モザンビーク
こんにちは!モザンビークで起業してから6か月が経ちましたが、今回”何故モザンビークを選んだのか”そして”モザンビークを選んでどうだったか”をお伝えしたいと思います。
私と事業パートナーである夫は2010年から2年間ザンビアに青年海外協力隊として赴任しました。それが私達のアフリカとの初めての出会いで、それをキッカケに大きな可能性を持ったアフリカに深く魅了されている自分達に気付くことになります。青年海外協力隊の後東京で5年ほど働きましたが、その間に自分達の夢とゆっくりと向き合い決断しました。
でもそもそも何故モザンビークなの?!という質問は良く頂きます。モザンビークに決めた理由は主に下記の4点です。
① ブリケット製造販売の競合他社がいない。
② 木炭の値段が高く、ブリケット事業の市場がある。
③ 現地の人が優しくて、受け入れてくれそうな気がした。
④ ここなら『ずっと住みたい』と思える、文化や環境の土壌があった。
①② 『アフリカの庶民の生活において、なくてはならないもの』『ないと生きていけないもの』を扱いたくてブリケットに決めた事は以前のブログで紹介しましたが、その後私達は ザンビア、ケニア、タンザニア、モザンビークでブリケット市場の調査をしました。その結果、木炭の値段が最も高かったのがタンザニアで安かったのがザンビアでした。ザンビアではブリケットは商売になりそうにないと判断し、ケニア・タンザニア・ウガンダ・モザンビークで調査を進めました。
(タンザニアで木炭価格調査をした2015年。)
結果、モザンビーク以外どの国でもブリケットを事業ベースで展開している現地起業家がいると分かりました。これらの企業では工場を見学させて頂いたり、事業計画に関するアドバイスを頂いたりとその後長くに渡り勉強させて頂きました。ケニアを除いては各国1つや2つブリケット企業があるのみで、現地に定住している外国人または外国を見てきた現地人による起業でした。一方、モザンビークはブリケット市場としてはブルーオーシャンだったのが決めてとなりました。(現時点では留学帰りのモザンビーク人青年やモザンビーク人環境コンサルタントなど数名のライバルがいるようですが…)
③ 南部モザンビークの人達はザンビアの人達と同じでおおらかで人懐こいと思います。また、控えめで平和主義な人も多いというのが個人的感想です。市場調査の際に炭売りや食堂の人達と話した時にもそのような印象を受けました。今でも親切でパワフルで現地語を話すと大喜びしてくれる市場の食堂のお母さん達が、私達を受け入れてくれている懐の深さを感じつつ通っています。最近、モザンビークとアンゴラとタンザニアでエネルギー関連事業(ガソリン販売など)を展開するインド系実業家に会ったのですが、彼は『人の面で言えば、モザンビークが圧倒的にビジネスがやりやすい。モザンビークに戻ってくるとホットする。』と言っていて妙に納得してしまいました。
(市場の食堂の様子。大きい市場には20件~30件くらいこういう食堂が集まっています。)
(人懐こいモザンビークの人お母さん達。)
④ ザンビアの地方都市で2年過ごして余暇の過ごし方はランニングと海賊版DVDを見る事に定着していました。再びアフリカに住むことを考えた時に自分達の時間も大切にしたいと考えました。私達の共通の趣味はサーフィンなのですが、マプトからは2~3時間の距離でサーフィンできるスポットがあります。東京から通っていた千葉外房に比べると波がある確率や波の質が劣る時もありますが、海の綺麗さや人の少なさや波が決まった時のダイナミックさは断然優れています。
(マプト市から約2時間で行けるサーフスポット。波を独り占めできます。写真に写っているのは私です!)
モザンビークでは私が大好きなブラジルの格闘技カポエイラも盛んです。
マプト市だけで30程度のグループがあり、競技人口やレベルも高く、その気になれば練習に毎日参加することができます。JAZZやダンスや絵画などの文化活動も盛んなように思います。もう既に色眼鏡かもしれませんが、自己のアイデンティティーを追求する心がモザンビーク人には比較的強いのではと考えたりします。
(Capoeira Ginga de Maputo というモザンビークで一番歴史あるグループで練習させてもらっています。)
モザンビークを選んだ際、一番迷ったのは言語です。モザンビークの公用語はポルトガル語です。マプトには英語が話せる人も沢山いますが、政府や学校など人が集まる場面ではすべてポルトガル語です。半年で何とか日常会話を話したり、会話のトピックを察することくらいはできるようになりました。もっと話せるようになって、モザンビークの人の生き方とか生活とか考え方とかいろいろ知りたいなと思う毎日です。
【結論】 モザンビークにして良かった!