先生が来ないのです。

私は再び校長先生に聞きにいきました。

 

「6年生の先生が来ないです。いつになったら来るんですか?」

すると校長先生は

「あぁ、そういえばSaaka(サーカ)先生は国勢調査*の調査員に選ばれていたから1週間ほどは来れないな。その間キミが授業代わりにやっておいて」と言いました。

(*ガーナでは日本のように誰もが文字を読める訳でないので、紙を配って調査するのではなく、文字の読み書きができる調査員が各家庭を廻って聞き取りながら国勢調査を行う)

 

それを聞いた私は、(そんなの前から知ってたでしょー!? ガーナに着いてわずか3ヶ月ばかりで現地語も出来ないし、いきなり1人で教えるとか無理だよ!)と思いました。

でも、出来ないばかり言っていても仕方ないと思い直し、

「急に1人は無理なので、校長先生一緒についてきてください。そして私の話が通じてなかったらサポートしてください」と言うと、先生は

「小学校1、2年生の先生達がまだ来ていなくてそちらの教室に行かないといけないから、少ししたら様子を見に行くからなんとかやっておいて」

と言われ、途方にくれながら仕方なく1人で教室に向かいました。

教室に入ると、40人以上の生徒達が一斉に私を見つめました。

(わー!あの最近やってきた外国人のトゥンテーヤだ!何してくれんだろう!)

という期待感をひしひし感じました。

とりあえず英語で自己紹介をしてみました。みんな、ぽかーんと私の顔を見つめていました。

次に現地語のダバニ語で自己紹介すると、うんうんと分かってくれたようです。

まず何を教えたらいいか分からなかったので、今日は何の授業するの?と聞くと答えらしい答えは返ってきませんでした。

仕方が無いので、英語の教科書を開いてもらい1人の生徒に音読してもらうことにしました。

ほとんどの単語を読む事ができませんでした。また別の生徒に音読をさせてみても結果は同じ。

どうしようもなくなって、私の後に音読をするように身振り手振りで伝え、2ページほどをなんとか読み終えると予想外以上の学力に焦り、私は汗だくになっていました。

その後もとりあえずこの子達の学力を見ようと思い、6年生なので簡単な割り算の問題を黒板に書いてみました。解けませんでした。

2桁同士のかけ算の問題を書いてみました。やはり解けません。

さすがに2桁同士の足し算は出来るだろうと思い黒板に書くと、指を必死におり始めました。

あぁ、本当の本当にこのレベルが出来ないんだ。。

私は、小学校6年生という前提を一切忘れることを心に決めました。

 

その後、2年間ガーナ村落部の小学校の様子を見てきましたが、どこも学力状況は同じようなものでした。

またこの最初の1週間だけ1人で授業をしていたかというと、決してそんな訳ではなく、日本のように時間通りに教室に来て、私を「補佐」してくれる先生はほとんど現れず、結局悪戦苦闘しながら1人で授業を行う事が大半でした。

 

9時、10時頃になってようやくふらっと現れる先生、急に何の連絡もなく無断欠勤する先生、強めの雨が降った時にはひとりも先生達が来ず、生徒達は学校に来ているので学校に私1人の事もありました。

また私が先生達の力を借りて、ゴミを捨てないようにしようという啓発活動の紙芝居を実施しようとしていると、

「では、教室に2人も教師はいらないから私は失礼するね」

とガーナ人教師に帰られたこともありました。

 

日本であれば、短期で外国人教師が授業をしにきて、教室に1人で置き去りにするということなどあり得ないと思います。

ましてやここでは小学生の子ども達は英語もままならず、地元民族が話すダバニ語を話さないと意思の疎通が難しいのです。

私がダバニ語を十分に話せないと分かった上での置き去りでした。

私は呆れを通り越して憤りを覚えました。

 

そんな経験を通して自分が学校にいる事がかえって教師達を怠けさせることにつながっているのではないか、自分はここにいない方がいいのではないか、と何度も思ったこともありました。

 

でも、私には2年間という限られた時間しかなく、いざ学校に行って教師達がいない教室で待ちぼうけている生徒達を見ていると、責任感の強さが勝って結局試行錯誤1人で授業することになるのでした。

 

せっかく高い学歴を持って教師という社会的責任がある職業についている人たちがこんなにやる気が無いのは、いったい何故なんだろう?

当時はこんなに冷静に考えることは出来ませんでしたが、今はただただ疑問に思います。

 

その答えは未だに出ていません。

 

 

なるべく働きたくないから?

なるべく楽してお金を貰いたいから?

頑張ってやっても頑張らなくても違いはないから?

 

2年間いても結局分かりませんでした。

 

でも、ひとつ分かったことがあります。

損得勘定でなく、興味関心だけで動く子ども達の方がずっと変化のスピードは早く、大人達は自分のメリットになると判断するまでは絶対動かない

ということです。

 

だったら、それでいいやと今は思っています。

 

メリットを見せないと動かないのであれば、私はガーナで調達できる原材料を使って、kawaiiコスメを企画販売し、日本のお客様にわくわくする商品を届け、その売り上げを従業員たち、地元地域、株主さんなどすべてのステークホルダーたちに還元する。

 

ガーナだから、途上国だからって中途半端なダサいものは絶対に作らない。

国際協力でアピールする商品じゃなくて、他の普通に可愛い商品と並べて選んでもらえるものを作りたい。

本気の仕事で、人の心を動かす。

そんな真摯に仕事に取り組む姿勢を見せ、変化を見せる事でしか、大人達の心を動かす事は出来ないのではないかと思っています。

 

 

私は仕事をすることはお金の為だけでは無いと思うし、かといって労働の対価が不当に扱われていいものでもないとも思います。1人1人の労働が正当に評価され、それぞれが自分らくし働ける場所を作ること、その結果仕事を通して自尊心や自信をつけて貰えたらそれに勝る喜びはありません。

 

3回にわたって起業の動機について書いてきましたが、思い返してみると私はガーナで怒ってばかりだったなと思います笑。

こんなのあり得ない?!なんで?と思ってばかりの毎日でした。

でも今思うと起業したいという自分を突き動かしているのは何よりも『怒り』ではないかと思います。もしかすると、そのエネルギーの強さは、喜びよりもどんな感情よりも強いかもしれません。

なんでこんな現実があるのだ。ムカつく。あり得ない。

そんなことを感じてばかりの毎日でした。

 

けれど、そんな現実を1ミリでもいいから良い方向に変えたくて、その変化を自分の目で実際に見続けていたいから、私は突き進んでいきたいのだと思います。

(写真は、テストの成績上位者に手作りのメダルを渡した時のものと、私が作成した教材を頑張って解いてくれる生徒の様子です)

 

Kana Aikawa

ガーナでの起業を考え始めたきっかけ 教育の視点から

みなさん、こんにちは!

ガーナ発kawaiiコスメ作りを目指す相川香菜です!

今回はガーナにて起業を考え始めたきっかけの2つ目のエピソードをお話ししたいと思います。

 

私は2年間の活動中、合計4校の小学校を巡回して教師として授業を行うという活動と、シアバター生産(後述予定)についての活動を行っていました。

小学校での授業を終えてバイクで帰宅していたある日、近くの村の高校生に

「Madam Tunteeya(マダム・トゥンテーヤ=私の現地でのダバニ語の名前)、ちょっと相談があります!」

と呼び止められました。

 

なんだ、なんだと思ってバイクを止めると彼は深刻そうな顔つきで

 

「僕、高校を辞めようと思います。」

と言いました。

 

私はかなりびっくりしてしまいました。なぜならこのガーナ北部州の村から高校に進学している事は、日本で高校に進学していることとは訳が違うからです。

私はとっさに(もったいない!辞めないように説得しなくては!)と思い、彼にそのまま伝えました。

すると生徒は、

「学校の授業についていけないし、家に帰って農業を手伝おうと思います」

と言いました。

授業についていけないという言葉を聞き、私は(あぁそうだろうな)と納得すると同時にとても悲しい気持ちになりました。

私が教えていたのは小学生達だけですが、文字を書く事すらかなり遅くその上スペルミスだらけだったり、小学校6年になってもかけ算を言えない子、簡単な四則計算ですら間違う子どもたちをたくさん見てきたので、高校生の彼が授業についていけないというのは、全く疑問を感じないことでした。高校生になっても多分基礎的な計算、読み書き力もそれほど身に付いていないのだと思います。

しかしそうだとしても、ガーナで高校を卒業したという資格は貴重なものだし、教育は続けていって欲しかったので、

「もったいないよ!せっかく高校まで進学できているんだから頑張りなよ!」

と必死に言いました。

 

しかし、その時私は自分の言葉にはっとしました。

 

私は自分の価値観で教育を勧めているけれど、彼の家で農作業の担い手が必要なのは本当の事だろうし、これだけ教育の大切さを説いているけれど、果たして私は、彼の卒業後の進路に責任を持てるのか?と。

 

日本であれば、学校を出れば受け皿になる民間企業がたくさんあります。

私は残念ながら就活失敗組(笑)だけれど、大学の友人達は大手企業に就職を華々しく決めて働いていました。

けれど、ガーナでいい学校を出て、みんなどこに就職していくんだろう。

今この子に高校に居続けることを勧めても、企業のひとつでも紹介出来る訳でないのに。だとしたら、このまま家の農業を手伝う方が、労働力が増えてマシな選択だと考えるのはもっともだよな、と思いました。

 

それでも、やはり諦めきれず、

「辞めないで。きっといつか高校を出ていて良かったと思う日がくるから」

とそれだけ伝え、私は村に戻りました。

 

 

 

 

その後、人づてに彼が高校を退学したことを知りました。

 

 

ボランティアでガーナに来ていて自分の無力さを痛感した瞬間でした。

自分が特別すごいとか、何か大きなことをしてやろうと思っていた訳ではありません。ただ、ガーナ人でなくわざわざ外国人である私に相談したのは、最後の最後のSOSのサインだったんだろうなと思うと、やはり言いようのない無力感に恐れました。

 

しかし、今でも私は教育の力を強く信じています。

 

祖父母や母親が教師をしていたからかもしれません。

でも、多分それだけでなく、教育が人生の可能性を開く唯一の平等なチャンスだと信じているからです。

 

自分の事業で変化をもたらせる相手は誰が一番嬉しいか?

 

この質問に私は即答できます。

 

「私が住んでいた村の子どもたち」

 

これからガーナも選択の余地無くさらなる世界の急激な変化の波に飲み込まれていくでしょう。

でも、たとえ世界がどんな風になったとしても、自分の力で自分の人生を切り開いて行く力を身につけて欲しい。

 

だからこそ、ガーナに産業を作りたい、高い教育を受けた人が、卒業後の目標となるような企業をひとつでもいいから生み出したい。

 

それが私が事業をする意義であり、存在理由です。

(写真は隣村のKpillo/Napagyili(ピロ・ナパイレ)小学校の1つの教室の様子。生徒数が多くなりすぎたので仮設の教室です。)

Kana Aikawa

ガーナでの起業を考え始めたきっかけ

みなさん、こんにちは!ガーナ発kawaiiコスメ作りに挑戦中の相川香菜です!

今回からは数回にわたって事業を始めようと思い始めたエピソードについてお話したいと思います!

前回お話したように、牧歌的なガーナ北部の村に村の人たちと同じような生活をしながら活動する事になった私ですが、村に到着後一番始めに言われたことがありました。

(写真は私のホームステイ中の部屋)

それは

「日本政府のお金を使って村の未完成の職業訓練校の寮を完成させて欲しい」

と言う事でした。

 

到着間もない私には、よく意味が分からず言われるがままにホームステイしていた家の兄弟たちの後について寮を見に行きました。見に行くと言っても、着いてみると自分の家の目の前にある寮でした笑。

 

現場を見てみると確かに、建物の枠組みは出来ているけれど、窓はないし、ドアもないし、天井が無いところもあるしという状態で、生徒達がとても住める状態にはなっていませんでした。

(ちょっと分かりにくいですが、写真左手の奥の建物が寮です)

どうしてこんな事になったの?

と尋ねると、英語の良くできる次男のAndrewsが経緯を話してくれました。

 

この学校の名前はKofi Annan Vocational School (コフィ・アナン職業訓練校)というのですが、なぜ国連事務総長を1997年から2006年まで勤めたガーナ出身のコフィ・アナン氏の名前がついているかと言うと、このガーナ北部の村にコフィ・アナン氏が実際に訪問されたからです!その話を聞いた私は、まるでトップアイドルがその場所を訪れたように興奮しました!笑 国際関係学を勉強していた者にとっては、国連で働くことは一種憧れのようなもので、そのトップであったコフィ・アナンさんはやはりすごい雲の上の存在でした。

そんな人がここを訪れたなんて!

(写真はKofi Annan Vocational School (コフィ・アナン職業訓練校))

正直、あんまりよく分かっていなかった話に一気に興味を持った私は、

なんでコフィ・アナンさんが来たの?なんで?なんで?

と興奮気味に聞きました。

すると、アンドリューは、

私の配属先でもある地元NGOが活発に活動を行っていたため注目を集め、ガーナの中でも特に貧困度が高いと言われている北部州の村の1つを訪れることになり、その内の1つがNwodua村であったことを教えてくれました。

それを聞いた私は、(あー!そんなすごい瞬間にここにいたかったなー!)と強烈に思いました。

そして、モヂュア村を訪れたコフィ・アナン氏は、都市から交通の便のよくないこの村に生徒達が安心して住める寮が必要だという話に共感し、寮建設のための資金をUNICEFから出資することを約束し、資金が援助されたのでした。

 

ではなぜ、潤沢な資金が与えられたのに寮が完成しなかったのか尋ねると、

建設中にお金が底をついてしまった

と切なそうに教えてくれました。

 

だから、完成させる為に私の力で日本政府のお金をもらってきて完成させて欲しいということのが話の顛末でした。

 

これを聞いた私は、(私の来た目的を勘違いされているなぁ。。私はだたのボランティアで偉くもなんともないし、そんな力ないよ。)ととまどいました。

 

それと同時に、母親がずっと続けていたUNICEF等への援助が、最終的にこんな結果になっていることもあるのかと知りショックでした。

もちろん、2年間の活動で学校現場で実際に活かされている教材などもたくさん見てきました。ただ、私が見た未完成の寮も事実は事実です。

 

当時村にいた訳でもないし、なぜお金が底をついてしまったのか詳しく聞いてもそれほど理解できる答えは得られませんでした。

 

なので、ここから先は私の完全なる推測になるのですが、村人達が悪意を持ってお金を私用に使ってなくなったのではなく、そもそも大きな建設物を建てるということは、かなりの計画性を必要とする作業だからではないかと後になって思うようになりました。

帰国してから、大手建設会社で働いている人に話を聞く機会があったのですが、日本の会社にはまず予算を立てる部署があり、建物を建てる前にそこでまず予算を立てるそうです。そしてその部署はひたすら予算を立て続けるとのこと。それも1級、2級建築士の資格を持った方々が行うのです。

 

ガーナの村人達にはおそらくこのような緻密な予算計画はなかったはずです。

そして村人達が大工さんなどを呼んできて工事が始まったのだろうと思います。雨が降ったり、職人さんが農作業に行ってたまに来てくれなかったり、途中までの完成を祝って皆でジョロフライス(ガーナのトマト味の炊き込みご飯。美味です)を食べて労働をいたわり合ったり、途中までの完成を喜んで大工さん達にジュースを振る舞ったり、そんな日が何十、何百日と続き、気づいたらいつの間にか予算がなくなっていた笑

というようなことではないかと思います。

 

(えぇ?ちょっと!?まだ完成していなのに、お金ないよ?!どうするんだよ?!)

となって初めて予算では間に合わなかったことに気づいたのではないかと思います。

 

ちなみにガーナ国内をバスなどで移動していると、未完成の建物をしばしば目にします。数えた事はないですが、大平原にぽつんといきなり大型の未完の建物が現れるので、結構目立ちます。

 

またガーナで友人達と話していると、建物の建て方に対して、そもそも最初から全て完成させるという感覚は持っていないようだとも感じました。

 

例えば、最終的に6部屋分建てたい家があったとしたら、3分の1の2部屋が完成した時点でなんと住み始めてしまうのです。そして、お金が入ったら、残りの工事を進めていくと言う感じです。

 

寮の場合、個人の家と違ったのは、規模の大きさと建築資金が一気に与えられてしまったということです。それが結果的に未完成の寮を生む結果になってしまったのだと思います。

 

では、職業訓練学校に通う生徒たちはどこに住んでいるかというと、昔ながらの下記のような家です笑。(家庭訪問の時に小学校の生徒の家を撮影)

結局はそこに落ち着くのなら、きのこ(見かけがキノコのようで可愛らしいから勝手に命名)を20棟くらい建てればよかったんじゃないかなーと心の中で思いました。

 

この出来事を通して私が感じた事は、資金を上手く活かすには、マネジメント能力も必ず必要とされるということ。

また人から棚ぼた的にもらったお金ではどうしても責任の所在があやふやになってしまうこと。

逆に自分で稼いだお金には絶対的に責任感が生まれる。

という事でした。

 

私の目指す事業では、資金を援助するのではなく、ガーナ発のkawaiiコスメを企画、生産販売し、その利益をまずは従業員、そしてゆくゆくは村の全体の生活の質向上に還元できるような循環を生み出していきたいと思っています。

援助金と異なる点は、それは「自分たちの手で稼いだお金」だと言う事です。

自分の手で稼いだお金をどのように使っていくか、その変化も見届けたいというのも私がビジネスという手法を選んだ理由の1つでもあります。

 

※今回書いた内容は私が体験した経験の1つにすぎず、全ての援助金がこのような使われ方をされている訳ではないことをどうぞご承知おきください。

 

Kana Aikawa

ガーナ到着直後のカルチャーショック体験

みなさん、こんにちは!

ガーナ発kawaiiコスメ作りを目指す相川香菜です!今回は起業をしようと思うに至ったガーナでの出来事を話そうと思っていました。しかしながら、その前に私が現地でどのような生活を送っていたのかお話しないと、起業のきっかけをお話するのも難しいと気づいたので、今回は当時を振り返りながら現地での生活の様子をレポートしたいと思います!

 

2010年6月JICA青年海外協力隊の村落開発普及員としての派遣が決まりガーナに赴きました。

ガーナでの私の要請内容(合格通知に書かれていた仕事内容)は現地NGOに配属され、地域の住民の生活の質の向上、女性達の収入向上、啓発活動などを行う、というものでした。

これだけの情報で正直何をしたらいいんだろう?と当時の私は思っていました。

2年間という人生の中の決して短くはない期間を費やすには、要請内容のたった1枚の紙に書かれた情報量ではあまりに少なすぎて不安で、派遣までの期間、ネットや本などで自分なりに色々調べてみましたが、得られる情報はとても限られていました。

また『収入向上』というキーワードがあったため、ガーナ協力隊OB・OGとして事業をされている方に話を聞いたりもしました。

色々な情報を調べていると、ある日ネットサーフィン中誰かのブログに、写真付きでガーナの土壁ハウス!トイレも外!すごい!みたいな内容の記事があり、(まさか、こんなとこには住まないよなー、こんな所に行く人はすごいなー。ウルルン滞在記みたい!)と無邪気に思っていました。

 

現地に行ってみると、トップの写真を見て頂いたら想像がつくかもしれませんが、私の家こそがまさにそのような家でした。笑

 

ガーナ到着後、最初に行われるのがホームステイプログラムです。

いきなり1人で現地の家に住むのではなく、家庭生活を通して活動を行っていく地域に馴染み人間関係を築いていくというのが目的です。

その際にJICA事務所で各自のホームステイ先に関する情報が配られるのですが、それが下記の写真のようなものでした。

あまりに自然素材あふれる家に、その時の私は絶句し30秒ほど固まっていました。そして、まず(トイレが穴やわ)と思いました。それから次に(トイレとお風呂の差って何?穴か壁の違い?シャワーってどこにあるの?)と真剣に考え始めました笑。

そんな絶句している私を見て、同期の隊員たちが私の紙を覗き込んできました。

そしてそれを見た同期の隊員も絶句、その絶句している同期を見て、他の隊員も紙を覗き込むという感じで、みんな自分のホームステイ先のことはそっちのけで私のホームステイ先を見ていました。そして、みんなに言われた一言が

「かなちゃんのステイ先を見てたら自分は大丈夫だと思えてきた」というものでした。。

 

こんな言葉をかけられつつ、2週間いよいよ活動先であるガーナ北部州のタマレ、そしてそこから車で30分ほど行ったところにあるNwodua(モヂュア)村に向かいました。

 

着いた当日はもう夜になっており、出されたご飯を家の外で食べ、与えられた部屋をよく見ることもなく、くたくたになって眠りました。

 

翌日目をさますと、いつも見ていたフラットなはずの天井が「わら」になっており、顔の上に寝ている間に落ちてきた「わら」がついていました。

 

その瞬間に自分がガーナにいること、自然素材あふれる家に住んでいることを思い出し、夢でない現実にため息が出そうになったことを覚えています。

 

しかしながらそれからの2週間は、ホームステイ先の家族は優しく接してくれるし、近くの村や街にいる先輩隊員達と交流する機会もあり、充実した毎日を送って楽しく過ごしていました。

 

2週間のプログラムを終え、首都のアクラに一度帰る際、経由地であるガーナ第2の都市であるクマシで夜に突然発熱しました。

体がだるく熱もあり、蚊に刺されることで感染し、処置が遅ければ命の危険もあるマラリアも疑いました。結局、クマシで落ち合った同期のさきちゃんに解熱剤をもらい、それでなんとか熱を下げ、アクラまでの約5時間ほどのがたがた道のばかりのバスの残りの旅を乗り越えて帰ってきました。解熱剤で熱は下がったのでマラリアではなかったようです。今にして思うと、2週間なんとか張りつめていた緊張の糸が一気に解けたゆえの発熱だったのだと思います。

 

アクラでの数日間の滞在を終え、その後いよいよ活動先に戻り、本格的な活動に入っていくことになります。

 

帰国後自分の一番辛かった最初の体験談として、村に初めに滞在した時の話をします。

するとそんな所に住んでいて辛くなかったのか、帰ろうと思わなかったのかと聞かれることもありました。辛くなかったのかと聞かれれば、辛くないわけないやん!と答えています。笑

 

小中高まで大阪市で生まれ育ち、大学を京都とワシントンD.C.で過ごした生粋都会っ子の私が、ガーナの中でも貧困度が高いと言われている北部の村落部で現地の人とほとんど同じような生活をすることになったのです。

カルチャーショックどころの騒ぎではありませんでした。

 

おなかを壊しているのに夜中にトイレに行けなくて(トイレが外にあって暗くて怖くて行けないから)1人で泣きながら、限界が来てトイレに駆け込んだ事もあります。洗ったジーンズが夜に干しても乾いてしまうようなガーナの一番暑い時期に、電気が1週間完全に止まって、暑さで夜中に起きてしまい、冷たい水が飲みたくて飲みたくて、電源が切れている冷蔵庫(冷蔵庫を持てるだけ私は富裕層である証)に顔を突っ込んで、ようやく電気がないことに気づいた悲しい夜もあります。

 

でも、私は2年間一度も帰国しようと考えたことはありませんでした。

それどころか、2年間一度もガーナ国外に出た事もありませんでした。

当時の私は、ガーナで体験できるもの全てをこの2年間で吸収しきってやろうと心に決めていたからです。

「もう一度ガーナで同じ体験をしたいか?」と自分に問うたことがあります。

 

答えは即座にノーでした笑。

 

でも、私の人生の中からガーナでのこの2年間の体験は絶対に消さないで欲しいし、人生の中での学びの多くはガーナにあったと言っても過言ではありません。

これから先、辛い事も失敗する事も人生においてたくさんあると思います。

けれど私はこの2年間の体験があったから、絶対に立ちあがり続けると決めています。それと同時に、あれ以上の生活環境で辛い思いをすることはこの先まずないだろうと思ってもいます。笑

私がガーナで学んだことの中で大切な学びの1つは、人生において必要なのは転ばない賢さでも、先見性でもなく、転んでも立ち上がり続ける力なのだということです。

そして、何度どんなに転んでも立ち上がり続けることさえ出来れば、いつか想いは現実のものになっていくと強く信じています。

 

 

写真はNwodua村です!絵本みたいで可愛いでしょ?

Kana Aikawa

 

ガーナとの出会いのきっかけ

みなさん、こんにちは!

ガーナ発kawaiiコスメ作りを目指す相川香菜です!

 

今日は、私がガーナに行く事になったきっかけについてようやくお話したいと思います!

みなさん、ガーナと言えば何を思い浮かべますか?

 

やはりチョコレート

 

ですかね?

 

私も2010年6月にガーナに行くまで、ガーナについて知っている情報はそれにちょっと毛が生えた程度でした。

 

ガーナとはちなみに西アフリカのこの辺にある国になります。

日本から出発すると、成田空港→オランダのスキポール空港(約12時間のフライト、ここで一泊)→ガーナのコトカ国際空港(約7時間のフライト) という約2日間にわたる長い長い旅路です。

 

そんな日本から遠く離れたアフリカの国になぜ行こうと思ったのか?

 

国際関係学部を出て、海外に興味を持っていた相川さんだからきっとガーナの人々を助けたいという崇高な目標があって現地に行かれたんでしょう、と期待された皆さんごめんなさい。笑

 

実際のところは、誰かの役に立ちたいとか、貧しい人たちを助けたいとか素晴らしい目標があったからじゃなくて、自分の為だったと言わざるをえません。

 

もっと言うと、たくさんの選択肢があった中からガーナ行きを心強く決めたのではなく、当時の私にはそれ以外の選択肢はないも同然でした。

私は、ガーナに言った理由を人に聞かれた時にいつもこんな風に言っています

「私はガーナに逃げた」と。

(なんとも大掛かりなグローバルな逃げだけど笑。)

 

2007年9月アメリカから帰国。大学3年生後期から復学し、日本での単位を取るため授業に出席すると同時に、就職活動を始めました。

世界の色々な所に行ってまだ見えていない問題を自分の言葉で伝えたいと思っていた私は、マスコミを志望し、大手新聞社から地方紙まで色々なところを受験しました。

 

しかしながら結果は惨敗でした。

 

その上、周りの友人達はどんどん大手企業に就職先を見つけていき、とても幸せそうに見えました。

 

ほんとに自分は不器用でだめだな。

なんでみんなは当たり前のように就職できていくのに、自分は出来ないんだろう。

 

周りがどこどこに就職が決まったと話すのが日常になっていく中、第一志望とは関係のない会社でも一社でも内定が欲しくて、ただただ手当たり次第応募し、受けまくっていました。

しかしながらどこからも内定をもらえない。そして何故だめなのか理由は一切教えてもらえない。

精神的に追い込まれてきた私は、ある日大学のキャリアセンターで号泣しました。「アメリカの大学でだって必死で勉強して、人よりたくさんの単位も取っている。でもどうしても駄目なんです。もう無理です。頑張れません。」とカウンターで泣きながら喚いていました。担当の方は、すでに成人している大学生が泣く姿に驚愕し、たじろいていました。今思うと、担当の方には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。ごめんなさい。笑

 

結局卒業しなければならない頃になってもどこにも就職先が見つかっておらず、大学4年生で単位を残し、就職浪人の為にもう1年大学にいる事に決めました。

 

そうして再度チャレンジした就活リベンジ2年目。

筆記試験対策も、小論文も勉強した、新聞研究もいっぱいした。

今年こそは難関だろうがなんだろうが受かってやると意気込んでいたのも束の間。気づけば昨年と同じような道をたどっている自分がいて絶望しました。

そんな中、もう空欄を埋める為の志望動機書も書きたくない、筆記試験もしたくない。何か全然違うことをしたいと思いました。その時に思い出したのが、1学年上の友人が参加していたJICAの青年海外協力隊派遣制度のことでした。2009年4月頃、来年以降に派遣される春募集がかかっていました。

私は、資料を取り寄せ募集要項に目を通して、自分が出来そうな仕事内容を必死で探しました。けれど、大学生の何のスキルもない自分には出来そうもないことばかりで、無理矢理こじつけの理由をつけて、大学で学んだ国際協力論の言葉をなんとか並べて書類を送りました。

すると翌月東京での面接のお知らせが来ました。しかも交通費も出していただけるとのこと。就活と同じスーツで面接に行くと、就活と同じような複数人の面接官を相手にした答えづらい質問が続き、しどろもどろになりながらなんとか面接を終えました。

8月頃、相変わらずどこからも内定がもらえていなかった私のもとに、青年海外協力隊員としての合格通知が来ました。

「え?受かってる?」私は2年以上ぶりに見た「合格」の文字が素直にとても嬉しく、最初国名すら見ていませんでした。

冷静になって書類をもう1度見ると「派遣国:ガーナ共和国」と書いてあります。あれ?私第3希望国までのどこにもガーナって書いてないけどな?

 

でもガーナで合格ってことはガーナなんだよな、うん。とその時なぜか素直にすぐに受け入れた私。笑 そしてガーナと聞いて真っ先に思い出したのが、大学時代の友人がAmerican Universityと提携しているガーナ大学に半年間留学しとても楽しかったと語っていた事。その友人はまじめな留学生友達の中でもひときわ真面目で、週末夜の食事会に誘っても勉強するからとほとんど断っていたような子でした。その子がガーナから戻って来た日、迎え入れようと思ってアパートのドアを開けると、なんと赤のドレッドヘアになっている彼女がいたのです!

(え!?誰?)私は衝撃を受けました。あの真面目な子をここまで陽気に変えるガーナって一体? そしてそこまで彼女が楽しいと言う国ならきっと何かあるんだろう。

 

それと同時に、かなちゃん大学卒業後は何をするの?と聞かれた時に初めて答えることができる進路が出来たのです。

 

「私はガーナに行くよ。」

 

卒業後の進路が初めて決まったとても嬉しい瞬間でした。

 

次回はガーナでなぜ起業しようと思うようになったか?をお話したいと思います!

写真はアメリカの大学の時のものです!

 

Kana Aikawa

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