なぜエウェ族のコミュニティは強いのか
アフリカ大陸はデカい。南北の長さは8,000kmくらいあって、それは日本からウクライナくらいまでの距離に匹敵する。国は50以上あるし、民族は少なくとも3,000以上いる。
日本人とウクライナ人が違っているように、もっといえば、京都府民と滋賀県民が違っているように、さらにいえば、京都市民と宇治市民が違っていたり、ぼくとアナタが違っていたりするように、「アフリカ」は想像を遥かにこえる多様性がある。だからもちろん、アフリカ全部のことを語ることはできないのだが、それでも、日本とアフリカ大陸を何度か往復しながら2つの地域を見てきたからこそ、気づいたことがある。

エウェ族は、トーゴを中心にガーナとベナンの一部にまたがって住まう民族だ。ぼくはいま、紆余曲折あって、エウェ族と京都の職人文化を掛け合わせた事業を展開している。エウェ族には、京都の西陣織のような織物や、高度に発展した染物の文化がある。遠く離れたアフリカ大陸と日本(京都)をつなぐポテンシャルがあると思った。それでぼくは、京都に本店をおき、トーゴのパリメというエウェ族のメッカとも言えるまちに現地法人を構え、広義のアパレル業を営んでいる。
京都とアフリカ地域におけるコロナの影響には、大きな違いがあった。つい数か月前まで、京都はインバウンド需要を狙ったビジネスが最盛期で、錦市場あたりは外国人観光客で歩けないほどだった。それが今回のことで、そういう層をターゲットにしていた企業は壊滅的なダメージを受けている。いまは持続化給付金や緊急融資でつないでいるが、元金返済がはじまる2~3年後にはどうなるかわからない。事実としていえるのは、ここ数年で築き上げてきた経済は、予想以上に脆かったということだと思う。
一方で、現地法人をおくトーゴ共和国・パリメ地域は、驚くほどに変化がなかった。確かに、マルシェでマスクの着用が義務づけられたり、夜間の外出禁止令が出されたりした。首都のロメは比較的、経済ボリュームが大きいので、とくにサービス業はダメージが大きかったと聞く。しかし、ぼくたちの会社がある界隈では、京都(あるいは日本)ほど、大きな影響はなかったという。現地スタッフをはじめ、友だちとWhatsAppというLINEみたいなアプリでやり取りしている限り、ほとんど普段と変わらない生活を送っている。

このことは、これからの地域コミュニティの在り方を示唆しているように思えた。より大きく、より早く、より稼げるほうにシフトしてきた結果として生まれた歪み。等身大で、効率的ではないかもしれないが、それなりに生きていけるだけのリソースが循環している豊かさ。明らかに、アフリカ的コミュニティに学ぶところがある。アフリカと京都の2つの地域のコントラストは、ぼくたちに大切な何かを教えてくれている。
何度でもいうが、ぼくたちの生活は経済的なことだけでは語りきれない。文化的なことや、ときに感情的なことを含めて、ぐちゃぐちゃのグラデーションを生きている。うまく言葉にできない、目に見えない、数値化できないものに、今こそ価値を見出すときだと思う。経済がストップしただけで生活がストップしてしまうよりも、経済がストップしても、それなりに生きていけるコミュニティのほうがいい。そうした血の通った関係性のうえに暮らしがあれば、もうすこし生きやすくなるかもしれないと、エウェ族のコミュニティに触れて思った。
