お互いさまってやつさ

トーゴ共和国に滞在して2ヶ月ほど経ったとき、体に異常を感じた。その日に食べたものを全て吐いて、その場に倒れこんだ。その場に居合わせたダニエルは、すぐにバイクを出してくれて、家まで送ってくれた。途中、マルシェでバナナやパイナップルを買ってきてくれた。ダニエルは言った。

「お互いさまってやつさ。」

彼に限ったことではない。ここのひとのスタンスは、お互いさまというシンプルな人間関係のうえにある。結局、ぼくは丸2日くらい痙攣が止まらなくて、悪寒はすごいし、吐き気はするし、下痢は尋常じゃないという状況であったが、当時お世話になっていたラジオ局のディレクターをはじめ、マルシェのおばちゃん、近所の子どもたちがお見舞いに来てくれた。

そしてエウェ民族に伝わる祈り(というよりは音楽)を捧げてくれた。自分は弱い。小さい。ひとりではなにもできない。ひとりでは生きていけない。そんなことを痛感した。

 

ギニアのもう一つのセキュリティ問題!それはズバリ【呪術】

スーライと呼ばれる伝統的なお香。壺に熱した炭を入れこのお香を焚きます。西アフリカ全般で使われており、ギニアでは魔除け悪霊払いとして使用されています。

 

こんにちは。ギニア共和国、コナクリからイヌワリアフリカ代表 バー由美子です。

雨季真っ盛りのギニアですが、自宅にいる時は晴天、でも私が外出しなければならない肝心の日には何故か大雨嵐になるというパターンが続いています!

お陰様で、引き続き日本の業者様方からアフリカンプリント布の製品や布のご注文を沢山頂いたりと、仕事も順調で、大雨の中アフリカンプリント布を探しにコナクリ中のあらゆるマルシェを駆け巡ったり、パートナーを組んでいる仕立て屋のアトリエを行ったり来たり忙しくしておりました。

予定していた日本への荷物輸送手配も終わり、やっと少し落ち着いた時間が取れたので、ようやくこちらに記事を書かせて頂く事が出来ました。

先日モザンビークの有坂純子さんの記事「アフリカ起業と安全」にとても共感したのと、有坂さんの記事を読ませて頂くうちに私がギニア移住をしてからずっと悩まされて来たことは別の意味でのギニアならではのセキュリティ問題だなと思ったので、ちょっと怪しい内容になりますが、今回思い切って書いてみることにしました。

 

もちろん普通に強盗や泥棒には気をつけています

ギニアでも、日本人は白人と見なされ、当然お金持ちだと思われています。
ましてや我が家の場合、ギニア人の夫はギニア人たちの憧れの国である日本で10年生活したのちに、職が無くて危険を冒してまでボートピープルになって海を渡ろうとする人が後を絶たないこのギニアにわざわざ戻って生活している訳ですから、こちらの人たちからしたら当然お金持ちだからなんだろうと思われる訳です。
ギニアでは白人でなくてもお金持ちは身代金目当ての誘拐もされますし、お金持ちの家でなくたって泥棒が入るなんて日常茶飯事ですからお金持ちや外国人の家、マンション入り口には大抵ガードマンが常時警備しているんです。
ですから、私も本当に親しい人以外には自宅を教えないようにしていますし、こうした防犯に対してのセキュリティ面には最新の注意を払い生活しています。
フェイスブックの投稿から住処を知られ泥棒に入られるケースが多いという事で、わたしはギニア在住の人とはフェイスブックでは繋がらないようにしたり、当社イヌワリアフリカのフェイスブックページはギニアでは非表示になるようにしています。
本来であればギニア国内で当社の活動のアピールをもっとしたいのですが、目立つといろいろなターゲットになる可能性があり目立たなければならないのに目立てないというのが起業していて大きな悩みの一つでもあるのです。

 

でもずっと戦って来たギニアならではの問題とは・・

何故目立ってはいけないのか?それは普通の防犯の他にギニアならではの大きな問題があるからです。
かなりマニアックな変な話ではあるのですが、これはギニアだけではなくギニア周辺諸国でよくある話のようです。(バーさんちょっと怪しい!って思わないでくださいね笑)

私たちがギニア移住をしてから一番苦労しているものとは、ズバリ「嫉妬による呪い・黒魔術」です。移住する前からですが、ギニア人の夫と結婚した後にまず最初に夫に言われたことは、ギニア人は優しいし親切に見える、でも顔は笑っていても心の中は違う人もいる、優しそうだけどその一方で嫉妬心が醜く人を羨む気持ちで、呪術師のところへ行き呪いをかける人達がいるから気をつけて欲しいという事でした。

*それが親しい誰かであっても、他人から食べ物飲み物をもらってはいけない(口に入れてはならない)。→毒を盛られる時がある、呪いの薬を入れられる可能性がある。

*髪の毛、爪を誰かに取られてはいけない。→呪いの薬を作る素材となる。
*両親の名前を他人に教えてはならない。→呪いをかける方法に使われる。

気をつけなければならない事はその他沢山あるのですが、この3点は特に注意するように言われてきました。
私は現地のアフリカンダンスの舞踊団のメンバーとしてギニア人のダンス仲間と共に踊りを通して何年もほぼ毎日のように一緒にを過ごして来たのですが、ギニアでは小さなお菓子でさえ仲間と分け合って食べる習慣がありみんながお菓子やパンなどをちぎって渡してくれる時にそれを断るのに気が引けて、最初のうちは食べたふりをして手の中に隠したりしてましたが、途中からは夫にわからないから食べちゃえ。。と食べてしまったこともあります。
親しい友人の家に遊びに行くとご飯をどうぞと出されますが、でもお腹壊してるからと嘘をついて食べなかったりこれかなり大変なんです。
この人なら大丈夫?、大丈夫じゃない?を見極めるのが本当に大変なんです。
いつも誰かを疑っているようなのも気分がよくありません。

 

人より目立つと呪われる

でも、呪い、黒魔術、白魔術、占い師、呪術師の存在はギニアでは人々の暮らしの中に普通に根ずいていており、全然珍しいことではないのです。
事実なのは私も身を以て体験してきたのでこれを思い過ごしや迷信だとは思っていません。
ギニアでは本当に今のこの時代でも黒魔術が横行しています。
さっきまで元気だった人が突然死したり、病気になったり、いきなり気が触れたりします。
有名になった人、外国に行く予定の人、外国から帰ってきた人、事業が成功した人、外国人と結婚した人、みんなに羨ましがられる対象になったら嫉妬の対象、呪いの対象になります。

友人知人ならまだ分かりますが、驚きなのがギニアでは親子、兄弟同士であっても自分より成功して欲しくないという妬みからその呪いをかけるということ。
一夫多妻の家庭では妻同士の争いで呪いを使うことも多いとよく聞きます。
ダンス仲間はミュージシャンのミュージックビデオに出演しテレビに多く出るようになったら体調が悪くなったり悪いことが起きるようになって怖い、呪われているかもしれないと悩んでいた時もありました。
知り合いの男性は外国人と結婚し海外で暮らしていたものの離婚しギニアに戻ってきてから気が触れてしまいました。
外国人と結婚したら、妬みで呪いの標的になり離婚するように呪われる。
外国に行く事が決まったら、飛行機に乗る日は親しい人にも秘密にし旅立った後に後日報告することも当たり前です。先に知らせると呪いで邪魔される可能性があるからです。

こういう話は周りにいくらでもあります。

庭をコンクリートで埋める理由

我が家でもその呪いにずっと悩まされてきました。
まず移住後住んでいる家の敷地や部屋から私たちを呪う為の道具が度々発見されることがありました。
その見た目は日本の神社のお守りの中に入っているような小さな紙だったり魔力を持った薬を紙を皮や布で包んだ物だったりします。大抵は庭の土の中に埋めてあったり、木の根元にあったりします。
誰かが家の中に侵入し、床に穴を開け呪いの道具を入れていったこともありました。

移住後に夫の家族と一緒に暮らしていた頃も、職がなく生活が大変な若者たちを数人我が家に同居させ、彼らの生活の面倒を見ていた頃もそんなことが度々ありました。
自分たち以外の人の出入りが可能な場合は誰がそんなことをしたのか特定も出来ないし誰かを疑うのも嫌だし、はやり誰かと同居するのはやめようと決め、引越しを機に私たち夫婦と子供たちだけで暮らすことになり、それ以降呪いの道具が発見されることはなくなりました。

こういう呪いの類は掃除をしていている時に偶然見つける時もありますし、何か変だなと思ったら呪術師を家に呼び彼らが不思議な力を使い見つけ出すというパターンもあります。
ギニアではそういった呪い対策で、庭の土の部分を全てコンクリートで埋めてしまう家も多いんです。

 

呪術師に作ってもらった魔法の薬と共に体を洗う時に使用する黒石鹸。スポンジとしてヤシの繊維のたわしを使います。この石鹸は悪い霊や呪いを洗い流すと考えられています。

 

ギニア人の生活に欠かせない呪術師の存在

先にも書きましたが家に呪いの道具を隠す以外でも呪う方法は沢山あり、人々は「何かおかしい!呪われてるかも!」的な奇妙なシチュエーションが訪れると助けを求め呪術師の元に行きます。
そして身体や精神の状態が悪くなった時も呪いが原因かもしれないので、一般の病院にいくより先に呪術師の元へ助けを求めて行く事も多く、そういった場所では薬草での治療と共に呪術的な治療を施すところもあり西洋的な視点から言えば、そんなのはただの思い込みなんじゃないか?と思われるかもしれません。でも一概にそうは言えないんですよ!実際それで良くなるケースを沢山見てきました。

呪術師には呪いを請け負う呪術師もいるし、呪いを断ち切ってくれる呪術師もいます。
呪術師は薬草や動物の体の一部や金、その他あらゆる自然の素材を使い人々の願いを叶える魔法の薬を作ったり、呪いを跳ね返したり悪いものから身を守る薬やお守りも作ってくれる、イメージとしては映画の魔法使いのおばあさんような存在でもあります。
海外在住のギニア人でも、悪い事が立て続けに起こったり呪われてるかも?と思ったり、事業をうまくいかせたい時などはギニアの呪術師に国際電話をしていろいろお願いをするそうです。

サッカーのワールドカップの時にアフリカのチームには呪術師がついていて彼らの魔力によってチームが勝つというような話をネットで見ましたが、まさしくそういう事がギニアでは普通に行われています。政治関係者などお偉いさんにはもちろんすごい強力な呪術師が付いているそうです。

私は今までこうした事をこの目で見て体験してきたので、呪術的な方法全てがインチキなのではないと思っています。
近所で盗難があった時に犯人を割り出す為に呪術師を呼び、呪術で犯人を割り出してもらう場面を見た事がありますし、バラフォンという魔力を持つ伝統楽器を使い妖怪をおびき出しやっつける儀式も普通の民家で行われています。

ギニアには「ゲゲゲの鬼太郎」みたいな世界が普段の生活で当たり前のように存在しているんです。

 

ギニアでは鶏、ヤギ、羊は食用以外の大切な使い道がある

ギニアでは鶏やヤギがいろいろな場所で販売されていますが、それは食べる為だけに販売されているのではなくサクリフィス(捧げ物)として購入する人たちの為でもあります。
サクリフィスとは、いろんなパターンがありますが、上に書いた自分の願いを実現させたい時や、呪われてしまった時に呪術師の元へ行くと、呪術師からどんな色のメスの鶏を何羽飼ってきて捧げ物にしなさい、とかヤギ一頭を捧げ物としなさいとアドバイスが出され、その指示通りの鶏や動物を買い祈ってから捌いて食べる神様、悪魔、妖精、精霊たちの為のものです。

ギニアの家庭の庭には鶏やヤギがうろうろしていますがそれも食べる為に飼っているのではなく、
そのサクリフィスの為だったり、呪術的な意味で家に置いている事も多いのです。

私たちもこの呪い問題のお陰で、何羽の鶏、羊、ヤギ、牛を購入した事でしょう。
けっこう高くつくんですよ!

 

そんな訳で事業をしていても目立たないように・・

ということで、ギニアの人たちは日々自分を守る為にいろいろ苦労している訳です。
そして私たち夫婦は私が日本人の国際結婚なのでもっと妬みを持たれる為、こうした呪い問題に常につきまとわれています。
さらに事業をしているともなるとまた嫉妬の対象になる可能性が大きい為に変な気を使ってきました。

現在もギニア国内での商品販売を考えているところですが、正直躊躇してしまう気持ちがあります。
目立たなくてはならないけれど、目立っても良いのだろうか?と。

 

アフリカンプリント布屋さんにて。布屋のマダムたちはいつも娘にとても優しくしてくれます。

それでもギニアが大好きです

呪いや黒魔術が横行するギニア、かなり怖い体験もしてきましたが、それでも私はそんな人間臭いギニア人が好きですし、ミステリアスな闇の部分があるからこそ、このギニア独特の魅力があると思うし、わたしはギニアを嫌いにはなれません。
それにギニア人みんなが嫉妬深く呪いをかける訳ではありません。
ギニアの人たちは本当に人懐く冗談好きで優しい人がいっぱいです。
わたしはこれからも大好きなギニアで大好きなギニア人たちと一緒に仕事をしていきたいと考えています。

これが日本人だけでギニアで暮らしているのであればこんな悩みも無いのかもしれません。
他のアフリカ諸国で起業されている方々はどうでしょうか?こんな問題が起きた事ってありますか?

今回は相当怪しい記事でしたが、お許し下さい!
そして、怖がらずにギニアに是非いらしてくださいね笑。

 


イヌワリアフリカ代表 バー由美子 
                            Yumiko Bah / Inuwali Africa  Présidente

 

こちらが呪術的な力を持つバラフォンという伝統楽器です。ギニアの歴史の中でのバラフォンの不思議な力の伝説がいろいろと語り継がれています。

 

コシャのお土産屋さん

ぼくが住んでいたトーゴ共和国のパリメという町には、土産物屋がおよそ100メートル間隔で並んでいた。それぞれの店に個性が出ていて、比較的大きなお店で商品の種類が豊富なところもあれば、お店は小さいけれど、置物にフォーカスしたり、ブレスレットにフォーカスしたりしてブランディングしているところもある。

友人のコシャの店は「みんなが自由であるように」というメッセージを込めたブレスレットを取り扱っていた。それを文字にしたり、あるいはデザインで表現していたりする。現地の文化度の高さには、いつも驚かされる。同時に、これまで自分がいかに惰性で生きてきたかを思い知らされる。

どういう姿勢で生きるのか、どんな人生を歩みたいのか、誰と一緒に夢をみたいのか。彼らと話していると、そんなことばかり考えてしまうからよくない。

 

グローバル人材ってなんだ

ひとの笑顔がみたい、という気持ちは万国共通だと思う。マンツーマンで現地の変顔を教えてもらった。彼とふたり、この変顔で近所のマダムたちに挨拶まわりをした記憶は忘れないと思う。

よく声高に喧伝されている「グローバル人材」ってなんだろう。語学が堪能で、パリっとした交渉をして、クールに商談を成立させることができる人のことをいうのだろうか。

考えてみたけれど、そんなことはよくわからない。でも彼のように、肌の色や国籍、宗教がちがっても、同じ時間を泣いたり笑ったりできる人で溢れたらいいなって思う。

お互いがお互いを知っているということ

体調を崩したときはいつも、アメリが新鮮なフルーツをカットしてくれた。フルーツは南国に限る。甘さのなかにコクがある感じで、とても美味しい。アメリのやさしさと相まって、元気がわいてくる。

現地には様々な感染症がある。ただ、それを上回る勢いで、人のやさしさが伝染している気がする。みんな密なコミュニケーションをとるから、ぼくが体調を崩していることに、すぐに気づいてくれる。お互いがお互いをよく知っているから、助けてくれる。

誰しも、ひとりでは生きていけない。にも関わらず、みんな抱え込んでしまったり、まわりから自己責任だといわれたりする。そんな窮屈にならなくても、弱さを出したらいいし、その弱さを受け入れてくれる人たちが居れば、それは強いコミュニティになり得る。

大丈夫じゃないときは、大丈夫じゃないって言っていい。

 

トーゴ共和国から、ダニエラについて

ダニエラという3歳の女の子がいた。ここの子どもたちの特徴のひとつは、初めてみる外国人にも全くビビらないことだ。トーゴでの生活は、ほとんどダニエラとともに過ごした。

↑ダニエラとぼく

 

朝起きると必ず部屋の前にダニエラが立っていて、グータッチからのシャキーンを20回ぐらいするのが日課になっていた。現地はフランス語圏でラジオ局での仕事もあったから、語学の学習は必須だったのだが、そんなことお構いなしにダニエラは部屋に侵入してきた。

↑ぼくの部屋に侵入を試みるダニエラ

 

よくダニエラのママからベビーシッターをお願いされていて、一緒にお風呂(お風呂というよりは水浴び。井戸から水をくんで体を洗う)に入ったりした。ここにはキレイ好きなひとが多いみたいで、一日に複数回、体を洗ったりするし、毎朝欠かさずホウキで庭を掃いたりする。

そういうスタイルを幼少期からみているからか、ダニエラも入念に体を洗う。バケツにダイブし、キレイをたのしむ。屋外で開放的に洗えるのがいい。朝日を浴びながらもよし、夕日が沈むのを眺めながらもよし。個人的には、音楽をかけて、満天の星空のしたで誰かを思いながら洗うのが好きだった。

 

 

西アフリカ地域のフランス語圏における子どもたちの挨拶

サハラ以南のフランス語圏の国々では、外国人をみると何の躊躇いもなく子どもたちが近づいてくる。

彼らは独特の歌をうたう。

「Yowo yowo bonsoir! Ça va bien, merci!!!」(白人、白人こんばんは!元気です、ありがとう!!!)

これをリズミカルに連呼する。「yowo」とは白人の意で、彼らからすれば黄色人種も白人種も同じらしい。

 

そうやって、人種や宗教、国籍をこえることができれば、争いなんてしないですむのに。

みんな同じ空のした、お酒でも飲んで肩を組めたら。ただそれだけでいいのに、みんな意地を張ったりするんだなあ。

クラウドファンディング開始!

人生初のクラウドファンディングに挑戦している。

↑アフリカ布に織り込む京都の伝統技術!~元バンカーの挑戦!~(https://camp-fire.jp/projects/view/94504

 

西アフリカ地域に普及しているアフリカ布、パーニュ。そこに住まう人が、それぞれのスタイルで着こなしているが、流通しているパーニュの多くは、オランダや中国で製造されている。せっかくなら、そのパーニュを彼らの企画で、彼らが製造することはできないか。そんなプロジェクトを考えた。ただ、そのパーニュが売れないと仕事にすることができない。そこで、バンカー時代に触れた京都の伝統技術を活かして商品自体のクオリティをあげる構想をしている。

その製造するための拠点をさぐるために、来月トーゴに向かう。トーゴには5つの州があり、それぞれに県がある。さらにそこに住まう民族がちがうから、エリアごとに特性が異なってくる。そのため、誤ったところに拠点を設けてしまうと、それまでそこに根付いてきた文化や伝統が崩れてしまうかもしれない。そこに住まう人たちにとって、できるだけお邪魔ではないところはどこか。その場所を探ってくる。

 

創業期は初めての連続だ。そのなかでも今回のクラウドファンディングは、ほかの「初めて」よりもはるかに緊張と不安が大きい。プロジェクトを公開するまで、かなりの時間をかけて事業計画を練ってきたし、話し合いを重ねてきた。そのほとんどすべてを凝縮したから、ある意味、人前で裸になる感覚がある。

だから批判的な意見もダイレクトに受け止めることになる。そのことの恐怖はあるが、それでも果たさないといけない約束がある。むこうの友人と描いた夢がある。その景色をみるまでは諦められない。

自分で自分を奮い立たせるのはたいへんだ。中島みゆきさんの「ファイト!」を聴いている。

 

未来フェスというイベントに参加してきた

未来フェスというイベントに参加してきた。未来に向けた、さまざまな現場の人たちの声・想い・提案を集めたソーシャル・フェスで、元オリンピック選手や日本ライトフライ級チャンピオンのプロボクサーなど名だたる方々が登壇された。100年以上も前に建てられたという大江能楽堂で開催され、それはそれは厳かな雰囲気でおこなわれた。そんなところで、なぜかぼくも登壇してしまった。

講演
↑なぜかプレゼンテーションしているトシハル

そもそも未来フェスには、お友だちの西岡さんにお誘い頂いて参加した。西岡さんもヤバい人で、長期入院している子どもたちにオンラインで勉強できる環境を提供されている。長期入院している子どもは免疫力が低下している傾向にあるので、勉強したくても先生と接すると感染症のリスクが増大してしまう。オンラインであればそのリスクはないし、しかも親や看護師以外の方と話す機会にもなるのでリフレッシュできる。したがって、オンラインで生を超える授業を提供しているというバリシブな方なのである。(オンライン院内学級CA・YO・U→https://aidnet.jp/cayou/

そんな西岡さんにヒョコヒョコついていったら「勝手にプレゼン」なる企画があって、喋っていいよということになり、靴下を2枚履いて(床に足のアブラがつくとダメ)、たいへん厚かましくもお話させて頂くことになった。貴重な機会であるにも関わらず、稚拙なプレゼンテーションをしてしまって落ち込んでいたら、音楽投稿雑誌『ロッキング・オン』創始者の橘川幸夫さんに有難いコメントを頂いた。

 「聞いた中で、心に残ったのは、京都信金を退職して、学生時代にアフリカの小国を旅して出会った人たちとの約束を実現するために、一人で向かうという青年。人生において、一番大事なことは、自分の夢とか野望ではない。約束を忘れないこと、約束を果たすことだ。

 そこでもうひとつ感動したのが、京都信金が、ベンチャー育成のため、事業を立ち上げるために退職した人が、事業に失敗しても、5年後に復帰できるという制度を作ったということ。自社のことだけではなく社会全体、行員個人のことを考えることの出来る組織は、信頼できる」https://note.mu/metakit/n/nd93324e2540bより抜粋)

もし京都信用金庫に「アントレ・サポート」みたいな人事制度がなかったら、どうだったか。いずれ起業に挑戦しようとは思っていたが、その一歩が遅かっただろうし、こんなにいろんな人と繋がることもなかったかもしれない。退職してからも上司の方々に応援してもらっている。もう退職しているのに、わざわざぼくのために頭を下げて挨拶まわりをしていただく上司までいるような金融機関だから、マジで前代未聞である。

たくさんの方に支えられて何とか食らいついている状況であるが、いつかぼくも、そんな上司と同じことを次世代にできるような器になっていきたいと密かに思っている。そのまえに、自分の思いをしっかり伝えられるようにならないと。

トーゴ共和国大使館との商談

社会人になって初めての東京に行ってきた。主な目的としてはトーゴ共和国大使館での商談だった。アフォニョン・クアク・セダミヌ大使、チョンダ・コッシ・ヘム一等書記官、そして6年前にもお世話になったジュルス・カンコエ・アデュアヨムさんに挨拶をして、ぼくが構想している事業内容をお話してきた。商談にあたっては、津田祐可子秘書に手厚いサポートをいただいた。商談の実現のみならず、事業を進めるうえでキーマンとなるような、たくさんのヤバい人を紹介いただいた。おかげさまで、すごくいい時間を東京では過ごすことができた。

 

京都・大阪でブラッシュアップしてきた事業内容を大使館にぶつけた。「是非ともやってください」とお墨付きをいただけたことは、ほんとうによかったと思っている。まだまだスタートラインにも立っていないが、そもそも見当違いの事業内容だったら話にならなかったので、すこし安心できた。トーゴ共和国において、これまで日本人が会社をつくったことはない。かなりプレッシャーはあるが、いい会社をつくりたい。現地の人にとって迷惑にならないように、そこに脈々と流れている時間を乱すことがないように、慎重に、丁寧にやりたい。

 

フィールドとなる国がニッチな国だけあって、関係する方との繋がりは早い。つい最近まで同国を訪問していた人から、リアルタイムな情報を仕入れることもできた。しかしながら、まだまだ情報は少ない。やはり、現場で生の情報を仕入れる必要がある。来月、じつに6年ぶりにトーゴ共和国を訪問する。そのときにひとつでも多くの判断材料を集めて、活動拠点を探っていきたい。

 

トーゴでの挑戦に先立って、明日からクラウドファンディングのページを公開する。そもそも一人ではできないことに挑戦している。できるだけ多くの方から応援して頂かないと前に進まないプロジェクトだから、どこまでいけるかわからないけれど、いけるところまでいく。

 

金融機関を退職してから、なぜかラッキーなことが続いて、導かれるように前に進んでいる感じがある。ぼくは頭がいいほうではないし、要領もよくない。ただ、アクションを起こして、感性を研ぎ澄まし、根拠はないけど何となく選んだ道が、人生でかけがえのない体験に繋がったりした。これまでアクションを起こして後悔したことはない。動き回っているうちは、なんとかなる。大丈夫。と自分に言い聞かす。

 

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