ジェノサイドメモリアルウィーク 2018
ルワンダの首都キガリからこんにちは、アジアンキッチンのからとです。
さてもう4月も半ば。
初旬のタイムラインは桜と入学式の写真で賑わっていましたが、ルワンダで4月と言えば、ジェノサイドメモリアルウィークです。
ジェノサイドメモリアルウィークでは、
国全体が「喪中」モードになり、飲食店は営業していても音楽は禁止。
雨季とも重なり、街全体がいつもより少しひっそりとした雰囲気になります。
ビジネスの面で言うと、経済が停滞するので打撃です。
4月7日は、お店は原則営業禁止、一週間、午後は地域ごとにジェノサイドについて語り合う集会が開かれ、ルワンダ国民はそこに出席する義務があります。
営業日、時間が減るので当然売上は減ります。
アジアンキッチンの顧客の多くを占めるエキスパッツの人々には、イースターと合わせて長期休暇に入り国外に行ってしまうケースも多いです。
去年はレストランと一般顧客を結ぶデリバリーサービスのjumia foodも、集会が行われる14時から16時は営業止まっていました。ただ今年は、止めると通達がありつつも、結局通しで営業していました。
Asian Kitchenでは、お店のスタッフを一人代表で送ることで、14時16時の間も通常通り営業が可能になるというルールに則って営業していました。(今年知ったニュールール)
相変わらず行政のルールが人レベルで言うこと違うので本当に正しい情報が分からないのですが、
センシティブな事柄なので、アジアンキッチンはジェノサイドメモリアルウィークをリスペクトしています、というのを前提にオペレーションには気を配っています。
94年のジェノサイドから24年。
なんとなく、徐々に緩くなりつつあるのかな?というのが今年の印象です。
”Kwibuka24”と掲げられた旗を今年も見ましたが、去年より減っているような。
息子の通う学校は大多数がルワンダ人ですが、今年は授業再開がメモリアルウィーク中の4月10日で結構びっくり。
何事も風化は避けられないのでしょうか。(うーん自分で書きながら表現がとってもチープ)
ンタラマ虐殺記念館
先月友人が遊びに来てくれたので、一緒にンタラマの記念館に行きました。
キガリから車で30分ほどで行ける場所です。
ここはカトリックの教会で、助かると思って殺到した一般市民が、数日の後にほぼ全員殺されてしまった場所です。
その数は5,000人ですが、名前が分かっている人はほんのごく一部。
写真、壁全体を撮っておくべきでしたが、壁の圧倒的大部分が、文字が刻まれず空白のままです。
虐殺の100日間の最初の週に起きた出来事で、ここに親族の遺体を探しに来れた人はまれでしょう。
一族全滅に追いやられた場合、誰にも身元が分かりません。

犠牲者の方の名前
教会の中には、頭蓋骨などの遺骨、犠牲者の方々が着ていた衣服、調理道具など様々なものが残され、
壁には、子どもたちが次々とたたきつけられて殺されていった、その血の跡も残されています。
入場自体は無料で、ガイドの方が説明してくれます。
この日私たち(日本人の友人と、聞いて確認はしていませんが、おそらく少数派、つまり94年で標的とされた側の民族であるルワンダ人の女の子)に説明してくれたのは、自身もサバイバーである女性。私と同い年で、当時10歳。
どんな気持ちでこの仕事をやっているのだろう、、、と思いました。
訪れて、気も滅入るし、凹む場所です。
が、彼女のような人が語り手として働いている、そのことの重みだけでも、訪れる意味のある場所なのは確かです。

Ntarama虐殺記念館
もう24年なのか、まだたったの24年なのか分かりませんが、
24歳以上なら誰でも、アジアンキッチンのスタッフも、経験したジェノサイド。
(ちなみにスタッフのエピソードを通じてジェノサイドのことに触れている過去記事はこちら)
平和な日常に感謝。