ガーナでの起業を考え始めたきっかけ 教育の視点から

みなさん、こんにちは!

ガーナ発kawaiiコスメ作りを目指す相川香菜です!

今回はガーナにて起業を考え始めたきっかけの2つ目のエピソードをお話ししたいと思います。

 

私は2年間の活動中、合計4校の小学校を巡回して教師として授業を行うという活動と、シアバター生産(後述予定)についての活動を行っていました。

小学校での授業を終えてバイクで帰宅していたある日、近くの村の高校生に

「Madam Tunteeya(マダム・トゥンテーヤ=私の現地でのダバニ語の名前)、ちょっと相談があります!」

と呼び止められました。

 

なんだ、なんだと思ってバイクを止めると彼は深刻そうな顔つきで

 

「僕、高校を辞めようと思います。」

と言いました。

 

私はかなりびっくりしてしまいました。なぜならこのガーナ北部州の村から高校に進学している事は、日本で高校に進学していることとは訳が違うからです。

私はとっさに(もったいない!辞めないように説得しなくては!)と思い、彼にそのまま伝えました。

すると生徒は、

「学校の授業についていけないし、家に帰って農業を手伝おうと思います」

と言いました。

授業についていけないという言葉を聞き、私は(あぁそうだろうな)と納得すると同時にとても悲しい気持ちになりました。

私が教えていたのは小学生達だけですが、文字を書く事すらかなり遅くその上スペルミスだらけだったり、小学校6年になってもかけ算を言えない子、簡単な四則計算ですら間違う子どもたちをたくさん見てきたので、高校生の彼が授業についていけないというのは、全く疑問を感じないことでした。高校生になっても多分基礎的な計算、読み書き力もそれほど身に付いていないのだと思います。

しかしそうだとしても、ガーナで高校を卒業したという資格は貴重なものだし、教育は続けていって欲しかったので、

「もったいないよ!せっかく高校まで進学できているんだから頑張りなよ!」

と必死に言いました。

 

しかし、その時私は自分の言葉にはっとしました。

 

私は自分の価値観で教育を勧めているけれど、彼の家で農作業の担い手が必要なのは本当の事だろうし、これだけ教育の大切さを説いているけれど、果たして私は、彼の卒業後の進路に責任を持てるのか?と。

 

日本であれば、学校を出れば受け皿になる民間企業がたくさんあります。

私は残念ながら就活失敗組(笑)だけれど、大学の友人達は大手企業に就職を華々しく決めて働いていました。

けれど、ガーナでいい学校を出て、みんなどこに就職していくんだろう。

今この子に高校に居続けることを勧めても、企業のひとつでも紹介出来る訳でないのに。だとしたら、このまま家の農業を手伝う方が、労働力が増えてマシな選択だと考えるのはもっともだよな、と思いました。

 

それでも、やはり諦めきれず、

「辞めないで。きっといつか高校を出ていて良かったと思う日がくるから」

とそれだけ伝え、私は村に戻りました。

 

 

 

 

その後、人づてに彼が高校を退学したことを知りました。

 

 

ボランティアでガーナに来ていて自分の無力さを痛感した瞬間でした。

自分が特別すごいとか、何か大きなことをしてやろうと思っていた訳ではありません。ただ、ガーナ人でなくわざわざ外国人である私に相談したのは、最後の最後のSOSのサインだったんだろうなと思うと、やはり言いようのない無力感に恐れました。

 

しかし、今でも私は教育の力を強く信じています。

 

祖父母や母親が教師をしていたからかもしれません。

でも、多分それだけでなく、教育が人生の可能性を開く唯一の平等なチャンスだと信じているからです。

 

自分の事業で変化をもたらせる相手は誰が一番嬉しいか?

 

この質問に私は即答できます。

 

「私が住んでいた村の子どもたち」

 

これからガーナも選択の余地無くさらなる世界の急激な変化の波に飲み込まれていくでしょう。

でも、たとえ世界がどんな風になったとしても、自分の力で自分の人生を切り開いて行く力を身につけて欲しい。

 

だからこそ、ガーナに産業を作りたい、高い教育を受けた人が、卒業後の目標となるような企業をひとつでもいいから生み出したい。

 

それが私が事業をする意義であり、存在理由です。

(写真は隣村のKpillo/Napagyili(ピロ・ナパイレ)小学校の1つの教室の様子。生徒数が多くなりすぎたので仮設の教室です。)

Kana Aikawa