もりかけ問題どころではないケニア②
“Corruption is an industry on its own, and it’s eroding people’s morality”
***
前回、政府の調達活動に根強く存在している賄賂の慣行についてお話しましたが、こういったいわゆるcorruptionはもう少し身近なところにも存在しています。その代表例が交通警察から要求される賄賂です。「切符切るのを見逃してやるから、金よこせや?」というまぁ非常にシンプルかつありがちなものですが、警察側も市民側ももはやそれを所与として生活している程の浸透具合を見るとなかなか異世界な感が致します。
所与、とは言いつつも、市民はそれを良いとは決して思っていません。ケニア人に政治や行政の話をすると、殆どの人がKenya is very corrupt, that’s the problem of this countryと言い、それが問題であるということを認識しています。それでも、それが当たり前のものとして生活に存在しているのです。
一体どのような仕組みで回っているのか?
気になって、交通警察賄賂の一番の餌食になっていそうなUberドライバーに聞いて回りました。
やはりどのドライバーも頻繁の交通警察にやられているとの話でしたが、中でもショッキングだったUberを始めて1年くらいの青年、Jacob君(仮名)の話を紹介します。
===
ほう、交通警察について知りたいのか。良いことを教えてあげよう。
Corruption is an industry on its own, and it’s eroding people’s morality
(賄賂はもはや一つの産業と化している。そして、それは僕らの良心を蝕んでいる)
俺の叔父さんは長らく交通警察をしている。彼は毎日、交通量の多い交差点に立って、交通整理という名の交通妨害をしながら、交通違反車両の摘発をしている。彼の給料はとても安く、10数年勤務した今でさえ月1万2千kenya Shilling(1 Kenya Shillingは1日本円とほぼ同額)程度しかもらっていない。しかし、彼は親戚筋の中でも突出して金持ちなんだ。
なぜかって?
賄賂による安定収入があるからだ。
普通なんらか交通違反をすると5,000から10,000kshくらいの罰金を課される。問題は違反をしたかどうかの判断は全てその場にいた警察官の独断に任されているということだ。違反になるかならないかは彼ら警察官のさじ加減一つなので、一般市民は従う他ない。
彼らはこう言うんだ。
「切符を切られたくないだろ?Then, grease my hands(賄賂よこせや)」
俺の叔父さん相場は500kshで決して総額じゃない。でもだからこそみんな従うんだ。そりゃ、十分の一以下の支払いで済むなら当然そうしたいだろ?
叔父さんは、毎日毎日、この500kshをコツコツと何回も徴収してお金を稼いでいる。その額は一日10,000kshを優に超える。つまり、彼の基本給は、わずか1-2日分の賄賂で稼げてしまうんだ。だから、彼にまじめに働こうなんてインセンティブは1ミリも生まれてこない。
更にまずいのは、これは彼の個人的な悪事ではないということだ。全ては組織的な仕組みの中で回っていることなんだ。
現場の警察官は、月次単位で賄賂の徴収額の目標を上官から課されている。一定額が現場の警察官から上官へと流れる仕組みになっているので、自分の食い扶持を残すには、ある種一生懸命働く必要が出てくる(けっして「まじめに」ではない)。だから彼らは一日に何十回も取り締まりをするんだ。
たとえ、良心に従って上官にたてついても意味はない。上官は、各警察官の任命権を持っているから、従わない部下がいればすぐにド田舎の交差点に左遷することが出来る。そうなると、賄賂での収入は見込めなくなり、薄給の基本給だけでは生活の維持が難しくなる。そうなりたくないなら従うしかないんだ。地域の教会のYouth Leaderをやっている若手警察官でさえ道端では、嘘の交通違反で賄賂を巻き上げていることを俺はしっている。宗教的価値観とか、個人のモラルとか、もはやそんなものは機能しない。
そして、賄賂のような汚い金で私腹を肥やすようになると、とてつもなく横柄な人間で出来上がる。叔父さんは今とても裕福だ。市内の綺麗なアパートに住み、実家には賃貸用のアパートを所有し、もはや不労所得だけで暮らせるくらいの財を築いた。それでも毎日毎日賄賂でお金を稼ぐことに血眼になって、家族や親せきには目もくれなくなり、冠婚葬祭にはほとんど顔を出さなくなった。彼は今、1日の休暇はすなわち10,000kshの損失だという考え方を持っている。そんな損はしたくないので、毎日毎日交差点に立ち続けるんだ。
そして、お金が全てを解決できると、本当にそう信じている。自分の姪の結婚式に理由もなく参加しなかった時、怒った姪夫婦に対して一言「sorry」と言っただけで、あとはお金で解決をしようとした。もちろんそれは姪夫婦をさらに怒らせる結果になったが、叔父さんは気にも留めていないようだった。僕の目から見て、友人や家族といった人間的つながりの多くを失ったが、彼自身はそれに気づいていないようだ。
こんな状況がそこかしこにあるこの国の状況を恥ずかしく思う。いつか賄賂の慣行が撲滅されればと心から思うけど、それはきっと長い道のりだと思う。
===
もりかけ問題どころではない、ケニアです。