体制変更のお知らせ

こんにちは。Verde Africaの有坂純子です。この度、弊社の体制変更について下記のとおりお知せ致します。創業以来、有坂之良と純子の2人で会社を経営してきました。早いものでアントレアフリカからの支援も3年目に入り、残すところ半年を切っています。

私は起業時より代表取締役(Chief Executive Officer)を務めさせて頂きましたが、8月より代表を退くことになりました。今後は夫であり代表取締役副社長(Cheif Operating Officer )の有坂之良が代表取締役社長(CEO)に就任して経営の中心になります。私、有坂純子は、Verde Africaの副社長として資金面また戦略面から事業を支えていきます。

新社長 有坂之良

起業時より有坂之良と力を合わせて会社を経営して参りましたが、業務分担としては之良が販売管理や調達やその他のロジスティクス管理をしてきました。一方私は工場側の生産管理、ライセンス及び法務整備等を担当してきました。2016年11月の法人設立から2年半あまり経った現在、ビジネスライセンスや納税や人事の基本部分は整ってきたと感じています。工場では少数精鋭のスタッフと基本的な生産設備が揃い、収益規模を十分に満たす生産高に安定してきました。現在の課題は、市場と売上の拡大で、これまでの業務分担及び適性及から有坂之良の方が適任であると決定に至りました。

販売開始から1年半は家庭や食堂のBtoCに販売リソースを注力しましたが、需要の不安定さと営業コストの高さから、2018年に主要ターゲットをBtoBに切り替えました。それ以来毎月、定期購入の顧客が拡大し、売上も拡大しています。現在の主要ターゲットはレストラン(ケータリング会社を含む)と養鶏場です。特に養鶏場は購入継続率が高いだけでなく、未開拓の市場が大きく広がっています。その他にもBtoC向け販売代理店やスーパーマーケット向け高級商品なども方針変更以来、新たに始めた取組みです。新商品のR&Dも継続しており、今後は営業強化や新商品開発に注力していく計画です。今後Verde Africaの事業を持続可能にすることを目指し、その実現に全力を尽くすつもりです。これまで3年弱の間、本当に沢山の方にVerde Africaを支えて頂きました。

  • 弊社の株主になってくださった3名の方、
  • 3年の間支援を継続してくださった日本アフリカ企業支援イニシアチブ、
  • 経営コーチングをしてくださっているMさん及びJourney to Mozambique の皆様、
  • 起業時のライセンス等を支援してくださった、在モザンビーク大使館及びJETROの方々、
  • いつも仕事を頑張って会社を支えてくれるスタッフのみんな、
  • 当社の製品をいつも買ってくれるモザンビークのお客さまの皆様、
  • 遠く日本からVerde Africaを応援してくれている家族と友人達、
  • 夫であり戦友であり新社長の有坂、
Verde Africaのスタッフの皆とお客様に改めて感謝

この機会に皆様に深くお礼を申し上げたいと思います。これはVerde Africaにとって新しい出発だと考えていますし、そのような結果を実現するのも私達次第です。常に前向きに挑戦していきたいと考えていますので、今後も温かく見守って頂ければ幸いです。





奇跡の植物モリンガとモザンビーク

モザンビークに来てから9年。

仕事柄、農村地域で生活する人たちと頻繁に接してきました。

その中で感じたことが、

農村地域には収入源が少なすぎる

ということです。

モザンビークの農村地域では産業がないため、職がなく1日100円以下で生活する人たちがほとんどです。

彼らの主な収入源は、自分たちの農作物の余った分を販売することで、他には木炭や果物の販売、日雇い労働への従事などが挙げられます。

※国道沿いに木炭を並べ販売。都市部に暮らす人達が車で通った時、買ってくれることがあります。1袋200円程度。

農村地域では食料を自給するのが普通ですが、現地で農繁期は1年に1度。

仮に干ばつなどで不作に終わった場合、生活が一気に苦しくなります。

その現状を見てきて

「何か新しい収入源を農村地域で作れないか」

そう考えた時、頭に浮かんだのがモリンガです。

※モリンガの葉を収穫する現地女性

モリンガは、人体に必要な栄養素が90種類以上含まれている植物です。

その栄養素の豊富さから「奇跡の木」と呼ばれることもあり、サプリメント、お茶、お菓子など、現在様々なモリンガ商品が世界中で流通しています。

ここモザンビークでは、いたるところにモリンガが生えています。

ですが、ほとんどの人はそれが何に使えるのか知りません。家の生け垣に利用する程度です。

豊富な栄養素を有していることから国連も注目し、モザンビークでも政府やNGOが普及に取り組もうとしていますが、農村地域での反応は薄い、というのが現状です。

実は私も青年海外協力隊時代、モリンガの苗を育て配布した経験があります。
しかし、結果的にそれは上手くいきませんでした。

次の記事で、協力隊時代に実施したモリンガ普及の失敗・学びを書いていきます。

それでは、また次の記事で!Até logo!

モザンビークから山家(やんべ)がお届けします

初投稿ということで、簡単に自己紹介から入らせていただきます。

■氏名:山家 友明(やんべ ともあき)

■経歴

  1. 大学卒業
  2. モザンビークで青年海外協力隊
  3. モザンビークで開発コンサルタント
  4. モザンビークで起業

ものすごくシンプルに説明すると、このような人生を送ってきました。
言い換えると、

大学卒業以降ずっとモザンビークで生活している、それが私です。

青年海外協力隊時代
改良かまどやネリカ米の普及、レモングラスの加工支援などを行っていました。

モザンビーク生活は、今年で9年目に突入しました。

このブログを通じて、私が現在行っているモリンガ事業のこと、住んでいるモザンビークのことを、

面白おかしく発信していきたいと思っています。

それでは、また次の記事でお会いしましょう!Até logo!

異文化でのBtoCの難しさ➁

BOM DIA!こんにちは。Verde Africaの有坂です。日本は猛暑のようですね。マプトでは少しずつ暖かくなってきていますが、まだまだ夜は毛布が必要な寒さです。前回のブログから大分時間が経ってしまいましたが、後半部分をお伝えしたいと思います。前回はモザンビークと日本で家庭における節約感覚が異なっているという私の考えについて綴りました。今回はこの違いが生まれる背景に考えてみました。


➀ 貯蓄サービスへのアクセス 

サブサハラ・アフリカでは総人口の66%にあたる人口が預金口座を持っていない。(欧州開発銀行2017年レポート)この預金口座を持つ34%には、モバイルマネーの口座のみを所持している人口も含まれる。モザンビークも例外ではない。この数字を統計上は知りつつも、モザンビークに住むまでは何故銀行口座の利用率が低いのか疑問に思っていた。実際、当社に勤めるモザンビーク人スタッフ11人のうち使用可能な銀行口座を持っているのは1人だけ。M-PESAの口座は9人が持っているけど。

これは銀行の手数料が割高なことと、引出しや預入れにかかる時間が膨大なことが起因していると思う。日本の普通預金は月次口座維持費がかからない。しかし、モザンビークを含めた海外の口座では、月次維持費や手数料が馬鹿にならない。もっと、大変なのが預入れだ。ATMには何故か預入れの機能がなく、現金を預金するためには1-2時間程並んで待たなくてはいけない。手数料が割安な銀行ほどいつも混んでいて待ち時間が長い。これでは、小額を口座に入れて貯金しようという気持ちにはなれない。こんな現状だから、ぎりぎりのレベルの収入でやりくりしているモザンビーク人が少額を口座にいれてコツコツ貯金する気持ちにならないのも理解できる。

だけど、モザンビーク人が貯金に興味がない訳ではない。銀行口座に預けるという形を取らないだけだ。シュティックと呼ばれる頼母子講のようなグループ間貸し借りも活発に行われている。私がアフリカでBtoCビジネスをするにあたって、最もためになったと思うのは、この本だ。BOP(Base of Pyramid)層と呼ばれる貧困層の生活に密着してお金の流れ(収入、貸付、借入、貯金、保険など)をリアルにレポートして分析している。

最底辺のポートフォリオ スチュアート・ラザフォード(著) 他5名

この本にはBOP層の人々は実に多様な形でお金を運用し、いざという時のためにリスクをヘッジしている。ただ、フォーマルなサービスを利用しにくいが為に、不便を被る場合が多いということだ。実際にモザンビークに住んでみて、本当にそうだと実感する。

例えば、当社のR君は結婚式にかかる費用を貯めることに大変苦心していた。ある日のR君との会話はこうだ。

R君『最近、結婚資金を確保するために毎月貯金しているんですよ。』
私 『どうやって貯金しているの?銀行口座に預金するとか?』
R君『結婚式に必要なものリストを作って、少しずつ購入していってるです。』

彼らにとっての『貯金』とは必ずしも『お金』を貯めることではなくて、大切なお金を自分にとって価値ある資産に変えて保存することも含まれるのだ。資産というと大袈裟だけど、ついついビールを買ってしまう前にお米を買うとか、流動的な資産を非流動的な資産に変えて保管することに、ある程度重きが置かれているのではないか。当社の若手社員が給料日の2日後には、一文無しになっているのはあながち飲み代で使いきってしまっている訳ではないはずだ(と思いたい)。

ぎりぎりの収入で生活しているからこそ、このようなお金の使い方になるのだろう。手元に現金があると、泥棒とか火災とかいろいろな意味でそれがなくなってしまうリスクがあるけど、一番のリスクはやっぱり自分への誘惑だ。それは日本でもモザンビークでも一緒かもしれない。でも、お金に困っている家族が多くて人助けの心が強い、アフリカの人々にとっては尚一層誘惑が多いはずだ。

何が言いたいのかというと、お金を貯めるための手段が限られているモザンビークでは、1円でも安いものを買う努力よりも、10円を無駄使いしない努力の方が重視されているのではないかということだ。言い換えると、『1円節約してもそれを少しずつ貯めて、1万円にする方法がないならば、無駄になる前に少しでもより有意義なことに使ってしまいたい』という心情だ。携帯電話のデジタルマネー(M-pesaなど)が重宝される背景にはこんな背景もあると思う。

➁ より良い人生を求めてどのくらいの時間軸で行動するのか

モザンビーク人の将来への投資は『マイホームの建設』だ。土地の価値が上昇し続けることは皆よく分かっているらしい。銀行口座を持っていないけど、土地とマイホーム(建設途中)を持っている人はすごく多い。銀行に預金しても、インフレ率も高いし、通貨の価値が激変するかもしれないし、そんなリスクを理屈ではなく肌感覚で良く理解しているのだろう。自分の老後のセキュリティと現在の家賃節約を借入無しに実現できるなかなか賢い方法だ。(建設途中の家に住む我慢すらできれば)

将来について熟考するから、貯蓄や投資をするという側面もある。貧しかったり、希望がない状態だったりすると、将来について深く考えないことは大切な保身術の一つなのだろう。そして、今を楽しむことも将来に向けて蓄えることと同じように大切なことだ。モザンビークの人は家族に関係したお祝い事には積極的にお金を使うように思う。子供の誕生日にケーキを焼いて隣人と一緒に食べたり、親戚の結婚式に素敵な髪型とドレスを着て出席したり、大学の卒業パーティーを開いたりという行事を大切にしているように思う。その時にお金がなければ我慢するしかないと諦めるし、あればその時を大切にすることを選ぶのかもしれない。

節約感覚1つをとってみても、文化や経済事情で変化するので面白い。楽しみながら節約できる商品を提供することがアフリカで価格競争していく要素だと考える。

異文化でのBtoCの難しさ ➀

ブリケットは通常廃棄されるバイオマスを再利用して作られることが多い。当社は木炭の屑を木炭販売業者から買い取って、再利用している。何故、木炭屑を選んでいるのかというと当社の商圏においては品質と調達加工コストのパフォーマンスが最も優れているからだ。

モザンビークの木炭市場の1%を獲得できれば、十数人規模のブリケット企業には十分な売上がたつ。木炭との性能(火力や扱いやすさなど)の違いを考慮して、価格は木炭の6−7割程度に設定した。つまり安価な商品を大勢のお客さんに売りたかったのだ。

でもブリケットはなかなか売れない。特に家庭や食堂などのBtoC(個人客向け販売)での売上は計画を大幅に下回り、メインターゲットをBtoB(対ビジネス向けサービス)に変更するという軌道修正をせざるを得なかった。もちろんマーケティングとか販売形態とかセールスの改善点は山ほどあると思うけど、当社のリソースと頭脳を使って2年ほど苦心した結果、収益化する兆しが見えないという結論に至った。

現在の顧客はレストランや養鶏場が中心だ。注文があればBtoCのお客さんにも配達するが、積極的な営業活動は行っていない。家庭や食堂のお客さんは中産階級の比較的しっかりした家庭だったり、ビジネスを上手に仕切っているアクティブな食堂が大半を占める。

食堂は沢山の炭を使うけど、定期購入に繋がるお客さんは一握りだ。

これまで沢山の家庭や食堂のお客さんが興味を示して、買ってくれた。でも、継続購入につながらなかった。1回買ってやめてしまう人も多いけど、6ヶ月くらい使って突然やめてしまう人も結構多い。個人的に後者のケースはすごく落ち込むのだが、現実を見なければいけない。

起業前の私は休日や夜のスターバックスでエクセルの事業計画書を作りながら、現状よりもかなり楽観的な家庭顧客の商品リピート率を想定していた。仮説は『木炭をブリケットに変えて料理するだけで、1日10円以上を節約できるなら、多少の使いにくさがあっても節約重視で購入する』というものだった。正直、所得が低い人ほど節約に熱心だと想定していた。事業計画書とは何が違っていたのか。まだ自分の中でも答えがないけど、ここ一年考えて少しずつ見えてきた視点について綴ってみたい。

お客さんがどの調理燃料を選ぶかは ➀予算 ➁調理しやすさ ➂便利さ の3点が主にあると思う。当社の商品は予算と便利さの面では競争力があるはずだ。一方で、木炭との違いに慣れることができないお客さんが多く、調理しやすいとは言えないようだ。

難点を克服するために、丁寧な使用方法説明や技術的な改善を続けていくことが必要だ。ただ、最近気がついたことは、家庭における節約の感覚は日本のそれと全く異なっているということだ。

昭和の日本に生まれ育った私は、1円でも安いものを買おうとする母や祖母の情熱を見て育った。10円安い大根を買うために200メートル遠い店に行く。使っていない家電は主電源を切って電気代を節約する。時代は変わりつつあると思うけど、節約に対する私のイメージはこんな感じだ。

その同じ10円は月次最低賃金が1万円前後のモザンビークではどのくらいの価値があるか。私は結局日本人の感覚をベースにしか考えられていなかったのだと気がついた。一般的なモザンビーク家庭と日本家庭を比べると、より節約熱心なのは日本だと思う。総所得に対する節約額の割合と節約に費やすエネルギーで考えるとより明白だ。(もちろん節約感覚には個人差があり、一括りにして話すのは難しいのだけど全体的な傾向についての考えとしてご理解頂きたい。)

世界的にみると日本は節約熱心な国の部類に入ると思う。私が卒業したカナダの大学のマクロ経済学の教科書には、日本家庭で見られる節約努力(主電源を切るとか、炊飯器の保温電力節約など)についてコラムで特別に紹介されていた。それは文化背景により消費及び貯蓄行動が異なるというメッセージだ。なぜ、日本とモザンビークの節約の感覚が異なるのか。2つの社会文化背景の違いが影響しているのではないかと考えた。

➀ 貯蓄サービスへのアクセス

➁ より良い人生を求めてどのくらいの時間軸で行動するのか

続きはまた次回…

モザンビークの近代史について思うこと

1974年の独立以降のモザンビークの歴史を綴ったブログを読んだ。

これまで日本語や英語のまとまった文献に出会えず、知らなかったことばかりだった。現在のモザンビークから察することができる情報、これまで読んだ記事やニュースが繋がるようで興味深い。

モザンビークの首都マプト市には共産主義のヒーローにちなんで名付けられた通りが沢山ある。有名なところで挙げるとレーニン、毛沢東、ホーチミン、金日成などだ。2年前までパンの値段さえ価格統制されていたし、乗り合いバスは今でも上限が決まっている。独立直後のモザンビーク政府の共産主義政策にもうなずける。

南アフリカに支援された反政府ゲリラやジンバブエの独立運動についても、今まで少しずつ聞いていたことが一枚の絵として繋がる感じだ。ポルトガルの独裁政権とアフリカ植民地政策、ロシアや中国を中心とした共産主義と冷戦構造、南アフリカを中心とした巨大な旧植民地ローデシア。モザンビークは1974年に独立したあとも、世界を渦巻くいろいろな思惑の中で翻弄されていたのだと思う。経済復興に集中できるようになったのはきっと内戦が終結した1992年からなのではないか。

1990年後半のモザンビークは資本主義のサクセスストーリーとなる。年次7%を超える経済成長率と貧困率の削減。米国をはじめとした外国から開発援助が流れ込み、2014年にはIMFのAfrica Rising Conference を開催地に選ばれた。2000年~2010年前半のマプトが今より豊かだった様子はスタッフの若い頃の話を聞いても納得できる。

そして2016年に騒ぎになった国家の巨額隠し債務問題がある。モザンビークの通貨は4割以上暴落し、今でも隠し債務問題前の8割の価値に留まったままだ。IMFや海外援助は止まったままで、隠し債務問題の裁判は進行中だが解決策は見えていない。

モザンビークでは今も汚職や賄賂文化がなくならない。町を歩いていたら警官に、パスポートをいますぐ見せられないなら交番に連行されるか賄賂を払え、と要求されるのは珍しくない。隠し債務のこともそうだけど、10年とか20年で降って湧いたように現れた繁栄の甘い汁を吸おうと必死になった結果なのか。

そして今、モザンビークの新たな希望として北部カーボデルガード州で開発が進む巨大ガス田がある。資源開発により豊かになったボツワナ。紛争と格差がもたらされたナイジェリアやアンゴラ。

これからのモザンビークが良い方向に向かうように願う。過去の経験をより透明な政治への足場としてこそ価値があるはずだ。

品質管理への挑戦

過去2週間、お得意さんからのクレームが相次いで参っている。

大部分は当社製品を半年以上続けて、週1-2回の頻度で買ってくれる大切なお客さんだ。レストランや食堂で米を炊いたり鶏を焼いたりする時に使っている。

当社のブリケットで豚肉を焼いているところ。

クレームの内容は炭の火力がいつもより弱く、灰が多いというものだ。火力が弱いので使用量が増えて、経費がかさむと言われたケースもある。

Verde Africaを始めて以来、お客さんからのコメントを直接聞くことを大切にしてきたが、ブリケットの品質管理には主に4つの要素があると思う。

  1. 密度 ⇒ 形成機と破砕機の保守状態で商品の圧縮度合いが決まる。主に機械メンテナンスが原因だ。密度が低いと、ブリケットが通常より早くなくなってしまう。
  2. バインダー ⇒ ブリケットを形成する際に原料のつなぎとして、炭粉にどろどろのキャッサバ粉溶液を加える。これを入れすぎると、煙が増えて製造原価も高騰する。
  3. 乾燥 ⇒ ブリケットは7日間の天日乾燥後に袋詰めする。雨や朝露や湿気など季節による天候の変化に影響される。乾燥しきっていないブリケットは着火が悪く、火力も弱い。
  4. 原料 ⇒ 現在の主な原料は木炭屑だ。町の木炭商から細かく砕けて販売できない屑を購入している。通常ゴミとして捨てるものを購入しているので、いくらかは砂が入ってしまうが、製造コストを考えて選別の工程は設けていない。不純物が多いと、火力が弱く灰が多いブリケットになる。

このようにまとめてみると、過去2年半の生々しい思い出が蘇ってきて懐かしいくらいだ。今回の原因は原料だ。原料に含まれる砂の量が過去3週間で急に増えていたのだ。お客さんに指摘されるまで、変化に気づけなかったことが悔やまれる。

今年1月の末に原料調達担当のスタッフが急に退職した。政府省庁で仕事が見つかったので即日辞めたいとのことだった。急いで新しいスタッフを雇ったが、彼は真面目が取り柄のタイプでとにかく要領が悪い。過去1ヶ月ほど原料調達における効率(量や時間など)を集中的に指導したことも、今回の品質問題と関係しているのだろう。

起業する時に『ものづくり』に憧れてブリケットに決めた部分も大きい。製造業では品質管理は終わりなき挑戦だと思う。

原料に関しては特に大事なことだから、誰か一人に責任を押し付けるのではなく、チェック&バランス機能が働くような仕組みを社内に作っていきたい。管理と生産と原料調達の3者がそれぞれに原料状態をチェックして、それを全体に可視化するのだ。

改善には実行あるのみ。今はクレームを伝えてくれたお客さん訪問と製品の交換に奔走している。この経験がいつかVerde Africaの財産になることを信じつつ、問題解決と繰り返さないための仕組み作りに励んでいきたい。

形成機から出てくるブリケットを並べるスタッフ。

モザンビーク女性の日

4月7日はモザンビーク女性の日(Dia de Mulhers Moçambicanas) で祝日だ。明日が振替休日なので工場は久しぶりに連休だ。市場やビーチは揃いのアフリカンプリントの布(カプラナ)でおしゃれした女性に溢れていたし、夜8時の街は喚声や音楽や口笛が響き年越しさながらの賑やかさである。

国際女性デー(International Women Day)を祝う国は多い。しかし、私がこれまで住んだ数カ国の中で、その国独自の女性デーを設けている国は初めてだ。国際社会へのアピールだろうと斜めに捉えていた私だが、モザンビークに住んで2年半遅ればせながら気がついた。今日はJosina Machel (ジョシナ・マシェル)の命日なのだ。

Josina Machel とは誰なのか。マプト市内の目抜き通りの名前にもなっているし、彼女の顔がプリントされたカプラナを巻いている女性も良く見かける。今更感満載だが、同じ女性として彼女の人生に感動したのでここで紹介したい。(注:以下の情報は全てWikipedia からの抜粋なので興味を持った方はご自身で改めて調べて頂きたい。)

Josina Machel は1945年にモザンビーク中部のVilanculos に生まれる。父親は看護師で8人兄弟だった。ポルトガル植民地時代のモザンビークで看護師は黒人が就ける最も教育の高い職業だったそうだ。Josinaは進学の為に小学4年生で首都マプト(当時のLourenço Marques)にやってくる。

Josina Machel がプリントされたカプラナ。彼女の写真が見たいかたはこちら。美人です。


13歳で高等教育に進んだJosinaだが、1964年19歳の時にモザンビーク脱出を試みる。隣国タンザニアに拠点を構えるモザンビーク独立戦線(FRELIMO)に加わる為だった。数名の同志と1280キロ移動し、ザンビアとジンバブエ国境に位置するビクトリア滝に着いたところで彼女は捕らえられた。その後マプトで5ヶ月投獄される。

一旦は高校に戻った彼女だが、数ヶ月後に新たな脱出を図る。マプトからスワジランドの難民キャンプに行き、FRELIMO支持者や教会団体の助けを借りてボツワナまで辿り着く。イギリス植民地政府に連れ戻されそうになりながらも、国連 (UNHCR) やFRELIMO代表の力添えもあり、18名の有志と共にタンザニアの首都ダルエスサラームに辿り着きFRELIMOに迎えられた。3200キロの道のりであった。

20歳になったJosinaはFRELIMOの教育機関代表補佐として働くようになった。スイス留学のチャンスを蹴り、モザンビーク人女性に独立運動参加を促し訓練する運動を立ち上げる。

モザンビーク独立戦線(FRELIMO)はタンザニアの南部にゲリラ戦線を構えていた。ある時、25名の選ばれた女性がこの拠点での軍事訓練に送り込まれる。Josinaもその1人だった。この戦線を指揮していたのが、モザンビーク初代大統領でJosinaの未来の伴侶となるSamora Machel (サモラ・マシェル)だ。

1968年にはFRELIMOの社会福祉事業部の代表に任命され、戦争孤児を世話する事業を指揮する。Josinaは雄弁に語り、民衆(特に女性)を奮い立たせる力においても一目置かれていた。24歳でFRELIMO国際部の女性代表に任命され、独立運動と新しい時代の動きに女性も同等の権利を持って参加できるように働きかけた。

1969年は彼女にとって特別な年だった。当時のFRELIMO代表のEduardo Mondlaneが暗殺され、残された妻 Janet に付き添い寝食を共にする。5月、 JosinaはSamora Machel (サモラ・マシェル)と結婚した。そして、11月に息子(Samora Junior )が生まれた。

翌年、Josinaは激しい腹痛と疲労に襲われる。そして、モスクワの病院で肝臓ガンと診断される。医師からは静養と食事療法を指示されたが、幼い息子を預けて、Josinaは働き続けた。

1971年には北部モザンビークに2回に渡る長期出張をした帰り道、同士にピストルを手渡しながらJosinaは言った。『私はもうダメです。これを軍の指揮者にお返しして欲しい。このピストルはモザンビークの人々の救いの為に戦い続けるはずだから。』

そして4月7日 Josina Machel は25歳の生涯を閉じる。モザンビーク独立まで3年と5ヶ月だった。

なんて壮絶で熱い人生なんだろう。植民地政府の敵だらけの道中を3200キロも移動するなんて、リビングストンにも匹敵する冒険だ。男性でも看護師以上の職を望めなかった当時、家族だって同志だって女性戦士を受け入れてくれる保証はどこにもなかったのではないか。

サモラ・マシェルとの出会いもきっと大恋愛だったんだろう。大好きな人と結ばれたのに、一年で亡くなってしまうなんて悲しすぎるけど、それでも彼女は闘うことをやめなかった。

そして、現在 Josina Machel の命日がこんなに賑やかに祝われていることに、故サモラ・マシェル大統領をはじめモザンビークの人々の語り継ぐ努力と誇りを感じる。

アフリカで女性は強い。そして明るい。今日はモザンビーク人女性であることを祝いつつ、皆で食べて踊るんだろう。そんな素敵な祝日だ。

サイクロン「イーデイ(IDAI)」

Verde Africaの有坂です。サイクロンIDAIの被害でニュースに登場しているモザンビークに住んでいます。

被害の大きかったBEIRA(ベイラ市)は当社の位置するマプト市から1,000キロ位上離れており、マプトでは気候も安定した穏やかな生活が続いています。従業員の中にはベイラ方面からマプトに一時避難する親族を受け入れている家庭もありますが、基本的に平和な生活が続いています。当社工場や自宅や従業員宅やお客さん宅など全て無事です。ご心配頂いた皆様どうもありがとうございます。

一方で被害の酷いベイラ市からジンバブエ国境およびマラウイ国境のエリアでは現在700名以上の死者数が確認されています。被災者数は今後170万人以上にも及ぶと予測されています。ベイラ市はモザンビークでも5本の指に入る大都市でポルトガル植民地時代からの歴史を感じさせる建物が多く残る美しい都市です。しかし、ベイラ市の9割以上がサイクロンの被害にあい、水や電気などの基礎インフラが無い生活が続いています。

この現状に対しモザンビーク政府に続いてアメリカイギリスを始めとした諸外国が緊急支援を表明しています。民間レベルでも教会団体や学校や民間企業などが緊急支援物資に奔走しています。

モザンビークにとってサイクロンを始めとした自然災害は珍しことではありません。規模は違えど毎年のように沿岸部の都市が被害に合っています。一昨年はイニャンバネ市をサイクロンが襲い沢山の家が失われました。2000年にも世界的に報道された洪水被害がありました。モザンビークの人は自分の全財産をつぎ込んでマイホームを建てます。政府からの補助金なども先進国のようには期待できず、家や農地を失うことは全財産を失うことを意味します。命を失うことはもちろんですが、生活基盤を一気に失ってしまう辛さも推し量りかねるものがあります。

サイクロンを始めとする自然災害は大きな視点では気候変動の影響の1つです。今後も繰り返し発生することが予測されるからこそ、被災地での一刻も早い復興を進めると同時に、長期的な対策を取ることも重要だと感じています。

被災地での一刻も早い復旧と、亡くなった方々のご冥福をお祈り致します。そして、当社もいちモザンビーク企業としてどのような貢献ができるのか引き続き考えていきたいと思います。

2018年と2019年

こんにちは。Verde Africaの有坂です。マプトでは猛暑と雨の繰り返しが続いています。新年明けて少し遅くなってしまいましたが、2018年の振り返りと2019年の計画について書いてみたいと思います。

2018年は一言でいうと『多様で大変な年』でした。1月から4月は木炭の価格高騰に押し上げられ、連日知らないお客様から注文の電話がかかってきて、自分達でも驚くほど売上がどんどん伸びました。その後、警察の非合法的なガサ入れ、6週間の生産停止、売上の激減、従業員のボイコット、空き巣など問題が続きました。

でも、モザンビークと日本の両方で沢山の方達に応援してもらい、自分達のちからで会社を盛り上げていこうと全社一致することができました。それが2018年8月末から12月末まで継続した『営業100日プラン』です。(実際は100日以上ありますが)100日プランの主な内容は BtoC(企業対消費者間取引)からBtoB(企業間取引)顧客へのターゲット転換と積極的な新規顧客開拓です。

売上変動の大きな理由は個人事業主を含むBtoC顧客からの需要でした。ブリケット(形成炭)は一般的なモザンビーク人にとって目にしたことがないもので、市場を創出する必要があります。数十年木炭しか使ったことがなかった人達がブリケットの利点を理解し、使用方法を習得することは容易ではありません。

営業100日プランの結果、10月から12月は連続で売上最高記録を達成し、12月単月ではブリケット事業のEBITDA(Earnings Before Interest, Taxes, Depreciation and Amortization, 償却前営業利益とほぼ同意)を黒字化することができました。固定のBtoB顧客の増加も大きな収穫です。BtoB顧客のタイプとしてはレストラン、養鶏場、ケータリング会社があります。採用してくれたお店はコスト意識が高く、新しいものにオープンで、従業員のまとめ役がしっかりしているという特徴があります。サンプル配布に対する採用率は高くありませんが、採用後は一定頻度で長期に渡り使ってくれる点は圧倒的なメリットです。

忘年会で撮った全社集合写真

売上成果を嬉しそうに報告するスタッフ達

2018年に得た顧客動向についての学びを活かして決めた、2019年のテーマは”商品開発と代理店ネットワーク”です。一般家庭はマプト首都圏で160万人以上の市場ですが、攻略に時間と啓蒙を要するというボトルネックがあります。この部分は地元で人望のあるモザンビーク人の”販売パートナー”に任せていく方針です。当社製品を販売してマージンを稼ぐ、代理店業のようなイメージです。2018年の上旬から販売パートナーをしている人達の中には当社の直接販売では考えられない販売量を捌く人もおり、今後の可能性を感じています。

また、様々なタイプの顧客のニーズがはっきりと見えてきた現在、それらに合った商品を作っていくことにより売上を拡大できると考えています。今年中にココナッツ100%の水タバコ炭とレストラン向けプレミアム再生炭の生産販売を開始する目標です。また、ピザ屋やパン屋をターゲットにした薪ブリケットの生産も検討しています。

新商品試作の様子

創立3年目にしてモザンビーク国内で薄利多売な商品を売るというビジネスの難しさを改めて認識しています。一方で当社のブリケットを日常的に使ってくださるお客さんが増えているのも確かです。お客様が求めていることを理解したいという姿勢を大切にして、2019年はビジネス基盤の強化に注力していきたいと思います。

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