「エゴ」から始める社会貢献–「やってあげる」ではなく「やりたいからやる」

【忙しい人のための3行まとめ】

・エゴが無い人間はいないし悪い事ではなく自然な感情だ
・自分のエゴと社会の接点を見つけて結び付ければよい
・自分起点だからパワーも出るし何か起きても自分のせいだと思える

 

みなさまこんにちは。JAPON COMMERCEの山田です。

前回の投稿では、私のセネガルでの活動は「エゴ」から始まったと記しました。

今回は、一般にあまり良いイメージの無い「エゴ」が、実は社会に貢献するための大きな力となる、という私の考えを記します。

 

まず「エゴ」と聞いて、みなさんはどんな印象をお持ちになるでしょうか?
自分勝手、自分の事だけ考えている、など、マイナスのイメージをお持ちになる方が少なくないと思います。

しかしながら、私は、エゴが無い人間などこの世の中に存在しないと思います。

エゴが存在しないという事は、自分の意志が存在しないと言っても過言ではありません。

私は、エゴは自然な感情だと思います。

 

次に、行動の動機、ヤル気、心構えとエゴについてです。

ボランティアを例に説明します。

 

「困っている人のために何かを無料でしてあげる事」

もしこれをボランティアだと思っている人がいたら、私は違うと言いたいです。

何が違うのか。それは「してあげる」という部分です。

 

ボランティアは「してあげるもの」ではありません。

ボランティア(volunteer)の元々の意味は「志願兵」、つまり自ら進んでなった兵士達の事を指しています。

つまり、ボランティアとは「自発的」に、自分がやりたいからやるものなのです。

厚生労働省も、ボランティアを

自発的な意志に基づき他人や. 社会に貢献する行為

と定義しています。

 

「困っている人を助けたい」

「困っている人を助けてあげたい」

この二つは似て非なるものだと私は思います。

前者はボランティア、後者は偽善です。

 

私は、偽善を否定しているわけではありません。

大抵の場合「やらない善よりやる偽善」は正しいと思います。どんな気持ちであれ、社会の役に立てるのはすごい事です。

しかし、偽善的な気持ちで活動していると、時には「やってあげているのに」と横柄な態度を取ったり、金銭的報酬が発生しない事から無責任な行動を取りそれが「ありがた迷惑」となったりします。

なので、偽善でも十分ですが、もし可能なら、偽善よりもボランティアをするのが良いと思います。

 

さて、ではボランティアをする人の動機とはなんでしょうか。なぜタダで人のために働くのでしょうか。

色々な理由があると思います。たとえば、

「自分が人の役に立てたという満足感を得たい」

「ボランティアをしている自分を人から偉いねと褒められたい」

「自分で自分を肯定できるような経験をしたい」

「自分が過去にした悪行の償いをしたい」

「自分も過去に人にお世話になったから、困っている人がいたら助けたい」

「将来自分が福祉・社会問題解決のための仕事に就くための経験を積みたい」

などなど。

 

上記全てに共通しているのは、誰かに「してあげたい」ではなく「自分がしたい」、つまり「自分のためにする」という事です。

1.「自分がしたい事をする事(エゴ)」


2.「社会や人のためになる(社会貢献)」。

この順序が健全だと私は思います。

自分がしたい事、つまり自分のためだからこそ、真剣に、かつ全力で取り組む。

つらい事があっても、自分がやりたくてやっている事だから乗り越えられる。

自分のために真剣に取り組んだ事だから、大きな成果が出る。

それが、社会のため、人のためになる。そう思っています。

 

最後に。

私は、上述の内容は、セネガルでの活動にも言える事だと思います。

私がセネガルで活動をしていると知った方が、「アフリカでの活動=社会貢献」のイメージからか、

「過酷な環境で大変なのに頑張っていて偉いですね」

とおっしゃって下さる事があります。

 

ありがたいお言葉ですが、私は自分を偉いとはまったく思いません。

なぜなら、前述の通り、私はすべて自分の「エゴ」を起点に活動してきたからです。

セネガルの誰から呼ばれたわけでもなく、自分の勝手で、セネガルの経済を活性化させよう、セネガルの観光を盛り上げよう、などと考えてここにいます。

 

そんな私が、辛い事があって文句ばかり言っていたとしたら、セネガルの人はどう思うでしょうか?

きっと、

「誰もお前にこの国にいてって頼んでねーよ(笑)」

「嫌なら自分の国へ帰れよ(笑)」

と思うでしょう。これは、逆のパターンを考えたらイメージがしやすいと思います。

 

たとえば、もしアメリカから日本へ来た人が、

「日本人の英語は聞き取りづらい」

と文句を言ったり、フランスの人が

「日本人は全然フランス語が話せないし、日本企業はバカンスが少なすぎる」

と不平不満を言っていたらどう思うでしょうか?

「嫌なら出てけよ(笑)」

って思いますよね。それと同じです。

 

もちろん私も聖人ではないので、イライラしますし、不満も口にします。

たとえば、時間の事。

セネガルでは、待ち合わせの時間通りに人が来る事はほぼありませんし、そもそも連絡も無いまま来ない事もよくあります。急に数か月以上音信不通になる人もいます。そんな時は、

「セネガルでは確実な事は何一つ無い」

と嘆いてしまいます(これはセネガルの友人の口癖でもあります笑)。

 

ですが、そんな時こそ、

「自分がお邪魔している立場なんだ」

「仲間に入れてもらっているんだ」

という事を念頭に置いて、行動するように心がけています。

最近では、時間の事に関しては、自分でもだいぶ寛容になってきたと思います。

(しかしながら、あまりこちらのペースに慣れすぎて、進まないのが当たり前という考えになってはいけないのが難しい所です。笑)

 

いままで、本当に数えきれないほどのトラブルがありましたが(笑)、自分で選んでいる道だからこそ、苦しい事があっても自分のせいですし、それは自分が変わってどうにか乗り越えよう、とする力が湧いてきて、くじけずに続ける事ができていると感じています。

また、お邪魔して生かしてもらっている立場だからこそ、自分でできない事も多く、こちらに来てからは周囲の人に感謝する事が多かったです。結果として、渡航前には無かった、

「この国の人に優しくしてもらった分、この国に何かを返したい」

という思いが芽生え、より現地の人達に役立つ何かをしたいという気持ちが強まりました。

 

私の恩人のサンバさんとその家族。彼のおかげで今の私があります。

 

セネガルに飛び込んで、そのまま移住して、この9月末で丸3年になります。

今後も「自分起点」だからこそ出せるパワーとともに、試行錯誤を重ねて参ります。

よろしくお願い申し上げます。

 

以上です。私見を長々と記したにもかかわらず、最後までご覧いただきありがとうございました。

次回は、いったん肩の力を抜きまして(笑)、セネガルの観光情報を掲載します。

引き続きよろしくお願い申し上げます。

 

JAPON COMMERCE SUARL
山田一雅