手作業だからこそ、手の温もりを伝えることができる

トーゴで市場調査をしている。マルシェをまわり、バンドゥーズのオバちゃんたちにヒアリングを重ねている。ぼくの仕事は、歩くことから始まる。バンカー時代、町を歩いて、そこに住まう人の話を聞いて勉強させてもらうことが大切だと学んだ。ヒントは彼らの生活にある。

 

首都のマルシェでは、ほとんどの商品が中国製のものに代替されていた。チャイナタウンができて、中国人のまわりにお金と人が集まっている。WeChatをつかって商品を輸入し、マルシェに卸してお金を稼ぐ人が増えていた。

マルシェで出回っているアフリカ布のほとんどは、オランダか中国で製造されている。インクジェットで大量にプリントされたものが、ここに入ってきているのだ。

もしそれを扱うなら、オランダや中国で買い付けたほうがいい。ぼくは、現地の人の手がみえる商品を扱いたいと思っている。手の温もりは、手作業のものに宿ると思うからだ。

 

バンカー時代、京都・嵐山で職人と一緒に仕事をしていた。職人が織りなす仕事は一級品だ。かつて、嵐山は着物産業で栄えたエリアだが、そこの染職人の仕事は、モードの最高峰であるパリコレクションでも評価を得るほどだった。

しかし、大量生産・大量商品のながれのなかで、仕事が激減していた。いい仕事をしているのに、業績は厳しくなっていた。

そのもどかしさがあるから、職人にフォーカスした仕事がしたいと思っている。

 

首都のロメには、その仕事が見えづらかった。聞き込みをしたところ、首都から北西に120kmほどのところにあるパリメという町に、伝統的な手作業の仕事が残っているという情報を得た。

さっそく、ぼくはパリメに向かった。パリメは、今から6年前、ぼくがラジオ局のジャーナリストをしていた町だ。懐かしい風景に脳みそが震える。「トシ!!!」と呼びとめてくれる、ナタリー、シェリタ、アベル、ポール、ヤオヴィ、コフィ、、、まだぼくのことを覚えてくれていた。

彼らに話を聞くと、ここにはたくさん手仕事があるという。ここは、アートの町だと知った。

 

中国人も入り込んでおらず、ここならではの文化がまだ残っていた。バイクタクシーの運ちゃんに事情を説明すると、マルシェに案内してくれた。そこのアフリカ布は、もちろんインクジェットプリントのものもあったが、見慣れない布があった。伝統的な織物。かつて、王への献上品、あるいはハレの日に着るために作られたというそれは、独特のオーラがあった。他のものと比べて5倍以上の値が付けられていた。

どこで作られているのか、どうやって作っているのか、だれが作っているのか。

偶然にも、バイクタクシーの運ちゃんが答えを知っていた。その工場へ案内してくれた。

 

そこは工場というより、畑のなかにあって、青空のもと、10人くらいの集団が手と足を動かしていた。木の幹と枝をうまくつかって組み立てられた機械。そこに糸をとおして編んでいく。探していた手作業の仕事が、そこにはあった。