25周年メモリアルウィーク

1994年のジェノサイドから25年

ルワンダでは、1994年にジェノサイドがありました。
25年前。
4月7日に始まり、100日間続き、その間に80万人~100万人が殺されました。

一言で言うとすると、
少数派ツチ と 多数派フツ の対立の中、
少数派ツチ族の抹殺が掲げられ、
穏健派フツ族も多数殺されてしまった出来事。

“kwibuka”とはルワンダ語で、remember

単純な二項対立では語り切れない

ですが、
元々は生物学的には別ではない二つの民族、
ヨーロッパがルワンダを統治する上で利用された便宜
その中で生み出され根付いた格差
国際社会およびルワンダの権力者の各ステークホルダーの利害関係
当時の凄まじい混乱、扇動、プロパガンダ
etc etc…

単純な二項対立では語り切れません。


あるルワンダ人の知人は、「私は映画『ホテル・ルワンダ』は信じない」と言っていた。
彼女は父親を目の前で射殺されていて、それでも「5人の姉妹は無事だったので自分たちはラッキーだった」と。

皆にとっての一つの真実なんてないんだろうな、とつくづく思います。

ルワンダ虐殺を看過した国際社会

ただ一つ、このブログを読んでくださる方に伝えたい事実があるとすると、
当時の国際社会は、
「虐殺と定義しない、したがって介入できない」と看過したことです。

止められたかったのではない。止めなかったのです。

仲裁に入ることが、割に合わない、と判断したのです。

風化のスピード

ルワンダでは4月の7日から一週間、メモリアルウィークが設けられています。
「25年」という節目から、23とか24よりも特別な感じなのかと思っていましたが、ビジネス運営についての昨年までのような厳しい規制もなく、結構サラッと終わったような印象がありました。

60%がジェノサイドの後に生まれた、つまりジェノサイドを知らない世代。

25歳以下が、すでに過半数。

そしてこれからも、ジェノサイドを知らない世代が、すごいスピードで、圧倒的過半数になっていきます

若い国だからこそ起きることですね。

子どもがあふれる国

子どもが多いことを希望の象徴として使われることが特にアフリカの紹介では多いけど、私は同時に危うさも感じます

子どもの笑顔があふれているというよりは、
子どもが文字通り「あぶれる」という印象の方が正直強い。

この子達が大人になった時、何の仕事で生きていくんだろう?と。
一日道に座って過ごしてる大人の横で、無邪気に走り回るたくさんの子どもを見ると、希望、なんて簡単には言えない。。

今のこの復興がいかに奇跡であるか。
そしてそれを継続できたらそれもまた奇跡。
だけどこれは、必ず実現させないといけない奇跡。
アフリカの奇跡と呼ばれる国でも、現実はシビアです。

この時期は、一番自分の無力感を感じる時期でもあります。
せめて何等か発信できれば、とブログにしたためました。

では、また!