“DIALOGUE + ”に参戦 めざせプナン人!

 来月、展示会に出展する。3月10日(水)~14日(日)に京都伝統産業ミュージアムで開催される「Kyoto Crafts Exhibition DIALOGUE+」、昨年に引き続き、今年もお世話になる。この1年で、ぼくたちはめちゃくちゃ強くなった。強くなったというのは、コロナ禍の激動で、なにがあっても大丈夫だという謎の自信が芽生えたこともあるし、アフリカ・トーゴ共和国が生んだスーパー仕立て職人・デアバロさんと出会えたことで、商品展開にかなりの幅ができたこともある。これからも新たな出会いをつくれるように、いろいろ準備している。

IMG-2742

 当日は「出会いに乾杯プロジェクト」と銘打って、ちょっとしたプレゼントを用意しようと思っている。なんか最近は贈り物って、やっぱいいなと思うことがあって、ついあげちゃうことが多い。それは、ぼくがやりたいからやってるだけなのだが、しばらく経ってから「あのときもらったんで」とお返しをくださることがある。そういう中長期的なやり取りって、なんかいい。いつどんなかたちで返ってくるかはわからないけれど、結果的に、長いお付き合いになったりする。
 そう思うと、結構ぼくたちは短期的に物事をやり取りしてしまってる気がする。長く続けていくためには、お金をもらうよりも先に、こちらから贈り物をするほうがいいのかもしれない。いま西陣のお店でも、仕立てのオーダーを受けて、お金を払ってもらい、商品をお届けするという流れになっているから、まずなにかをプレゼントしてみようかと思う。見方によれば、弊社は倒産の危機に瀕しているとも言えるけど、ほどほどに実験してみたい。

 人類学者の奥野克巳によると、プナン人のあいだでは、いろんなものをすぐさま分け与える人物のことを「大きな男(lake jaau)」、ビッグ・マンと呼ばれて、共同体のアドホックなリーダーとなるらしい。(『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』p.69)いろんなものを循環させていくことに興味があるぼくとしては、やってみる価値がある。めざせプナン人。


 というわけで、3月の展示会では、プナン人としてオリジナルのプレゼントをもって臨む。もちろん、併せて自信作の商品サービスをもっていく。ヨソではできない技術をふんだんに盛り込んだ西田さんの京友禅に、デアバロさんの仕立て技術で制作した洋服、ここに至るまでの奮闘をまとめた書籍、素材となる布地の生産プロセスを体感する企画。このコロナ禍で、知恵を絞って、汗を流し、歯を食いしばって生み出してきた。ぼくたちの本気が、まだ出会ってない誰かの心に届きますように。トシハルファイヤーーー!!!

…….

アフリカ布や京友禅で服を仕立てるお店

📮京都市上京区東西俵屋町144 京都西陣ろおじ内
🕚(金)(土)(日)11:00〜18:00
📞090-6373-3203(代表・中須)

IMG_3117

バッグに詰め込んだベナンの職人文化

 さいきんは日本在住のアフリカ人がお店に来てくれるようになった。半年前、奇跡的にトーゴ出身の仕立て職人・デアバロさんと出会えたが、ふつうに考えて、こんな奇跡が起きるはずがない。それは奇跡ではなくて、これまでかかわることがなかっただけで、ほかにもたくさんアフリカ系の人たちがいると考えたほうが自然だ。調べてみると、日本にはおよそ1万5,000人のアフリカ人がいる。在留外国人のパーセンテージで按分すれば、京都には3,000人くらいのアフリカ人が住んでいることになる。

 とか計算していたら、なんと奈良県からベナン人・メラドさんが現れた。ベナンはトーゴの隣にあって、学生時代に旅したことがある。めちゃくちゃいい人たちが多くて、思い出深い国のひとつだ。その懐かしの国から来た彼は、ベナン人の職人たちが英知を結集して制作したバッグを携えていた。奈良県から慣れない車を運転してきてくれて、13時のアポが15時にズレ込みながら、いろいろバッグのこだわりについてプレゼンテーションしてもらった。

IMG_4663

 なかでも目をひいたのは、あまり見たことのない金色のアクセサリー。聞くと、かつて金の重さをはかるのに用いていた道具らしい。「ポワ バウレ(poids baoule)」といって、13世紀ごろから西アフリカ地域のアカン系の民族で使われていたという。しかも、そのへんのマルシェでは売っていなくて、手に入れようとすれば、生産している民族に辿り着かないといけない。貴重すぎて焦る。むしろこのアクセサリーを際立たせるためのバッグにしてもいいくらいに、その地域のアイデンティティがつまっているようにも感じた。

 メラドさんは、コトヌー出身の35歳。小学生のときにテレビでみた日本のロボット技術に憧れて、大学では機械工学を学んでいた。卒業後「たけし日本語学校」で日本語を学び、大使館の奨学金の試験に合格して2013年に来日した。名古屋大学で機械理工学を修士課程・博士課程で研究しつつ、留学生会の会長も務めていたらしい。社会人になってからは車部品の研究開発に従事。ずっと母国のために何かしたいと思っていた矢先に、日本人の友人にお土産でプレゼントしたベナンのバッグが好評で、自身の名を冠した「MELARDOT(メラドット)」を2020年からスタートさせたという。

 とにかく、ええ人すぎる。ひとまず店内にラインナップしてみることにして、お客さんからのフィードバックをもらいながら考えていくことにした。限定品、ご興味ある方は是非お店へ…!!!

IMG_4662

…….

アフリカ布や京友禅で服を仕立てるお店

📮京都市上京区東西俵屋町144 京都西陣ろおじ内
🕚(金)(土)(日)11:00〜18:00
📞090-6373-3203(代表・中須)

IMG_3117

コンゴのサプール、京都に進出

 コンゴのファッションデザイナー・メニさんと巡り合った。Twitterの心優しい方が、メニさんを紹介してくださった。なんて時代や。

304272

 コンゴには素敵なファッション文化「サプール」がある。世界平和を願って高級ブランドを身にまとう「世界一おしゃれなジェントルマン」。メニさんは、そのサプール文化で触れたイッセイミヤケやヨウジヤマモトに影響を受けたらしい。
 自身でブランドを立ち上げ、大学でファッションデザインの先生もしていたが、休職して来日。いまは京都市立芸術大学の博士課程に通っている。「アフリカンプリントもいいけど、その土地のアイデンティティがあるものが好き」と、京都の着物文化、染色文化に関心があるという。アツすぎる。すっかり意気投合して、イッセイやヨウジの作品も手掛ける職人さんのもとへ行った。

304271

 メニさんは型染めについての知識がハンパなく、染色につかう材料の成分についても知見があった。しかしフリーハンドの手描きの世界は初めてだったようで、型染めではできない表現に度肝を抜かれてた。「これはどうやってやってるんですか・・・」。

304270

 西田さんの染色をなめてもらったら困る。そのへんにある技法じゃない。自ら手を動かし、ながい時間をかけて、たくさんの挑戦と失敗を重ねながら独自の技法を編み出してきた。その圧倒的なクリエイションに、ぼくは働きかたや生きかたを見ることができると思う。失敗しないように、敷かれたレールのうえで生きてきた人に、「失敗ありき」のチャレンジと、コミュニケーションを重ねながらこれまでなかったものを生み出していくスタンスは、今の時代でこそ光る。
 メニさんと西田さんの出会い。この新たなイノベーションの種が、芽をだして、花咲くように、ぼくは全身全霊でぶつかる。その地域にしかない文化的な価値が、社会にとって必要だし、人類の未来にとって生活必需品だと信じてる。

304269

京都の布×アフリカ・トーゴの技でブルゾンを

 京都でも緊急事態宣言が発令された。ぼくたちの会社は創業以来、ずっと緊急事態であるから、逆にニュートラルではある。お店をオープンして2ヶ月が経ち、受注いただいた服の仕立てが落ち着いたので、待ちに待ったブルゾンをオーダーした。いい。実に、いい。

 色があると元気になる気がする。日本のファッションは、かつて色を楽しんでいた。そんなことを、年明けのクソ寒い工房で火を焚きながら職人さんが言っていた。

 モード(流行り)の世界では、春夏・秋冬と年に2回、コレクションが出る。かつての日本は、春夏秋冬の4回と思いきや、梅春・春・初夏・夏・秋・冬の6回もコレクションが出ていたらしい。「梅春」というのを初めて聞いたが、淡い感じの色づかいをするそうで、そういう感性があったころは、いろいろと豊かだったんじゃないかと想像した。

 ぼくがオーダーしたブルゾンにつかわれているテキスタイル(布製品における生地や柄のこと)は、青赤黄がいい感じにグラデーションとなって6色くらいに見えるやつだ。インクジェットではなく、色の深みがでる染色で、このテキスタイルの表情をラインナップしているブランドは、そう多くない。わかる人にはわかる凄みがあるけれど、わからない人にも伝えるのが仕事のひとつだとも思う。だから普段から身につけて、その肌感覚をぼくなりの言葉で説明できるようにしていきたい。

 緊急事態宣言、外部の環境はどうすることもできないけれど、ぼくたち自身の環境はどうだって変えられる。これまで乗り越えてきた困難に比べたら、いまの状況なんて屁のかっぱだ。と言えるくらい大きく構えられるように今日も頑張ろう。心を込めて。

初となる常設店舗をオープン

来月、アフリカ文化にインスパイアされた仕立てのお店を京都にオープンする。アフリカ地域の広い範囲で楽しむことができるオーダーメイドのファッション文化。かつて京都でも「お誂え」で自分だけの一着を仕立ててもらう習慣があった。しかし今は贅沢品になってしまって、ぼくたちが気軽に楽しめるものではなくなってしまった。大量につくって、大量に消費され、大量に廃棄してしまうメインストリームから少し離れて、アフリカの「お誂え」を京都に持ち込む意義は、それなりにあると思っている。

ふつう、服をつくるときは紙からつくる。型紙にパターンをおこし、裁断して縫製していく。アフリカンファッションは、この紙をつかわないことが多い。そのぶん、多少のズレが生じることになるのだが、よほどのプロでなければ何も気にならない仕上がりになる。しかも紙をつくるコストがかからないので、お客さんに届けるときの価格もリーズナブルに抑えられる。ちょっとリッチな日常づかいをするのにはもってこいだ。

そこにぼくたちの会社ならではのこだわりとして、できるだけ職人文化をリスペクトしたサプライチェーンでファッションをつくりあげる。アフリカといえば鮮やかな色彩のテキスタイルではあるのだが、そのインクジェットプリントは工業化されていて、オランダの老舗企業であるフリスコ社や中国にあるプリント工場での生産がかなりのシェアを占めていることがわかっている。(もちろんアフリカ現地で生産されているものもある。)ぼくの強い気持ちとして、できるだけ人の手によって生み出される繊細さやムラ感、表現を尊重したいところがあって、職人文化の保存にも資するものでありたいと思っている。だからインクジェットのような表現ではなく、染色加工ならではの蒸し加工や水洗加工、仕上げや整理をかけた複雑な表現を大切にしている。

それは百貨店とかで購入すると、目ん玉が飛び出るほどの価格がついてしまうのだが、職人と直接取引をすることによって、中間コストをカットしつつも、職人には適正な価格を支払えるサプライチェーンを築いてきた。フランス出張のときにコレクションブランドと商談をしたときはエゲつない価格で卸してしまうところだったが、これから提案していく職人技のオーダーメイドは3万円前後でお客さんに届けられる。ここにぼくたちの会社が賭けてきた企業努力があるともいえる。

さらに、こうした商品のウラにある生産者さんを知ってもらうツアーも企画している。そうした生産者さんとのかかわりをもファッションに宿すことによって、モノだけではないコトの価値も含めて届けようとしている。その体験型のファッションを、京都の「一見さんお断り」の工房や、13,000km離れたアフリカ・トーゴ共和国の職人工房、そして今回オープンする仕立てのお店を起点に展開していく。この事業がどこでどんなかたちで転がっていくかわからないが、ありがたいことにカラフルな関係性のなかで楽しくできているから、それに越したことはないと自分に言い聞かせている。明るく楽しく面白く、世の中を1mmでも豊かなほうにシフトしていくそのプロセスに、人生の充実があるとぼくは信じている。

___

★オンラインコミュニティをつくっています!ぜひご一緒しましょう!
https://community.camp-fire.jp/projects/view/319813

___

★アフリカドッグス初のショップが西陣にオープン
AFURIKADOGS×Deabalocouture
(アフリカドッグス×デアバロクチュール)
詳しくはコチラ→https://afurikadogs.com/

京都の布×トーゴの技、miwodeka。

 奇跡的な出会いに恵まれて、京都の布 × トーゴの技、アフリカ大陸と日本をつなぐものとして、新作を発表できることになった。アフリカ・トーゴ出身のクチュリエによる京友禅のブルゾン。ぼくたちはこのブルゾンに「miwodeka(ミウォーデカ)」と名づけた。「MIWO DEKA」は、トーゴのエウェ民族のことばで「2つは1つ」という意味だ。初めてアフリカ大陸に足を踏み入れた2012年、お世話になった友だちがぼくにくれた大切なことばである。

image

 今でも昨日のことのように覚えている。シューカツを辞めて単身アフリカへ向かったぼくは、当時、在留邦人が2人しかいない未知の国・トーゴ共和国へラジオ局のジャーナリストとして赴任した。鼻をつくガソリンのにおいと、鳴り響くクラクション、舞いあがる土埃、赤道近くの炎天下。その日はラジオ局への初出勤の日で、ドキドキしながら歩いていると、道を挟んだ向こう側の屋台から声を掛けられた。そいつは朝っぱらからビールを飲んでいて、ヒゲはもじゃもじゃ、へたくそなダンスを踊って、初対面のぼくにグラスを渡してきた。
 クソ暑いなかで飲むキンキンに冷えたトーゴの地ビールは、全身がとろけてしまうくらいウマかった。お互い誰なのかもわからないまま、一気に3杯くらい体にビールを流し込んで、彼は一生懸命に何かを伝えようと話しかけてくれるけど、ぼくは全然わからなくて、にもかかわらず、彼は屋台のマスターと腹を抱えて笑い転げていた。なんとか、彼の名前が「マックス」ということを聞きとり、ぼくはベロンベロンでラジオ局に向かったのだった。

image

 それからなぜか、ぼくが行くところ行くところにマックスは出没して、毎晩のように飲んで騒いで、肩を組みながら朝まで踊った。彼はカタツムリを養殖するビジネスをしていて、なにかパーティーがあるたびに大量のカタツムリを持ってきていた。それをみんなで料理して、ぼくは周りの友だちに羽交い締めにされ、絶叫しながら人生初のエスカルゴ料理を味わったりもした。(カタツムリは貝のような味がして結構ウマい。)そんな楽しくて愛しい時間は、あっという間に過ぎた。
 トーゴを離れ、陸路でガーナへ向かうぼくを、マックスは心配だからと、国境沿いのバスロータリーまで見送ってくれた。ギロギロした目のイカついオジサンたちに絡まれたりしたが、彼は威嚇して追い払ってくれた。ガーナにいる彼の兄ちゃんの家でしばらく居候させてもらうことになっていたから、「今からトシがそっちに向かうからよろしく頼む」と兄に電話で40回くらい念を押していた。そのあとバスの運転手の胸ぐらを掴んで、「アクラのニュータウンのバス停にオレの家族がいるから、そこでトシを降ろしてくれ」と80回ぐらい怒鳴り散らすようにして伝えてくれていた。

image

 バスが出発する直前、ぼくたちはいつもより長く、強くハグをした。ぼくは人目を憚らず号泣して、マックスはそれをみて爆笑した。「ミウォー、デカ」と、マックスは両手を合わせて言った。空を指さして「MIWO DEKA」と、ぼくの胸に手を当てた。人生で初めて、頭ではないところで、ことばを理解できたような気がした。
 あれから8年。めちゃくちゃ時間はかかってしまったけれど、「MIWO DEKA」、2つの地域や文化、肌の色、言語をこえて、1つのものをつくることができた。来月、いよいよ会社は3年目に突入する。攻めて、攻めて、攻めまくる。ぼくはまだ、ファイティングポーズをとっている。

image

★アフリカドッグス初のショップが西陣にオープン
AFURIKADOGS×Deabalocouture
(アフリカドッグス×デアバロクチュール)
詳しくはコチラ→https://afurikadogs.com/

THE KYOTOシリーズ特集

 ありがたいことに、アート・文化のコミュニティーを生み出すプラットフォーム「THE KYOTO」で、ぼくたちの挑戦が特集された。嬉しかったのは、お世話になっている周りの人たちの特集をつないでシリーズ化してくださったことだ。アフリカドッグスの「ドッグス」は、アフリカの一部地域で使われる「友だち」を意味する。決して、きれいなことばではないけれど、人間くさくて、泥くさい関係性が結構ぼくは好きだ。パソコンやスマホで繰り広げられるバーチャルな世界に慣れきってしまっているなかで、リアルな息づかいを感じられる在り方がいい。

image

 その大切にしたい価値をひろってくださったのが、旅行記エッセイ漫画家のトナカイフサコさんだ。『Go to Togo』を読んでいただいて、特集記事の企画をTHE KYOTOに持ち込んでくださったのだ。そしてフサコさんプロデュースのもと、記事の執筆は嶋田くんが担当してくれた。


 ここでもまた、嶋田くんのスペシャリティに度肝を抜かれてしまった。彼は編集だけでなく執筆もできる。うまくことばにできないことを、ちゃんと汲みとってくれる。アフリカ布を扱う仕事、ぼくは商品のつくり手の価値を届けるほうを選んだ。鮮やかさをウリにしてアパレル業界に新しい風を吹かせることではなく、アフリカの貧困を解決する美しい物語を描くことでもない挑戦を、ぼくは選んだ。

image

 創業して丸2年。スコップを握りしめて会社を建てながら、寄生虫で身体を麻痺させながら、ギニア湾に沈む夕日を眺めながら、肌で感じてきたのは「アフリカ」の貧困と豊かさだった。そして、日本を飛び出したからこそ見えてきた、ぼくたち自身の貧困と豊かさだった。そのどちらもがあったときに、どちらかだけを論うことはできなかった。だからこそ、ぼくたちの事業に関わってくださる職人たちの臨場感を届けたいと思った。


 体験をデザインすることで、見えない価値をダイレクトに伝えていく。この実践をとおして、曖昧なグラデーションのある生活、ことばにならない気持ち、自分のなかにある問いを大切にして走りだすことができるのではないか。どう考えても、ひとりの力では限界がある。しかし、走りだす人を増やすことができたとしたら。それは確かなムーブメントになるはずだ。


 半年前、売上がすべて吹っ飛んで、アフリカ渡航もできなくなり、万事休すかと思われた。そのような状況でも、ポジティブにアクションを起こしつづければ、素敵な出会いがあり、救世主があらわれる。いまぼくは、また新たな一歩をドッグスたちと踏み出そうとしている。

___

THE KYOTOシリーズ特集「京都と世界をつなぐ舞台裏」

#1 自分の物語を切り開く(AFURIKA DOGS 中須俊治)
https://the.kyoto/article/75946ef3-dab4-4a5b-803e-9eb03a719173

#2 未知なる染色技術求め(アート・ユニ 西田 清)
https://the.kyoto/article/6a4e60cc-64d2-43dd-a72a-4110e2e0e7db

#3 ことばの通じない国で(デアバロクチュール カブレッサ・デアバロ)
https://the.kyoto/article/c4c0140c-1ea8-42bc-8f60-4da81c5f5d20

#4 作り手に寄り添う書店(レティシア書房 小西徹)
https://the.kyoto/article/18b75ad9-7806-4fcb-809b-d7bb6ef6f18c

#5 誰もしたことない就活(職人見習い 越本大達)
https://the.kyoto/article/17c3de54-7ff8-4dac-b6ed-03d6bc75d672

★アフリカドッグス初のショップが西陣にオープン
AFURIKADOGS×Deabalocouture
(アフリカドッグス×デアバロクチュール)
詳しくはコチラ→https://afurikadogs.com/

京都と世界をつなぐ舞台裏

 アート・文化のコミュニティーを生み出すプラットフォーム「THE KYOTO」で、ぼくたちの挑戦がシリーズ記事になっている。創業当初、99%くらいの人から意味わからんと言われ続けていたことも、丸2年が経つと、よくわからんけどオモロイと思ってもらえることも増えてきた。おかげさまで、ひろく「世界各国の工芸×日本の工芸」というような掛け合わせのなかでの仕事も舞い込むようにもなった。それもこれも、地域に根ざすということからスタートしているようにも思う。そのローカルの延長にグローバルなるものがある気もする。

https://the.kyoto/article/75946ef3-dab4-4a5b-803e-9eb03a719173
(#京都と世界をつなぐ舞台裏)

 最近、学生の方々と話すことが多くなった。そこでわりと話に出てくるのが「グローバル人材ってなんですか」ということだ。本音をいえば、ぼくもそれ聞きたい。 グローバル人材ってなんだ。なんとなくのイメージがあるような気もするけど、言葉にすると、とても空虚になる。

 英語をペラペラ話せる人、帰国子女の方はグローバル人材っぽい感じがある。英語もフランス語もスペイン語も中国語も話せるという人がいれば、めちゃくちゃグローバル人材っぽい。その命題が成り立つとすれば、それでは、外国語を話せない人はグローバル人材ではないのか。

 ぼくが普段お世話になっている京都の染め職人。その人は関西弁しか話せない。海外へ行ったこともないし、もちろんほとんど英語も知らない。京都のなかでも市バスでしか行けないような辺鄙なところで事業を営んでおられる。でもそこには、パリコレクションで採用されるほどの技術があり、世界中のトップクリエイターが称賛するものがある。その技術を生み出している人はグローバル人材ではないのか。

 ぼくが学生時代から一貫して主張していることのひとつは、ローカルに突き抜けることができれば普遍性に到達するということだ。一部で表現されるものは全体のなかの一部に過ぎないのだけれど、それは確かに全体のなかの一部であるということ。その一部を究めることがすなわち、全部に共通するものになり得るのではないかと思う。

 イチロー選手に関する書籍の主なターゲットは、世の経営者だという。いわずもがなイチロー選手は野球のプロフェッショナルであり、経営のプロではない。しかしその思想に、野球選手以外の人にコミットするものが潜んでいるのだ。

 だからぼくは、生まれ育った京都に軸足をおいて、ローカルに突き抜けた先の現代アフリカ文化との掛け合わせを模索しようとしたのかもしれないと、自分でも意味わからん事業を整理している。まるで違うようにみえる遠く離れたアフリカ大陸においても、なにか京都と共通する普遍的な何かがある。そしてそのヒントをすでにもう掴んでいる。土着的なものであり、地域に根ざしたもののなかに、それは見出されると信じてやってきた。少しずつ、メディアでも取り上げていただけるようになったのは、そうしたところがポイントなのかもしれないと思う。

 自分でもこれから誰とどこへ向かうのか、よくわかっていない状況ではあるのだが、その場の空気感と、自分自身の気持ちに正直に動いてみようと思う。楽しいアンテナが振れるほうへ。おもしろい価値を世の中に提案したい。

★アフリカドッグス初のショップが西陣にオープン
AFURIKADOGS×Deabalocouture
(アフリカドッグス×デアバロクチュール)
詳しくはコチラ→https://afurikadogs.com/

なぜエウェ族のコミュニティは強いのか

 アフリカ大陸はデカい。南北の長さは8,000kmくらいあって、それは日本からウクライナくらいまでの距離に匹敵する。国は50以上あるし、民族は少なくとも3,000以上いる。


 日本人とウクライナ人が違っているように、もっといえば、京都府民と滋賀県民が違っているように、さらにいえば、京都市民と宇治市民が違っていたり、ぼくとアナタが違っていたりするように、「アフリカ」は想像を遥かにこえる多様性がある。だからもちろん、アフリカ全部のことを語ることはできないのだが、それでも、日本とアフリカ大陸を何度か往復しながら2つの地域を見てきたからこそ、気づいたことがある。

FullSizeRender

 エウェ族は、トーゴを中心にガーナとベナンの一部にまたがって住まう民族だ。ぼくはいま、紆余曲折あって、エウェ族と京都の職人文化を掛け合わせた事業を展開している。エウェ族には、京都の西陣織のような織物や、高度に発展した染物の文化がある。遠く離れたアフリカ大陸と日本(京都)をつなぐポテンシャルがあると思った。それでぼくは、京都に本店をおき、トーゴのパリメというエウェ族のメッカとも言えるまちに現地法人を構え、広義のアパレル業を営んでいる。


 京都とアフリカ地域におけるコロナの影響には、大きな違いがあった。つい数か月前まで、京都はインバウンド需要を狙ったビジネスが最盛期で、錦市場あたりは外国人観光客で歩けないほどだった。それが今回のことで、そういう層をターゲットにしていた企業は壊滅的なダメージを受けている。いまは持続化給付金や緊急融資でつないでいるが、元金返済がはじまる2~3年後にはどうなるかわからない。事実としていえるのは、ここ数年で築き上げてきた経済は、予想以上に脆かったということだと思う。

 一方で、現地法人をおくトーゴ共和国・パリメ地域は、驚くほどに変化がなかった。確かに、マルシェでマスクの着用が義務づけられたり、夜間の外出禁止令が出されたりした。首都のロメは比較的、経済ボリュームが大きいので、とくにサービス業はダメージが大きかったと聞く。しかし、ぼくたちの会社がある界隈では、京都(あるいは日本)ほど、大きな影響はなかったという。現地スタッフをはじめ、友だちとWhatsAppというLINEみたいなアプリでやり取りしている限り、ほとんど普段と変わらない生活を送っている。

FullSizeRender

 このことは、これからの地域コミュニティの在り方を示唆しているように思えた。より大きく、より早く、より稼げるほうにシフトしてきた結果として生まれた歪み。等身大で、効率的ではないかもしれないが、それなりに生きていけるだけのリソースが循環している豊かさ。明らかに、アフリカ的コミュニティに学ぶところがある。アフリカと京都の2つの地域のコントラストは、ぼくたちに大切な何かを教えてくれている。


 何度でもいうが、ぼくたちの生活は経済的なことだけでは語りきれない。文化的なことや、ときに感情的なことを含めて、ぐちゃぐちゃのグラデーションを生きている。うまく言葉にできない、目に見えない、数値化できないものに、今こそ価値を見出すときだと思う。経済がストップしただけで生活がストップしてしまうよりも、経済がストップしても、それなりに生きていけるコミュニティのほうがいい。そうした血の通った関係性のうえに暮らしがあれば、もうすこし生きやすくなるかもしれないと、エウェ族のコミュニティに触れて思った。

FullSizeRender

★アフリカドッグス初のショップが西陣にオープン
AFURIKADOGS×Deabalocouture
(アフリカドッグス×デアバロクチュール)
詳しくはコチラ→https://afurikadogs.com/

トーゴ人起業家の現地レポート

 今夜18時半から、「コロナ禍における日本×アフリカでの起業・副業ビジネスの可能性」と題して、アフリカ大陸から生中継してトーゴ人起業家の現地レポートを開催する。

 いつも行き当たりばったりのぼくだが、今回は「ミネラルボックス」という副業でアフリカ・トーゴと日本を近づけるビジネスを展開しているブランドとのコラボイベントで、入念にリハーサルもおこなった。(ちなみに、ぼくは何もしていない。サヤカさんと、サヤカさんの相棒・バオさんのリーダーシップにより、おんぶに抱っこなリハーサルとなった。)

 そして何より、13,000km離れたトーゴから生中継してくれる起業家・パシーさんがめちゃくちゃいい人だ。実はサヤカさんつながりで、一度だけ、現地でパシーさんとお会いしたことがある。そのときも、これでもかというくらいにジェントルマンで、ハートフルな一面を垣間見せてくれた。そのときは帰りのフライトが迫っていたこともあり、20秒くらいしか話してないのだが、リハで1年ぶりくらいにちゃんとご挨拶できた。

 このイベントがいいなと思うのは、オンラインの真骨頂ともいえる国境をこえた試みであり、アフリカからアフリカのことをアフリカの人が話すというところだ。国際協力や人類学の領域をもこえて、現代アフリカの可能性と挑戦にフォーカスしているところもシブい。

 コロナだからこそ実現できたイベントとして、楽しみたいと思う。パシーさんの話は、英語バリバリのサヤカさんに通訳をしてもらう。臨場感あるアフリカの風を感じたい人は必聴だ。

 お時間あう人は下記のURLから。ミネラルボックスから配信リンクが送付される。

http://ptix.at/tlWAkT

 

★アフリカドッグス初のショップが西陣にオープン
AFURIKADOGS×Deabalocouture
(アフリカドッグス×デアバロクチュール)
詳しくはコチラ→https://afurikadogs.com/

 

1 2