なぜケニアで起業しているのか①

こんにちは、ケニアの玉ねぎおじさん河野です。

 

今回は今までになんどもご質問をいただいている「なぜケニアで起業しているのか」について少し長くなりますので数回に分けて書いていきたいと思います。

改めて自身の経歴についてご紹介させてください。

1990年生まれ

大学卒業後、大手上場企業で営業、採用担当者を経て、インドでの語学学校の立ち上げに参画。その後、フィリピンのスタートアップYOYO Holdings.にて採用責任者として従事。ベトナム、インドネシア、フィリピンの3カ国での採用業務を1人で行う。2017年​2月からアフリカのケニアで起業。アフリカにおける農産業の課題を解決し続ける持続可能なコングロマリットを目指している。REAPRAから出資を受け、起業するに至る。​​

 

と、書いては見たのですが、キャリアに一貫性もないですしここから「ケニア」も「アフリカ」の言葉も出てきていないので、連想するのは難しいですよね。

 

結論から言うと、ケニアで起業をする、ということが目的ではありません。

僕の生きる信条は「可能性のある人に機会を与えること」です。

なぜそう思ったのかというと、遡ること小学校の時代になります。

小学5年までは全く勉強したことがなかった僕でしたが、小学6年で出会った恩師のおかげで人生が大きく変わりました。小学6年の時の恩師は、授業を全てクイズ形式でやっていて、そこで初めて勉強は楽しいものだと知りました。中学校入学後からは自分で勉強するようになり、自分の人生が180度変わりました。その影響で、将来は恩師と同じく教師になりたいと思っていました。当時、恩師のような教師になることを目指していたため、大学進学時には教育学部を選択しました。ただ、大学時代は体育会のサッカー部に所属していたため、卒業までサッカー漬けの日々でした。

当時の写真

サッカーに費やしてきた大学生活も卒業間近、将来を真剣に考え始めた時に自分はこのまま教師になる選択でいいんだろうかと不安になっていました。

 

年に一回あるサッカー部のオフを利用して、フラットに今後の人生を考えるために、タイへ一人旅に行くことにしました。そこで、タイの子供の方が学習意欲があるなと感じたんです。僕が日本の子供とタイの子供に同じことを教えても変化の幅が大きいのはタイの子供の方じゃないのか。小学6年の時を振り返ってみると、クラス全員が恩師による同じ授業を受けていたはずなのに、大きく変わったのは恐らく僕だけ。恩師は機会を提供していただけで、僕がそれに運良く飛びついただけだと気づいたんです。その時にタイのような新興国で自分の人生をかけて、その変化の幅を大きくすることに貢献したいと思いました。

この体験、思いをきっかけに国際協力や国連、ユニセフ、NGO等について調べたが誰もが口を揃えて言うのが「持続可能であるか」ということでした。ビジネスであれば「会社も儲かる、お客さんも儲かる、世間も良くなる」という三方よしを実現し、持続可能な事業ができるのではないかと思い、将来は新興国でビジネスをすると決めました。

 

その後、新卒で日本で就職するに至ったのですが、その背景に関してはまた次回にさせていただきます。