Verde Africaインターン日記 ③ 「モザンビーク人が認識するゴミとは」

Bon dia! 寒暖の差が激しい最近のマプトです。少しずつ雨季が始まっているようです。雨季は競合である木炭の価格が急上昇する時期なので、今年は売りまくりたいと企んでいます。今回はゴミのポイ捨てについてです。

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こんにちは。Verde Africaインターンの久保劍将です。モザンビークを訪れて約2ヶ月半になりますが、生活の中で驚いたことの1つとして、道端に落ちているポイ捨てされたゴミが挙げられます。モザンビークが自分にとっての初めてのアフリカになりますが、今まで訪れたことのある東南アジアのいわゆる発展途上国と呼ばれる国々と比較しても多く、どこでも落ちています。道路だけでなく、自宅や工場の敷地内にすら多く落ちている程です。基本的に落ちているものは、ジュースやビールを飲み終えた後の瓶やペットボトル等、食べ終えた後のチョコレートやスナック菓子等の包装紙です。

 

(道端に落ちているゴミの写真。)

 

このような、ゴミをよく目にする生活は、あまり慣れず、なぜだか不快な気持ちになります(大雑把のO型のため、特に気にしすぎている訳ではないと思います)。時間の経過とともに慣れてしまうのかもしれませんが、その慣れは決して良いことではないと思うため、せめて自宅や工場の敷地内だけでも綺麗にしたいと思い、弊社の従業員の業務の一環として毎日5分間ゴミ拾いをすることに決め、実施することしました。面白いことにモザンビーク人はゴミというと、落ち葉や枯木を思いつくようです。日本人からするとゴミというと、空き缶やペットボトル等を思いつきますが、そのゴミは彼らからするとそうではないということになります。たくさんのものがポイ捨てされ、道端にあふれていることは、こういった認識の違いがあることが原因のようで、納得がいきました。

 

(落ち葉や落ちたマンゴーを箒で掃く従業員の様子。モザンビーク人の朝のルーティーンの1つ。)

 

この認識の違いは、当然育ってきた周りの環境によるもので、多くのことが整っている日本で育った自分にとって、ゴミが道端に落ちていることはなぜだか違和感を感じますし、ポイ捨てすることに対しても抵抗があります。ところが多くのモザンビーク人にとっては、空き缶や空き瓶、プラスチックが多く落ちている環境で生まれ、育ってきているため、それらが道端に落ちていたり、ポイ捨てすることに対して、特に違和感を感じないのだと思います。自分が感じているこの違和感を従業員に理解してもらうことは難しいと思います。現に実際にゴミ拾いを開始してみて、従業員は面倒臭そうに作業しています。また先週は始めて1週間にもかかわらず、勤務終了時刻までにその他の業務を終えることができず、毎日5分間のゴミ拾いを継続できていないという現状です。加えて「落ち葉や枯木は自然に還るけれど、空き缶や空き瓶、プラスチックは還らないからゴミなんだ」と説明しましたが、全く理解してもらえませんでした。ゴミ拾いを含めて新しい業務を導入した際には、従業員に受け入れてもらうことと、それを継続していくこと、この2点が課題であると感じています。当然、どちらもその業務の必要性や重要性を感じてもらうことができれば解決するものであると思います。これは、個人的な感情になりますが、新しい業務を頼んだ時の従業員の面倒臭そうな表情を見ることは好きではありません。そのため、モザンビーク人のとりわけ若い世代がお金以外のモチベーションの源を発見できればと思います。

(毎日5分間のゴミ拾いの様子。)

 

話は逸れますが、モザンビークの首都であるマプトにはゴミの集積所があります。フィリピンのマニラにあるスモーキーマウンテンについては耳にしたことがありましたが、滞在している近くに同じようなものがあることに驚きました。以下のURLには、ポルトガル人写真家の撮影した写真が掲載されていますので、ご覧ください。

http://mymodernmet.com/trash-land-of-maputo/