No.4 : TOP Bakery創業期 ~計画と現実~
今回はTOP Bakeryの創業期についてお話しさせて頂ければと思います。
まずはパン屋をスタートさせるにあたり、名前を決めようという事になりました。
TOP Bakeryの名前は、Tatsuno Otoshigo Project(TOP)という元青年海外協力隊の友人と立ち上げた聴覚障害を持つ人たちの就職支援をするNGOに由来します。(Projectとなってますが、NGOとして登録していました。)

なぜ、タツノオトシゴなのか。
「龍の耳が海の中に落ち、耳は転じて龍の落し子になる。ろうとしての龍の耳が海の中に落ちた事になれば、たつの落し子はろうあ者を象徴するシンボルになる。」(全日本ろうあ連盟より)
そのNGOの活動にもリンクする、聴覚障害を持つ人たちの就職口の一つとしてBakeryを位置付け、TOP Bakeryと名付けました。ただ、NGOとは異なり100%ビジネスで継続性を持ったfor profitの事業としてスタートしました。
TOP Bakery開業資金を集め、ガーナに送金し、2015年6月にガーナに戻るまでは、ちゃんと工場となる場所を借りられているか、送金したお金が横領されていないか、非常に心配でしたが、ちゃんとパートナー達がKumasiの中心地からほど近いPatasiというエリアのパン屋の居抜き物件を比較的良い条件で抑えてくれていました。
ついでにパン職人達もそのまま引き継いで雇う事となり、設備も人手も一気に揃い、幸先の良いスタートを切ったと意気揚々だったのも束の間、すぐに厳しい現実にぶち当たりました。
当初の事業計画では、パンは発酵させる為、利益率が高く比較的小規模でも十分利益が出る計算でした。パンを作った事のなかった私は、1泊二日でローカルのパン屋で体験学習させてもらった後、日本の料理好き達の叡智の結晶であるクック◯ッドを参考にしてレシピを作り、日本のマメなパン屋さんが投稿しているブログを読み漁り、試行錯誤を繰り返しました。
自信満々で作った”日本式”パン。ふわふわでバターの香り強めの日本人なら皆が好きそうなオーソドックスな食パンをガーナ人スタッフ達に試食してもらいました。お客さん候補のおばちゃん達にも試食してもらいました。結果は、惨敗でした。
– 一斤食べてもこれじゃお腹いっぱいにならない。
– ナツメグとその他の香りが弱い。
– 表面が焦げている。(ちょうど良い小麦色で日本人なら食欲をそそられる色が、、、)
– なんか違う。
どう食べ比べたって、俺が作ったパンの方が美味いだろう!と半日ほど悩みましたが、パン職人でもない私は、「売れるパンが良いパンだ」と直ぐに日本式パンを諦め、ガーナ人が好きになってくれるパンを作ろうと方針転換をしました。
そして、競合のパン屋で働いているスタッフや材料卸問屋から情報を仕入れ、ガーナの材料と機械で、ガーナ人職人によるガーナ人の為のガーナ人好みのパンを作る、いたって普通のローカルのパン屋を2015年7月からスタートさせる事になりました。初期メンバーは、私と友人の日本人2人、聴覚障害をもつ女子2人、マネージャーとパン職人の男子3人の7人体制でスタートしました。

*写真は創業から3ヶ月ほど経った時のもの。
商業生産初日、私たちの夢と希望である100個のパンを積んで配達に向かったタクシーは、全く売れず80個の売れ残りと翌日以降のお客さんからのクレームを持って帰ってきました。そして、作って見てわかったのは、ガーナのパンは原価が高い為利益率が低く、全然儲からないという事でした。
次回以降は、始まって早々に崖っぷちになったTOP BakeryがBreak-evenに行くまでの話をしていきたいと思います。