アフリカにアイデンティティーをおいたナチュラルスキンケアブランドを創る
そんなこんなでガーナ生活が始まってからの生活については、こちらのブログをご覧下さい。
1年かけ、いよいよ、プレローンチできるという時に、舌ガンを疑い、日本に帰国。
ステージ2の舌ガンでした。
舌に違和感を感じてから、2ヶ月。
口内炎のような小さな突起を目視で確認できるようになってから、1ヶ月半。
たとえ、悪性であっても、どう考えても初期だから大丈夫、
という自信があったので、全く悲観していませんでした。
パパッと手術(レーザーで取れるんじゃない?)して、
日本食を堪能して、ガーナに帰ろうと思っていたのです。
ところが、実際には、舌の3分の1を切除する手術になり、
転移・再発の可能性は、50%近くと告げられました。
術後の経過観察が3週間毎に必要だということも知りました。
丸2日かかるフライトを考慮すると、2週間毎にガーナと日本を往復する生活になります。
航空券代は、20万円。
まだ、サービスを開始し始めたばかりで、まともな収益もありません。
転移でもしようものなら、更に重なる医療費のこともあります。
充実した医療と保険制度のある日本にいるべきことは、明白でした。
現実的に、ガーナで生活をするのは、難しくなったのです。
あまりに急なことに、どうしたらいいのか、何をしたらいいのか、目の前が真っ暗になりました。
いったい、ここで何をしたらいいんだろう。
体内にメスを入れる手術をしたわけではないので、不便さはありますが、元気なのです。
でも、「いつ転移してもおかしくないから、気をつけてね」と言われるこの状態で、
このまま就職することも考えられませんでした。
まして、日本で就職しようものなら、ガーナの事業に携わる時間もなくなることでしょう。
ガーナの事業は、前職でお世話になった個人投資家がエンジェルインベスターとして投資してくれていました。
このまま諦めるのもイヤだ。
そんなことを取り留めもなく考えながら、
同時に、もう絶対に、これ以上の治療はしたくないと思いました。
でも、先生は、
「予防法は特にないんだよね。出てきたら、出てきたところを対処するしか。ストレスなくバランス良く食事して、免疫力を上げる。それぐらいかな」
というのです。
病院には、同じ病気でもっとステージの進んだ患者さんがいました。
リンパを切除すれば、口が歪んだり、
放射線治療で、首が真っ黒くただれたり。
舌の再建手術の後遺症で、腕(手首の肉を使ったため)が痺れたままという人も。
安易に呑気に考えていた自分の前に突きつけられた現実に身がすくみ、
自分で自分の身を守らなくてはならないと考えるようになりました。
そうして、舌ガン患者のブログを読み漁り、一つの共通点に気づきました。
みんな、転移を経験していくのですが、
その多くの人が手術前と変わらない生活に戻っていたのです。
免疫力が強ければ、ガン化しないものがガンになる・・・
ということは、なりやすい体質になっているのだから、体質を改善しなくてはなりません。
体質改善するには、どうしたら良いか?
人は、食べたものでできています。
身体に取り入れるものが、身体になるのです。
そうして、食事療法などを調べるようになりました。
こちらで良いと言われていたものが、こちらでは良くないと言われたり。
共通点を探し、自分が納得する裏付けのある説を採用していく。
そうして、自分なりに食事の方針を決めました。
入院中、そんなことを思いめぐらせながら、これまで感じたことのない肌の乾燥と痒みに襲われました。
あまりにひどいので、売店でクリームを買って使ってみると、ヌルっとするだけで、いっこうに潤いません。
何が入っているのかとラベルをみると、よく分からない化学物質らしい名称がズラッと幾つも一つのクリームの中に入っていました。
ガーナで使っていたモリンガオイルを送ってもらおう
と思ったところで、ハッとしました。
何でもある日本に、実はないものは、
こういう本当に自然なスキンケアではないか?と。
自然っぽいものはいっぱいあっても、本当に自然なものはない。
オーガニックスキンケアだって、有機栽培された原料を一部に使っているというだけで、
化学物質が添加されていないという意味ではありません。
スキンケアは、マーケットとしては成熟していて、女性ならば誰もが使うものです。
需要が既にあるマーケット。
生活必需品ですから、景気にも左右されづらい。
私と同じように、本当に自然なものを求める人もいるだろう。
薬には副作用があるように、毎日、毎日、化学物質を塗り続けて、肌に良いわけがありません。
肌に塗るものも、身体に取り込んでいるもの。
これだ!
ガーナの自然から生まれた本当の素晴らしいスキンケアを伝えよう。
それは、こういう経験をした私にしかできないことだし、私がこういう運命をかされた理由かもしれない。
ただ、商品を売るのではなく、
アフリカにアイデンティティをおいたスキンケアブランドを創る。
それは、おそらく、日本初の試みではないでしょうか。
2014年11月のことでした。