高校生に告ぐ、ガーナ大学へ進学せよ

KTCおおぞら高等学院さんで講演してきた。はじめて、通信制高校でお話しさせてもらう機会を得た。ここの先生たちは本気だ。キャンパス長の席は最前線、生徒との距離感もだいぶ近い。「高卒資格がゴールじゃない。なりたい大人になるための学校。」というコピーが入ったポスターが目に飛び込んでくる。

ぼくはそこで、「いろんな生きかたしていいんだぜ」って伝えてきた。めちゃくちゃ大変で、しんどいことのほうが多くて、不安に押しつぶされそうになる時間を過ごすことにはなるけれど、いまが最も幸せだと断言できる。いつもお世話になっているひとから「いまを肯定できれば、過去は変えられる」と教えてもらったことがある。うまくいかないことだらけの人生でも、受け入れることができたとしたら、あのツラかった時間ですら感謝したくなってくるのだ。(しかしながら、二度と体験したくはない。)

そして気づいたら、高卒後の進路にガーナ大学を激推ししてた。ガーナ大学はヤバい。ぼくが視察したのは、今からもう10年くらい前だが、めちゃくちゃよかった。なにがいいって、まず授業料が安い。たしか年間10万円くらいで、しかも寮に入れて、いろんな学部の人たちとの相部屋になるから、社会学部や医学部や法学部の学生たちと白熱議論できたりする。

24時間オープンの図書館があり、先生方はハーバードやオックスフォード、イェールで学んできた生え抜きのガーナ人たちだ。キャンパスは空港よりもデカい(感じがあったけど、当時ぼくは陸路でガーナ入りしたから空港の全貌を知らない。そのへんを歩いていたガーナ大の学生が言っていた)。そのめちゃくちゃ広いキャンパス内を20分くらい歩けば、野口英世記念館があって、そこでぼくはマツコ・デラックスみたいな人から熱烈な歓迎を受けた。さらにいえば、もうすぐスティービー・ワンダーがガーナに移住してくるらしい。

高校生のときに思い描いていた「なりたい大人」になれているかはわからない。なんせ、当時の夢は「旅人」だった。見方によっては、今まさに旅人みたいなところがあって、自分でもどこに向かっているかわからないから、いい感じに夢を叶えつつある。おおぞら学院の生徒さんの未来に幸あれ。いつかまた、アフリカで会おう!


“DIALOGUE + ”に参戦 めざせプナン人!

 来月、展示会に出展する。3月10日(水)~14日(日)に京都伝統産業ミュージアムで開催される「Kyoto Crafts Exhibition DIALOGUE+」、昨年に引き続き、今年もお世話になる。この1年で、ぼくたちはめちゃくちゃ強くなった。強くなったというのは、コロナ禍の激動で、なにがあっても大丈夫だという謎の自信が芽生えたこともあるし、アフリカ・トーゴ共和国が生んだスーパー仕立て職人・デアバロさんと出会えたことで、商品展開にかなりの幅ができたこともある。これからも新たな出会いをつくれるように、いろいろ準備している。

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 当日は「出会いに乾杯プロジェクト」と銘打って、ちょっとしたプレゼントを用意しようと思っている。なんか最近は贈り物って、やっぱいいなと思うことがあって、ついあげちゃうことが多い。それは、ぼくがやりたいからやってるだけなのだが、しばらく経ってから「あのときもらったんで」とお返しをくださることがある。そういう中長期的なやり取りって、なんかいい。いつどんなかたちで返ってくるかはわからないけれど、結果的に、長いお付き合いになったりする。
 そう思うと、結構ぼくたちは短期的に物事をやり取りしてしまってる気がする。長く続けていくためには、お金をもらうよりも先に、こちらから贈り物をするほうがいいのかもしれない。いま西陣のお店でも、仕立てのオーダーを受けて、お金を払ってもらい、商品をお届けするという流れになっているから、まずなにかをプレゼントしてみようかと思う。見方によれば、弊社は倒産の危機に瀕しているとも言えるけど、ほどほどに実験してみたい。

 人類学者の奥野克巳によると、プナン人のあいだでは、いろんなものをすぐさま分け与える人物のことを「大きな男(lake jaau)」、ビッグ・マンと呼ばれて、共同体のアドホックなリーダーとなるらしい。(『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』p.69)いろんなものを循環させていくことに興味があるぼくとしては、やってみる価値がある。めざせプナン人。


 というわけで、3月の展示会では、プナン人としてオリジナルのプレゼントをもって臨む。もちろん、併せて自信作の商品サービスをもっていく。ヨソではできない技術をふんだんに盛り込んだ西田さんの京友禅に、デアバロさんの仕立て技術で制作した洋服、ここに至るまでの奮闘をまとめた書籍、素材となる布地の生産プロセスを体感する企画。このコロナ禍で、知恵を絞って、汗を流し、歯を食いしばって生み出してきた。ぼくたちの本気が、まだ出会ってない誰かの心に届きますように。トシハルファイヤーーー!!!

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アフリカ布や京友禅で服を仕立てるお店

📮京都市上京区東西俵屋町144 京都西陣ろおじ内
🕚(金)(土)(日)11:00〜18:00
📞090-6373-3203(代表・中須)

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バッグに詰め込んだベナンの職人文化

 さいきんは日本在住のアフリカ人がお店に来てくれるようになった。半年前、奇跡的にトーゴ出身の仕立て職人・デアバロさんと出会えたが、ふつうに考えて、こんな奇跡が起きるはずがない。それは奇跡ではなくて、これまでかかわることがなかっただけで、ほかにもたくさんアフリカ系の人たちがいると考えたほうが自然だ。調べてみると、日本にはおよそ1万5,000人のアフリカ人がいる。在留外国人のパーセンテージで按分すれば、京都には3,000人くらいのアフリカ人が住んでいることになる。

 とか計算していたら、なんと奈良県からベナン人・メラドさんが現れた。ベナンはトーゴの隣にあって、学生時代に旅したことがある。めちゃくちゃいい人たちが多くて、思い出深い国のひとつだ。その懐かしの国から来た彼は、ベナン人の職人たちが英知を結集して制作したバッグを携えていた。奈良県から慣れない車を運転してきてくれて、13時のアポが15時にズレ込みながら、いろいろバッグのこだわりについてプレゼンテーションしてもらった。

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 なかでも目をひいたのは、あまり見たことのない金色のアクセサリー。聞くと、かつて金の重さをはかるのに用いていた道具らしい。「ポワ バウレ(poids baoule)」といって、13世紀ごろから西アフリカ地域のアカン系の民族で使われていたという。しかも、そのへんのマルシェでは売っていなくて、手に入れようとすれば、生産している民族に辿り着かないといけない。貴重すぎて焦る。むしろこのアクセサリーを際立たせるためのバッグにしてもいいくらいに、その地域のアイデンティティがつまっているようにも感じた。

 メラドさんは、コトヌー出身の35歳。小学生のときにテレビでみた日本のロボット技術に憧れて、大学では機械工学を学んでいた。卒業後「たけし日本語学校」で日本語を学び、大使館の奨学金の試験に合格して2013年に来日した。名古屋大学で機械理工学を修士課程・博士課程で研究しつつ、留学生会の会長も務めていたらしい。社会人になってからは車部品の研究開発に従事。ずっと母国のために何かしたいと思っていた矢先に、日本人の友人にお土産でプレゼントしたベナンのバッグが好評で、自身の名を冠した「MELARDOT(メラドット)」を2020年からスタートさせたという。

 とにかく、ええ人すぎる。ひとまず店内にラインナップしてみることにして、お客さんからのフィードバックをもらいながら考えていくことにした。限定品、ご興味ある方は是非お店へ…!!!

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アフリカ布や京友禅で服を仕立てるお店

📮京都市上京区東西俵屋町144 京都西陣ろおじ内
🕚(金)(土)(日)11:00〜18:00
📞090-6373-3203(代表・中須)

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コンゴのサプール、京都に進出

 コンゴのファッションデザイナー・メニさんと巡り合った。Twitterの心優しい方が、メニさんを紹介してくださった。なんて時代や。

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 コンゴには素敵なファッション文化「サプール」がある。世界平和を願って高級ブランドを身にまとう「世界一おしゃれなジェントルマン」。メニさんは、そのサプール文化で触れたイッセイミヤケやヨウジヤマモトに影響を受けたらしい。
 自身でブランドを立ち上げ、大学でファッションデザインの先生もしていたが、休職して来日。いまは京都市立芸術大学の博士課程に通っている。「アフリカンプリントもいいけど、その土地のアイデンティティがあるものが好き」と、京都の着物文化、染色文化に関心があるという。アツすぎる。すっかり意気投合して、イッセイやヨウジの作品も手掛ける職人さんのもとへ行った。

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 メニさんは型染めについての知識がハンパなく、染色につかう材料の成分についても知見があった。しかしフリーハンドの手描きの世界は初めてだったようで、型染めではできない表現に度肝を抜かれてた。「これはどうやってやってるんですか・・・」。

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 西田さんの染色をなめてもらったら困る。そのへんにある技法じゃない。自ら手を動かし、ながい時間をかけて、たくさんの挑戦と失敗を重ねながら独自の技法を編み出してきた。その圧倒的なクリエイションに、ぼくは働きかたや生きかたを見ることができると思う。失敗しないように、敷かれたレールのうえで生きてきた人に、「失敗ありき」のチャレンジと、コミュニケーションを重ねながらこれまでなかったものを生み出していくスタンスは、今の時代でこそ光る。
 メニさんと西田さんの出会い。この新たなイノベーションの種が、芽をだして、花咲くように、ぼくは全身全霊でぶつかる。その地域にしかない文化的な価値が、社会にとって必要だし、人類の未来にとって生活必需品だと信じてる。

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オープニングの1週間を終えて

オープニングの怒涛の1週間が終わりました。ありがたいことに、連日たくさんの方々に来店をいただきました。アフリカ布や京友禅で誂えるブルゾンやシャツ、スカート、ワンピース・・・できあがっていく様子をみたり、お届けする瞬間に立ち会ったりしていると、よくここまでこれたなと、ジーンとしました。いろんなことがあって、それはもちろん楽しいことだけではなくて、山のようにツラくて大変なことがあったなかで、諦めなくてよかったと思いました。皆さま、ほんとうにありがとうございます!

ここからが、また新たなスタートです。やらないといけないことは山積み、反省点もいくつもあって、一刻もはやく改善していかないといけないところなのですが、まずはこうしてひとつの形にできたことや、人生の大切な時間を同じにできた人たちに、とびきりの感謝を。

なにもなかった2年半前、いろんな人が離れていき、多くの人からは見向きもされなかったなかで、そんな状況でも支援してくださった人たちがいなければ、いまこうしてお店からブログを書くこともありませんでした。毎日が必死のパッチ、ヘロヘロで体がすごく重いですが、なんとか走りきれてよかったです。これからも歩みをとめずに、すこしでも前に進めるようにがんばります!

アフリカドッグス京都西陣ろおじ店内にて、デアバロさんと中須とお客さんの集合写真の風景

★アフリカドッグス初のショップが西陣にオープン
AFURIKADOGS×Deabalocouture
(アフリカドッグス×デアバロクチュール)
詳しくはコチラ→https://afurikadogs.com/

初となる常設店舗をオープン

来月、アフリカ文化にインスパイアされた仕立てのお店を京都にオープンする。アフリカ地域の広い範囲で楽しむことができるオーダーメイドのファッション文化。かつて京都でも「お誂え」で自分だけの一着を仕立ててもらう習慣があった。しかし今は贅沢品になってしまって、ぼくたちが気軽に楽しめるものではなくなってしまった。大量につくって、大量に消費され、大量に廃棄してしまうメインストリームから少し離れて、アフリカの「お誂え」を京都に持ち込む意義は、それなりにあると思っている。

ふつう、服をつくるときは紙からつくる。型紙にパターンをおこし、裁断して縫製していく。アフリカンファッションは、この紙をつかわないことが多い。そのぶん、多少のズレが生じることになるのだが、よほどのプロでなければ何も気にならない仕上がりになる。しかも紙をつくるコストがかからないので、お客さんに届けるときの価格もリーズナブルに抑えられる。ちょっとリッチな日常づかいをするのにはもってこいだ。

そこにぼくたちの会社ならではのこだわりとして、できるだけ職人文化をリスペクトしたサプライチェーンでファッションをつくりあげる。アフリカといえば鮮やかな色彩のテキスタイルではあるのだが、そのインクジェットプリントは工業化されていて、オランダの老舗企業であるフリスコ社や中国にあるプリント工場での生産がかなりのシェアを占めていることがわかっている。(もちろんアフリカ現地で生産されているものもある。)ぼくの強い気持ちとして、できるだけ人の手によって生み出される繊細さやムラ感、表現を尊重したいところがあって、職人文化の保存にも資するものでありたいと思っている。だからインクジェットのような表現ではなく、染色加工ならではの蒸し加工や水洗加工、仕上げや整理をかけた複雑な表現を大切にしている。

それは百貨店とかで購入すると、目ん玉が飛び出るほどの価格がついてしまうのだが、職人と直接取引をすることによって、中間コストをカットしつつも、職人には適正な価格を支払えるサプライチェーンを築いてきた。フランス出張のときにコレクションブランドと商談をしたときはエゲつない価格で卸してしまうところだったが、これから提案していく職人技のオーダーメイドは3万円前後でお客さんに届けられる。ここにぼくたちの会社が賭けてきた企業努力があるともいえる。

さらに、こうした商品のウラにある生産者さんを知ってもらうツアーも企画している。そうした生産者さんとのかかわりをもファッションに宿すことによって、モノだけではないコトの価値も含めて届けようとしている。その体験型のファッションを、京都の「一見さんお断り」の工房や、13,000km離れたアフリカ・トーゴ共和国の職人工房、そして今回オープンする仕立てのお店を起点に展開していく。この事業がどこでどんなかたちで転がっていくかわからないが、ありがたいことにカラフルな関係性のなかで楽しくできているから、それに越したことはないと自分に言い聞かせている。明るく楽しく面白く、世の中を1mmでも豊かなほうにシフトしていくそのプロセスに、人生の充実があるとぼくは信じている。

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★オンラインコミュニティをつくっています!ぜひご一緒しましょう!
https://community.camp-fire.jp/projects/view/319813

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京都の布×トーゴの技、miwodeka。

 奇跡的な出会いに恵まれて、京都の布 × トーゴの技、アフリカ大陸と日本をつなぐものとして、新作を発表できることになった。アフリカ・トーゴ出身のクチュリエによる京友禅のブルゾン。ぼくたちはこのブルゾンに「miwodeka(ミウォーデカ)」と名づけた。「MIWO DEKA」は、トーゴのエウェ民族のことばで「2つは1つ」という意味だ。初めてアフリカ大陸に足を踏み入れた2012年、お世話になった友だちがぼくにくれた大切なことばである。

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 今でも昨日のことのように覚えている。シューカツを辞めて単身アフリカへ向かったぼくは、当時、在留邦人が2人しかいない未知の国・トーゴ共和国へラジオ局のジャーナリストとして赴任した。鼻をつくガソリンのにおいと、鳴り響くクラクション、舞いあがる土埃、赤道近くの炎天下。その日はラジオ局への初出勤の日で、ドキドキしながら歩いていると、道を挟んだ向こう側の屋台から声を掛けられた。そいつは朝っぱらからビールを飲んでいて、ヒゲはもじゃもじゃ、へたくそなダンスを踊って、初対面のぼくにグラスを渡してきた。
 クソ暑いなかで飲むキンキンに冷えたトーゴの地ビールは、全身がとろけてしまうくらいウマかった。お互い誰なのかもわからないまま、一気に3杯くらい体にビールを流し込んで、彼は一生懸命に何かを伝えようと話しかけてくれるけど、ぼくは全然わからなくて、にもかかわらず、彼は屋台のマスターと腹を抱えて笑い転げていた。なんとか、彼の名前が「マックス」ということを聞きとり、ぼくはベロンベロンでラジオ局に向かったのだった。

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 それからなぜか、ぼくが行くところ行くところにマックスは出没して、毎晩のように飲んで騒いで、肩を組みながら朝まで踊った。彼はカタツムリを養殖するビジネスをしていて、なにかパーティーがあるたびに大量のカタツムリを持ってきていた。それをみんなで料理して、ぼくは周りの友だちに羽交い締めにされ、絶叫しながら人生初のエスカルゴ料理を味わったりもした。(カタツムリは貝のような味がして結構ウマい。)そんな楽しくて愛しい時間は、あっという間に過ぎた。
 トーゴを離れ、陸路でガーナへ向かうぼくを、マックスは心配だからと、国境沿いのバスロータリーまで見送ってくれた。ギロギロした目のイカついオジサンたちに絡まれたりしたが、彼は威嚇して追い払ってくれた。ガーナにいる彼の兄ちゃんの家でしばらく居候させてもらうことになっていたから、「今からトシがそっちに向かうからよろしく頼む」と兄に電話で40回くらい念を押していた。そのあとバスの運転手の胸ぐらを掴んで、「アクラのニュータウンのバス停にオレの家族がいるから、そこでトシを降ろしてくれ」と80回ぐらい怒鳴り散らすようにして伝えてくれていた。

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 バスが出発する直前、ぼくたちはいつもより長く、強くハグをした。ぼくは人目を憚らず号泣して、マックスはそれをみて爆笑した。「ミウォー、デカ」と、マックスは両手を合わせて言った。空を指さして「MIWO DEKA」と、ぼくの胸に手を当てた。人生で初めて、頭ではないところで、ことばを理解できたような気がした。
 あれから8年。めちゃくちゃ時間はかかってしまったけれど、「MIWO DEKA」、2つの地域や文化、肌の色、言語をこえて、1つのものをつくることができた。来月、いよいよ会社は3年目に突入する。攻めて、攻めて、攻めまくる。ぼくはまだ、ファイティングポーズをとっている。

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THE KYOTOシリーズ特集

 ありがたいことに、アート・文化のコミュニティーを生み出すプラットフォーム「THE KYOTO」で、ぼくたちの挑戦が特集された。嬉しかったのは、お世話になっている周りの人たちの特集をつないでシリーズ化してくださったことだ。アフリカドッグスの「ドッグス」は、アフリカの一部地域で使われる「友だち」を意味する。決して、きれいなことばではないけれど、人間くさくて、泥くさい関係性が結構ぼくは好きだ。パソコンやスマホで繰り広げられるバーチャルな世界に慣れきってしまっているなかで、リアルな息づかいを感じられる在り方がいい。

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 その大切にしたい価値をひろってくださったのが、旅行記エッセイ漫画家のトナカイフサコさんだ。『Go to Togo』を読んでいただいて、特集記事の企画をTHE KYOTOに持ち込んでくださったのだ。そしてフサコさんプロデュースのもと、記事の執筆は嶋田くんが担当してくれた。


 ここでもまた、嶋田くんのスペシャリティに度肝を抜かれてしまった。彼は編集だけでなく執筆もできる。うまくことばにできないことを、ちゃんと汲みとってくれる。アフリカ布を扱う仕事、ぼくは商品のつくり手の価値を届けるほうを選んだ。鮮やかさをウリにしてアパレル業界に新しい風を吹かせることではなく、アフリカの貧困を解決する美しい物語を描くことでもない挑戦を、ぼくは選んだ。

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 創業して丸2年。スコップを握りしめて会社を建てながら、寄生虫で身体を麻痺させながら、ギニア湾に沈む夕日を眺めながら、肌で感じてきたのは「アフリカ」の貧困と豊かさだった。そして、日本を飛び出したからこそ見えてきた、ぼくたち自身の貧困と豊かさだった。そのどちらもがあったときに、どちらかだけを論うことはできなかった。だからこそ、ぼくたちの事業に関わってくださる職人たちの臨場感を届けたいと思った。


 体験をデザインすることで、見えない価値をダイレクトに伝えていく。この実践をとおして、曖昧なグラデーションのある生活、ことばにならない気持ち、自分のなかにある問いを大切にして走りだすことができるのではないか。どう考えても、ひとりの力では限界がある。しかし、走りだす人を増やすことができたとしたら。それは確かなムーブメントになるはずだ。


 半年前、売上がすべて吹っ飛んで、アフリカ渡航もできなくなり、万事休すかと思われた。そのような状況でも、ポジティブにアクションを起こしつづければ、素敵な出会いがあり、救世主があらわれる。いまぼくは、また新たな一歩をドッグスたちと踏み出そうとしている。

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THE KYOTOシリーズ特集「京都と世界をつなぐ舞台裏」

#1 自分の物語を切り開く(AFURIKA DOGS 中須俊治)
https://the.kyoto/article/75946ef3-dab4-4a5b-803e-9eb03a719173

#2 未知なる染色技術求め(アート・ユニ 西田 清)
https://the.kyoto/article/6a4e60cc-64d2-43dd-a72a-4110e2e0e7db

#3 ことばの通じない国で(デアバロクチュール カブレッサ・デアバロ)
https://the.kyoto/article/c4c0140c-1ea8-42bc-8f60-4da81c5f5d20

#4 作り手に寄り添う書店(レティシア書房 小西徹)
https://the.kyoto/article/18b75ad9-7806-4fcb-809b-d7bb6ef6f18c

#5 誰もしたことない就活(職人見習い 越本大達)
https://the.kyoto/article/17c3de54-7ff8-4dac-b6ed-03d6bc75d672

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トーゴ人起業家の現地レポート

 今夜18時半から、「コロナ禍における日本×アフリカでの起業・副業ビジネスの可能性」と題して、アフリカ大陸から生中継してトーゴ人起業家の現地レポートを開催する。

 いつも行き当たりばったりのぼくだが、今回は「ミネラルボックス」という副業でアフリカ・トーゴと日本を近づけるビジネスを展開しているブランドとのコラボイベントで、入念にリハーサルもおこなった。(ちなみに、ぼくは何もしていない。サヤカさんと、サヤカさんの相棒・バオさんのリーダーシップにより、おんぶに抱っこなリハーサルとなった。)

 そして何より、13,000km離れたトーゴから生中継してくれる起業家・パシーさんがめちゃくちゃいい人だ。実はサヤカさんつながりで、一度だけ、現地でパシーさんとお会いしたことがある。そのときも、これでもかというくらいにジェントルマンで、ハートフルな一面を垣間見せてくれた。そのときは帰りのフライトが迫っていたこともあり、20秒くらいしか話してないのだが、リハで1年ぶりくらいにちゃんとご挨拶できた。

 このイベントがいいなと思うのは、オンラインの真骨頂ともいえる国境をこえた試みであり、アフリカからアフリカのことをアフリカの人が話すというところだ。国際協力や人類学の領域をもこえて、現代アフリカの可能性と挑戦にフォーカスしているところもシブい。

 コロナだからこそ実現できたイベントとして、楽しみたいと思う。パシーさんの話は、英語バリバリのサヤカさんに通訳をしてもらう。臨場感あるアフリカの風を感じたい人は必聴だ。

 お時間あう人は下記のURLから。ミネラルボックスから配信リンクが送付される。

http://ptix.at/tlWAkT

 

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京都のトーゴ人と出会う奇跡

 奇跡は起きる。先日、レティシア書房さん(京都市中京区)で展示会を開催したときに足を運んでくれたお客さんの友だちの旦那さんがトーゴ人だという情報をキャッチした。すぐにコンタクトをとり、会いに行った。なんと彼は、ぼくと同い年で、しかもトーゴで仕立屋を営んでいた経験があった。京都在住でトーゴ出身の仕立屋・デアバロさん、まさにぼくが探し求めていた人に巡り会えた。

 今まで出会わなかったのが不思議なくらいだ。でもこのタイミングに出会えたのは、理由があると思う。話を聞くと、ぼくがトーゴへ行っているとき、彼は日本にいて、彼がトーゴへ行っているとき、ぼくは日本で活動していた。もう少し早く出会っていたら「いつか一緒にできたらいいな」という話で終わっていたかもしれない。このコロナがあって事業を再構築する必要に迫られたからこそ、手を取り合えた。

 運命というのは奇妙だ。もし、コロナがなかったらレティシア書房さんでの展示会は実現しなかった。そうなると、デアバロさんと出会うことはなかったかもしれない。そもそも本の出版も、嶋田くんと出会わなければ実現しなかった。そんなことを言い出したら、キリがない。

 しかし、あまりに重なりすぎている。ここまで偶然が重なると、どこかに導かれているのではないかとさえ思えてくる。その時々の出会いを手繰り寄せ、筋書きのないドラマがここにはある。

 前職の京都信用金庫を退職して、丸2年が経った。よくここまで生き延びた。アフリカ大陸での起業、未曾有のコロナ災害を経験して、3期目が視野に入ってきた。2年前には想像できなかったことが起こっている。これもまた、序章に過ぎないのだと思う。

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