金融機関を退職、起業を決意した理由

ぼくが初めてアフリカを訪れたのは今から6年前のことだった。当時は大学生で、知らない世界を見てみたいという知的好奇心から、日本人がほとんど居ない国に行きたいと思っていた。そこで、西アフリカ地域に位置するトーゴ共和国という国を訪問した。まわりの国々は在留邦人が100人から300人ぐらい。一方、トーゴ共和国はわずか2人しか居なかった。(現在の在留邦人は3人。)

↑赤色のところがトーゴ共和国

あまり情報はなかったが、国際的な支援組織をとおして、運よくラジオ局で働くことが決まった。勤務先は首都のロメから乗り合いタクシーで2時間ぐらい北上したところにあるパリメという町だった。そこは日本人どころかアジア人さえも居ないような地域だったから、ぼくが現れるや否や、ものすごい人だかりができた。

彼らは、ぼくがどこの国から来たのかを判断できない様子で、「お前はドイツ人か」とか、「アメリカ人だろ」とかの質問攻めにあった。なかには、興味津々で顔を触ってくる人まで居た。そこで、たまたまタクシーで乗り合わせた方から教えてもらった現地語で自己紹介をすると、歓声があがった。握手したり、ハグしたり、肩を組んで飲みにいこうと誘ってくれたりした。こうしてぼくは、その地域で急速に友だちが増えていった。

↑現地の方は底抜けに明るい

友だちのなかに、ヤオという、酒とタバコと音楽が好きなやつが居た。彼は障害をもっていた。ぼくらの言葉でいうダウン症だ。しかし現地では「悪魔」と呼ばれていて、マルシェ(市場)に行くと集団リンチを受けたし、レストランに入るとオーナーにムチで叩かれて追い出されたりした。

そんなヤオをいつも体を張って守る友だちが居た。彼の名前はマックスといって、ヒゲがモジャモジャのエスカルゴ職人だった。エスカルゴを養殖し、ヨーロッパ諸国に輸出する仕事をしていた。彼とバーへ飲みに行ってはバカ騒ぎするような仲だった。そんな彼が、いつになく真剣な眼差しで言った。

「おれは、ヤオが笑って過ごせるような世界をつくる。」

↑エスカルゴ職人のマックス

トーゴ共和国は世界最貧国のひとつとして挙げられる国だ。もっとお金を稼ぎたいとか、家や車を買いたいとか、経済的なステイタスを求める人は多い。それはここに住まう人だけではない。ぼくも含めて、多くの人が抱く感情だと思う。でも、彼の夢みる世界は違った。

それは頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。同時に、彼がつくりたい世界を、ぼくも一緒に見たいと思った。「今は大学生で出来ることは限られているけれど、今度はビジネスマンとして帰ってくる。今よりもお金を貯めて、人脈をつくって、経験を積んで、いつか必ず帰る。だからその夢、諦めんなよ」と別れのハグをした記憶は、帰国してバンカーとして働いてもなお、色褪せることはなかった。

↑バンカー時代にお世話になったみなさん

かつて友人と交わした約束を果たすために、また友人と共に描いた夢を実現させるために、ぼくは起業を決意した。