Journey to Mozambique (後編)行動指針5箇条

こんにちは。Verde Africaの有坂です。前回はJornery to Mozambique の皆さんとの取り組みを前編として紹介させて頂きました。今回は後編です。

Jorney to Mozambique とのディスカッションのプロセスを経て、Verde Africaの行動指針を改めて練り直す機会を得ました。モザンビークで何がやりたいのか自分たちの心の奥深くまで掘り起こしてもらったうえで作り上げた行動指針はやっぱり説得力が違います。JORNEYの最終日にはこの行動指針と営業100日プランをスタッフ全員に発表して、BBQパーティーで締めました。全行程のクライマックスになったのは各スタッフに一番大切だと思うものを選んでもらって、その理由を発表してもらった時です。

Verde Africa 行動指針5箇条】

1,Respect your customers,Respect your work mates (お客さんを尊重し、一緒に働く仲間を尊重する)

2,Be proud of being a force to make Mozambique a better place (モザンビークをより良い場所にする仕事をしている事にプライドをもつ)

3,We value honesty and sincerity in ourselves,and in our product  (仕事に対して誠実かつ真摯に臨み、それを製品の品質に反映させる)

4,I believe in a world which my efforts are paid off inside and outside of Verde Africa (会社の外でも中でも、自分の努力が報われる世界を信じて作り上げる)

5,Verde Africa wants to grow with you,and stand together along with your life   (社員と一緒に成長し、社員の人生に寄り添う会社であること)

 

例えば、生産スタッフのアルミナ(22歳女性)は3番の『仕事に対して誠実かつ真摯に臨み、それを製品の品質に反映させる』を選びました。その理由は『お客さんに説明する時、嘘をついて後ろめたい気持ちではなく、胸を張って勧められるものを作りたいから』と言ってくれていました。私は『そう!まさにそれだよ!アルミナすごいじゃん。』という気持ちで一杯でした。生産スタッフのエリジオ(19歳男性)は5番の『社員と一緒に成長し、社員の人生に寄り添う会社であること』を選び、『Verde Africa で働くようになってからいろいろ自分も成長できていると思うし、これからもVerde Africaが大きくなるように沢山生産したい』と言っていました。スタッフ全員の素直で温かい気持ちが伝わってきて、基本的に斜めに構えている私ですら嬉しくて泣きそうになりました。

 

(スタッフの発表の後に撮った全体写真  写真:佐藤匠

 

ここで得られたスタッフとの一体感は本当にかけがえのないもので、それを日々維持していくよう引き続き努力して行きたいと思っています。その後も下記のように幾つかの前向きな変化がありました。現在私達が一番力を入れて取り組んでいることが営業100日プランの実行です。次回のブログではこちらについてご紹介します。

 

【その後の変化】

1,レストランや養鶏場など新規顧客の増加したこと。営業マネージャーのアイレス君もステップアップした様子です。

2,工場のスタッフが仕事に前向き。日次1トン生産を達成できる日が増えています。

3,やるべきことが明確になって経営陣の気持ちが晴れやかになったこと。

, 営業努力に伴い、売上も増加中。

 

また、Journey to Mozambique のチームより報告会も開催される予定ですので、12月2日に東京におられる方は是非ご参加ください。私達もスカイプで参加します!

【イベント情報】

場所: BOOKS WORK & MEETING LOUNGE

〒101-0041 東京都千代田区神田須田町2-1-1 ザ・パークレックス神田須田町ビル3F

時間: 14:30〜17:00

イベントページが完成次第当社Facebookやインスタグラムで共有致します。

(スタッフに仕事に対する意識についてインタビューをしているJourneyのメンバー) 

 

現在までの道のり【藤本@モザンビーク】

皆さん、こんにちは!モザンビークで日本食レストランを経営している藤本浩平です。更新が遅くなってしまいましたが、モザンビークまでたどり着いた経緯についてご紹介させていただきます。

 

「アフリカで雇用を生み出すことに関わりたい。」

そう思いながら日本の会社で働いてはいたものの、アイデアを考えたり思うだけで、特に何も行動できていないというのが実態でした。アフリカにツテを作ろう、普通ならばそのようなことから始めるかもしれません。

このままでは思いだけで終わってしまう。そう思った私は日本の会社を退職し、南アフリカにある語学学校に身を移します。そこで1か月間英語を学びながら、アフリカでのビジネスについて情報を集めていきました。

その中で、サブサハラで2番目に人口が多い、エチオピア。旅行の時以来何か繋がりを感じていたこともあり、挑戦の舞台にエチオピアを選びます。

早速移り住んでみたものの、初めてのことが多く試行錯誤の日々が続きます。まず、エチオピアに住むために必要なビザを獲得するため、私はアディスアベバ大学アムハラ語学科に籍を置きます。そして出会った友人と田舎町でキャンピングロッジを行う計画を立てますが、その友人がギャンブル好きで怪しく、計画と違うことが次々と起こっていたため、断念。

人に頼るのではなく、自分で切り開いていくしかない。と学びましたが、なかなか物事をうまく前に進めることができない日々が続きました。

アフリカまで来て何をやっているんだろう。SNSで更新される友人たちの近況を見ながら焦る日々。。まだアフリカに挑戦するのは早かったのかもなあ。無謀すぎたのか。上手く物事が進まないときはネガティブになりがちです。

日本に住む友人から「お前は自分で進みたい道を選んで進んで行っているんだからいいじゃないか。Life is good だろ!」と言われた言葉に何度も救われました。そう、目的を見失わず、前に進んでいくのみ

そんな時、偶然にも知り合いから、現地でコーヒーの輸出業を営んでいる会社の社長の紹介を受けたのです。その社長は外国人スタッフを探していたこともあり、ワークパーミット等を手配してもらい彼の会社で働くことになりました。

ところが実際にしたのは日本に営業電話をしてコーヒーを売るということと、新規で取り組んでいた畜産業のプロジェクト立ち上げのお手伝い程度。特に仕事量も多くなく、暇な時間が続いた上に会社の経営も危うくなるという事態に陥りました。

約2年間、エチオピアで様々なことにチャレンジしながら情報収集をしていた私は、同時にエチオピアで事業を行う難しさにも感じていました。1つのビジネスを始めるのに200,000USDの資本金が条件であることも大きな要因の一つでした。

このような状況下、「アフリカで雇用を生み出すこと(詳しくはこちら)」が自分の目標であることをもう一度確認し、環境を変え自分の目標に向かってストレートに動いていこうと再度決意します。その決意と共に、お世話になったコーヒー会社も退職しました。

とはいえ、他の環境に移るハードルが高いことに頭を悩ませていました。植民地になった歴史のないエチオピアの環境が他のアフリカ諸国と比べて少し特殊だったのです(すこしは話せるようになったアムハラ語もエチオピア以外では使えません)。

そんな時、またもや偶然、エチオピアにいた青年海外協力隊の方にモザンビーク、マプトで不動産業をしている方の紹介を受けたのです。

環境を移し、そこで現地の雇用を生み出すという目標に向かってもう一度チャレンジしよう。そう思い、モザンビークに身を移します。

偶然続きのアフリカ生活。次回はモザンビークで何が起きたのか、書いていきます。どうぞお楽しみに!

Journey to Mozambique の皆さんありがとう!(前編)

ボア・タルデ!こんにちは。Verde Africaの有坂です。今回は8月に弊社を訪問してくれたお客さんについて書きたいと思います。

Journey to Mozambique は様々なキャリアバックグラウンドを持った合計9名のチーム(スタッフも含む)で、Verde Africaのオペレーションを知ったうえで改善に向けたアドバイスをすることを目的にした合計7日間のツアーでした。8月11日~18日まで観光もそこそこにVerde Africaに密着してくれました。

(プログラム初日に行ったポンタ・ド・オウロのビーチ)

このプログラムは私の前職の先輩(現在は株式会社ルバートの代表)が企画しました。メンバーはマーケティング、経営戦略、組織開発コンサルタント、機器メーカーのエンジニア、会計士、プロコーチ、フォトグラファー、学生(半年前まで弊社でインターンしてくれていた方)という豊富なバックグラウンドを持ったスーパー集団でした。モザンビークに渡航する前から私達へのヒアリングを含む入念な準備をして、モザンビークでも販売先の市場に同行したり工場での肉体労働を手伝ったり『折角のお盆休みに…』と思ってしまうくらい真摯にVerde Africaの仕事を理解しようとしてくれたのが印象的でした。

 

(スタッフと一緒になって肉体労働に励むJOURNEYのメンバー)

訪問中はVerde Africaの仕事体験、販売先の市場の視察、経営チームとのディスカッション、スタッフへのヒアリングが繰り返された後に幾つかのアクションプランが提案されました。プログラムのタイミングも丁度私達が課題を抱えている時期にピッタリと合い、彼らのアドバイスによる大きな変化を実感することができました。

【提案されたアクション】

1,営業100日プランの実行 ⇒ 年内に絶対に営業収支黒字化を達成させるための本気プラン。詳しくは次次回のブログで。

2,優良顧客へのスタンプカード配布 ⇒ 10月1日から開始しました。リピーターを優遇する。

3,売上管理を紙+エクセルからアプリに移行する ⇒ アプリ制作中。

4,スタッフの仕事に関する意識・意見を月次でヒアリングする ⇒ 9月末に実施。やって良かったです。

5,生産歩合給に加えて、チームとして一緒に喜べるインセンティブを設ける ⇒ 週5000キロ生産できたら、金曜日の終礼でコーラを出すことに。

6,ターゲットに対する生産高を可視化する ⇒ 10月からグラフを工場に貼りだします。

JOURNEYのチームから学んだことは沢山あるのですが私が一番感銘したことは、相手の考えを良く聞いてそれをアクション・プランにまとめるスキルです。私達(私とパートナー)の頭の中には常日頃のオペレーションから認識される課題ややるべきことについてのアイデアが混在しているのですが、それをまとめて合意して行動に移すというプロセスが滞るときがあります。チームの皆さんは私達2人だけでなく従業員全員から熱心に話を聞いて、それを私達2人に確認し、再度練り直したうえでアクション・プランに落とし込んでくれました。そのプロセスに自分がしっかり巻き込まれているからこそ、提案されたプランはどれも納得できるものばかりだったのだと思います。特に7月と8月は自分の頭の中にある課題や問題意識を行動プランに落とし込み、スタッフに周知して実行してもらうということができずもがいていたので、JOURNEYのチームの皆さんの力添えは本当に貴重でした。自分が苦闘していた課題が目の前でどんどん進められていく過程を目の当たりにして、大変勉強になったのと同時にロジカルシンキングの有効さを実感しました。

   

(売上改善の為の計画をディスカッション)

そして、プログラムのクライマックスは Verde Africa 5か条の共有でした。

(後編  Verde Africa 5か条 に続く)

顧客接点の近いビジネスを通して持続可能な雇用を生み出す [藤本@モザンビーク]

 

皆さん、こんにちは!モザンビークで日本食レストランを経営している藤本浩平です。

今回は前回に続き、私がここ、モザンビークでこれからやっていきたいことについてお話ししようと思います。

資本主義の枠組みに上手くフィットしながら現地の人たちが自力で生きていける仕組みを作ろう。アフリカの人が自ら働いてお金を稼ぎ、そして家族と生活して行ける仕組み。それを作るにはまず雇用を生み出さなくてはならない。ただし、自分無しで回らないような仕組みでは意味がない。旅行を通じて私はそう思うようになりました。

とはいえ、当時私はビジネスに関して何も分からないという状態。

帰国した私は、第一歩目として日本で働くことを決意します。折角日本で生まれ育ったのだから先ずは日本で働きながらビジネスを勉強し、将来アフリカへ戻ってこようと考えたのです。

では、どんな会社で働くか?すんなりと腑に落ちる答えを見つけるまでにはかなりの時間がかかりましたが、「多様な業界業種の会社と付き合うことのでき、且つ忙しそうな会社(私自身が追い込まれないと動かない性格であるため)」という定義で探し、Web会議やWeb上でセミナーを行うシステムの会社へ就職しました。

当時、ソフトウェアの業界はまだ、アメリカで流行したものを日本に持ち込めばビジネスが成り立つ、という時代でした。しかし今はそうではありません。新しいサービスが次々と生まれ、世界規模で拡大し、シェアを獲得していた会社がすぐに落ち込んでしまうということは当たり前になりました。

アフリカで雇用を生み出すには?私は頭の片隅にいつもこの問いを置いて仕事をしていました。入れ替わりの激しいソフトウェア業界は継続的に雇用を生み出すモデルには向いていない。

一方でセブンイレブンのようなビジネスは、技術革新が進んでも「最終的に必ずお客さんと直接接点を持つ」というアナログな部分は切っても切り離せないのではないか?と感じることが多々ありました。

スーパーや飲食店などお客さんとの接点が近いビジネス、(第3次産業)そこで多くのお客さんを獲得することができれば、

その方々へ販売する農作物等も自作し直販することで、安定してビジネスを回すことができるのではないか。思う様になりました。

その結果、以下のようなビジネスプランに至ったのです。

 

① レストランを経営し、顧客のアナログ情報を集める

② 仕入れたものを顧客へそのまま販売し横展開。(スーパーマーケット)

③ 付加価値の付いた養鶏や農作物の生産を行い、スーパー、レストランで販売、利用する。

④ FCなど店舗数の拡大等の横展開

⑤ アナログな顧客の情報が加速度的に集まり、よりニーズに合わせた戦略を立て、実践に移すサイクル

このようにアナログの情報を基にすれば、生産から販売までサイクルを効率よく回すことが可能です。そして何より、スーパーやレストラン、農業などそれぞれが実際生活に根差しているので、個々の場所に現地の雇用を生み出すことができます。

また、モザンビークの通貨、メティカルは通貨の価値が非常に弱く、為替の変動に影響されやすいという問題があります。人々の生活もそれによって大きく左右されているというのは一つの大きな問題です。

この資本主義社会の中で、それぞれの国々は互いに深く繋がり、否が応にも影響を受け合っています。それ故に、モザンビークの人が自力で状況を脱するのが難しい。

しかしこの仕組みであれば、この中で一つの経済がほぼ完結するため、為替の変動による影響が少なくなるでしょう。そして、何より自分が抜けても現地の人たちが独自に経済を回すことができるのではないか。と考えています。

「現地の人が安定して職に就ける。自分がいなくなっても安定して経済を回して生きていけるようになる。」

この目標を、この仕組みを念頭にできることから実現していこう。今はその思いでモザンビークに滞在しています。

読んでくださった方、ありがとうございました!次回もお楽しみに!

マバラネで村の人々と森を再生します

こんにちは!はじめまして。

森林でなりわいを立ててきました、井上泰子と申します。

モザンビークで、平和と希望の森林プロジェクトを行い、村を豊かにしたいと思っています。

よろしくお願いいたします。

モザンビークの南部ガザ州は、かつて豊かな森林に恵まれた地域でした。首都マプート市と周辺のベッドタウンを含むモザンビークの首都圏270万人以上を擁するマプート州では、首都と首都近郊に煮炊き用のエネルギー源として使われる木炭を供給するため、早々に木質資源が枯渇し、マンゴー、アマルラ等の食用や酒造用として価値が高い果樹しかほとんど残されていません。
首都圏への木炭の供給元は首都に近いマプート州から隣に位置するガザ州の奥に徐々に広がってきています。

マバラネ(Mabalane)郡は、ショクエからダートの道を含め134キロメートル、ジンバブエ国境のシクアラクアラまで542キロメートルに位置する内陸部にあり、図が示すようにガザ州でも最も木炭生産が盛んな「森林減少の最前線」となっています。トラックが山積みの木炭をひっきりなしに運び、週一回、木曜日にジンバブエからマプートに向かう列車が通るのですが、数百メートルの長さの貨物車は毎回あふれるばかりの木炭を満載に首都に向けて運搬される状況となっています。住民164名にインタビュー調査を行ったところ、72パーセントの人が深刻なレベルであり、森林減少を食い止める必要があると答えていました。しかしながら、木炭生産以外に現金収入の手段がほとんどなく、自給持続的農業を営む多くの人が現金を得るために必要としています。

私は、2010年から2014年の間、モザンビークの土地森林局にJICAの森林管理能力アドバイザーとして赴任し、モザンビークの同僚、WFP国連世界食糧計画、カーボンフリーコンサルティング社の支援を受けて、このマバラネ郡でモリンガ、カシュー等の村人が希望する樹木を配布し、アグロフォレストリーという自給自足的農業と共存する植林を進める活動を行いました。

しかしながら、森林資源が枯渇してくるにつれ、①煮炊きに必要なエネルギー資源、②現金収入 の双方の確保をどうするのか、が地域の村人にとって大きな課題となっています。

かつてガザ州ではマフラという木からとれる油を多く含む実がたくさん収穫されていました。ポルトガルの植民地時代には搾油工場もあり、ココアバターのような高級なオイルを輸出されていたそうです。このマフラという木は、成長が早く、また比重が高いため良質のエネルギー材となります。つまり、この木を植えることで、一部を間引きしながら生産できる実から高級オイルを生産しつつ、地域の雇用機会を創設し利益を還元することで、森林減少をくいとめることができると考えています。

緑が戻れば、水蒸気の発生により頻繁に起きる干ばつの被害を抑えることができ、また、数年おきに発生する洪水の被害も、森があれば人々の生活する村を守ることができるようになることが期待できます。

モザンビークの仲間たちと会社を登記し、準備を始めました。

植民地時代とは逆に、村人自らが自分たちの意思で、自分たちの資源を生かし、自分たちが豊かになる、そんな世界をめざしたい、そうした村の人たちの希望を叶える事業を行うことは可能だと思います。

これから、村の人々の話やどのように事業を行っていくか、お話していきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

図は、マバラネの位置、木炭生産量の推移、マバラネで実施したアグロフォレストリープロジェクトの様子、マフラの木 です。

アフリカに興味をもったきっかけ [藤本@モザンビーク]

オープン当初

初めまして。モザンビークで日本食レストランを経営している藤本浩平と申します。

初めての投稿になるので、遠いようで意外と近い、アフリカに興味を持つようになったきっかけをお伝えしていこうと思います。

私は広島県尾道市というところで生まれました。そこはよく星の見える場所で、私は小さいころから星を眺めるのが大好きでした。しかしある日を境に、私は星を見るのが怖くなってしまったのです。

「地球から見える星の光は、何万年も前の光なんだよ」

人間の人生なんて、長くても100年程度。その何百倍もの長さを旅してきた光が、今自分の目に届いてるんだ。

幼稚園の頃の私は、そのあまりに大きな神秘を不思議に思い、時間があればずっとそれに思いを馳せていました。しかし、同時に恐怖をも抱くきっかけともなったのです。

100年という、人生。それに対してあまりに大き過ぎる世界。

死ぬのが怖い。自分は死んだ瞬間どうなっちゃうんだろう。何もなくなっちゃうの?いや、いっそのこと歴史に名を刻んで永遠に生きていた証を残しちゃえばいいのかな。

この大きすぎる世界に対してどうしようもなくちっぽけな自分。まだ幼稚園児であった自分は小さいながらに頭をフル回転させ、また小さいからこそ、目の前に突然現れたこの恐怖に対して懸命に抗っていました。

そんな恐怖とひたすら向き合った私は、小学校3年生の時に新しい考えに行き着きます。

「いや、そんなことをずっと考えててもしょうがない。死ぬまでに見たいものを見て、知らないものを知って、幸せに生きていければそれでいいんだ。」

抱いた好奇心に対して、一つずつ答えを出す。長く続いた恐怖の末に辿り着いたこの考えは、今でも自分の軸になっています。このこともあってか、小学校の卒業文集に、「将来は自分の稼いだお金で世界中を旅する」と書き記していました。

とはいっても夢は夢。身近な部分の好奇心に対しては挑戦できるものの、大きな夢に対してしっかりと向き合おうとはしませんでした。

 

そんな中、迎えた大学生活。サッカー、陸上と経験してきた私はトライアスロンに挑むことにしました。1年の頃に見た関東選手権に憧れ、ただひたすら毎日朝6時から練習を積む日々。3年になると実力もついてきて、気づけば地方の大会では優勝、憧れの関東選手権で6位という成績を収めるようになっていました。そしてなんと所属していた大学の団体で全国優勝をも成し遂げてしまったのです。

「あれ?意外と夢って達成できるもんじゃん。」

夢は意外と実現可能。そんな気付きを得た私はすぐに大学を休学します。「世界中を回ろう。」そのまますぐ社会に出て、夢を語って生きるだけの大人になりたくない。そうなる位なら、今すぐ挑戦しよう。そう思ったからです。

 

目指すはアフリカ。5歳、新宿駅で、人生初めてのアフリカの人を見た時に走った衝撃が忘れられなかったからです。視界の斜め後ろ。信じられないくらい背が高く、肌の色が、黒い。

とうとう出発した私は、上海から東南アジア、トルコ、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル、エジプトと旅をし、とうとう念願のアフリカに上陸しました。

旅行時にエチオピア南部にて

初めてのアフリカはエチオピア、ケニア。そこで感じたのは、外国からの支援などをもらって当たり前。そこから自発的な次の展開へ至っていない、継続していない姿でした。

資本主義がベースとなる今、お金稼ぐために誰かが働き、その結果生まれたものをほかの人が働いたお金で買い、そのまた別の人が働いたお金でそれを買う。このサイクルからは逃れられません。寧ろこのサイクルにうまくフィットすることで、生活を豊かにし、幸せに生きていく土台となるのではないでしょうか。

もちろん、そのベースそのものが間違っていると考えている人もいるでしょう。しかし今ある枠組みの中でできることをし、自立して生活を送る人が増えればいい。私はそう思っています。

初めて訪れたアフリカで円を描くような資本主義の流れを、その援助や支援で寧ろストップしているように思えたのです。

「それは、違うんじゃないか。」

なら自分でやろう。このアフリカの地で、生きている人たちが自分自身の人生を送っていけるような仕組みを作ろう

市民が頻繁に暴動を起こす姿、笑顔で自分にお金をせがむ姿を何度も目に焼き付けながら私はこう決心しました。

これがアフリカに拠点を持つことを考え始めたきっかけです。今はモザンビークで日本食レストランを経営するに至っています。

次回は、その仕組みをどのように作っていこうと考えているのか、について書きたいと思います。ここまで長文読んでくださってありがとうございました!

アフリカ起業と安全

こんにちは。マプトでは少しずつ雨が多くなってきており、季節の変わり目を感じています。

7月中旬にモザンビークに帰って来てから、いろいろなことがありすぎてブログの更新ができていませんでしたが、生活が落ち着いてきたので少しずつご報告させてください。

まず、ここ最近の出来事で思うことは「安全について」です。

私と夫はザンビアでの青年海外協力隊時代から数えると6年間ほど南部アフリカの国に住んでいることになりますが、これまで一度も空き巣や強盗や引ったくりに会ったことがありませんでした。

最初にアフリカに降り立った時はものすごく怖い場所を想像していましたが、ザンビアやモザンビーク南部(注:北部は個人的に行ったことがないので)にはゆったりとした空気が流れ、道行く人々は親切で人懐こく、安心して暮らすことができる国でした。他のアフリカの国を旅行したときも、公共交通機関を愛用し、庶民の市場でご飯を食べてきました。下町のエネルギーを感じるのが好きなんだと思います。

でも8月に工場に隣接する我が家が盗難に会いました。犯人は敷地内の複数の民家の中でも特に我が家をターゲットにして情報収集や準備を経てから実行に移したようです。そのかなり計画的なやり方を見て、安全について考えさせられました。

安全を守るために大切なことの一つに「情報」があります。私達は外国人がほとんど住まない郊外の人口密度が少ないエリアに工場を構えました。人が多い場所は家賃が高く、工場の操業許可が下りないうえに近所からの苦情も出やすいのです。そんなエリアに工場を構え、隣接した家で暮らし、炭を売ること1年。私達の存在は地域でかなり有名になっていたようです。それは地域密着型で炭を売りたいという意図でもあったのですが、良いことばかりではありませんでした。

途上国では外国人というだけで(現実はともかく、そして肌の色に関わらず)「お金持ちに違いない」と思われる場合が多いです。それに加えて、会社を経営しているというだけでもっとお金があると思われているのです。これまで私達はともすると協力隊員時代よりも質素な暮らしをしていたかもしれません。でも、周りからは”会社を経営している外国人”として超お金持ちのイメージで見られていたのです。

もう一つ大切なことは住居と仕事場を分けることです。工場と住居が同じ敷地内にあると、家賃を安く抑えられ、夜や休日でも問題が発生すればすぐ駆けつけることができ、忘れ物も少ないという数々の利点があります。一方で、会社と住居が同じ場所にあるということは、泥棒にとって”そこに確実に現金がある”ということを意味します。会社に隣接しているなら、住居を知られないようにすることも難しく、プライベートな情報が流出しやすくなります。

 

(そんな訳で1年住んだモザンビーク2軒目の家とお別れしました。)

 

アフリカは危険な場所だと言われますが、大部分は真面目で穏やかな日本人と同じような良い人達が暮らしています。ザンビアやモザンビークでは、海外旅行の基本的な留意点を気を付けていれば安全に過ごせるのでもっと沢山の日本人の方達にアフリカを見てほしいと思います。一方で今回は、起業とするとなると安全への投資も必須ということを身をもって学んだのでこれからの方達の参考になればと思い書かせてもらいました。

本を出しました!

こんにちは。Verde Africaの有坂純子です!

この度、事業パートナーであり夫の有坂之良(ゆきよし)が本の出版をさせていただきましたことを、この場をお借りして紹介させていただきます。日本帰国中の7月6日には吉祥寺で本の出版記念パーティーという形での事業報告会を開催しました。

この本には私達がモザンビークへ渡り、事業を始めたキッカケやその準備、またモザンビークで受けた洗礼(?)について綴っています。

AmazonのKindleという媒体を通して、誰もが筆を取り、自己負担なしで出版できる時代となり、モザンビークにおいて一般庶民に向け炭を売るという私達しかしていない挑戦を人々に知ってもらいたいという思いから出版しています。私達の物語はまだまだ始まったばかりですが、良いことも悪いこともその一つ一つを大切に残していけたらと思っています。

今回は特別にその一部をブログ内で公開させて頂きます。”面白いな”と思って頂けたら是非、アマゾンをポチッとしてあげてください。

(本の表紙です。この本を作るにあったって、表紙デザインも編集もプロの方に協力して頂けて、感謝感謝でした。)

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(以下、Kindle 本 本文から抜粋)

はじめに

「モザンビークってどこ?」と聞かれることが多い。僕もザンビアに行くまでは、モザンビークについて知っていることは少なかった(ザンビアも行くまでは名前すら聞いたことがほとんどなかったけど)。世界最貧国のひとつと言われているけれど、資源に恵まれ、またその地理的な好条件から多くの国や企業からの注目を集めている。実際に住んでみると日本人にはよく合う国柄だ。海があることと、植民地時代のポルトガルの影響もあってか、食のバラエティも豊富、それにモザンビーク人は陽気で人懐っこく、治安も安定している。モザンビークはアフリカの中でも生活しやすい国のひとつなのではないか。そして美しい青の海が広がり、サーフスポットはいつでもほぼ貸切状態である。東京近郊の芋洗い状態で波を取り合うような環境はここにはない。

 

モザンビークは、南アフリカ、スワジランド、ジンバブエ、ザンビア、マラウイ、タンザニアに接し、海を挟んで東側にはマダガスカルがある(図①参照)。旧ポルトガル植民地で、1965年から独立戦争を戦い、1975年に独立を勝ち得た。現在もポルトガル植民地時代の影響は多く残り、母国語はポルトガル語で、街並みもマプト中央駅舎などポルトガル植民地時代の建物が多く残り、ここはヨーロッパか、と思わせるほど美しく歴史を感じる。日本との関係は遡ると、織田信長の家来として有名な「弥助」は現在のモザンビークの出身で、ポルトガル人によって日本へ連れてこられた。それから約400年、現代では世界で最大規模の埋蔵量を誇るガス田が発見されたことがきっかけに、日本の大手商社が投資し、また港、鉄道、発電所などのインフラ関係へ、多くの日系企業が進出している。

 

図① モザンビークの位置図

図② モザンビークの国内の州

 

そんなモザンビークで僕と妻の純子は会社を立ち上げた。「Verde Africa, LDA」 は『ブリケット(形成炭)』を製造し、一般的なモザンビークの人々へ誰でも手に入る価格で販売している。ブリケットとはちくわぶのように穴の空いた筒状の炭であり、日本では焼肉屋などで時々見かける。石炭やおが屑を原料にしてできたものなど、様々なタイプのものがある。モザンビークにおいては木炭を作るために木を切る。木炭を製造するためのライセンスが一応あるものの、ほとんどが生活に追われる住民たちの無計画な伐採にあい、大きな木が生い茂った風景を見る事は少ない。南アフリカからモザンビークに入ると、南アフリカ側は大きな木が沢山生えているが、モザンビークに入ると木の少ない荒野と変わる。国境をまたいだだけで土壌や気候が大きく変わるとは考えにくいので、切ってしまったのであろう。僕たちの作るブリケットは人々が捨ててしまっている炭クズを粉末にし、でんぷん質のツナギと混ぜ合わせ形成する。木を切ることなく廃棄物から成る『再生エネルギー』である。

 

 

どうして僕らが炭を売ることにしたのか。アフリカビジネスを志して約3年、庶民の暮らしにおいて「なくては生きていけないものを届ける」という軸で事業案を検討してきた。

「なくてはならないもの」=「生活必需品」をお客様へお届けすることで、彼らの生活の底上げが少しでもお手伝いできると僕たちは信じている。生活必需品だからこそ顧客はお金がある日もない日も購入せざるを得ない。このニーズに答えることができれば、地域社会に支えられた、マクロ経済要因の変化による外的ショックに強い事業を継続できる。外的ショックとは、例えば、為替・物価の変動が挙げられる。図③のグラフはモザンビークのインフレ率を示しているが、年によって大きく変動していることがわかる。物価の変動が激しく、生活必需品にも影響を与える。

 

図③ モザンビークのインフレ率

 

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帰国を振り返って

Bon dia! Verde Africa の有坂です。日本では暑い日が続いているようですね。マプトはからりと晴れて涼しく5月の軽井沢のような気候です。

6月中旬から7月の上旬にかけて日本に一時帰国しました。今回の帰国は一年ぶりに家族や友達に会う機会でしたが、ビジネス面では今後の資金調達の足掛かりを築きたいという目的がありました。

振り返ってみるとどちらも目的も充分に果たすことができて本当に実り多い滞在でした。6月23日に開催されたアントレアフリカの報告会では、アフリカビジネスの大先輩の佐藤芳之さんや他のアントレアフリカでご一緒している他の起業家とも情報交換できて沢山刺激を頂きました。

また、ご縁ありベンチャーキャピタルやエンジェルや社会投資ファンドやソーシャルレンディングの企業代表の方々とお会いする機会を頂きました。これまでも企業の資金調達の仕組みについて勉強しようとしてきたつもりでしたが、実際に出資者候補とお話しすることで初めて様々な仕組みを自分のものとして理解することができかけがえのない学びとなりました。

5年ぶりに帰った実家の広島市では、懐かしい場所を自転車で走り回り癒されました。広島と名古屋と東京の3ヵ所に滞在して、家族や友人とも久しぶりに会うことができとても温かい気持ちになりました。それぞれに元気に自分の道を邁進している姿に励まされました。

また、社員の成長を実感することができたことも大きな喜びでした。今回の帰国中に2週間現地社員だけで通常業務を続けてもらいました。帰国後、生産チームも販売チームも基本業務を立派に遂行することができていました。基本的な業務を運営することができるようになったので、今後は主体性のある仕事の仕方を学ぶ段階に進んでいきたいです。

Verde Africaとしては7月6日に吉祥寺であるイベントを開催しました。事業パートナーの有坂之良の本の出版記念パーティーとVerde Africaの事業報告会を兼ねたものでした。懐かしい友達を始めとしてVerde Africaを応援してくれる方々が集まってくれて、これからも一層頑張ろうという想いを新たにしました。続くブログではそちらの本の紹介をさせて頂きたいと思います。

(出版記念パーティーの様子)

モザンビークのアフリカ人達

私達はマプト市の中心部から車で40分程北に走った、市の境界線ぎりぎりのエリアに住んでいます。中心部へのアクセスは良いですが、ヨーロッパ的な雰囲気を残すアパートが立ち並び通りにはカフェが並ぶ中心部とは雰囲気が全然違っています。

どう違うのかというと、家は質素なのに庭はやたら広い基本的に平屋作りの住宅が多く、その大部分が建設途中です。アフリカの人々は銀行口座にお金を貯める代わりに、マイホーム建設で資産を形成する傾向があり、お金がある時に少しずつブロックやセメントや木材を買い家族で現場監督や作業をしながら長い年月をかけてマイホームを建設するのです。ちょっと話は逸れましたが、私達が住んでいるのはそんなモザンビーク庶民のマイホーム・ドリームが広がるエリアです。

 

(購入した土地にマイホームを建てながら暮らす、弊社スタッフのアイレス君。これから、壁を塗ったり、部屋を増やしたり、窓を付けたり、ペンキを塗ったり、いろいろなTO-DOがあるそうですが彼が40歳になる頃にはマイホームが完成しているはずです。ローンを組まずにマイホームが建てられるこの方法はある意味合理的?!)

 

そんなエリアで日々の買い物をする場合、スーパーマーケットはなく個人商店がまだまだ主流です。そんな商店のオーナー達について今回は書いてみたいと思います。この辺にはいわゆる”エキスパッツ”と言われる企業や国際機関勤めの外国人は住んでいませんが、外国人は沢山います。それは主にコンゴ民人、ルワンダ人、ナイジェリア人です。外見では外国人だと判断できませんが、お店に通い世間話などをするうちに分かってくるので面白いです。

一番最初に仲良くなったのは食料雑貨用品店を経営する、クラウドです。彼はコンゴ民主共和国の出身で兄弟と一緒に難民としてモザンビークにやってきたそうです。故郷はウガンダ国境に近い、地方都市で今でもお父さんにお金を送っているそうです。彼は基本的にずっとひとりで店を管理していて、週7日10時間くらい働いています。休みたくても次の商品の支払いができなくなるので休めなくて、時間がないから、料理も結婚もできなのだとか。ポルトガル語も堪能でシャンガナ語も話せて、すっかり地域に溶け込んでいるモザンビーク・ビジネスの大先輩です。

最近良く利用している食料品店はルワンダ人の家族が経営しています。彼らもまた難民としてモザンビークに来たそうですが、こちらは子供4人と両親の大家族です。ケニアにも住んでいたらしく、英語が堪能です。店頭を仕切っている子供達はどの子もとても賢そうです。長女はセーシェルの大学に留学していて、長男はアイフォンやドローン購入に興味があり、クラウドと違い比較的経済的余裕のある様子です。食料雑貨品店の経営は何故かルワンダ人とコンゴ民人が多いです。

マイホーム建設のためか、近所に食料品店に続いて多い店が金物店です。小規模の金物店の店主は圧倒的にナイジェリア人が多いです。徒歩3分圏内に7店舗もナイジェリア人の金物店があるので競合しないのかなと思うのですが、在庫のない品物をアミーゴのところで借りて来て販売したりと助け合っているようです。販売している金物は中国製ですが、それらの商品を中国から卸す貿易商がいるそうです。彼らは中国とマプトに拠点を持つナイジェリア人です。中国人貿易商も多いですが、信頼できないのだとか。肌の色が同じなので分かりにくいですが、アフリカ各地に散らばっているナイジェリア人の数は相当多いと思われます。

 

 (こんな感じの小規模な金物店が多いです。)

 

これらの人達と私達の共通点は外国人で英語を喋るということです。そのため不思議な安心感と連帯感があり、英語での会話も弾みます。中央アフリカなど縁遠い国から来た人と知り合う機会もあります。どんな背景があってどんな期待を抱いてモザンビークにやってきたのか、遠い他のアフリカの国に想いを馳せるのもなかなか楽しいものです。

 

 

 

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