10月の売上

ボア・ノイチ!Verde Africaの有坂です。7日間続いた風邪がやっと良くなってうきうきしています。会社を4日休んだら女子スタッフが心配して『お見舞いに行きたい』と言ってくれて嬉しかったです。

 

アントレアフリカの3年目の支援も継続していただけることが決まり喜んでいます。3年目は最後の年なので、来年から独り立ちしていけるように、新しいことにどんどん挑戦して売上を拡大していきたいと思います。

 

10月はVerde Africaの過去最高の売上を記録しました。それまでは今年4月が最高でした。それは炭の価格が上昇する雨季(1月〜3月)の勢いにのって打ち出された数字で、営業チームとしては会ったこともないお客さんからの電話が連日相次ぎ知らないうちに売上が伸びていったというやや棚ぼた的な数字でした。

 

でも10月は違います。営業チームの血と汗と涙の結晶です!6・7月の売上減から学び、8月中旬より『営業100日計画』に取り組んできた成果だからです。『営業100日計画』については次回のブログでご報告したいですが、営業チームは新規顧客を見つけるべく商品サンプルを配りまくりました。そうやって自分たちで少しずつ勝ち取っていった数字だったからこそ喜びもひとしおです。

 

『営業100日計画』は年内のキャッシュフロー黒字化を段階的に達成していくための目標です。売上の規模はまだまだですが、こうして達成できたことを皆で一緒に喜びながら前に進んでいきたいと思います。

 

(売上を営業チームから生産チームへ報告してもらいました。)

最後に一点お知らせです。8月に当社を訪問してくれたJourney to Mozambiqueの共有イベントが12月2日に開催されます。こちらからお申込みができますので是非。

https://web.facebook.com/events/630643030666079/?action_history=%22[%7B%5C%22surface%5C%22%3A%5C%22messaging%5C%22%2C%5C%22mechanism%5C%22%3A%5C%22attachment%5C%22%2C%5C%22extra_data%5C%22%3A%7B%7D%7D]%22

これからの事業展開について【藤本@モザンビーク】

皆さん、こんにちは!モザンビークで日本食レストランを経営している藤本浩平です。

今回はこれからモザンビークでどのように事業を展開していく予定なのか書いていきたいと思います。

現在はMusashiという日本食レストランを中心に経営していますが、第2回のブログでも書いたように「安定的で、持続可能な雇用を生み出す」目標を達成するため、日本食レストラン、スーパーマーケットと宅配、養鶏や農業、会員を使ったサービスを今後は順に展開していく予定です。

① 日本食レストラン Musahi

寿司の需要に対する対応と、今レストランが持っているキャパシティそのものを上げることによって売上と雇用人数の増加を狙います。

現在指導により、巻き寿司が作れるようになったローカルスタッフが2名在籍しています。その人数を2019年4月までに4名に増やして寿司の需要増加に応えて、また週1の定休日をなくして売上の増加を図ります。その後2019年7月から(2020年6月までに)日本人デザイナーによるリフォームを実施し、高級感のある個室を用意することで会食などの多様化するニーズに応え、また並行して客席を増やし、売上の向上を目指す予定です。

また、マプト内にある別のレストランで行われる野外イベントでのケータリングなど既存のレストランとのコラボレーション施策も企画中です。

 

※誕生日をサプライズでお祝いしてもらいました。

② スーパーマーケット及び宅配

現在は駐在日本人と一部の外国人の方向けに、レストランで利用する海鮮食材の販売を実施しており、徐々に拡大中です。スーパーマーケットに関する全ての営業ライセンスは、年内に取得予定です。

ここでは日本食レストランにて使われる食材を中心に揃えつつ現地のニーズに合わせた食材を販売していきます。自社の養鶏場や農地を開始した後は、「オーガニック」をキーワードに売り出す予定です。ここモザンビークでは、「オーガニック」という言葉があまり普及していません。一方でレストラン周辺に住む方々は外国の駐在員の方が多く、高級食材店もいくつか並んでいます。この状況から、「自分たちの子供に食べさせたい食品」と「地産地消で信頼できる食品」の2つをコンセプトに食品を選択して販売し、日本食レストラン周辺のニーズを先ずは満たしていきたいと考えています。

また、単身の方をターゲットに、スーパーマーケットにて販売されているものを宅配していきます。既に2017年6月から2018年4月まで実験的に日本人の単身者向けに試験販売を行っており、ある程度のニーズがあることを見込んでいます。また、宅配の案件が週20件を超えた時点で宅配用の倉庫兼スーパーマーケットとして新たに物件を探す予定です。レジスタッフや、デリバリースタッフ、管理スタッフ等も新たに必要となり、雇用も増加していきます。

③ 養鶏と農業

現在従業員の家にて養鶏を開始する準備を進めています。2019年中にモザンビークでの一般的な養鶏、レストランやスーパーマーケットにて生まれる生ごみを飼料として活用する実験等を通して必要な土地、鶏舎、設備等を具体的な施策案をまとめ、マプト郊外に土地を取得予定です。フードロスの削減とオーガニックな食品の両方に対してアプローチをしていくことになります。養鶏を確立後、農業も同様に行っていきます。

④ 会員を使ったサービス

現在はレストランにて使用しているポイントカードのみですが、同様にその他の事業でも活用し、ポイントを顧客の囲い込みに使用していきます。またある程度会員数が集まった段階で、それぞれの事業で集まるアナログな情報を収集し、どのような客層がどのようなものを求めていて、これからどの事業のどの部分に力を入れていけばいいのかという分析に用いていきます。

以上4つの事業を徐々に展開していき、「安定的で、持続可能な雇用を生み出す」という目標の実現にチャレンジしていきます。

 

長文読んでくださりありがとうございました!

ロベルトの結婚

生産リーダーのロベルト(32歳男性)の結婚式に参列してきた。従業員の結婚式に参加するのはこれで3回目になるが今回は特に感慨深い。彼が創立直後の当社に就職した2年前、ロベルトが無事結婚できるか疑っていた。1年前はロベルトと今も雇用関係を結んでいるか怪しかったし、雇用関係があったとしても結婚式に招かれることはないだろうと確信していた。

 

(昼休み中のロベルトと同僚)

 

そんなロベルトはいまでは営業部長のアイレス君と並ぶ最古メンバーだ。決して勘が良いとは言えないけど、時間をかけてブリケット形成機や破砕機の保守に関する知識を蓄えてきた。モザンビークには代わりがいない技術者だ。

ロベルトを一言で表すと『正直』だと思う。モザンビークにいると無意味に些細なものからバレバレのものまで様々な嘘に出会う。『嘘も方便』ということわざがあるが、嘘をつくことについての文化的視点が日本とは違うのかもしれない。でもロベルトにはそれはない。彼は時に愚直なまでに正直でそして心優しく、市場で買い物する時に値切るのもモザンビーク人のくせに苦手だ。生産リーダーとして10人あまりを束ねる、ロベルトのそんな正直さを私達はかなり重宝している。

ロベルトは真面目で有名な某系統のキリスト教の信者で、若いのに牧師のような要職を任されている。その背景は彼の人柄にピッタリとハマる。でも、仕事中に賛美歌をかけたりしないのがいい。JAZZが大好きでJohn Legendのピアノ曲やBob MarleyのJAZZアレンジなどかける彼の選曲が私は好きだ。

そんなロベルトの解雇を真剣に考えたこともあった。彼が入社半年ほど経った頃、私は『効率』と『優先順位』の概念を身につけてもらえるよう心を砕いていた。2-3ヶ月経っても変化のない彼を見て私は困惑し、彼も私からのプレッシャーに参っていた。仕事を休みがちになったロベルトを見て私は集中教育のさじを投げた。

生産ラインの要である破砕機を壊したこともあった。炭屑をリサイクルする際に鉄くずやゴミを取り除くのだが、混入はどうしてもある。鉄くずが破砕機に混入すると独特の異音がするので『すぐに機械を止める』よう徹底している。でも何故かその時ロベルトは異音がしはじめてから10秒あまり時が止まったように呆然としていた。小さな異音はただごとならない騒音に変わった。中を開けるとハンマーの1つが取れて内部を破壊し、衝撃でシャフトやベアリングハウスも壊れていた。私は怒った。多分創業してから一番怒ったと思う。金切り声を上げた訳ではないけど、感情的に流されてひどいことも言った。そして私はロベルトの教育をパートナーに押し付け、契約更新をたった6ヶ月に留めた。

それから1年、ロベルトは変わった。私達の関係も変わった。中国から購入した形成機には使用マニュアルのようなものはなく、試行錯誤を重ね機械の機嫌を肌感覚で感じ取るような側面がある。4ヶ月ほど調子の悪かった機械のベアリングを変え、ネジを変え、遂に正常に戻った時それはロベルトの発見だった。インプット投入口の羽の角度を調整して圧力を高めるのだが、それを発見して機械が直った時、ロベルトは興奮していた。そして興奮して目を輝かせているロベルトを見て、私は密かに目の奥が熱くなった。

ロベルトの悩みは仕事のストレスだけではなかった。結納金である。モザンビークの伝統で、花婿は”ロボロ”という結納金を花嫁の父親に支払わなければいけない。昔は牛だったそうだが、今は現金だ。額面を決めるのは花嫁の父親で払えないはらば結婚はない。ロベルトの給料でいえば、4−6ヶ月分は払ったのではないだろうか。彼は入社時からこの”ロボロ”をどう工面しようか悩んでいた。

モザンビークの結婚はお金がかかる。結納の儀式”ロボロ”をしたあと、花婿側の家族友人との結婚式、花嫁側の家族友人との結婚式というのがフルメニューだ。行政の結婚手続きにもお金がかかる。その為か多くのモザンビーク人が結婚式を先延ばしにする。子供がいる夫婦が連れ添って10-20年後に貯金ができた時点で『結婚』するのは珍しくない。子供ができる前に結婚式をするケースの方が少ないのではないか。(何故か『結婚』と『結婚式』を切り離すという全く発想はないようである。だから当社の子持ちスタッフは全員登記上”未婚” である。)だが、婚前交渉を禁ずるロベルトの教会ではそれは許されていない。質素でもなんでもいいからまず正式に『結婚』しなければいけない。しかし、花嫁の父親は別の宗派の信者だからそんなロベルトの事情はお構いなしでキチンとした結婚式を求めていた。

 

   

(参列者は200人あまり。第2日目の花嫁側の家での挙式に招かれました。)

 

ロベルトの結婚式は良かった。ライトグレーのスーツは細身のロベルトにとても似合っていたし、花嫁のリンダも白いドレスが美しかった。ロベルトとリンダはJohn Legendの曲で踊り、結婚の心得について聖書を開いて学んだ。2人はロベルトの育ったアパートのビルのルーフトップに小さな部屋を建て、しばらくそこで暮らすそうだ。狭くても風通しの良い部屋にはリンダとロベルトの好きなオシャレな音楽がいつもかかっているんだろう。いつか自分たちだけの小さな家を建てるのかもしれない。そんなロベルトのライフ・プロジェクトをまた見守ることができればいいなと思う。

 

おめでとう!

モザンビークでの道のり[藤本@モザンビーク]

皆さん、こんにちは!モザンビークで日本食レストランを経営している藤本浩平です。

前回のブログからの続きになりますが、

3年前の7月、エチオピアのコーヒー会社を退職し、9月にモザンビーク入りを果たしました。

今回は、モザンビークに移住後どのように日本食レストランに至ったのか、動きを綴っていきます。

2年間かけたエチオピアでの挑戦。その期間を経て、「アフリカで雇用を生み出す」を目標に、環境を変えて挑戦しようと思った私はモザンビークに移ります。0から1を生み出す段階になかなか辿り着けないことに対し焦りを感じていたこともあり、すでに動き出している企業に携わりながら、先ずは現地のことを良く知ろうと考え3カ月のマルチビザを取得しました。

実はここモザンビーク、ビジネスがやり辛いと他の日本人の方がおっしゃっているのをよく耳にします。

煩雑な手続きや、社会主義政権時代から引き継がれている法律、曖昧で複数の縦割り監督省庁が持つそれぞれのルール、賄賂文化の浸透、そしてポルトガル語等、ビジネスを妨げる様々な障害が存在しているのです。

しかし、エチオピアからやって来た私にとっては、モザンビークのビジネスは参入可能な業種が限られているわけでもなく、また外国人の起業に対して敷居も高くありません。起業に対するハードルがとても低いように感じたのです。

また、モザンビークはまだ資源も取れておらず、他のアフリカ諸国と比べて市場が大きくなっていない様に感じます。その分0から1を作り出す新規事業はとてもやりやすいのかもしれません。

そして何より、気候環境

モザンビークの人たちはとても陽気で、楽観的です。勿論納得できない部分もありますが、それでもその人柄はとても魅力的なのです。(もちろん、エチオピアの人たちのことも大好きですが、タイプが全く異なります。)

また、海を見ることができないエチオピアと違い、モザンビークは海に面しているため、魚介類の数が豊富で、休みの日は気軽に海へ行くことができます(モザンビークに来て初めて、長い間海に対する想いを無意識に抑え込んでいたことに気づいたほどです)。これは私にとってとても大きなポイントでした。

 

そんなモザンビークで手伝い始めた不動産業。

会社の登記手続きに始まり、首都マプトに来る日本人向け不動産仲介や家具レンタル、ロジ手配等などの業務を行い、また前任者が日本に帰国するという事態になったため、代表を務めることになりました。

但し、マプトの日本人、一部アジアの方向けの上記業務では、現地の方々の雇用は2~3人が限界です。

現地の雇用を生み出したい

そう考えていた私は、不動産業をやりながらも、前々回の記事で紹介したビジネスモデルを進めるきっかけとして、飲食店を始められないかと思い、日々の業務と並行してその事業計画書も立てていました。しかし、当時はまだマプトの物件市場価格は高く、それなりの資金を投じて突然飲食店を始めることに少し躊躇していました。

そんな矢先、また偶然にもお誘いの話をいただきます。

モザンビークは海に面していることもあり、魚介類に対する需要が多くあります。そのこともあり、マプトには日本のODAでできた魚市場が存在します。その魚市場にあるフードコート内でお店をやらないかと、現地で水産加工業に携わる邦人の方にお話をいただいたのです。

プレハブ建てのような建物と屋外の飲食スペースのため、大規模なお店ではありませんでしたが、家賃は一般的な市内の物件に比べると破格の値段でした。また仕入れやスタッフの指導、メニュー検討などを行う良い機会だと捉え、2016年11月、日本食レストランYasukeをオープンするに至りました。

オープンから1年ほど経ち、以下3つの理由から、新たなお店を市内中心地でオープンすることを決断します。

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1: 現地の人を雇用し、様々な方の力を借りながらのお店のオペレーション、レシピのマニュアル化、弁当の配達、仕入れ先の確保・開拓など、現地での飲食店業務の全体像がつかめ始めたこと。

 

2: オープンした魚市場は、中心街から離れており、且つ私たち以外のお店はすべて同業態(市場で買った魚を炭で調理し提供する)ため、ライバル関係がひしめき合い治安が悪かった。

(駐車場でのタカリ、ライバル同士の客引き、置き引きなど。そのような環境でも足を運んでくださる駐在外国人の方にとても救われました。)

 

3: 寿司を取り扱う店が増え始め、市場が出来上がってきたこと。

私が来た当初は、韓国の方がやっている日本食レストランと一部寿司を提供しているイタリアンレストランくらいしかなく、まだ「Sushiってなに?」というような状況でした。しかし、徐々にSushiを提供するお店が増え始め現在は6店舗ほどに拡大し、市場もできてきました。

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メニューの刷新、物件の確保、ライセンスの手配等を行い2018年今年の6月から日本食レストランMusashiをオープンさせました。(レストランの名称変更の理由についてはまた別途ご案内します。)

何も分からないまま飛び込んだアフリカ。目標だけを見失わず突き進んで来たことにより、そこで出会った数々の偶然と周りの方からの助けのおかげで今の私があります。

次回は、これからモザンビークでどのように展開していこうと考えているのかご案内させていただきます。

Journey to Mozambique (後編)行動指針5箇条

こんにちは。Verde Africaの有坂です。前回はJornery to Mozambique の皆さんとの取り組みを前編として紹介させて頂きました。今回は後編です。

Jorney to Mozambique とのディスカッションのプロセスを経て、Verde Africaの行動指針を改めて練り直す機会を得ました。モザンビークで何がやりたいのか自分たちの心の奥深くまで掘り起こしてもらったうえで作り上げた行動指針はやっぱり説得力が違います。JORNEYの最終日にはこの行動指針と営業100日プランをスタッフ全員に発表して、BBQパーティーで締めました。全行程のクライマックスになったのは各スタッフに一番大切だと思うものを選んでもらって、その理由を発表してもらった時です。

Verde Africa 行動指針5箇条】

1,Respect your customers,Respect your work mates (お客さんを尊重し、一緒に働く仲間を尊重する)

2,Be proud of being a force to make Mozambique a better place (モザンビークをより良い場所にする仕事をしている事にプライドをもつ)

3,We value honesty and sincerity in ourselves,and in our product  (仕事に対して誠実かつ真摯に臨み、それを製品の品質に反映させる)

4,I believe in a world which my efforts are paid off inside and outside of Verde Africa (会社の外でも中でも、自分の努力が報われる世界を信じて作り上げる)

5,Verde Africa wants to grow with you,and stand together along with your life   (社員と一緒に成長し、社員の人生に寄り添う会社であること)

 

例えば、生産スタッフのアルミナ(22歳女性)は3番の『仕事に対して誠実かつ真摯に臨み、それを製品の品質に反映させる』を選びました。その理由は『お客さんに説明する時、嘘をついて後ろめたい気持ちではなく、胸を張って勧められるものを作りたいから』と言ってくれていました。私は『そう!まさにそれだよ!アルミナすごいじゃん。』という気持ちで一杯でした。生産スタッフのエリジオ(19歳男性)は5番の『社員と一緒に成長し、社員の人生に寄り添う会社であること』を選び、『Verde Africa で働くようになってからいろいろ自分も成長できていると思うし、これからもVerde Africaが大きくなるように沢山生産したい』と言っていました。スタッフ全員の素直で温かい気持ちが伝わってきて、基本的に斜めに構えている私ですら嬉しくて泣きそうになりました。

 

(スタッフの発表の後に撮った全体写真  写真:佐藤匠

 

ここで得られたスタッフとの一体感は本当にかけがえのないもので、それを日々維持していくよう引き続き努力して行きたいと思っています。その後も下記のように幾つかの前向きな変化がありました。現在私達が一番力を入れて取り組んでいることが営業100日プランの実行です。次回のブログではこちらについてご紹介します。

 

【その後の変化】

1,レストランや養鶏場など新規顧客が増加したこと。営業マネージャーのアイレス君もステップアップした様子です。

2,工場のスタッフが仕事に前向き。日次1トン生産を達成できる日が増えています。

3,やるべきことが明確になって経営陣の気持ちが晴れやかになったこと。

, 営業努力に伴い、売上も増加中。

 

また、Journey to Mozambique のチームより共有イベントも開催される予定ですので、12月2日に東京におられる方は是非ご参加ください。私達もスカイプで参加します!

【イベント情報】

場所: BOOKS WORK & MEETING LOUNGE

〒101-0041 東京都千代田区神田須田町2-1-1 ザ・パークレックス神田須田町ビル3F

時間: 14:30〜17:00

イベントページが完成次第当社Facebookやインスタグラムで共有致します。

(スタッフに仕事に対する意識についてインタビューをしているJourneyのメンバー) 

 

現在までの道のり【藤本@モザンビーク】

皆さん、こんにちは!モザンビークで日本食レストランを経営している藤本浩平です。更新が遅くなってしまいましたが、モザンビークまでたどり着いた経緯についてご紹介させていただきます。

 

「アフリカで雇用を生み出すことに関わりたい。」

そう思いながら日本の会社で働いてはいたものの、アイデアを考えたり思うだけで、特に何も行動できていないというのが実態でした。アフリカにツテを作ろう、普通ならばそのようなことから始めるかもしれません。

このままでは思いだけで終わってしまう。そう思った私は日本の会社を退職し、南アフリカにある語学学校に身を移します。そこで1か月間英語を学びながら、アフリカでのビジネスについて情報を集めていきました。

その中で、サブサハラで2番目に人口が多い、エチオピア。旅行の時以来何か繋がりを感じていたこともあり、挑戦の舞台にエチオピアを選びます。

早速移り住んでみたものの、初めてのことが多く試行錯誤の日々が続きます。まず、エチオピアに住むために必要なビザを獲得するため、私はアディスアベバ大学アムハラ語学科に籍を置きます。そして出会った友人と田舎町でキャンピングロッジを行う計画を立てますが、その友人がギャンブル好きで怪しく、計画と違うことが次々と起こっていたため、断念。

人に頼るのではなく、自分で切り開いていくしかない。と学びましたが、なかなか物事をうまく前に進めることができない日々が続きました。

アフリカまで来て何をやっているんだろう。SNSで更新される友人たちの近況を見ながら焦る日々。。まだアフリカに挑戦するのは早かったのかもなあ。無謀すぎたのか。上手く物事が進まないときはネガティブになりがちです。

日本に住む友人から「お前は自分で進みたい道を選んで進んで行っているんだからいいじゃないか。Life is good だろ!」と言われた言葉に何度も救われました。そう、目的を見失わず、前に進んでいくのみ

そんな時、偶然にも知り合いから、現地でコーヒーの輸出業を営んでいる会社の社長の紹介を受けたのです。その社長は外国人スタッフを探していたこともあり、ワークパーミット等を手配してもらい彼の会社で働くことになりました。

ところが実際にしたのは日本に営業電話をしてコーヒーを売るということと、新規で取り組んでいた畜産業のプロジェクト立ち上げのお手伝い程度。特に仕事量も多くなく、暇な時間が続いた上に会社の経営も危うくなるという事態に陥りました。

約2年間、エチオピアで様々なことにチャレンジしながら情報収集をしていた私は、同時にエチオピアで事業を行う難しさにも感じていました。1つのビジネスを始めるのに200,000USDの資本金が条件であることも大きな要因の一つでした。

このような状況下、「アフリカで雇用を生み出すこと(詳しくはこちら)」が自分の目標であることをもう一度確認し、環境を変え自分の目標に向かってストレートに動いていこうと再度決意します。その決意と共に、お世話になったコーヒー会社も退職しました。

とはいえ、他の環境に移るハードルが高いことに頭を悩ませていました。植民地になった歴史のないエチオピアの環境が他のアフリカ諸国と比べて少し特殊だったのです(すこしは話せるようになったアムハラ語もエチオピア以外では使えません)。

そんな時、またもや偶然、エチオピアにいた青年海外協力隊の方にモザンビーク、マプトで不動産業をしている方の紹介を受けたのです。

環境を移し、そこで現地の雇用を生み出すという目標に向かってもう一度チャレンジしよう。そう思い、モザンビークに身を移します。

偶然続きのアフリカ生活。次回はモザンビークで何が起きたのか、書いていきます。どうぞお楽しみに!

Journey to Mozambique の皆さんありがとう!(前編)

ボア・タルデ!こんにちは。Verde Africaの有坂です。今回は8月に弊社を訪問してくれたお客さんについて書きたいと思います。

Journey to Mozambique は様々なキャリアバックグラウンドを持った合計9名のチーム(スタッフも含む)で、Verde Africaのオペレーションを知ったうえで改善に向けたアドバイスをすることを目的にした合計7日間のツアーでした。8月11日~18日まで観光もそこそこにVerde Africaに密着してくれました。

(プログラム初日に行ったポンタ・ド・オウロのビーチ)

このプログラムは私の前職の先輩(現在は株式会社ルバートの代表)が企画しました。メンバーはマーケティング、経営戦略、組織開発コンサルタント、機器メーカーのエンジニア、会計士、プロコーチ、フォトグラファー、学生(半年前まで弊社でインターンしてくれていた方)という豊富なバックグラウンドを持ったスーパー集団でした。モザンビークに渡航する前から私達へのヒアリングを含む入念な準備をして、モザンビークでも販売先の市場に同行したり工場での肉体労働を手伝ったり『折角のお盆休みに…』と思ってしまうくらい真摯にVerde Africaの仕事を理解しようとしてくれたのが印象的でした。

 

(スタッフと一緒になって肉体労働に励むJOURNEYのメンバー)

訪問中はVerde Africaの仕事体験、販売先の市場の視察、経営チームとのディスカッション、スタッフへのヒアリングが繰り返された後に幾つかのアクションプランが提案されました。プログラムのタイミングも丁度私達が課題を抱えている時期にピッタリと合い、彼らのアドバイスによる大きな変化を実感することができました。

【提案されたアクション】

1,営業100日プランの実行 ⇒ 年内に絶対に営業収支黒字化を達成させるための本気プラン。詳しくは次次回のブログで。

2,優良顧客へのスタンプカード配布 ⇒ 10月1日から開始しました。リピーターを優遇する。

3,売上管理を紙+エクセルからアプリに移行する ⇒ アプリ制作中。

4,スタッフの仕事に関する意識・意見を月次でヒアリングする ⇒ 9月末に実施。やって良かったです。

5,生産歩合給に加えて、チームとして一緒に喜べるインセンティブを設ける ⇒ 週5000キロ生産できたら、金曜日の終礼でコーラを出すことに。

6,ターゲットに対する生産高を可視化する ⇒ 10月からグラフを工場に貼りだします。

JOURNEYのチームから学んだことは沢山あるのですが私が一番感銘したことは、相手の考えを良く聞いてそれをアクション・プランにまとめるスキルです。私達(私とパートナー)の頭の中には常日頃のオペレーションから認識される課題ややるべきことについてのアイデアが混在しているのですが、それをまとめて合意して行動に移すというプロセスが滞るときがあります。チームの皆さんは私達2人だけでなく従業員全員から熱心に話を聞いて、それを私達2人に確認し、再度練り直したうえでアクション・プランに落とし込んでくれました。そのプロセスに自分がしっかり巻き込まれているからこそ、提案されたプランはどれも納得できるものばかりだったのだと思います。特に7月と8月は自分の頭の中にある課題や問題意識を行動プランに落とし込み、スタッフに周知して実行してもらうということができずもがいていたので、JOURNEYのチームの皆さんの力添えは本当に貴重でした。自分が苦闘していた課題が目の前でどんどん進められていく過程を目の当たりにして、大変勉強になったのと同時にロジカルシンキングの有効さを実感しました。

   

(売上改善の為の計画をディスカッション)

そして、プログラムのクライマックスは Verde Africa 5か条の共有でした。

(後編  Verde Africa 5か条 に続く)

顧客接点の近いビジネスを通して持続可能な雇用を生み出す [藤本@モザンビーク]

 

皆さん、こんにちは!モザンビークで日本食レストランを経営している藤本浩平です。

今回は前回に続き、私がここ、モザンビークでこれからやっていきたいことについてお話ししようと思います。

資本主義の枠組みに上手くフィットしながら現地の人たちが自力で生きていける仕組みを作ろう。アフリカの人が自ら働いてお金を稼ぎ、そして家族と生活して行ける仕組み。それを作るにはまず雇用を生み出さなくてはならない。ただし、自分無しで回らないような仕組みでは意味がない。旅行を通じて私はそう思うようになりました。

とはいえ、当時私はビジネスに関して何も分からないという状態。

帰国した私は、第一歩目として日本で働くことを決意します。折角日本で生まれ育ったのだから先ずは日本で働きながらビジネスを勉強し、将来アフリカへ戻ってこようと考えたのです。

では、どんな会社で働くか?すんなりと腑に落ちる答えを見つけるまでにはかなりの時間がかかりましたが、「多様な業界業種の会社と付き合うことのでき、且つ忙しそうな会社(私自身が追い込まれないと動かない性格であるため)」という定義で探し、Web会議やWeb上でセミナーを行うシステムの会社へ就職しました。

当時、ソフトウェアの業界はまだ、アメリカで流行したものを日本に持ち込めばビジネスが成り立つ、という時代でした。しかし今はそうではありません。新しいサービスが次々と生まれ、世界規模で拡大し、シェアを獲得していた会社がすぐに落ち込んでしまうということは当たり前になりました。

アフリカで雇用を生み出すには?私は頭の片隅にいつもこの問いを置いて仕事をしていました。入れ替わりの激しいソフトウェア業界は継続的に雇用を生み出すモデルには向いていない。

一方でセブンイレブンのようなビジネスは、技術革新が進んでも「最終的に必ずお客さんと直接接点を持つ」というアナログな部分は切っても切り離せないのではないか?と感じることが多々ありました。

スーパーや飲食店などお客さんとの接点が近いビジネス、(第3次産業)そこで多くのお客さんを獲得することができれば、

その方々へ販売する農作物等も自作し直販することで、安定してビジネスを回すことができるのではないか。思う様になりました。

その結果、以下のようなビジネスプランに至ったのです。

 

① レストランを経営し、顧客のアナログ情報を集める

② 仕入れたものを顧客へそのまま販売し横展開。(スーパーマーケット)

③ 付加価値の付いた養鶏や農作物の生産を行い、スーパー、レストランで販売、利用する。

④ FCなど店舗数の拡大等の横展開

⑤ アナログな顧客の情報が加速度的に集まり、よりニーズに合わせた戦略を立て、実践に移すサイクル

このようにアナログの情報を基にすれば、生産から販売までサイクルを効率よく回すことが可能です。そして何より、スーパーやレストラン、農業などそれぞれが実際生活に根差しているので、個々の場所に現地の雇用を生み出すことができます。

また、モザンビークの通貨、メティカルは通貨の価値が非常に弱く、為替の変動に影響されやすいという問題があります。人々の生活もそれによって大きく左右されているというのは一つの大きな問題です。

この資本主義社会の中で、それぞれの国々は互いに深く繋がり、否が応にも影響を受け合っています。それ故に、モザンビークの人が自力で状況を脱するのが難しい。

しかしこの仕組みであれば、この中で一つの経済がほぼ完結するため、為替の変動による影響が少なくなるでしょう。そして、何より自分が抜けても現地の人たちが独自に経済を回すことができるのではないか。と考えています。

「現地の人が安定して職に就ける。自分がいなくなっても安定して経済を回して生きていけるようになる。」

この目標を、この仕組みを念頭にできることから実現していこう。今はその思いでモザンビークに滞在しています。

読んでくださった方、ありがとうございました!次回もお楽しみに!

マバラネで村の人々と森を再生します

こんにちは!はじめまして。

森林でなりわいを立ててきました、井上泰子と申します。

モザンビークで、平和と希望の森林プロジェクトを行い、村を豊かにしたいと思っています。

よろしくお願いいたします。

モザンビークの南部ガザ州は、かつて豊かな森林に恵まれた地域でした。首都マプート市と周辺のベッドタウンを含むモザンビークの首都圏270万人以上を擁するマプート州では、首都と首都近郊に煮炊き用のエネルギー源として使われる木炭を供給するため、早々に木質資源が枯渇し、マンゴー、アマルラ等の食用や酒造用として価値が高い果樹しかほとんど残されていません。
首都圏への木炭の供給元は首都に近いマプート州から隣に位置するガザ州の奥に徐々に広がってきています。

マバラネ(Mabalane)郡は、ショクエからダートの道を含め134キロメートル、ジンバブエ国境のシクアラクアラまで542キロメートルに位置する内陸部にあり、図が示すようにガザ州でも最も木炭生産が盛んな「森林減少の最前線」となっています。トラックが山積みの木炭をひっきりなしに運び、週一回、木曜日にジンバブエからマプートに向かう列車が通るのですが、数百メートルの長さの貨物車は毎回あふれるばかりの木炭を満載に首都に向けて運搬される状況となっています。住民164名にインタビュー調査を行ったところ、72パーセントの人が深刻なレベルであり、森林減少を食い止める必要があると答えていました。しかしながら、木炭生産以外に現金収入の手段がほとんどなく、自給持続的農業を営む多くの人が現金を得るために必要としています。

私は、2010年から2014年の間、モザンビークの土地森林局にJICAの森林管理能力アドバイザーとして赴任し、モザンビークの同僚、WFP国連世界食糧計画、カーボンフリーコンサルティング社の支援を受けて、このマバラネ郡でモリンガ、カシュー等の村人が希望する樹木を配布し、アグロフォレストリーという自給自足的農業と共存する植林を進める活動を行いました。

しかしながら、森林資源が枯渇してくるにつれ、①煮炊きに必要なエネルギー資源、②現金収入 の双方の確保をどうするのか、が地域の村人にとって大きな課題となっています。

かつてガザ州ではマフラという木からとれる油を多く含む実がたくさん収穫されていました。ポルトガルの植民地時代には搾油工場もあり、ココアバターのような高級なオイルを輸出されていたそうです。このマフラという木は、成長が早く、また比重が高いため良質のエネルギー材となります。つまり、この木を植えることで、一部を間引きしながら生産できる実から高級オイルを生産しつつ、地域の雇用機会を創設し利益を還元することで、森林減少をくいとめることができると考えています。

緑が戻れば、水蒸気の発生により頻繁に起きる干ばつの被害を抑えることができ、また、数年おきに発生する洪水の被害も、森があれば人々の生活する村を守ることができるようになることが期待できます。

モザンビークの仲間たちと会社を登記し、準備を始めました。

植民地時代とは逆に、村人自らが自分たちの意思で、自分たちの資源を生かし、自分たちが豊かになる、そんな世界をめざしたい、そうした村の人たちの希望を叶える事業を行うことは可能だと思います。

これから、村の人々の話やどのように事業を行っていくか、お話していきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

図は、マバラネの位置、木炭生産量の推移、マバラネで実施したアグロフォレストリープロジェクトの様子、マフラの木 です。

アフリカに興味をもったきっかけ [藤本@モザンビーク]

オープン当初

初めまして。モザンビークで日本食レストランを経営している藤本浩平と申します。

初めての投稿になるので、遠いようで意外と近い、アフリカに興味を持つようになったきっかけをお伝えしていこうと思います。

私は広島県尾道市というところで生まれました。そこはよく星の見える場所で、私は小さいころから星を眺めるのが大好きでした。しかしある日を境に、私は星を見るのが怖くなってしまったのです。

「地球から見える星の光は、何万年も前の光なんだよ」

人間の人生なんて、長くても100年程度。その何百倍もの長さを旅してきた光が、今自分の目に届いてるんだ。

幼稚園の頃の私は、そのあまりに大きな神秘を不思議に思い、時間があればずっとそれに思いを馳せていました。しかし、同時に恐怖をも抱くきっかけともなったのです。

100年という、人生。それに対してあまりに大き過ぎる世界。

死ぬのが怖い。自分は死んだ瞬間どうなっちゃうんだろう。何もなくなっちゃうの?いや、いっそのこと歴史に名を刻んで永遠に生きていた証を残しちゃえばいいのかな。

この大きすぎる世界に対してどうしようもなくちっぽけな自分。まだ幼稚園児であった自分は小さいながらに頭をフル回転させ、また小さいからこそ、目の前に突然現れたこの恐怖に対して懸命に抗っていました。

そんな恐怖とひたすら向き合った私は、小学校3年生の時に新しい考えに行き着きます。

「いや、そんなことをずっと考えててもしょうがない。死ぬまでに見たいものを見て、知らないものを知って、幸せに生きていければそれでいいんだ。」

抱いた好奇心に対して、一つずつ答えを出す。長く続いた恐怖の末に辿り着いたこの考えは、今でも自分の軸になっています。このこともあってか、小学校の卒業文集に、「将来は自分の稼いだお金で世界中を旅する」と書き記していました。

とはいっても夢は夢。身近な部分の好奇心に対しては挑戦できるものの、大きな夢に対してしっかりと向き合おうとはしませんでした。

 

そんな中、迎えた大学生活。サッカー、陸上と経験してきた私はトライアスロンに挑むことにしました。1年の頃に見た関東選手権に憧れ、ただひたすら毎日朝6時から練習を積む日々。3年になると実力もついてきて、気づけば地方の大会では優勝、憧れの関東選手権で6位という成績を収めるようになっていました。そしてなんと所属していた大学の団体で全国優勝をも成し遂げてしまったのです。

「あれ?意外と夢って達成できるもんじゃん。」

夢は意外と実現可能。そんな気付きを得た私はすぐに大学を休学します。「世界中を回ろう。」そのまますぐ社会に出て、夢を語って生きるだけの大人になりたくない。そうなる位なら、今すぐ挑戦しよう。そう思ったからです。

 

目指すはアフリカ。5歳、新宿駅で、人生初めてのアフリカの人を見た時に走った衝撃が忘れられなかったからです。視界の斜め後ろ。信じられないくらい背が高く、肌の色が、黒い。

とうとう出発した私は、上海から東南アジア、トルコ、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル、エジプトと旅をし、とうとう念願のアフリカに上陸しました。

旅行時にエチオピア南部にて

初めてのアフリカはエチオピア、ケニア。そこで感じたのは、外国からの支援などをもらって当たり前。そこから自発的な次の展開へ至っていない、継続していない姿でした。

資本主義がベースとなる今、お金稼ぐために誰かが働き、その結果生まれたものをほかの人が働いたお金で買い、そのまた別の人が働いたお金でそれを買う。このサイクルからは逃れられません。寧ろこのサイクルにうまくフィットすることで、生活を豊かにし、幸せに生きていく土台となるのではないでしょうか。

もちろん、そのベースそのものが間違っていると考えている人もいるでしょう。しかし今ある枠組みの中でできることをし、自立して生活を送る人が増えればいい。私はそう思っています。

初めて訪れたアフリカで円を描くような資本主義の流れを、その援助や支援で寧ろストップしているように思えたのです。

「それは、違うんじゃないか。」

なら自分でやろう。このアフリカの地で、生きている人たちが自分自身の人生を送っていけるような仕組みを作ろう

市民が頻繁に暴動を起こす姿、笑顔で自分にお金をせがむ姿を何度も目に焼き付けながら私はこう決心しました。

これがアフリカに拠点を持つことを考え始めたきっかけです。今はモザンビークで日本食レストランを経営するに至っています。

次回は、その仕組みをどのように作っていこうと考えているのか、について書きたいと思います。ここまで長文読んでくださってありがとうございました!

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