パリ→パリメ

シャルル・ド・ゴール国際空港から更新している。今からベルギー経由でトーゴ共和国へ向かう。パリでの出張は、目に見えての成果を出せなかったが、そのかわりにゴールのイメージや自分たちのやるべきことの輪郭をはっきりさせることができた。結局、いろんなブティックやブランドとの商談はすべてキャンセルした。ぼくたちはもっと夢を見てもいいと思ったからだ。

それにしてもパリは、とてもサステイナブルな街だった。ファッションの分野においても2024年までに世界一サステイナブルなファッションの都になることを宣言している。そんな全体の潮流もあってか、なかば運命的とも言える店に出会った。それはぼくたちの道しるべになるかもしれない店で、コンセプトから商品ラインナップ、接客、そこに集うお客さん、どこを切り取っても非の打ち所がなかった。「CENTRE COMMERCIAL」という店に、かなりビビっときた。

「CENTRE COMMERCIAL」が扱う「veja」は知る人ぞ知るスニーカーだ。ブラジルのゴム農家と契約し、持続可能な形で生産されている。その商品に込めた思いと、そこに集まる人たち、そしてコンセプトショップとしてのお店。世界一サステイナブルなファッション都市の源流はこのお店から出ているのではないかと思うくらいの名店だった。

その店が取り扱うプロダクトは、しっかりデザインされている。デザインというのは、言わずもがな、計画を意味する言葉であるが、意図をもって計画されているものばかりであった。その洗練されたオーラは、人を惹きつける。そんな光景が広がっていた。

ある種、出口のところでぼくたちが理想とする景色をみることができたのは、とてもよかった。そこのイメージが鮮明であればあるほど、ぼくは走ることができる。トーゴ出張では、商品の仕入れだけでなく、人々の生活や生業の全体像についての情報を仕入れる。ゴールに近づくためには、もっと知らなければならない。そんなことを今回のパリ出張で学んだのだ。フランス・パリから、トーゴ共和国・パリメへ。

一つ一つ、確認。

フランス・パリでの営業を開始してから数日が経った。弊社のデビュー作である西アフリカ・トーゴ共和国から仕入れた布に京都の職人技を織り込んだ作務衣は、パリジャンやパリジェンヌから賞賛の嵐を受けている。

嵐と形容したのは過言ではなくて、道端を歩いているだけで声を掛けられ写真を撮られる。飛び込み訪問したブティックからは取り扱いの了承を4社から受けることができた。さらにはオープンテラスのカフェで休憩していたら、イヴサンローラン のファッションデザイナーから声がかかり、日本の一流アーティストと勘違いされる日々を過ごしている。

これらのことは事業戦略のなかで想定していたことで、ある程度、勝算があってパリ市場に乗り込んでいた。日本では数々の批判を受けてきたから、「ほら見たことか」と思う反面、ほんとうにこれでいいのかと立ち止まっている。

というのも、声を掛けてくださったブランドやブティックが取り扱ってくれるのは、めちゃくちゃ有り難いことなのだが、それがお客さんに届くときの価格は、とてもではないが少なくともぼくのまわりの応援してくれている人たちが買えるような金額ではない。最終の販売価格が100万円ちかくにもなるのだ。

弊社の商品を最終的に誰に届けたいか、ぼくが人生を賭けて魂を込めた商品は誰のためのものなのかということを想像したとき、やはり身の回りの応援してくれている人たちに届けたいとぼくは思う。海外セレブなどの超富裕層の何十着、何百着もあるなかの一つではなくて、ぼくたち世代の何着かあるうちの一つになれるほうが、ぼくは嬉しい。

そんなことを考えるようになって、パリの街並みを歩きながら物思いに耽っている。しかしこれも一つの確認作業なのであって、こうして何か心に引っかかることとか、立ち止まってしまった理由は何なのかということを考える良い機会だと思って楽しんでいる。そもそも、ぼくはトーゴ共和国の友人と交わした約束を果たすために起業した。ハイブランドとコラボして一躍有名になりたいとか、できるだけ売上をあげたいとか、それらはすべて手段の話だ。そんなことよりも「みんなが笑って過ごせる世界をつくりたい」と願う彼が見たかった景色をぼくも一緒に見てみたい。そう志して起業した灯火は、まだぼくの心にある。

フランスへ向かう道中

いまフランスへの道中で、北京でのトランジット。フェイスブックもインスタもツイッターも繋がらないけれど、なぜかアントレアフリカのサイトだけ繋がっている。これはブログを更新せよという思し召しかと思う。だから、このアントレアフリカをご覧のみなさんに、先行して弊社の衝撃のデビュー作を披露したい。

海外コレクション向けに、アフリカナイズされたジャパンスタイルの作務衣をつくった。今回のフランス出張は、この作務衣を披露する。この生地はトーゴ共和国(とガーナの一部)に住まうエウェ民族による布である。それに京都の職人技を織り込んだ。京都はパリコレクションに出場するブランドたちが足繁く通うエリアのひとつだ。ハイブランドのクリエイターたちをも魅了するデザインが京都にはある。素材を西アフリカ・トーゴ共和国から仕入れ、弊社がなければ出会わなかったであろう京都のデザインを組み合わせた。

このデビュー作をフランスで披露する。トーゴ共和国の公用語はフランス語であり、言語の親和性が高いということと、フランスには日本(あるいは京都)の伝統技術や文化に感度の高い層が一定数いることから、フランス市場に目をつけた。どう転ぶかわからないが、やれることをやるのがぼくたちのスタイルである。

ここまでは、スケジュールどおりに進んでいる。ただ正直なところ、あまりに性急に進めすぎた感もあった。ものづくりをひととおり進めてみて、自分たちには足りないところもたくさん見えた。そしてなにより、当初に思い描いた景色に辿り着けるのかどうか、今一度、反省する必要がある。今回のフランス出張で感じたことをもとに、つぎはシャルルドゴールからトーゴ・ロメ空港へ向かう。いまぼくには仲間がいる。対話を重ねて少しずつ前へ。最初から一人では出来ないことに挑戦している。みんなと束になってぶつかる。それも、ぼくたちのスタイルである。

最終調整

デビュー商品が、ほぼ出揃った。日本から12,000km離れたトーゴ共和国から仕入れてきた素材を、京都の職人に加工してもらった。それはとても縫製が難しい生地で、なかなか仕立てをお願いできる人がいなかったが、人が人を呼んで、なんとか形になった。相棒と出来上がった商品をまえに、再度、議論を重ねて自分たちの活動の集大成を楽しみながら、また反省しながら最終調整をした。

来週、モードの最高峰、フランス・パリに打って出る。格安航空券と共同シャワー・共同トイレの安宿をおさえ、営業先のピックアップもした。気合いは十分すぎるほどに、ある。でも、ここから先は気合いでは乗り越えられない壁があると思っている。みんなで知恵を出し合って、目の前の困難に立ち向かうときだ。

生産過程で、たくさんの人の顔と、そして手を見てきた。ありがたいことに、アパレルど素人のぼくの挑戦を後押ししてくれる職人の方々がいた。そのシーンを噛み締めて、ちゃんと気持ちを伝えたい。モノづくりは、時間がかかる。お金もかかる。労力もかかる。信じられないほど失敗をするし、自分の至らなさを知って愕然とすることもある。それでもぼくは、みんなと笑って過ごせる世界をつくりたい。思い描く景色は、イメージできている。あとは、やるだけ。

食事を楽しむ

忙しなく過ぎ去っていく日々にあって、食事は小さな幸せを感じることができる機会を与えてくれる。ここでの食事は、必ずと言っていいほど、みんなで食べる。「みんなで食べるという、ただそれだけのことが、その一日を充実させるうえで重要な意味をもつ」とマックスは魚の骨をポリポリ食べながら言った。脊髄までチューチューして、余すとこなく頂くのがマナーだ。
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着るもの、食べるもの、住むところ。これらを丁寧にするだけで、人生はかなり充実するのではないかと、マックスをみて思うのであった。

みんなで、朝まで。

結婚式や誕生日、ここの人たちはお祭りが大好きである。わざわざ国をまたいでお祝いに来る。イリャスも隣国からお祝いに駆け付け、ソーダビと呼ばれるマニョックの蒸留酒を浴びるように飲み、みんなと肩を組んで踊り続ける。踊っていたかと思うと、空きっ腹にお酒を飲んでいたからか、とたんに千鳥足になり、床に倒れ込んでしまった。

ここでは、酔いつぶれたひとには、一風かわった介抱をする。カットしたライムを足の裏にすり込み、次はくるぶし、ひじの関節、手首に。5分くらいすると、イリャスは何事もなかったかのようにピンピンして、またお酒を飲んでいた。

楽しい時間は、みんなで、朝まで。

ぼくはフランス語を話せない

 ぼくは西アフリカ地域に位置するフランス語圏のトーゴ共和国という国で、「一見さんお断り」の現地民族の職人集団に生産を交渉し、50人ちかくの方々に手伝ってもらいながら現地法人を設立した。そして来月は、フランス・パリで営業活動を開始する。ということを話していたら「フランス語が堪能なんですね」と言われることが多いが、日本語もままならないのに、フランス語を話せるわけがない。なんなら英語もTOEICは300点ぐらいしかないし、学生時代に履修していた第二外国語のスペイン語のテストは、メキシコからの留学生だったナンシーさんに付き合ってもらって居残り勉強しても、驚異の低得点を叩き出していた。だから、世間があっというほど語学力はない。

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フランス語もできひんのに何してんねんというツッコミを入れることに疲れたシェリタ


 でもぼくたちは、母語である日本語を話していても分かり合えないことがある。一方で、言葉が違っても、分かり合える瞬間がある。ぼくに外国語を話す力はないかもしれない。しかし自分の思っていることを伝えたい気持ちは、誰にも負けないくらいあるつもりだ。ぼくのばあい、その気持ちがある水準まで高まると、身体的なものとして熱をおびる感覚がある。その感覚があったとき、ぼくはあらゆる手を尽くして伝える。

 ボディランゲージはもちろん、絵を描いたり、ときには独自の言語(擬音語や擬態語のようなものであることが多い)を編み出すこともある。相手の表情や言葉の間、仕草をみながら、めちゃくちゃゆっくり話す。そうしてやってきた。お互いに立場(言葉や宗教、信念とか価値観とか)が違っているということを出発点にする話し合いは、かなりエネルギーをつかう。でもそれを乗り越えたとき、なにがいいかというと、ビールが死ぬほどウマいことだ。それ以上に何かを求めることがナンセンスだと思えるくらいに、美味しい。

 日常のなかでは、そういうことが薄まってしまうこともある。ストレスフリーに母語である日本語を話していると、あたかも自分と同じ(日本)人だと勘違いする。誰ひとりとして、自分と同じ人生を歩んでいないにも関わらず、そう思ってしまうことがある。そこで弊社では、自分が強く伝えたいと思ったときのポーズを設定している。相棒とは考え方がほとんど正反対ではあるが、お互いが考えていることを分かり合おうという意思表示のスタイルがある。相手と同じ立場にはなれなくても、ウマい酒が飲めればそれでいいと思っている。

いざ、フランスへ。

 昨年11月下旬に、トーゴ共和国から素材を仕入れて帰ってきた。その素材を京都や東京に持っていったり、広島や福岡に送ったりしてモノづくりを進めてきた。もうすぐ、記念すべきデビュー商品ができる。ぼくたちの汗と涙の結晶、ほんとうは、売りたくないくらい愛着がある。それくらいに気持ちが入った商品を、つぎはフランスへ持っていく。

 もうシャルル・ド・ゴールまでのチケットは取ったし、パリの中心地、9区にある安宿もおさえた。シャンゼリゼやサントノーレ、モンテーニュなどの通りにある店に、片っぱしから営業をかける。ぼくたちの会社は、新たな時代をつくる会社だ。その会社の創業者として、ぼくはフランス・パリで結果を出すまで帰れま10をするのである。成功するイメージはできている。

 パリで大成功を収めたあとは、アフリカ大陸へ入る。トーゴ共和国を再訪し、素材の仕入れと現地法人のマネジメント、あとは未訪問エリアの調査をする。正直にいえば、前回の訪問時におこなった仕入れは失敗だった。事業を継続していくにあたり、採算のあわない素材が半分くらいあることに、帰国してから気づいた。いまぼくは、仕入れてはいけないものと、仕入れるべきものを把握しているから、次こそはミスらないと思う。

 もう少しで、ヒントが掴めそうな気がしている。もう少しで、次のステージにあがれそうな気がしている。出国まで、あと3週間。妻と子どもと離れるのは、すこし寂しい。

京都の350年続く法衣屋の店主との商談

ハレの日

ハレの日には、女性たちが腕によりをかけて料理を振る舞う。現地に普及しているパーニュと呼ばれるアフリカ布で仕立てた衣装を身にまとい、楽しい雰囲気を演出する。
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食べるもの、着るもの、そこに集うひとたち。誰かのために一生懸命につくる料理、自分の気分が高まる服、そして誰かと自分が繋がる空間。
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生活がシンプルだと、そういう目に見えないものが際立っていたりする。

ナイトクラブ

ナイトクラブは熱気がすごい。みんなが思い思いのダンスをしていて、鏡をまえに自分のパフォーマンスをチェックしている。ひとりで、黙々とダンスをし続ける。
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目を閉じて体を揺らして音楽に耳を傾ける。彼らは何を考えているのだろう。隣にいって、同じことをしてみる。人生を振り返って、なんだか自分と向き合っているような気がしてくる。
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自問自答を繰り返す。ほんとうにその振る舞いは、イカしているのか。鏡にうつる自分に問いかける。

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