モザンビーク女性の日

4月7日はモザンビーク女性の日(Dia de Mulhers Moçambicanas) で祝日だ。明日が振替休日なので工場は久しぶりに連休だ。市場やビーチは揃いのアフリカンプリントの布(カプラナ)でおしゃれした女性に溢れていたし、夜8時の街は喚声や音楽や口笛が響き年越しさながらの賑やかさである。

国際女性デー(International Women Day)を祝う国は多い。しかし、私がこれまで住んだ数カ国の中で、その国独自の女性デーを設けている国は初めてだ。国際社会へのアピールだろうと斜めに捉えていた私だが、モザンビークに住んで2年半遅ればせながら気がついた。今日はJosina Machel (ジョシナ・マシェル)の命日なのだ。

Josina Machel とは誰なのか。マプト市内の目抜き通りの名前にもなっているし、彼女の顔がプリントされたカプラナを巻いている女性も良く見かける。今更感満載だが、同じ女性として彼女の人生に感動したのでここで紹介したい。(注:以下の情報は全てWikipedia からの抜粋なので興味を持った方はご自身で改めて調べて頂きたい。)

Josina Machel は1945年にモザンビーク中部のVilanculos に生まれる。父親は看護師で8人兄弟だった。ポルトガル植民地時代のモザンビークで看護師は黒人が就ける最も教育の高い職業だったそうだ。Josinaは進学の為に小学4年生で首都マプト(当時のLourenço Marques)にやってくる。

Josina Machel がプリントされたカプラナ。彼女の写真が見たいかたはこちら。美人です。


13歳で高等教育に進んだJosinaだが、1964年19歳の時にモザンビーク脱出を試みる。隣国タンザニアに拠点を構えるモザンビーク独立戦線(FRELIMO)に加わる為だった。数名の同志と1280キロ移動し、ザンビアとジンバブエ国境に位置するビクトリア滝に着いたところで彼女は捕らえられた。その後マプトで5ヶ月投獄される。

一旦は高校に戻った彼女だが、数ヶ月後に新たな脱出を図る。マプトからスワジランドの難民キャンプに行き、FRELIMO支持者や教会団体の助けを借りてボツワナまで辿り着く。イギリス植民地政府に連れ戻されそうになりながらも、国連 (UNHCR) やFRELIMO代表の力添えもあり、18名の有志と共にタンザニアの首都ダルエスサラームに辿り着きFRELIMOに迎えられた。3200キロの道のりであった。

20歳になったJosinaはFRELIMOの教育機関代表補佐として働くようになった。スイス留学のチャンスを蹴り、モザンビーク人女性に独立運動参加を促し訓練する運動を立ち上げる。

モザンビーク独立戦線(FRELIMO)はタンザニアの南部にゲリラ戦線を構えていた。ある時、25名の選ばれた女性がこの拠点での軍事訓練に送り込まれる。Josinaもその1人だった。この戦線を指揮していたのが、モザンビーク初代大統領でJosinaの未来の伴侶となるSamora Machel (サモラ・マシェル)だ。

1968年にはFRELIMOの社会福祉事業部の代表に任命され、戦争孤児を世話する事業を指揮する。Josinaは雄弁に語り、民衆(特に女性)を奮い立たせる力においても一目置かれていた。24歳でFRELIMO国際部の女性代表に任命され、独立運動と新しい時代の動きに女性も同等の権利を持って参加できるように働きかけた。

1969年は彼女にとって特別な年だった。当時のFRELIMO代表のEduardo Mondlaneが暗殺され、残された妻 Janet に付き添い寝食を共にする。5月、 JosinaはSamora Machel (サモラ・マシェル)と結婚した。そして、11月に息子(Samora Junior )が生まれた。

翌年、Josinaは激しい腹痛と疲労に襲われる。そして、モスクワの病院で肝臓ガンと診断される。医師からは静養と食事療法を指示されたが、幼い息子を預けて、Josinaは働き続けた。

1971年には北部モザンビークに2回に渡る長期出張をした帰り道、同士にピストルを手渡しながらJosinaは言った。『私はもうダメです。これを軍の指揮者にお返しして欲しい。このピストルはモザンビークの人々の救いの為に戦い続けるはずだから。』

そして4月7日 Josina Machel は25歳の生涯を閉じる。モザンビーク独立まで3年と5ヶ月だった。

なんて壮絶で熱い人生なんだろう。植民地政府の敵だらけの道中を3200キロも移動するなんて、リビングストンにも匹敵する冒険だ。男性でも看護師以上の職を望めなかった当時、家族だって同志だって女性戦士を受け入れてくれる保証はどこにもなかったのではないか。

サモラ・マシェルとの出会いもきっと大恋愛だったんだろう。大好きな人と結ばれたのに、一年で亡くなってしまうなんて悲しすぎるけど、それでも彼女は闘うことをやめなかった。

そして、現在 Josina Machel の命日がこんなに賑やかに祝われていることに、故サモラ・マシェル大統領をはじめモザンビークの人々の語り継ぐ努力と誇りを感じる。

アフリカで女性は強い。そして明るい。今日はモザンビーク人女性であることを祝いつつ、皆で食べて踊るんだろう。そんな素敵な祝日だ。