援助を見てきて思うこと
(写真)映画「ポバティー・インク 〜あなたの寄付の不都合な真実〜」より
10月1日に私の師匠のandu amet鮫島さんが面白そうなイベントを開催するようで、一応援助業界に関わっていたものとして私が思うところを書いておこうと思います。
もし興味ある方は早めに申し込んでください!きっと面白い会になること、間違いなしです。
http://peatix.com/event/200355
元々がっつりNGOで働いていた私(ウガンダと日本)は、コミュニティで農業生産性向上と農家の収入向上を目指して活動をしてきたわけですが、援助業界で一般的に言われる「援助慣れ」に近い状況も目の当たりにしてきました。
例えばトレーニングを実施するにしても、遅れてくるのは常で2-3時間待つこともざらにあり、トレーニング中も携帯ばかりいじっているとか、ランチ直前にきてランチだけ食べて帰るとか、トレーニングにせっかく来たのにお金もらえないのか(他のNGOだとトレーニングに参加するだけで日当という名のお小遣いを配っているんです)と文句を言われるとか、ええええって思うことが多々あり、私たちはいったい何のためにトレーニングをしているんだろうかと何度も自問自答していました。そもそも私たちは、短期的に得られるお金より、技術や知識がいかに長期的に生活を豊かにするか、人生を変えるか、そしてそうやって人生を変えてきた人が周りにたくさんいるんだっていうことを知ってほしくて、現地の人と活動をしているはずなのに、、、そんな様子を見ると、正直愕然としてしまいました。
しかしどうして、現地の人は援助団体の提供する知識や技術を得ようとしないで、日当に目がいってしまうのでしょうか(きちんと技術を実践して、より大きなリターンを得ている農家の人もいます)。もちろん、日々の生活を少しでも潤すためというのはあると思いますが、実はこれこそ現地の人々の生存戦略というか、援助側に対するどこかしらの「見限り」があるんじゃないかと思うのです。そしてこっちの方が断然根深い問題ではないかと。
プロジェクトは当然のごとく期間が決められており、その間に結果が出ても出なくても撤退することが前提となっています。結果が出たらいいけど、結果が出ず、しかもその後のフォローアップの体制も整えないまま、援助団体が撤退してしまったら。。。その団体を信じて一緒に活動していた現地の人々は、「せっかく一緒にやってきたのに、ここで放り出すのか」と思うんじゃないでしょうか。
私がこの業界に入って間もない頃、先輩から言われたのは「中途半端な支援が一番残酷」ということ。例えばある支援団体が奨学金事業をスタートしたとする。子どもたちに夢を語ってもらい、一生懸命勉強に励んでもらったはいいけど、「肝心の奨学金用のお金が集まりませんでした、ごめんなさい」で、その団体がそそくさとその場を後にしたとしたら、、、夢を抱いた子どもたちはどうなるんだろう?結局目の前の圧倒的な貧困の現実を突きつけられて、夢を諦めなくてはならなくなってしまうのではないか。夢を諦めることが、どれだけ子どもたちにとって苦しいことなのか。。。
もちろん皆、プロジェクトの成功だけを考えて意気揚々と始めるわけですが、これまでの援助の歴史の中で、あまりにもこういう事例が多かったのではないでしょうか。だからこそ、現地の人は援助側を見限り(どうせ期間が過ぎたら自分たちを残して撤退するんだろうと)、とにかく貰えるものは貰っておこう、どうせまた新しい団体が来るしってことで、日当に目がいくというのはある種当然の帰結だと思うのです。
これは完全に私見で、何の根拠もありませんが、援助業界に身を置きつつ現場を見ていて感じていることです。短期的なプロジェクトは結局何も生み出さず、現地で活動するなら長期的なコミットメントが必要であること、一度関わると決めたら徹底的に関わること。リソースが限られているのなら、プロジェクト終了後の持続性を担保するための施策を打つべき、日当制度はやめること。結局変わるべきはコミュニティの人ではなく、援助する側であるということに、いい加減気づくべきだと思います。
Chizu