賄賂について思うこと

モザンビークで起業してから賄賂について考えさせられる機会が沢山あります。ザンビアでも2年間協力隊員として活動しましたが、賄賂を直接的に要求されることもほのめかされることも一度もありませんでした。

個人的にこの理由は2つあると思います。第一に協力隊員時代は政府省庁という配属先があり、滞在許可やIDなどすべて所属機関であるJICAが手配してくれていたからです。第二に隣国のザンビアよりモザンビークの方が恐らく賄賂が横行しているからです。

こちらについてTransparency Internationalの2017年世界各国汚職INDEXを調べてみました。モザンビークは180ヵ国中153位で100点中25点です。(100点が汚職が全くない状態)ザンビアは37点で90位なので、ちょっと納得です。ちなみに日本は73点で20位です。

日本の警察官の方は道を聞けば教えてくれて、落とし物を届けてくれて、怖いことがあれば通報できるというのは、なんとも素晴らしいことだとここにきて痛感しています。

賄賂要求のタイプにはとりあえず言ってみただけのもの、空気を読んだもの、脅しめいたものと多様です。賄賂を要求してくる人達について、彼らの視点から考えてみました。

要求に直面しても相手の持論に全く根拠がなければ、ひたすらごねていたら許してくれます。一方で少しでも守れていない法律があると、頑として許してくれません。(これは当り前ですね。)

賄賂を要求してくる人達としては”法律を守るように市民を指導しているが、お金がない人には値引き恩赦をしてあげている。”とポジティブに考えているのかもしれません。なんて想像してみたり。

私達の環境が賄賂と100%無縁とは言えませんが、できる限り遠ざかっていたいです。一時的には良くても長期的に自分達と私達を取り囲む社会に跳ね返ってくる問題だと思うからです。

警察等による企業の立ち入り査察の際に賄賂で解決すると、通報した人にも賄賂の分け前が支払われるそうです。そんな文化では地域コミュニティや社内での信頼関係を築くことがとても難しくなります。また、学校の先生も賄賂をもらって生徒の成績を操作するといったような噂を聞くと、国民が一致団結して立ち向かわなければいけない問題だと痛感します。

大切なことは何か。私の持論では『職業におけるプライド』だと思います。どうしたら、自分の職業に良い意味でプライドを持ち、使命に燃えた仕事ができるのか。それは、暮らしていくために必要な給料が支払われている事と、所属機関による啓蒙だと思います。

モザンビークにも賄賂のほのめかしが全く存在しない機関は多くあります。長い道のりと沢山の人達の地道な努力が必要な問題だと思いますが、私達もそんな大きな流れの1つになれたらと思います。