バイクタクシー、ゼミジャン

もっぱら、移動手段はバイクタクシーだ。ここのひとは、「ゼミジャン」と呼んで親しんでいる。それは、あるアーティストのゼミジャンの歌がヒットナンバーとなるほどだ。
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通勤途中、あるいは帰宅する道すがらで、ゼミジャンのクラクションは鳴る。ゼミジャンの運転手は「乗るかい?」と手のひらをうえにする仕草をして尋ねる。
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乗るかどうかに関係なく、彼らはクラクションから何気ない会話をはじめたりする。それがそれぞれの一日のはじまりになったり、おわりになったりする。お互いがお互いのことをよく知っているのだ。

初売上を計上

昨年11月に、日本人としては初めてトーゴ共和国で法人の設立を果たした。法人設立にあたっては、現地スタッフとミーティングを重ねた。地主や役所との交渉は難航したが、それよりも自分たちはどうしたいか、どういう世界をつくりたいと思っているのか、そんなことを話し合いながら、その土地にあった会社の在り方を模索した。

 

トーゴにはぼくたちの会社の現地法人をつくったが、日繰りのキャッシュを創出する形での運営を目指すこととなった。日本で今、奮闘しているのはアパレルであるが、アパレルはキャッシュへと変換されるスピードが遅い。たとえば、食べるものであれば毎日のことであるから、お金の流動性はアパレルよりも高い。そんな感じの話し合いをしながら、また役所とのすり合わせをしながら、店づくりを考えた。

 

役所側の条件としては、事業者が競合しないことが第一であった。レストランがある地域のちかくでは、レストランを開業することはできない。その地域で客の取り合いが起こってしまい、地域経済にとってよくないというのがその理由であった。しかし役人の親族や、その側近など、融通の利く人物には配慮されることがあり、競合する事業が展開されることがある。

 

たまたま、ぼくの仲間に役人とその側近がいたけれど、ぼくたちは真正面から事業運営をすることを決めていたので、ピックアップした土地ごとに調査をした。結果として、現地法人としての機能に併せて、日々の運営を美容用品を取り扱うことに決まった。ここの女性は、とてもオシャレであり、美への関心も高い。シャンプーやパフューム、美容クリームなどは、ほとんどの女性が使っているといっても過言ではなかった。聞き込みをとおしても、なにより運営を任せる仲間の奥さんも含めて、数種類の美容用品が常備されていた。

 

先月、今月の運営のなかで、マネージャーのリシャと「WhatsApp(彼らのSNSでのコミュニケーション手段は、ほとんどの場合、このWhatsAppというアプリである)」でやり取りをしながら、「全然うまくいかへんわあ」みたいな愚痴も聞きながら、試行錯誤を重ねた。そして今日、売上報告がきた。

 

それは2ヶ月の運営をとおして日本円にして8,000円程度であったが、記念すべきぼくたちのアフリカでの初めての売上だ。なんでもそうだと思うが、0から1にするのが猛烈に大変だ。その大変さを乗り越えた現地スタッフに今、スタンディングオベーションをしている。ぼくたちはビデオ電話をとおして祝杯をあげた。いよいよスタートラインに立った。

↑愛娘と共に運営にあたるマネージャーのリシャ

 

目に見えないものへの熱量

いつでも、どこでも、だれとでも。音楽を奏でるひとたちが居る。すこし町へ出ると、大きなサウンドシステムが所々にあり、それぞれが好きな音楽を流す。その地域で流行っている(おもにナイジェリアからの音楽が多い)ものを中心にレゲトンが響き渡る。みんなで集まったときには、ちょっとした休憩時間に、ジャンベを叩いてコミュニケーションを取る。
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現地の伝統ある音楽がスタートすれば、一層の熱を帯びる。額に汗を光らせながら、目を閉じ、手を叩いて、天を仰ぐ。彼らの音楽への向き合い方は、つねに全力である。
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音楽しかり、人とのコミュニケーションしかり。目に見えないものに対する熱量が、想像をはるかに超えている。

 

壁にぶつかっても

 

新年早々、ぼくは東京へ向かった。腕利きの仕立て屋が銀座にあると聞いたからだ。トーゴから持って帰ってきた生地は、京都の職人に鮮やかに染めてもらった。この染める過程でも、1グラム単位で修正しながら色出しをして、納得いくデザインを施した。12種類くらい染めてみたものを、ハイブランドのセレクトショップのバイヤーに見てもらったり相棒と相談したりして、3種類くらいに絞り込んだ。

 

それを一度、形にしたい。どのような形にするかで、普段づかいができそうなジャケットに議論が落ち着いた。ジャケットを仕立てるために、12メートルくらいの生地を担いで銀座に降り立った。

 

オーナーと話し合い、生地をみてもらったが、その場では判断がつかなかった。ジャケットのフォルムを決めて、採寸して、オーダーした。しかしその3日後に相棒から連絡があった。

「あれではできないとのことです。」

 

その理由は、すこし頭にあったことだが、やはり生地の強度が弱いということだった。繋ぎ目の部分が弱い。もしアパレルでやるなら、現状の13cm幅を繋ぎ合わせたものではなく、最低でも60-70cm幅のものを繋ぎ合わせなければならない。

 

そうなると、設備の変更が必要だ。再び、トーゴへ行く必要が出てきた。壁にぶつかっても、それは諦める理由にはならない。何度でもぶつかってやる。2019年は、波乱の予感がする。

今年の漢字は、「激」。

2018年が終わる。今年は自分史上、最も「激」しい一年だった。

丸4年勤めた金融機関を退職し、アパレル業界へ飛び込んだ。会社の設立日と同日に、人生のパートナーと入籍し、来月には子どもが誕生する予定である。多くの人たちから応援のメッセージをいただいたが、それと同じくらい厳しい言葉も頂戴した。これから築いていく家族のことを考えれば、金融機関を辞めるのはナンセンスだ。一方で、人生を賭けて挑戦したいと思えることに出会えたのは、とても幸運だと思う。

 

大きな葛藤をもったまま彼女のご両親のもとを訪れ、思いの丈を伝えた。しばらく沈黙があって、ただ一言、「ビジョンだけは大きく持つように」と。思うことはたくさんあったと想像する。それらをすべて超えて、今となっては熱烈なサポートを頂いている。応援してもらえるうちは、夢を大きく描いてもいいのかもしれない。

 

ド素人の挑戦は、やはり、まだまだ道半ばだ。しかし確実に少しずつ前に進んでいる。実際、現地法人を設立し、素材を仕入れてきた。腕利きの仕立屋と連携することが決まり、来月下旬ごろには記念すべき第一弾の商品が完成するのだ。自分たちがアクションを起こしてきたものが形になっていく喜びを噛みしめて年末を迎えた。来年は、魂を込めた商品をお披露目する。ワクワクドキドキ。胸の鼓動は、激しい。

 

何度も、やってみる。

決してアクセスがいいとは言えない場所に、職人の工場はある。最寄り駅からバスで20分くらい乗り、15分くらい歩かなければ辿り着けない。しかしそんな場所に、ルイヴィトンやエルメスの担当者が、通訳とエージェントを引き連れて、フランス・パリから訪れる。そこでしかできない加工があるからだ。

 

大量生産・大量消費の流れもあって、テキスタイルのほとんどは、インクジェットプリントへ移行した。一度にたくさん、均質のものを。規模の経済性を発揮し、コストダウンを図る。それは市場経済の行きつく先としては必然だった。時代に翻弄された京都の染色工場の多くは、廃業を余儀なくされた。それは人々が望んだ結果でもあった。

 

いま、手染めで染色を施せる工場は激減している。昨日も職人のもとへ行って近況を聞いてきたが、先週も2軒が店を閉めたという。とくに今年の冬は厳しい。ぼくたちは、3枚1,000円のシャツで事足りるのだ。アパレル業界は必死のパッチで販促するが、ブランディングを成功させた一部にお金は集まる。これまで職人一筋でやってきた人たちにとって、「ブランディング」という言葉ほど対極にあるものもない。

 

ぼくは、職人は職人であってほしいと思う。愚直に、いいものを突き詰めてほしいと思う。時代がそうさせてくれなくても、ぼくは抗いたいと思う。出口戦略を練るのは別の人が担当し、職人は専念する。そうしようと思えば、チームをつくるしかない。ぼくは京都の職人、クリエイター、テキスタイルデザイナー、コンサル、学者の方など10人ちかくのチームメイトと話し合いを重ねている。

 

↑話し合ったことを形に落とし込む

 

モノづくりがこれほど果てしないとは思っていなかった。道のりは遠い。何度も足を運び、色を確認しながら、もう一度やってみる。そんな作業を繰り返している。

子どもたちを前にして

ここは、子どもだらけの国だ。感覚的には、だいたい3歳くらいの子どもたちが、そのコミュニティの大半を占めている。感じていたエネルギーの源は、ここにあったのかもしれない。

そこかしこで子どもたちの陽気な遊ぶ声がきこえてくる。太陽のにおい、空の高さ、風の音。感覚が澄んでいくのがわかる。こういう感じは、喧騒のなかで生活していては気づきにくい。

ぼくらはすこし、がんばりすぎているのかもしれない。肩の力をぬいて、穏やかに生活してもいいのに。

 

とにかく、前へ。

これまで金融機関でしか働いたことがなく、デザインやファッション関係の学校にも行ったことがないぼくにとって、アパレルへの挑戦は死ぬほど難しい。

ただ動いているといいこともあって、そんなぼくを哀れに思って助けてくれる人たちが集まってくれている。どのみち、仕事は一人ではできない。たくさんの頭で考えたことを、たくさんの仲間と一緒にぶつかるほうがいいということをトーゴでの現地法人設立のときに強く思った。

 

そこで今は、わからないなりに一度モノをつくる作業を進めている。どうなるかわからない状況では、とにかくやりながら反省をして前に進む方法以外に、ぼくは知らない。エウェ族が丹精込めて織り込んだ品物に光を当てる。手作業でしか生み出さない価値が、そこにはある。そしてそれは大量生産・大量消費のモノづくりに一石を投じることにもなると思っている。

 

今日も京都の職人のもとで商談をしてきた。とても寒い日だったが、職人は冷たい水に手を突っ込んで染めを施してくれている。鼻水を垂らして、爪のあいだの染料を光らせながら職人は言った。

「おもろいもん作るで、諦めたらそこで試合終了や」

半世紀近くにわたって仕事に向き合ってきた人の言葉は、シンプルなのに勇気が出る。トライ&エラーで、とにかく前へ。

惨敗を喫する

ぼくたちのモットーは、試しにやってみることだ。「始めからできたら男前、できなくて当たり前」とも言うし、できないことから始まる可能性に賭けるのが、ぼくたちのやり方だ。でも、ほんのちょっとだけ、男前だと思っていたところがあったのかもしれない。大都会・東京で苦汁をなめる結果となった。

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↑ケチョンケチョンにされた相棒
 この4ヶ月半、死ぬ気でやってきた。累計して164人の方々にアドバイスを頂きながら、日本から13,000km離れたトーゴという馴染みのない国に往復5日かけて行き、言葉の通じない現地の職人と交渉して何とか調達できた素材を持って、京都の職人のもとへ駆け込み、少しずつ形にしてきた。道の途中ではあるが、形になってきたものが、市場でどのような反応を受けるのか知りたくて、東京に乗り込んだ。

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↑会社の全財産をスーツケースに詰め込んだ
 東京は、多種多様なコレクションブランドをラインナップする世界でも珍しい都市だ。そんな都市の第一線で活躍するバイヤーたちの審美眼で、ぼくたちの魂を込めた商品を見てほしい。なぜかぼくたちは自信があって、彼らの度肝を抜き、商品を詰め込んだスーツケースが空っぽになるイメージをしていた。しかしスーツケースの重さは変わらなかったし、なんならテンションの分だけ帰りの方が重く感じた。
 ぼくのせいで、商談では相棒と店員さんが喧嘩みたいになってしまい、得も言われぬ空気が流れた。お互いに真剣だからこそヒートアップする。伝えたいことが伝えきれない歯がゆさ。言葉ではなくて、もっと深いところの何かが足りない。
 いつのまにか、スーツケースのコロコロは壊れていた。自分たちを奮い立たそうとして、一本の缶ビールを二人でわけて飲んだ。これが限界だと、言い訳をしてみたりした。ぼくたちは見事なまでの惨敗を喫した。
 帰りの駅のホーム、たまたま隣に並んでいた女の子がドリカムの「何度でも」を歌っていた。「10000回ダメでヘトヘトになっても、10001回目は何か変わるかもしれない」と。うまくいかないことが、諦める理由にはならない。力をつけて何度でも戻る。東京の寒空を見上げて、ぼくは白い息をはいた。

バイクタクシーから見る生活水準

 

西アフリカの小国・トーゴ共和国は、いわゆる「世界最貧国」として位置付けられる。個人的に、それは先進国が定めた尺度でのポジションでしかないし、いろんな価値尺度があるなかで、その意味合いも薄れつつあると思っている。しかしその世界最貧国とされる国に住まう人たちが、どれくらいの水準で生活しているかという事例は、ミクロな視点ではあるものの、全体をうつす一部であるような気がしている。そういった統計情報もないので、現地の主要産業であるバイクタクシー(ゼミジャンと呼ばれて親しまれている)の運ちゃんの単月収支を、備忘のためにも残しておこうと思った。

 

バイクタクシーは、営業するエリアによって金額の多寡はある。ここではトーゴ共和国の首都ロメから125km北上したパリメというエリアの、34歳男性の事例を挙げる。配偶者と娘3人(小学3年、2歳半、6ヶ月)、配偶者の母の6人家族だ。

 

※トーゴ共和国で流通する通貨はセーファーフラン(以下、cfa)で、だいたいcfaを5分の1した金額が日本円になる。(たとえば、10,000cfaは2,000円くらい)

 

彼の勤務時間は、朝5時から12時、15時から18時までの計10時間である。日によってバラツキはあるが、10時間働いて、7,000cfaから10,000cfaくらい稼ぐ。トーゴは乾期と雨期しかないのだが、雨が降れば、基本的に外出しないので、雨期には売上は下がる。月収は、210,000cfaから250,000cfaくらいだ。

トータルの支出は214,000cfaくらいで、その内訳は以下のとおり。

・食費75,000cfa

・電気代2,000cfa

・家賃5,000cfa(トタン屋根で8畳ほどの大きさの部屋)

・電話代6,000cfa(キオスクなどでクレジットを購入し、チャージするスタイル)

・ガソリン代66,000cfa(ガソリン1ℓ=500cfaくらい。1日2,500cfaがガソリン代に消える)

・バイクオーナーへ60,000cfa(バイクは一括購入できなければローンとなる。市場ではバイク1台320,000cfa-390,000cfaで取引されるが、ほとんどの労働者は一括購入できない。パリメでは資産家にバイクをローン購入することになればトータル700,000cfaを支払うことになる。資産家に1週間、15,000cfaを支払う。)

加えて、毎日バイクを走らせれば修理もしないといけないし、子どもが風邪になれば薬を買わなければいけないし、教材を購入していくとなると、おおよそ1ヶ月240,000cfa前後が必要となるから、とても余裕がある生活とは言えない。

 

バイクタクシーは腰への負担が大きく、また後部座席に人や荷物を乗せて神経を使いながら運転するために、肉体的にも精神的にもダメージが大きい、と彼は話す。競合他社が増えたことで運賃が下がり、ガソリンの値上げもあったので、業況は厳しくフラストレーションを抱えている印象も受けた。

 

 

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