ガーナ到着直後のカルチャーショック体験

みなさん、こんにちは!

ガーナ発kawaiiコスメ作りを目指す相川香菜です!今回は起業をしようと思うに至ったガーナでの出来事を話そうと思っていました。しかしながら、その前に私が現地でどのような生活を送っていたのかお話しないと、起業のきっかけをお話するのも難しいと気づいたので、今回は当時を振り返りながら現地での生活の様子をレポートしたいと思います!

 

2010年6月JICA青年海外協力隊の村落開発普及員としての派遣が決まりガーナに赴きました。

ガーナでの私の要請内容(合格通知に書かれていた仕事内容)は現地NGOに配属され、地域の住民の生活の質の向上、女性達の収入向上、啓発活動などを行う、というものでした。

これだけの情報で正直何をしたらいいんだろう?と当時の私は思っていました。

2年間という人生の中の決して短くはない期間を費やすには、要請内容のたった1枚の紙に書かれた情報量ではあまりに少なすぎて不安で、派遣までの期間、ネットや本などで自分なりに色々調べてみましたが、得られる情報はとても限られていました。

また『収入向上』というキーワードがあったため、ガーナ協力隊OB・OGとして事業をされている方に話を聞いたりもしました。

色々な情報を調べていると、ある日ネットサーフィン中誰かのブログに、写真付きでガーナの土壁ハウス!トイレも外!すごい!みたいな内容の記事があり、(まさか、こんなとこには住まないよなー、こんな所に行く人はすごいなー。ウルルン滞在記みたい!)と無邪気に思っていました。

 

現地に行ってみると、トップの写真を見て頂いたら想像がつくかもしれませんが、私の家こそがまさにそのような家でした。笑

 

ガーナ到着後、最初に行われるのがホームステイプログラムです。

いきなり1人で現地の家に住むのではなく、家庭生活を通して活動を行っていく地域に馴染み人間関係を築いていくというのが目的です。

その際にJICA事務所で各自のホームステイ先に関する情報が配られるのですが、それが下記の写真のようなものでした。

あまりに自然素材あふれる家に、その時の私は絶句し30秒ほど固まっていました。そして、まず(トイレが穴やわ)と思いました。それから次に(トイレとお風呂の差って何?穴か壁の違い?シャワーってどこにあるの?)と真剣に考え始めました笑。

そんな絶句している私を見て、同期の隊員たちが私の紙を覗き込んできました。

そしてそれを見た同期の隊員も絶句、その絶句している同期を見て、他の隊員も紙を覗き込むという感じで、みんな自分のホームステイ先のことはそっちのけで私のホームステイ先を見ていました。そして、みんなに言われた一言が

「かなちゃんのステイ先を見てたら自分は大丈夫だと思えてきた」というものでした。。

 

こんな言葉をかけられつつ、2週間いよいよ活動先であるガーナ北部州のタマレ、そしてそこから車で30分ほど行ったところにあるNwodua(モヂュア)村に向かいました。

 

着いた当日はもう夜になっており、出されたご飯を家の外で食べ、与えられた部屋をよく見ることもなく、くたくたになって眠りました。

 

翌日目をさますと、いつも見ていたフラットなはずの天井が「わら」になっており、顔の上に寝ている間に落ちてきた「わら」がついていました。

 

その瞬間に自分がガーナにいること、自然素材あふれる家に住んでいることを思い出し、夢でない現実にため息が出そうになったことを覚えています。

 

しかしながらそれからの2週間は、ホームステイ先の家族は優しく接してくれるし、近くの村や街にいる先輩隊員達と交流する機会もあり、充実した毎日を送って楽しく過ごしていました。

 

2週間のプログラムを終え、首都のアクラに一度帰る際、経由地であるガーナ第2の都市であるクマシで夜に突然発熱しました。

体がだるく熱もあり、蚊に刺されることで感染し、処置が遅ければ命の危険もあるマラリアも疑いました。結局、クマシで落ち合った同期のさきちゃんに解熱剤をもらい、それでなんとか熱を下げ、アクラまでの約5時間ほどのがたがた道のばかりのバスの残りの旅を乗り越えて帰ってきました。解熱剤で熱は下がったのでマラリアではなかったようです。今にして思うと、2週間なんとか張りつめていた緊張の糸が一気に解けたゆえの発熱だったのだと思います。

 

アクラでの数日間の滞在を終え、その後いよいよ活動先に戻り、本格的な活動に入っていくことになります。

 

帰国後自分の一番辛かった最初の体験談として、村に初めに滞在した時の話をします。

するとそんな所に住んでいて辛くなかったのか、帰ろうと思わなかったのかと聞かれることもありました。辛くなかったのかと聞かれれば、辛くないわけないやん!と答えています。笑

 

小中高まで大阪市で生まれ育ち、大学を京都とワシントンD.C.で過ごした生粋都会っ子の私が、ガーナの中でも貧困度が高いと言われている北部の村落部で現地の人とほとんど同じような生活をすることになったのです。

カルチャーショックどころの騒ぎではありませんでした。

 

おなかを壊しているのに夜中にトイレに行けなくて(トイレが外にあって暗くて怖くて行けないから)1人で泣きながら、限界が来てトイレに駆け込んだ事もあります。洗ったジーンズが夜に干しても乾いてしまうようなガーナの一番暑い時期に、電気が1週間完全に止まって、暑さで夜中に起きてしまい、冷たい水が飲みたくて飲みたくて、電源が切れている冷蔵庫(冷蔵庫を持てるだけ私は富裕層である証)に顔を突っ込んで、ようやく電気がないことに気づいた悲しい夜もあります。

 

でも、私は2年間一度も帰国しようと考えたことはありませんでした。

それどころか、2年間一度もガーナ国外に出た事もありませんでした。

当時の私は、ガーナで体験できるもの全てをこの2年間で吸収しきってやろうと心に決めていたからです。

「もう一度ガーナで同じ体験をしたいか?」と自分に問うたことがあります。

 

答えは即座にノーでした笑。

 

でも、私の人生の中からガーナでのこの2年間の体験は絶対に消さないで欲しいし、人生の中での学びの多くはガーナにあったと言っても過言ではありません。

これから先、辛い事も失敗する事も人生においてたくさんあると思います。

けれど私はこの2年間の体験があったから、絶対に立ちあがり続けると決めています。それと同時に、あれ以上の生活環境で辛い思いをすることはこの先まずないだろうと思ってもいます。笑

私がガーナで学んだことの中で大切な学びの1つは、人生において必要なのは転ばない賢さでも、先見性でもなく、転んでも立ち上がり続ける力なのだということです。

そして、何度どんなに転んでも立ち上がり続けることさえ出来れば、いつか想いは現実のものになっていくと強く信じています。

 

 

写真はNwodua村です!絵本みたいで可愛いでしょ?

Kana Aikawa