モザンビークの近代史について思うこと
1974年の独立以降のモザンビークの歴史を綴ったブログを読んだ。
これまで日本語や英語のまとまった文献に出会えず、知らなかったことばかりだった。現在のモザンビークから察することができる情報、これまで読んだ記事やニュースが繋がるようで興味深い。
モザンビークの首都マプト市には共産主義のヒーローにちなんで名付けられた通りが沢山ある。有名なところで挙げるとレーニン、毛沢東、ホーチミン、金日成などだ。2年前までパンの値段さえ価格統制されていたし、乗り合いバスは今でも上限が決まっている。独立直後のモザンビーク政府の共産主義政策にもうなずける。
南アフリカに支援された反政府ゲリラやジンバブエの独立運動についても、今まで少しずつ聞いていたことが一枚の絵として繋がる感じだ。ポルトガルの独裁政権とアフリカ植民地政策、ロシアや中国を中心とした共産主義と冷戦構造、南アフリカを中心とした巨大な旧植民地ローデシア。モザンビークは1974年に独立したあとも、世界を渦巻くいろいろな思惑の中で翻弄されていたのだと思う。経済復興に集中できるようになったのはきっと内戦が終結した1992年からなのではないか。
1990年後半のモザンビークは資本主義のサクセスストーリーとなる。年次7%を超える経済成長率と貧困率の削減。米国をはじめとした外国から開発援助が流れ込み、2014年にはIMFのAfrica Rising Conference を開催地に選ばれた。2000年~2010年前半のマプトが今より豊かだった様子はスタッフの若い頃の話を聞いても納得できる。
そして2016年に騒ぎになった国家の巨額隠し債務問題がある。モザンビークの通貨は4割以上暴落し、今でも隠し債務問題前の8割の価値に留まったままだ。IMFや海外援助は止まったままで、隠し債務問題の裁判は進行中だが解決策は見えていない。
モザンビークでは今も汚職や賄賂文化がなくならない。町を歩いていたら警官に、パスポートをいますぐ見せられないなら交番に連行されるか賄賂を払え、と要求されるのは珍しくない。隠し債務のこともそうだけど、10年とか20年で降って湧いたように現れた繁栄の甘い汁を吸おうと必死になった結果なのか。
そして今、モザンビークの新たな希望として北部カーボデルガード州で開発が進む巨大ガス田がある。資源開発により豊かになったボツワナ。紛争と格差がもたらされたナイジェリアやアンゴラ。
これからのモザンビークが良い方向に向かうように願う。過去の経験をより透明な政治への足場としてこそ価値があるはずだ。