シングル子連れで事業をするということ
先日誕生日を迎え、また一つ歳を重ねました。
実は一瞬日本へ出張していたのですが、
(みなさまご連絡できずすみません!ほぼ仕事で埋まりきってしまっていたので、次回ゆっくり帰れる時に是非遊んでやってください)
後半は連日徹夜でも仕事も荷物も収まりきらず、泣きたい気持ちでTake off。な誕生日でした。
日付が変わりルワンダへ帰国すると、スタッフがサプライズでお祝いしてくれ、息子からは手紙をもらいました。

文面は大人が考えたにしても嬉しいものです。
経営状況は正直厳しく、息子は周りに預けっぱなし。
経営者として、母親として、自分の不甲斐なさを突き付けられつつ、でも落ち込む暇もなく毎日笑顔で店に立たねばならないこの状況に、逆に救われている。そんな32歳です。
ブログを読んだ方からいただくメッセージで特に多いのが、女性の方です。
端的に言うと、たくましさに励まされますと言ってくださいます。
読んだ方に、何らか情報や、プラスの感情をお届けできていたらとても嬉しく思います。
「シングルマザーが会社辞めてルワンダへ飛んで店開いてる。わーお。」と驚かれることも多いです。バイタリティの固まりのように見えているかもしれません。
でも実は、ここ数年(もっと?)いろいろな葛藤がありました。ここで少し、自分の気持ちの整理がてらしたためてみたいと思います。
やっぱり自分の中のテーマで大きいものが、「仕事と子育ての両立」。
両立って、なんでしょうか。
私はシングルなので仕事が成功しないと、子どもを養えません。
両立か、両方ダメになるかの二つに一つです。
(と言うとなんだか重たいですが、まぁ最悪でも死にはしないでしょというのが私の基本思想です)
現在週7日、朝から深夜まで働いていますが、まだ自分が収入をとれる段階ではなく、サラリーマン時代に貯めた貯蓄を何度も会社に注入。
私はこれまでも、息子がいながら財産がマイナスになった時期があります。
ただ大きく今と違ったのは、お金を借りていたのが無期限無利息の親であったこと、大企業の正社員というポジションにあったということ。
1歳児と借金を抱えて、年間1億の売上ノルマを追う生活はかなりタフで、今思えば身体も神経もギリギリでしたが、親への返済はすぐに終わりました。
だって、毎月同じ日に口座にお給料が必ず振り込まれていましたから。
売上ノルマを外していても、どんなに大きなミスをしていても。
(全く年功序列の会社ではなく評価制度がしっかりしていたので、結果を出せないと額面は大きく下がる会社でしたが)
今自分が無収入なのは、ブラック企業に勤めているからでも、給与不払いに遭っているわけでもありません。ルワンダだからでもありません。
自分の力量です。
子連れ離婚の経験から、定職についていることのありがたみを誰よりも分かっているつもりですが、
(職がなく、親の援助もない女性が社会の隙間から子ども共々こぼれ落ちていくのを、何人も目の当たりにしました。私はラッキーでした)
それでも自分で会社を辞めることにしたのだから、誰にも何の言い訳もできないし、誰も守ってくれません。
でも。今の方がいいです。
ルンルン楽しいのとは違うかもしれません。やりがいがあるというのも月並みすぎます。
無我夢中。が近いかな。
これまでのライフイベントから破天荒な性格に思われるかもしれませんが、とても小心者で、大事な商談の前夜は遅刻する夢を見て何度も起きてしまったりするような性格です。
日本にいたころの私は、実は常識や世間の「こうあるべき」にとっても縛られるタイプで、自分の内なる気持ちとのダブルスタンダードに苦しむことが多かったです。
ちゃんと仕事もしないと、でも「父親」役も「母親」役もちゃんとしないと、そんな風に自分で自分をがんじがらめにしていくうちに、自分が何をしたいのかどんどん分からなくなっていき、
仕事も中途半端、育児も十分やれてない、(そしてこの「十分」は誰基準だという話なのですが)そんな自分を責める日が続き、
自分の心のままにやりたいことを追いかける職場の人たちが眩し過ぎて、どんどん後ろに下がっていくようになってしまいました。
完全に自縄自縛ってことを頭では客観的に理解できていても、なんか、ダメでした。はまっちゃっていました。
ルワンダに来たのは、そこから抜け出す賭けでした。直観で即決しましたが。
来てみるとやっぱり正解で、ルワンダでは前提も何もかも違いすぎて、なんだかそんなものどっかにぶっ飛ぶし、
息子にかかわる大人が増え、「それじゃ子どもがかわいそう」、という目で見られることもなくなったし、
それに実際、悩んでる場合ではない状況が、私を楽にしてくれた気がします。
今日も一緒に寝てやれないな…と気に病んでいる暇があるなら、一人でも多くのお客様に来ていただかないと、生活成り立ちませんから。
だからと言って罪悪感が消えるわけではないです。これはきっと永遠に消えないんだと思います。
でも、それを原動力にできるようになった気がします。後ろに引っ張られるのではなくて、前に押してもらえているような。
というわけで、とにかく事業を、まずはAsian Kitchenを、成功させたい。続けたい。
一つの小さな飲食店だけど、人生賭けて子どもとルワンダに来たのだから、このお店にも、ここで過ごす一日一日に、人生賭けてます。
息子を一人で育てるということも、大企業を辞めるということも、自分が選んだ道なのだから。

季節もなく毎日慌ただしいけど、ふと見上げた空を青く感じられることは、ひとつの心のバロメータ