異文化でのBtoCの難しさ ➀

ブリケットは通常廃棄されるバイオマスを再利用して作られることが多い。当社は木炭の屑を木炭販売業者から買い取って、再利用している。何故、木炭屑を選んでいるのかというと当社の商圏においては品質と調達加工コストのパフォーマンスが最も優れているからだ。

モザンビークの木炭市場の1%を獲得できれば、十数人規模のブリケット企業には十分な売上がたつ。木炭との性能(火力や扱いやすさなど)の違いを考慮して、価格は木炭の6−7割程度に設定した。つまり安価な商品を大勢のお客さんに売りたかったのだ。

でもブリケットはなかなか売れない。特に家庭や食堂などのBtoC(個人客向け販売)での売上は計画を大幅に下回り、メインターゲットをBtoB(対ビジネス向けサービス)に変更するという軌道修正をせざるを得なかった。もちろんマーケティングとか販売形態とかセールスの改善点は山ほどあると思うけど、当社のリソースと頭脳を使って2年ほど苦心した結果、収益化する兆しが見えないという結論に至った。

現在の顧客はレストランや養鶏場が中心だ。注文があればBtoCのお客さんにも配達するが、積極的な営業活動は行っていない。家庭や食堂のお客さんは中産階級の比較的しっかりした家庭だったり、ビジネスを上手に仕切っているアクティブな食堂が大半を占める。

食堂は沢山の炭を使うけど、定期購入に繋がるお客さんは一握りだ。

これまで沢山の家庭や食堂のお客さんが興味を示して、買ってくれた。でも、継続購入につながらなかった。1回買ってやめてしまう人も多いけど、6ヶ月くらい使って突然やめてしまう人も結構多い。個人的に後者のケースはすごく落ち込むのだが、現実を見なければいけない。

起業前の私は休日や夜のスターバックスでエクセルの事業計画書を作りながら、現状よりもかなり楽観的な家庭顧客の商品リピート率を想定していた。仮説は『木炭をブリケットに変えて料理するだけで、1日10円以上を節約できるなら、多少の使いにくさがあっても節約重視で購入する』というものだった。正直、所得が低い人ほど節約に熱心だと想定していた。事業計画書とは何が違っていたのか。まだ自分の中でも答えがないけど、ここ一年考えて少しずつ見えてきた視点について綴ってみたい。

お客さんがどの調理燃料を選ぶかは ➀予算 ➁調理しやすさ ➂便利さ の3点が主にあると思う。当社の商品は予算と便利さの面では競争力があるはずだ。一方で、木炭との違いに慣れることができないお客さんが多く、調理しやすいとは言えないようだ。

難点を克服するために、丁寧な使用方法説明や技術的な改善を続けていくことが必要だ。ただ、最近気がついたことは、家庭における節約の感覚は日本のそれと全く異なっているということだ。

昭和の日本に生まれ育った私は、1円でも安いものを買おうとする母や祖母の情熱を見て育った。10円安い大根を買うために200メートル遠い店に行く。使っていない家電は主電源を切って電気代を節約する。時代は変わりつつあると思うけど、節約に対する私のイメージはこんな感じだ。

その同じ10円は月次最低賃金が1万円前後のモザンビークではどのくらいの価値があるか。私は結局日本人の感覚をベースにしか考えられていなかったのだと気がついた。一般的なモザンビーク家庭と日本家庭を比べると、より節約熱心なのは日本だと思う。総所得に対する節約額の割合と節約に費やすエネルギーで考えるとより明白だ。(もちろん節約感覚には個人差があり、一括りにして話すのは難しいのだけど全体的な傾向についての考えとしてご理解頂きたい。)

世界的にみると日本は節約熱心な国の部類に入ると思う。私が卒業したカナダの大学のマクロ経済学の教科書には、日本家庭で見られる節約努力(主電源を切るとか、炊飯器の保温電力節約など)についてコラムで特別に紹介されていた。それは文化背景により消費及び貯蓄行動が異なるというメッセージだ。なぜ、日本とモザンビークの節約の感覚が異なるのか。2つの社会文化背景の違いが影響しているのではないかと考えた。

➀ 貯蓄サービスへのアクセス

➁ より良い人生を求めてどのくらいの時間軸で行動するのか

続きはまた次回…

モザンビークの近代史について思うこと

1974年の独立以降のモザンビークの歴史を綴ったブログを読んだ。

これまで日本語や英語のまとまった文献に出会えず、知らなかったことばかりだった。現在のモザンビークから察することができる情報、これまで読んだ記事やニュースが繋がるようで興味深い。

モザンビークの首都マプト市には共産主義のヒーローにちなんで名付けられた通りが沢山ある。有名なところで挙げるとレーニン、毛沢東、ホーチミン、金日成などだ。2年前までパンの値段さえ価格統制されていたし、乗り合いバスは今でも上限が決まっている。独立直後のモザンビーク政府の共産主義政策にもうなずける。

南アフリカに支援された反政府ゲリラやジンバブエの独立運動についても、今まで少しずつ聞いていたことが一枚の絵として繋がる感じだ。ポルトガルの独裁政権とアフリカ植民地政策、ロシアや中国を中心とした共産主義と冷戦構造、南アフリカを中心とした巨大な旧植民地ローデシア。モザンビークは1974年に独立したあとも、世界を渦巻くいろいろな思惑の中で翻弄されていたのだと思う。経済復興に集中できるようになったのはきっと内戦が終結した1992年からなのではないか。

1990年後半のモザンビークは資本主義のサクセスストーリーとなる。年次7%を超える経済成長率と貧困率の削減。米国をはじめとした外国から開発援助が流れ込み、2014年にはIMFのAfrica Rising Conference を開催地に選ばれた。2000年~2010年前半のマプトが今より豊かだった様子はスタッフの若い頃の話を聞いても納得できる。

そして2016年に騒ぎになった国家の巨額隠し債務問題がある。モザンビークの通貨は4割以上暴落し、今でも隠し債務問題前の8割の価値に留まったままだ。IMFや海外援助は止まったままで、隠し債務問題の裁判は進行中だが解決策は見えていない。

モザンビークでは今も汚職や賄賂文化がなくならない。町を歩いていたら警官に、パスポートをいますぐ見せられないなら交番に連行されるか賄賂を払え、と要求されるのは珍しくない。隠し債務のこともそうだけど、10年とか20年で降って湧いたように現れた繁栄の甘い汁を吸おうと必死になった結果なのか。

そして今、モザンビークの新たな希望として北部カーボデルガード州で開発が進む巨大ガス田がある。資源開発により豊かになったボツワナ。紛争と格差がもたらされたナイジェリアやアンゴラ。

これからのモザンビークが良い方向に向かうように願う。過去の経験をより透明な政治への足場としてこそ価値があるはずだ。

品質管理への挑戦

過去2週間、お得意さんからのクレームが相次いで参っている。

大部分は当社製品を半年以上続けて、週1-2回の頻度で買ってくれる大切なお客さんだ。レストランや食堂で米を炊いたり鶏を焼いたりする時に使っている。

当社のブリケットで豚肉を焼いているところ。

クレームの内容は炭の火力がいつもより弱く、灰が多いというものだ。火力が弱いので使用量が増えて、経費がかさむと言われたケースもある。

Verde Africaを始めて以来、お客さんからのコメントを直接聞くことを大切にしてきたが、ブリケットの品質管理には主に4つの要素があると思う。

  1. 密度 ⇒ 形成機と破砕機の保守状態で商品の圧縮度合いが決まる。主に機械メンテナンスが原因だ。密度が低いと、ブリケットが通常より早くなくなってしまう。
  2. バインダー ⇒ ブリケットを形成する際に原料のつなぎとして、炭粉にどろどろのキャッサバ粉溶液を加える。これを入れすぎると、煙が増えて製造原価も高騰する。
  3. 乾燥 ⇒ ブリケットは7日間の天日乾燥後に袋詰めする。雨や朝露や湿気など季節による天候の変化に影響される。乾燥しきっていないブリケットは着火が悪く、火力も弱い。
  4. 原料 ⇒ 現在の主な原料は木炭屑だ。町の木炭商から細かく砕けて販売できない屑を購入している。通常ゴミとして捨てるものを購入しているので、いくらかは砂が入ってしまうが、製造コストを考えて選別の工程は設けていない。不純物が多いと、火力が弱く灰が多いブリケットになる。

このようにまとめてみると、過去2年半の生々しい思い出が蘇ってきて懐かしいくらいだ。今回の原因は原料だ。原料に含まれる砂の量が過去3週間で急に増えていたのだ。お客さんに指摘されるまで、変化に気づけなかったことが悔やまれる。

今年1月の末に原料調達担当のスタッフが急に退職した。政府省庁で仕事が見つかったので即日辞めたいとのことだった。急いで新しいスタッフを雇ったが、彼は真面目が取り柄のタイプでとにかく要領が悪い。過去1ヶ月ほど原料調達における効率(量や時間など)を集中的に指導したことも、今回の品質問題と関係しているのだろう。

起業する時に『ものづくり』に憧れてブリケットに決めた部分も大きい。製造業では品質管理は終わりなき挑戦だと思う。

原料に関しては特に大事なことだから、誰か一人に責任を押し付けるのではなく、チェック&バランス機能が働くような仕組みを社内に作っていきたい。管理と生産と原料調達の3者がそれぞれに原料状態をチェックして、それを全体に可視化するのだ。

改善には実行あるのみ。今はクレームを伝えてくれたお客さん訪問と製品の交換に奔走している。この経験がいつかVerde Africaの財産になることを信じつつ、問題解決と繰り返さないための仕組み作りに励んでいきたい。

形成機から出てくるブリケットを並べるスタッフ。

モザンビーク女性の日

4月7日はモザンビーク女性の日(Dia de Mulhers Moçambicanas) で祝日だ。明日が振替休日なので工場は久しぶりに連休だ。市場やビーチは揃いのアフリカンプリントの布(カプラナ)でおしゃれした女性に溢れていたし、夜8時の街は喚声や音楽や口笛が響き年越しさながらの賑やかさである。

国際女性デー(International Women Day)を祝う国は多い。しかし、私がこれまで住んだ数カ国の中で、その国独自の女性デーを設けている国は初めてだ。国際社会へのアピールだろうと斜めに捉えていた私だが、モザンビークに住んで2年半遅ればせながら気がついた。今日はJosina Machel (ジョシナ・マシェル)の命日なのだ。

Josina Machel とは誰なのか。マプト市内の目抜き通りの名前にもなっているし、彼女の顔がプリントされたカプラナを巻いている女性も良く見かける。今更感満載だが、同じ女性として彼女の人生に感動したのでここで紹介したい。(注:以下の情報は全てWikipedia からの抜粋なので興味を持った方はご自身で改めて調べて頂きたい。)

Josina Machel は1945年にモザンビーク中部のVilanculos に生まれる。父親は看護師で8人兄弟だった。ポルトガル植民地時代のモザンビークで看護師は黒人が就ける最も教育の高い職業だったそうだ。Josinaは進学の為に小学4年生で首都マプト(当時のLourenço Marques)にやってくる。

Josina Machel がプリントされたカプラナ。彼女の写真が見たいかたはこちら。美人です。


13歳で高等教育に進んだJosinaだが、1964年19歳の時にモザンビーク脱出を試みる。隣国タンザニアに拠点を構えるモザンビーク独立戦線(FRELIMO)に加わる為だった。数名の同志と1280キロ移動し、ザンビアとジンバブエ国境に位置するビクトリア滝に着いたところで彼女は捕らえられた。その後マプトで5ヶ月投獄される。

一旦は高校に戻った彼女だが、数ヶ月後に新たな脱出を図る。マプトからスワジランドの難民キャンプに行き、FRELIMO支持者や教会団体の助けを借りてボツワナまで辿り着く。イギリス植民地政府に連れ戻されそうになりながらも、国連 (UNHCR) やFRELIMO代表の力添えもあり、18名の有志と共にタンザニアの首都ダルエスサラームに辿り着きFRELIMOに迎えられた。3200キロの道のりであった。

20歳になったJosinaはFRELIMOの教育機関代表補佐として働くようになった。スイス留学のチャンスを蹴り、モザンビーク人女性に独立運動参加を促し訓練する運動を立ち上げる。

モザンビーク独立戦線(FRELIMO)はタンザニアの南部にゲリラ戦線を構えていた。ある時、25名の選ばれた女性がこの拠点での軍事訓練に送り込まれる。Josinaもその1人だった。この戦線を指揮していたのが、モザンビーク初代大統領でJosinaの未来の伴侶となるSamora Machel (サモラ・マシェル)だ。

1968年にはFRELIMOの社会福祉事業部の代表に任命され、戦争孤児を世話する事業を指揮する。Josinaは雄弁に語り、民衆(特に女性)を奮い立たせる力においても一目置かれていた。24歳でFRELIMO国際部の女性代表に任命され、独立運動と新しい時代の動きに女性も同等の権利を持って参加できるように働きかけた。

1969年は彼女にとって特別な年だった。当時のFRELIMO代表のEduardo Mondlaneが暗殺され、残された妻 Janet に付き添い寝食を共にする。5月、 JosinaはSamora Machel (サモラ・マシェル)と結婚した。そして、11月に息子(Samora Junior )が生まれた。

翌年、Josinaは激しい腹痛と疲労に襲われる。そして、モスクワの病院で肝臓ガンと診断される。医師からは静養と食事療法を指示されたが、幼い息子を預けて、Josinaは働き続けた。

1971年には北部モザンビークに2回に渡る長期出張をした帰り道、同士にピストルを手渡しながらJosinaは言った。『私はもうダメです。これを軍の指揮者にお返しして欲しい。このピストルはモザンビークの人々の救いの為に戦い続けるはずだから。』

そして4月7日 Josina Machel は25歳の生涯を閉じる。モザンビーク独立まで3年と5ヶ月だった。

なんて壮絶で熱い人生なんだろう。植民地政府の敵だらけの道中を3200キロも移動するなんて、リビングストンにも匹敵する冒険だ。男性でも看護師以上の職を望めなかった当時、家族だって同志だって女性戦士を受け入れてくれる保証はどこにもなかったのではないか。

サモラ・マシェルとの出会いもきっと大恋愛だったんだろう。大好きな人と結ばれたのに、一年で亡くなってしまうなんて悲しすぎるけど、それでも彼女は闘うことをやめなかった。

そして、現在 Josina Machel の命日がこんなに賑やかに祝われていることに、故サモラ・マシェル大統領をはじめモザンビークの人々の語り継ぐ努力と誇りを感じる。

アフリカで女性は強い。そして明るい。今日はモザンビーク人女性であることを祝いつつ、皆で食べて踊るんだろう。そんな素敵な祝日だ。

サイクロン「イーデイ(IDAI)」

Verde Africaの有坂です。サイクロンIDAIの被害でニュースに登場しているモザンビークに住んでいます。

被害の大きかったBEIRA(ベイラ市)は当社の位置するマプト市から1,000キロ位上離れており、マプトでは気候も安定した穏やかな生活が続いています。従業員の中にはベイラ方面からマプトに一時避難する親族を受け入れている家庭もありますが、基本的に平和な生活が続いています。当社工場や自宅や従業員宅やお客さん宅など全て無事です。ご心配頂いた皆様どうもありがとうございます。

一方で被害の酷いベイラ市からジンバブエ国境およびマラウイ国境のエリアでは現在700名以上の死者数が確認されています。被災者数は今後170万人以上にも及ぶと予測されています。ベイラ市はモザンビークでも5本の指に入る大都市でポルトガル植民地時代からの歴史を感じさせる建物が多く残る美しい都市です。しかし、ベイラ市の9割以上がサイクロンの被害にあい、水や電気などの基礎インフラが無い生活が続いています。

この現状に対しモザンビーク政府に続いてアメリカイギリスを始めとした諸外国が緊急支援を表明しています。民間レベルでも教会団体や学校や民間企業などが緊急支援物資に奔走しています。

モザンビークにとってサイクロンを始めとした自然災害は珍しことではありません。規模は違えど毎年のように沿岸部の都市が被害に合っています。一昨年はイニャンバネ市をサイクロンが襲い沢山の家が失われました。2000年にも世界的に報道された洪水被害がありました。モザンビークの人は自分の全財産をつぎ込んでマイホームを建てます。政府からの補助金なども先進国のようには期待できず、家や農地を失うことは全財産を失うことを意味します。命を失うことはもちろんですが、生活基盤を一気に失ってしまう辛さも推し量りかねるものがあります。

サイクロンを始めとする自然災害は大きな視点では気候変動の影響の1つです。今後も繰り返し発生することが予測されるからこそ、被災地での一刻も早い復興を進めると同時に、長期的な対策を取ることも重要だと感じています。

被災地での一刻も早い復旧と、亡くなった方々のご冥福をお祈り致します。そして、当社もいちモザンビーク企業としてどのような貢献ができるのか引き続き考えていきたいと思います。

2018年と2019年

こんにちは。Verde Africaの有坂です。マプトでは猛暑と雨の繰り返しが続いています。新年明けて少し遅くなってしまいましたが、2018年の振り返りと2019年の計画について書いてみたいと思います。

2018年は一言でいうと『多様で大変な年』でした。1月から4月は木炭の価格高騰に押し上げられ、連日知らないお客様から注文の電話がかかってきて、自分達でも驚くほど売上がどんどん伸びました。その後、警察の非合法的なガサ入れ、6週間の生産停止、売上の激減、従業員のボイコット、空き巣など問題が続きました。

でも、モザンビークと日本の両方で沢山の方達に応援してもらい、自分達のちからで会社を盛り上げていこうと全社一致することができました。それが2018年8月末から12月末まで継続した『営業100日プラン』です。(実際は100日以上ありますが)100日プランの主な内容は BtoC(企業対消費者間取引)からBtoB(企業間取引)顧客へのターゲット転換と積極的な新規顧客開拓です。

売上変動の大きな理由は個人事業主を含むBtoC顧客からの需要でした。ブリケット(形成炭)は一般的なモザンビーク人にとって目にしたことがないもので、市場を創出する必要があります。数十年木炭しか使ったことがなかった人達がブリケットの利点を理解し、使用方法を習得することは容易ではありません。

営業100日プランの結果、10月から12月は連続で売上最高記録を達成し、12月単月ではブリケット事業のEBITDA(Earnings Before Interest, Taxes, Depreciation and Amortization, 償却前営業利益とほぼ同意)を黒字化することができました。固定のBtoB顧客の増加も大きな収穫です。BtoB顧客のタイプとしてはレストラン、養鶏場、ケータリング会社があります。採用してくれたお店はコスト意識が高く、新しいものにオープンで、従業員のまとめ役がしっかりしているという特徴があります。サンプル配布に対する採用率は高くありませんが、採用後は一定頻度で長期に渡り使ってくれる点は圧倒的なメリットです。

忘年会で撮った全社集合写真

売上成果を嬉しそうに報告するスタッフ達

2018年に得た顧客動向についての学びを活かして決めた、2019年のテーマは”商品開発と代理店ネットワーク”です。一般家庭はマプト首都圏で160万人以上の市場ですが、攻略に時間と啓蒙を要するというボトルネックがあります。この部分は地元で人望のあるモザンビーク人の”販売パートナー”に任せていく方針です。当社製品を販売してマージンを稼ぐ、代理店業のようなイメージです。2018年の上旬から販売パートナーをしている人達の中には当社の直接販売では考えられない販売量を捌く人もおり、今後の可能性を感じています。

また、様々なタイプの顧客のニーズがはっきりと見えてきた現在、それらに合った商品を作っていくことにより売上を拡大できると考えています。今年中にココナッツ100%の水タバコ炭とレストラン向けプレミアム再生炭の生産販売を開始する目標です。また、ピザ屋やパン屋をターゲットにした薪ブリケットの生産も検討しています。

新商品試作の様子

創立3年目にしてモザンビーク国内で薄利多売な商品を売るというビジネスの難しさを改めて認識しています。一方で当社のブリケットを日常的に使ってくださるお客さんが増えているのも確かです。お客様が求めていることを理解したいという姿勢を大切にして、2019年はビジネス基盤の強化に注力していきたいと思います。

10月の売上

ボア・ノイチ!Verde Africaの有坂です。7日間続いた風邪がやっと良くなってうきうきしています。会社を4日休んだら女子スタッフが心配して『お見舞いに行きたい』と言ってくれて嬉しかったです。

 

アントレアフリカの3年目の支援も継続していただけることが決まり喜んでいます。3年目は最後の年なので、来年から独り立ちしていけるように、新しいことにどんどん挑戦して売上を拡大していきたいと思います。

 

10月はVerde Africaの過去最高の売上を記録しました。それまでは今年4月が最高でした。それは炭の価格が上昇する雨季(1月〜3月)の勢いにのって打ち出された数字で、営業チームとしては会ったこともないお客さんからの電話が連日相次ぎ知らないうちに売上が伸びていったというやや棚ぼた的な数字でした。

 

でも10月は違います。営業チームの血と汗と涙の結晶です!6・7月の売上減から学び、8月中旬より『営業100日計画』に取り組んできた成果だからです。『営業100日計画』については次回のブログでご報告したいですが、営業チームは新規顧客を見つけるべく商品サンプルを配りまくりました。そうやって自分たちで少しずつ勝ち取っていった数字だったからこそ喜びもひとしおです。

 

『営業100日計画』は年内のキャッシュフロー黒字化を段階的に達成していくための目標です。売上の規模はまだまだですが、こうして達成できたことを皆で一緒に喜びながら前に進んでいきたいと思います。

 

(売上を営業チームから生産チームへ報告してもらいました。)

最後に一点お知らせです。8月に当社を訪問してくれたJourney to Mozambiqueの共有イベントが12月2日に開催されます。こちらからお申込みができますので是非。

https://web.facebook.com/events/630643030666079/?action_history=%22[%7B%5C%22surface%5C%22%3A%5C%22messaging%5C%22%2C%5C%22mechanism%5C%22%3A%5C%22attachment%5C%22%2C%5C%22extra_data%5C%22%3A%7B%7D%7D]%22

ロベルトの結婚

生産リーダーのロベルト(32歳男性)の結婚式に参列してきた。従業員の結婚式に参加するのはこれで3回目になるが今回は特に感慨深い。彼が創立直後の当社に就職した2年前、ロベルトが無事結婚できるか疑っていた。1年前はロベルトと今も雇用関係を結んでいるか怪しかったし、雇用関係があったとしても結婚式に招かれることはないだろうと確信していた。

 

(昼休み中のロベルトと同僚)

 

そんなロベルトはいまでは営業部長のアイレス君と並ぶ最古メンバーだ。決して勘が良いとは言えないけど、時間をかけてブリケット形成機や破砕機の保守に関する知識を蓄えてきた。モザンビークには代わりがいない技術者だ。

ロベルトを一言で表すと『正直』だと思う。モザンビークにいると無意味に些細なものからバレバレのものまで様々な嘘に出会う。『嘘も方便』ということわざがあるが、嘘をつくことについての文化的視点が日本とは違うのかもしれない。でもロベルトにはそれはない。彼は時に愚直なまでに正直でそして心優しく、市場で買い物する時に値切るのもモザンビーク人のくせに苦手だ。生産リーダーとして10人あまりを束ねる、ロベルトのそんな正直さを私達はかなり重宝している。

ロベルトは真面目で有名な某系統のキリスト教の信者で、若いのに牧師のような要職を任されている。その背景は彼の人柄にピッタリとハマる。でも、仕事中に賛美歌をかけたりしないのがいい。JAZZが大好きでJohn Legendのピアノ曲やBob MarleyのJAZZアレンジなどかける彼の選曲が私は好きだ。

そんなロベルトの解雇を真剣に考えたこともあった。彼が入社半年ほど経った頃、私は『効率』と『優先順位』の概念を身につけてもらえるよう心を砕いていた。2-3ヶ月経っても変化のない彼を見て私は困惑し、彼も私からのプレッシャーに参っていた。仕事を休みがちになったロベルトを見て私は集中教育のさじを投げた。

生産ラインの要である破砕機を壊したこともあった。炭屑をリサイクルする際に鉄くずやゴミを取り除くのだが、混入はどうしてもある。鉄くずが破砕機に混入すると独特の異音がするので『すぐに機械を止める』よう徹底している。でも何故かその時ロベルトは異音がしはじめてから10秒あまり時が止まったように呆然としていた。小さな異音はただごとならない騒音に変わった。中を開けるとハンマーの1つが取れて内部を破壊し、衝撃でシャフトやベアリングハウスも壊れていた。私は怒った。多分創業してから一番怒ったと思う。金切り声を上げた訳ではないけど、感情的に流されてひどいことも言った。そして私はロベルトの教育をパートナーに押し付け、契約更新をたった6ヶ月に留めた。

それから1年、ロベルトは変わった。私達の関係も変わった。中国から購入した形成機には使用マニュアルのようなものはなく、試行錯誤を重ね機械の機嫌を肌感覚で感じ取るような側面がある。4ヶ月ほど調子の悪かった機械のベアリングを変え、ネジを変え、遂に正常に戻った時それはロベルトの発見だった。インプット投入口の羽の角度を調整して圧力を高めるのだが、それを発見して機械が直った時、ロベルトは興奮していた。そして興奮して目を輝かせているロベルトを見て、私は密かに目の奥が熱くなった。

ロベルトの悩みは仕事のストレスだけではなかった。結納金である。モザンビークの伝統で、花婿は”ロボロ”という結納金を花嫁の父親に支払わなければいけない。昔は牛だったそうだが、今は現金だ。額面を決めるのは花嫁の父親で払えないはらば結婚はない。ロベルトの給料でいえば、4−6ヶ月分は払ったのではないだろうか。彼は入社時からこの”ロボロ”をどう工面しようか悩んでいた。

モザンビークの結婚はお金がかかる。結納の儀式”ロボロ”をしたあと、花婿側の家族友人との結婚式、花嫁側の家族友人との結婚式というのがフルメニューだ。行政の結婚手続きにもお金がかかる。その為か多くのモザンビーク人が結婚式を先延ばしにする。子供がいる夫婦が連れ添って10-20年後に貯金ができた時点で『結婚』するのは珍しくない。子供ができる前に結婚式をするケースの方が少ないのではないか。(何故か『結婚』と『結婚式』を切り離すという全く発想はないようである。だから当社の子持ちスタッフは全員登記上”未婚” である。)だが、婚前交渉を禁ずるロベルトの教会ではそれは許されていない。質素でもなんでもいいからまず正式に『結婚』しなければいけない。しかし、花嫁の父親は別の宗派の信者だからそんなロベルトの事情はお構いなしでキチンとした結婚式を求めていた。

 

   

(参列者は200人あまり。第2日目の花嫁側の家での挙式に招かれました。)

 

ロベルトの結婚式は良かった。ライトグレーのスーツは細身のロベルトにとても似合っていたし、花嫁のリンダも白いドレスが美しかった。ロベルトとリンダはJohn Legendの曲で踊り、結婚の心得について聖書を開いて学んだ。2人はロベルトの育ったアパートのビルのルーフトップに小さな部屋を建て、しばらくそこで暮らすそうだ。狭くても風通しの良い部屋にはリンダとロベルトの好きなオシャレな音楽がいつもかかっているんだろう。いつか自分たちだけの小さな家を建てるのかもしれない。そんなロベルトのライフ・プロジェクトをまた見守ることができればいいなと思う。

 

おめでとう!

Journey to Mozambique (後編)行動指針5箇条

こんにちは。Verde Africaの有坂です。前回はJornery to Mozambique の皆さんとの取り組みを前編として紹介させて頂きました。今回は後編です。

Jorney to Mozambique とのディスカッションのプロセスを経て、Verde Africaの行動指針を改めて練り直す機会を得ました。モザンビークで何がやりたいのか自分たちの心の奥深くまで掘り起こしてもらったうえで作り上げた行動指針はやっぱり説得力が違います。JORNEYの最終日にはこの行動指針と営業100日プランをスタッフ全員に発表して、BBQパーティーで締めました。全行程のクライマックスになったのは各スタッフに一番大切だと思うものを選んでもらって、その理由を発表してもらった時です。

Verde Africa 行動指針5箇条】

1,Respect your customers,Respect your work mates (お客さんを尊重し、一緒に働く仲間を尊重する)

2,Be proud of being a force to make Mozambique a better place (モザンビークをより良い場所にする仕事をしている事にプライドをもつ)

3,We value honesty and sincerity in ourselves,and in our product  (仕事に対して誠実かつ真摯に臨み、それを製品の品質に反映させる)

4,I believe in a world which my efforts are paid off inside and outside of Verde Africa (会社の外でも中でも、自分の努力が報われる世界を信じて作り上げる)

5,Verde Africa wants to grow with you,and stand together along with your life   (社員と一緒に成長し、社員の人生に寄り添う会社であること)

 

例えば、生産スタッフのアルミナ(22歳女性)は3番の『仕事に対して誠実かつ真摯に臨み、それを製品の品質に反映させる』を選びました。その理由は『お客さんに説明する時、嘘をついて後ろめたい気持ちではなく、胸を張って勧められるものを作りたいから』と言ってくれていました。私は『そう!まさにそれだよ!アルミナすごいじゃん。』という気持ちで一杯でした。生産スタッフのエリジオ(19歳男性)は5番の『社員と一緒に成長し、社員の人生に寄り添う会社であること』を選び、『Verde Africa で働くようになってからいろいろ自分も成長できていると思うし、これからもVerde Africaが大きくなるように沢山生産したい』と言っていました。スタッフ全員の素直で温かい気持ちが伝わってきて、基本的に斜めに構えている私ですら嬉しくて泣きそうになりました。

 

(スタッフの発表の後に撮った全体写真  写真:佐藤匠

 

ここで得られたスタッフとの一体感は本当にかけがえのないもので、それを日々維持していくよう引き続き努力して行きたいと思っています。その後も下記のように幾つかの前向きな変化がありました。現在私達が一番力を入れて取り組んでいることが営業100日プランの実行です。次回のブログではこちらについてご紹介します。

 

【その後の変化】

1,レストランや養鶏場など新規顧客が増加したこと。営業マネージャーのアイレス君もステップアップした様子です。

2,工場のスタッフが仕事に前向き。日次1トン生産を達成できる日が増えています。

3,やるべきことが明確になって経営陣の気持ちが晴れやかになったこと。

, 営業努力に伴い、売上も増加中。

 

また、Journey to Mozambique のチームより共有イベントも開催される予定ですので、12月2日に東京におられる方は是非ご参加ください。私達もスカイプで参加します!

【イベント情報】

場所: BOOKS WORK & MEETING LOUNGE

〒101-0041 東京都千代田区神田須田町2-1-1 ザ・パークレックス神田須田町ビル3F

時間: 14:30〜17:00

イベントページが完成次第当社Facebookやインスタグラムで共有致します。

(スタッフに仕事に対する意識についてインタビューをしているJourneyのメンバー) 

 

Journey to Mozambique の皆さんありがとう!(前編)

ボア・タルデ!こんにちは。Verde Africaの有坂です。今回は8月に弊社を訪問してくれたお客さんについて書きたいと思います。

Journey to Mozambique は様々なキャリアバックグラウンドを持った合計9名のチーム(スタッフも含む)で、Verde Africaのオペレーションを知ったうえで改善に向けたアドバイスをすることを目的にした合計7日間のツアーでした。8月11日~18日まで観光もそこそこにVerde Africaに密着してくれました。

(プログラム初日に行ったポンタ・ド・オウロのビーチ)

このプログラムは私の前職の先輩(現在は株式会社ルバートの代表)が企画しました。メンバーはマーケティング、経営戦略、組織開発コンサルタント、機器メーカーのエンジニア、会計士、プロコーチ、フォトグラファー、学生(半年前まで弊社でインターンしてくれていた方)という豊富なバックグラウンドを持ったスーパー集団でした。モザンビークに渡航する前から私達へのヒアリングを含む入念な準備をして、モザンビークでも販売先の市場に同行したり工場での肉体労働を手伝ったり『折角のお盆休みに…』と思ってしまうくらい真摯にVerde Africaの仕事を理解しようとしてくれたのが印象的でした。

 

(スタッフと一緒になって肉体労働に励むJOURNEYのメンバー)

訪問中はVerde Africaの仕事体験、販売先の市場の視察、経営チームとのディスカッション、スタッフへのヒアリングが繰り返された後に幾つかのアクションプランが提案されました。プログラムのタイミングも丁度私達が課題を抱えている時期にピッタリと合い、彼らのアドバイスによる大きな変化を実感することができました。

【提案されたアクション】

1,営業100日プランの実行 ⇒ 年内に絶対に営業収支黒字化を達成させるための本気プラン。詳しくは次次回のブログで。

2,優良顧客へのスタンプカード配布 ⇒ 10月1日から開始しました。リピーターを優遇する。

3,売上管理を紙+エクセルからアプリに移行する ⇒ アプリ制作中。

4,スタッフの仕事に関する意識・意見を月次でヒアリングする ⇒ 9月末に実施。やって良かったです。

5,生産歩合給に加えて、チームとして一緒に喜べるインセンティブを設ける ⇒ 週5000キロ生産できたら、金曜日の終礼でコーラを出すことに。

6,ターゲットに対する生産高を可視化する ⇒ 10月からグラフを工場に貼りだします。

JOURNEYのチームから学んだことは沢山あるのですが私が一番感銘したことは、相手の考えを良く聞いてそれをアクション・プランにまとめるスキルです。私達(私とパートナー)の頭の中には常日頃のオペレーションから認識される課題ややるべきことについてのアイデアが混在しているのですが、それをまとめて合意して行動に移すというプロセスが滞るときがあります。チームの皆さんは私達2人だけでなく従業員全員から熱心に話を聞いて、それを私達2人に確認し、再度練り直したうえでアクション・プランに落とし込んでくれました。そのプロセスに自分がしっかり巻き込まれているからこそ、提案されたプランはどれも納得できるものばかりだったのだと思います。特に7月と8月は自分の頭の中にある課題や問題意識を行動プランに落とし込み、スタッフに周知して実行してもらうということができずもがいていたので、JOURNEYのチームの皆さんの力添えは本当に貴重でした。自分が苦闘していた課題が目の前でどんどん進められていく過程を目の当たりにして、大変勉強になったのと同時にロジカルシンキングの有効さを実感しました。

   

(売上改善の為の計画をディスカッション)

そして、プログラムのクライマックスは Verde Africa 5か条の共有でした。

(後編  Verde Africa 5か条 に続く)

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