ベナンでドローン事業しております

はじめまして。

ベナンでドローン事業をしてる内藤獅友と申します。

一番右が僕です

獅友は「しゆう」と読みます。

 

僕があまり長くムズカシイ文を読むのが得意でないこと、あとはせっかくなのでアフリカに馴染みがない方にも読んでほしいので、高校生くらいの方にもわかるようなボキャブラリーと文量でお話ししたいと思います。

とかいいながら、実は本人にただ語彙力がないことは内緒です。

 

現地での細かい奮闘記に入る前に、

①内藤獅友について

②ベナンについて

③ドローン事業をはじめた理由

をお話ししていきたいと思います。

 

内藤獅友について

ここについてはあまりニーズがないかもしれませんので、出来るだけ短く僕の人生を振り返ってみます。

 

父の死

昔出たテレビの画像です(以前は俊輔という名前でした)

いきなり暗い雰囲気がでてしまってますが、本来はとても楽天的な性格ですので軽い気持ちで読んでください。

 

中学まではごく一般的な家庭でした。建設会社で働く父と専業主婦の母。そして妹です。家族にはなんの不満もなくスクスク育ててもらってました。

 

そんな中、父がガンになりました。中学1年生のときでした。40代で健康体だったこともあり、ガン細胞もスクスク育ち1年ちょっとで父は亡くなりました。

 

父親が死ぬ前に泣きながら語っていた「パイロットになる夢に挑戦しなかった後悔」がずっと頭に残っていました。

 

告別式がおわって落ち着いた頃、ようやく父の死の実感がわきました。

 

「あれ、もう親父に親孝行できないのか」

 

そう思うと涙が止まらなくなりました。

 

色々考えた末、親父にできる親孝行は「後悔しない人生を僕が代わりに送ってみせる」というものでした。

 

もしかしたら自分が将来もつ夢は、周りに反対されまくるかもしれない。それでもこの時の決意を忘れずに、夢に挑戦することを誓ったのでした。

 

2年で係長になった東証上場企業を辞めた

爽やかだった会社員時代

アフリカに出会うまではバンドを本気でやったりもしましたが、色々あって挫折してしまいました。そのあとはやりたいことが見つからず、19歳のときに出会った彼女と結婚しようと思い、がんばったら稼げる会社を選んで入社しました。最年少上場記録を持っていた勢いのある会社でした。

 

成果を残せば給与の倍くらいインセンティブをもらえたり、年上の先輩が僕の部下になったりと、その楽しさと若さもあって4年くらいは毎年360日くらい働いていました。その結果、2年で係長になりました。

 

最初の2年くらいは稼ぐことが楽しかったのですが、ふと我に返ったときに「自分のやりたいことやれてないじゃないか。このままだと親父の年になったときに絶対後悔してしまう」と急に焦りだしました。

 

僕がとった行動は「本気でやりたいことをやってる人の話を聞く」ことでした。

 

友人に紹介してもらい、合計20人以上の「夢を追いかける人」に会わせてもらいました。それぞれ全くちがう業種でしたが、共通して感じたのはとにかくやりたいことに真っ直ぐに行動し続けていること。そして仕事を語る目がギラギラと輝いていたことでした。

 

その中でアフリカで活動してる方の話を聞きました。アフリカについて何も知識がなかった僕は「貧困」や「紛争」などネガティブな偏見ばかりを持っていました。

 

しかし、その方の語るアフリカはワクワクするような話ばかり。「現地の人たちはとても優しいしパワフルだ」「日本よりも勢いのある国だってあるぞ」目をギラつかせて語っていました。

 

さらに僕の持っていたネガティブなイメージも事実だと肯定しつつ、「その環境を作り出しているのは、実は俺たち日本人も関係してるって知ってたか?」と、コンゴにおけるスマートフォンなどに使われるレアメタル紛争の話などもそこで初めて聞きました。

 

帰宅する途中、アフリカに対するワクワクと、日本を含む世界的な問題が詰まっているアフリカをなんとかしなければ、という二つの想いが出てきました。

 

その翌日には会社を辞める決意をしていました。

 

そして7年半続いていた彼女とも別れを告げることにしました。

 

周りから反対しかされなかったアフリカへの挑戦でしたが、「後悔しない人生を送る」と決めた父の死を思い出し、僕は青年海外協力隊としてルワンダへ渡ったのです。

 

もうちょっとだけ自己紹介は続きます!長いので次回に続きます!