国際規格とエチオピア規格
どうも、竹重です。
先日の国際規格クリスマスはみなさんいかが過ごされましたでしょうか?
国際規格クリスマスとエチオピア規格クリスマス
クリスマスといえば12月25日ですよね。

アディスアベバのHoly Trinity Cathedral
でも、これは国際規格のクリスマスですね。
エチオピア規格のクリスマスでは、1月7日がクリスマスです。
何で、微妙なずれが生じているのか?
クリスマスといえば、何となくロマンチックなイベントで豪華なディナーやプレゼントを連想する人も多いと思いますが、本来の意味を考えるとイエスの誕生を祝うことが目的ですね。
で、これはエチオピア規格のクリスマスでも一緒なんですね。
ただ、異なる点が1つ。
イエスの誕生した日付の解釈が異なるんですね。
いつイエスが誕生したのかということは実は解明されていないみたいです。
1日の始まりは?
クリスマスと同様に国際規格とエチオピア規格のメジャーな違いの1つに1日の始まりはいつなのか?というものがあります。

エントト山から見下ろしたアディスアベバ
もちろん、日本を含む国際規格では、深夜の0時から1日が始まりますね。
一方でエチオピアでは、我々にとっての朝の6時から1日が始まります。
エチオピアは赤道に近いこともあり、日の出、日の入りの時間のブレというのが基本的に大きくありません。
ざっくりと平均をとると朝の6時に日が昇る、太陽と共に1日が始まるということで、とてもわかりやすいですよね。
また、この1日の始まりについては日本もかつては”和時計”なるものを用いていて、日の出基準で、夏と冬で時の刻み方が異なったことをご存知ですか?
日本古来の時間基準もどちらかといえばエチオピア規格よりだったんですね。
明治維新後の文明開化により、西洋の基準を積極的に取り入れていったため、日本古来の和時計は姿を消していったようです。
何が言いたいか。。
ここまで、国際規格とエチオピア規格を少しだけ比較してきましたが、結局何が言いたいかというと、本来、物事には意味や成り立ちがあって、我々日本人も古来から持っていた日本文化を明治維新後、西欧の文化を取り入れながら変化させてきたということ。
そして、それは必ずしもいい変化ばかりではないと思うということ。
日本は度々世界でもっとも成功した社会主義国だなどと揶揄されますが、本来高い倫理観を文化的な背景にもつ日本人には、過度に合理化した資本主義的な性格の社会システムは合わないのかななんて思ったりするわけです。
他者を殺してでも利益をあげてやろう!といった狂気にも似た拝金主義は民族感としてあまり持ち合わせていなかったのかもしれません。
国際規格のルールを理解することはこれだけ世界が狭くなってきた現代社会において当然必要なことですが、エチオピアをはじめとした開発途上国では、欧米のモデルを真似るばかりでなく、合理的な部分と文化や民族的な特性を理解した上でのシステムづくりが必要だなと思った次第です。
世界全体が資本主義のルールの中で動いているのは、しっかりと理解しながらも、貧しくても幸せそうに生きているエチオピア人の価値観を尊重しながらこの国でのビジネスを考えなければいけないなと思ったお話でした。