途上国ガーナで人の命について考えた日

みなさんこんにちわ!ガーナ発kawaiiコスメの相川香菜です。

前回年末年始のガーナ出張の話を前回書かせていただきましたが、今回は出張中にあった出来事の続きについて書かせていただきます。

1週間のガーナ滞在では懐かしい出会いが盛り沢山でしたが、唯一私にとって悲しく衝撃的な知らせがありました。

2010年、私がガーナに村落開発普及員として赴任し最初の学校として、受け入れてくれていたNwodua(モデュア)小学校のMoses校長先生(写真では左から2番目の男性)が亡くなったと聞かされました。

当時の詳しい年齢は分かりませんが、おそらく50歳前後であったと思います。まだまだ若い年齢での死がショックで話を聞いた時はただただ衝撃でした。Moses(モゼス)校長先生とは当時は何度か意見がぶつかり合い喧嘩したこともよくありました。

赴任当初、日本人がガーナでどのように思われているかも知る由もなかった「国際協力思考」の私に、君の手伝いよりも学校に図書館を作るだけの資金が欲しいと言われ、自分がここに来た意味はなんだったのかと愕然とさせられたこともあります。

今ではそんな言葉には慣れっこですが、当時24歳で国際協力をしようと意気揚々とガーナに飛び込んで来た私には自分の存在意義は金だけだと言われているようで悲しかったことを覚えています。

また日本では確実に問題になるであろうレベルのセクハラ的な発言をされたこともしばしば。。。

Silminga(シルミンガ:現地語で白い人の意味)も妊娠したらお腹が大きくなるのか?

と言われたり。。

でも、彼の人柄なのか、なぜだか憎めないガーナ人の気質なのかは分かりませんが、私も言いたいことはしっかり主張し、向こうも言いたいことは主張しと、お互い譲ることはないものの、遠慮することなくいい関係は築けていたのでした。そして帰国直前には、ガーナでは高価な布で作った現地服をくれ、Tunteeya(私の現地での呼び名)の功績にはとても感謝している、ありがとう。ととても真剣な表情で言ってくれました。

そんな彼の死因は小学校校庭で子供達とサッカーをし、帰宅した日の夜に突然発作に襲われ亡くなったということでした。

急に運動したから?

日本だったらAEDとかあって助かった命だったのかな?

素人考えですが、こんな考えが消えず、途上国ガーナでの人の命に儚さに無念な思いが募りました。

ガーナでは人の平均寿命はずっと短いのだと底抜けに明るいガーナで忘れていたことを思い出した1日です。

(写真:Nwodua小学校の教室と外観。校舎前に停まっているYAMAHAバイクが校長先生が毎日通勤に使っていたもの。とても懐かしい。)

ガーナでの死という話題で恐縮ですが、是非とも紹介させていただきたい日本人の大先輩がいます。

武辺寛則さんという私よりもずっと先輩の青年海外協力隊の方でガーナの村でパイナップル栽培に尽力された方です。

https://www.jica.go.jp/volunteer/outline/story/11/index.html

私は直接の面識はありませんが、日本でガーナ元隊員の方々と会う機会があり、武辺さんの当時の様子を知っている方々からお話を聞く機会がありました。

話を聞いていて感じたのは、もし武辺さんがご存命であれば親世代の年齢の方でもっともっとガーナで活躍されていたんだろうなということ。そして人の命なんて先は本当に誰にも分からないという焦燥感にも似た気持ちでした。

ガーナにいると私自身も含めて、生きていることが当たり前であるという感覚は薄くなります。

正直日本の清潔で何もかもきちんと管理された世界にいると死を身近に感じる機会は私には多くありません。

そんな中モセズ校長先生の訃報を聞き、限られた命の中で自分に出来ることは何なのかと問いかけた時、せっかく心に灯した

ガーナで入手可能な原材料を使って現地で可愛い化粧品を作りたいという夢。

その雇用を通して従業員もお客様にも幸せになっていただきたい。

その流れの中心にいて、ガーナの変化をずっと見て行きたい。

という夢を叶えずには死ねないなと強く思いました。