「アフリカに興味はあるけど…」という方へ–こんな人間でもアフリカに住んでいます

【忙しい人のための3行まとめ】

・「日本とアフリカを繋ぐ」「日本人を元気にする」という活動理念の原体験を紹介

・いじめられた経験から日本に閉塞感が漂っているのは人々の精神面に問題があると思い至り、自分がそこから抜け出す契機となった海外渡航経験や、セネガルでの経験を人に伝えたいと感じている

・こんなダメ人間でもアフリカに住んでいるので来たい人は気軽に来たら良いと思う

 

みなさまこんにちは。JAPON COMMERCEの山田です。

今回は、

「日本とアフリカを繋ぐ」

「日本人を元気にする」

という2つの活動理念を掲げる原体験となった過去の出来事を紹介します。

 

「アフリカに興味はあるけど一歩が踏み出せない…」

という方に、

「あ、こんな人でもアフリカ行けるなら私でも行ける」

と感じていただき、なにか一歩を踏み出すための後押しになったらいいなと思っています。

よろしくお願いします。

 

・虚弱児だった

元々、私は虚弱児でした。

持病のアトピーやアレルギー(卵、牛乳、花粉、ハウスダスト、ダニ等々)に加え、極度の偏食により病気がち。

親曰く、幼少期はほとんど食事を食べず、ほぼリンゴジュースしか口にしなかったそうで、糖尿病を心配されつつ育ちました。

 

・いじめられていた

中学校、高校といじめにあっていました。

当時の私は超のつく真面目人間。

そのために友人から疎まれる事も少しずつ増えてきていました。

 

学年一背が小さく非力なのに、脅されても言う事を聞かない。

ワルっぽいグループからは虫の好かない奴という事で目を付けられていたようです。

事あるごとに嫌がらせをされました。

意味もなく突然腹を殴られたり。数十発近く蹴られた事も。

毎日頭に消しゴムのカスやシャーペンの芯をふりかけられたり、上履きや教科書がゴミ箱に捨てられていた事もありました。

(他にも色々あったと思いますが、あまり思い出したくありませんし、嫌な事だからか当時のそうした記憶があまりありません。人間の記憶って上手くできているなと思います。

中学3年生頃の写真。

高校でもいじめに遭いました。

入部した野球部では、体育科(普通科のほかに体育科と家政科がある学校だった)が幅を利かせていました。

入部当初15人ほどの部員がいましたが、普通科の部員はいじめや嫌がらせの対象となり次々と辞めていきました。

私もご多分に漏れずいじめに遭いました。

真冬にパンツ一丁で1時間以上部室を締め出された時は苦しかったです。

毎日、家に帰っては泣くような生活を送っていました。
「学校に行きたくない」と頻繁に思うようになりました。

親は、「そんなに辛いなら休んだら?」と言ってくれましたが、休む事はできませんでした。

真面目で学校以外の世界を知らなかった私は、

「学校を休むのはいけない事だ」と強く思っていました。

また学校という唯一の居場所を失う恐怖心も感じていたのかもしれません。

母曰く「毎日思い詰めたような顔をしていた」そうです。

(そんな辛い時期を支えてくれた両親にとても感謝しています。)

 

・環境を変えたら世界が変わった

これは4つの体験があります。

 

1つ目は、高校での野球部の退部です。

野球を続けたい一心で耐えていましたが、とうとう2年生の夏休みに退部。

私が最後の退部者でした。辞めた時には部員は半分にまで減っていました。

 

2年生の夏、部活を辞めた後、初めてサーフィンをやってみました。

おじさんがサーフショップの経営者で、お店がうちから徒歩圏内にあったからです。

そこには多くの同年代の友達や、サーフィンをやっている大人たちがいました。

高校時代の私にとって、いままでは学校だけがすべてでしたが、初めてそれ以外の世界ができたのです。

 

人の目を気にしてビクビク過ごしていた私。

自分のありのままを出したら嫌われるんじゃないか。

不安でした。

ですが、サーフィンで出会った人達はとても優しく、また一緒にいて不思議とウマが合いました。

「いつもの自分でいるだけなのに、付き合う人が変わったらこんなに世界が変わるんだ」

と驚きました。

 

2つ目は、大学入学と海外旅行です。

大学受験を失敗し志望校に落ちた私は、

「どうせバカなのだから、バカな事をやろう」

と考えました。

 

そこで、「常識の打破」を理念に活動するサークルに入った私は、

・シルクロードを自転車で渡った人

・親が無職ニートで本人は元パチプロの人

・部室を全焼させて中学校(私立)を退学になった人

・オートロック付き賃貸マンションを借りているのに年間100泊以上野宿している人

・IQ70台の人

・他校の学生なのにいつも法政にいる人

・なぜかいつもゲタを履いている人

・自転車320km、徒歩120km、冬の琵琶湖横断を数日間で続けて行った人

・学費が払えなくなりそうになり競馬で大穴を当てて学費を払った人

・いつも校内で酒を飲んでいる人

・日本語が完璧なので日本人だと思っていたらまだ日本に来て2年ちょっとの留学生

・会社を辞めてサークルに入ってきた女性

など、沢山の変わった人達に出会いました。

 

その影響で、

「人生ってこんなに自由なんだ!」

「こんな自由に生きていいんだ!」

と感じ、同じ日本のはずなのに、自分の世界が広がった気がしました。

 

また、旅行好きの友達や先輩方に触発され、「日本をもっと知りたい!」と思い国内を旅行。
40都道府県以上を訪れる中で、日本の素晴らしさに気付き、日本をどんどん好きになっていきました。

 

その後、英語を学びたいとアメリカのカリフォルニアに留学。

そこで今まで当たり前だと思っていた「日本の素晴らしさ」に気付きハッとしました。

 

「日本はとても恵まれた国である。」

それまで頭では理解していただけの事を、初めて心から納得し感動しました。

高校時代まで自分が苦しみ「生きにくい」と感じていた日本が、自分にとって素晴らしい国だと感じるようになりました。

その後、いわゆる途上国を訪れる中で、その思いはさらに強まっていきました。

 

辛かった中学・高校時代。

それまでの私は、自分の幸せに気付いていませんでした。

環境を変えた(地元、日本から離れた)事で、実は自分がいかに幸せだったのかという事に気付き、人生が楽しくなりました。

その気付きは、自分と違う環境(日本とは違う場所)であればあるほど大きいものでした。

また、思い切って飛び込んでみる事の大切さもこの時に学びました。

 

そんななか、大学のクラスメートと話していた時、

「俺は将来が不安だ」

「なんでカズはそんなに不安が無さそうなんだ?」

と言われ、衝撃を受けました。

また、日本の若者は事故よりも自殺で死ぬ人の方が多いというニュースを思い出し、私は、「日本は経済面よりも個々人の精神面に問題がある」と感じました。これほど豊かで素晴らしい国なのに、他国を知らないためにそれを当たり前だと感じ素晴らしさに気付いていない人や、将来への不安から現在の生活を楽しめていない人があまりに多いのではないかと。

そこで、私は、日本人の考え方を変えるために行動したいと感じました。

この時の体験と思いが、

「日本とアフリカを繋ぐ」

「日本人を元気にする」

という現在の理念に繋がっています。

 

また、セネガルに来てから、私は日本では考えられないような経験(折を見て記したいと思っています)を沢山しました。

自分がいままでの海外渡航、そしてセネガルで得た経験を、人生に悩んでいる一人でも多くの日本人にしてもらいたい。

日本とはまったく異なる環境であるアフリカ、セネガルに来てもらいたい。

そう思っています。

 

3つ目は、就職活動と転職です。

大学時代、あれほど毎日楽しかった日々が、就職活動をする事で一気にしぼんでいきました。

まるで良い事を話す事を強制されているようで、全てが嫌になって、結局最初に内定が出たところで就活をやめてしまいました。

せっかく広がったと思っていた、自分の世界が、一気に狭まったような気がしました。

 

入社した企業では、入社1週目から残業で、2週目以降は土日出勤もたびたびありました。

体力的にも辛かったですが、一番苦しかったのは、険悪な雰囲気と自由の一切与えられない管理体制、そして異常なまでのミスへの失跡や懲罰でした。

今だから「異常な」と記せますが、当時の私は、その会社以外を知らず、それが当たり前だと思っていました。

そのため、「自分は根性無しだ」「自分はダメな人間だ」と自分を責め、同時に「仕事ってこんなに辛いものなんだ」と思っていました。

そして、1か月半働いたある日、人に話しかけられただけで涙が止まらなくなってしまった私は、退職を決意しました。

 

その後転職した会社は、1社目とは良い意味で大きく異なりました。

すごく自由にやらせてくれる環境だったのです。

まさか同じ仕事でも、会社によってこんなに違うものなのかと、本当に驚いた事を覚えています。

ここでも、環境の力の偉大さを感じました。

 

そして4つ目は、社内での部署移動です。

転職後の会社には、新規事業の立ち上げ要因として入社。

上司と2人、文字通りマンツーマンの部署で内勤業務から営業まで幅広い業務を行いました。

しかし、営業としては、1年半まったく鳴かず飛ばず。

「どうしたら売れるのだろうか?」と、書店の営業本という営業本を買って読み「そっくりそのまま」マネをして、それを改善する、というサイクルを繰り返して日々試行錯誤していましたが、あまり結果が出ず、「自分はなんてダメなんだろう」と思っていました。

しかし、その後上司が退職しその新規事業をやめる事になり、会社の主要商品の営業に移ると状況は一変。

いままでと全く同じ事をしているにもかかわらず、次々に受注をする事ができるようになったのです。

新規開拓営業として社内史上最高・最多の実績を複数記録。

社内での営業研修も担当する事になり、当時の社内最年少役職者も務める事になりました。

 

この経験から、ちょっとダメでも諦めずに努力し続ける粘り強さの大切さを学びました。

これは、日本の仕事よりもさらに粘り強さが必要とされるアフリカ・セネガルでの仕事にも役立っています。

また、ここでまたしても、環境の力を痛感しました。

「同じ事をやっていても、こんなに結果が変わる事があるのか」と。

 

 

以上、私の現在の活動理念の元となった原体験でした。

 

元虚弱児、学年一のチビでいじめられっ子、高校3年間は部活すら継続する事ができず、大学受験も失敗し、就活も失敗し卒業後1か月半で無職になり、転職後もダメ営業マンだった私。

アフリカに縁もゆかりも無く、フランス語は「ボンジュール」すらも知らなかった私。

そして、セネガルに一度も来た事さえも無かった私。

そんな私でも、いきなりセネガルに移住し、現在まで、どうにか生きています。

 

「アフリカに興味はあるけど、一歩が踏み出せていない」

この投稿が、そう思っている方が「第一歩目」を踏み出すキッカケに少しでもなりましたら誠に幸いです。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。

次回以降は、セネガルでの私の活動について紹介していきたいと思います。

引き続きよろしくお願い申し上げます。

 

JAPON COMMERCE SUARL
山田一雅