出張を終えて、春。

およそ1ヶ月にわたる、フランスとトーゴへの出張を終えた。これまでモノづくりをしてきた成果を、モードの最高峰であるパリ市場にぶつけてきた。そして再びアフリカ大陸に入って、トーゴの各地域を巡り、情報収集に奔走した。そんなことをしていたら日本は春になっていた。


 トーゴ出張の終盤戦は、ひたすら辞書を片手に翻訳作業にあたるという、ノリとフィーリングだけで何とかやってきたぼくにとっては、かなり厳しい課題に挑戦していた。ヤッサンが、ぼくの知りたい情報に関する大量の論文やレポート、WEBサイトなどを調達してきてくれて、そこから読み取れることを少しずつベースマップに落とし込んでいたのだ。顔面から汗が噴き出して、辞書やメモの紙がフニャフニャで滲んでしまったり、暑すぎて思考がはたらかず、ドラえもんを描いたりしてしまっているが、日本語話者が初めてリーチするであろう情報だと思うと、ぼくには宝の山に見えた。


 そんな情報を集めていると、トーゴを訪れるのは3回目であったが、初めてトーゴを見るような感覚もあった。これまで見えていなかったか、見ようとしていなかったか、恐らくその両方だと思うが、いかに自分が何も知らなかったかをまたしても痛感することになった。ぼくは今まで、トーゴを含めたアフリカ、もっと言えば、発展途上にある国々のコミュニティに、日本では薄れてしまっている豊かさがあるということを学生時代から発信してきた。でもそれを強調して発信することは、事実であっても真実を曲げることになる。


 調べれば調べるほどに、彼らの生活の厳しさを知った。その日、食べていくだけで精いっぱいだった。だから今日という一日を懸命に楽しく生きようとするし、みんなで体を寄せ合うのではないか。もしぼくが明日、生き延びられるかわからない(あるいは考えられない)として、今日を生きるならば、ぼくは彼らと同じ振る舞いをするだろう。シンプルに、周りの人たちと楽しい時間を過ごしたいと思うだろう。


 彼らの今日を楽しく生きる姿を見て、日本にはない豊かさがあるというのは明らかに説明不足だ。なぜなら、歩いて2時間のところにある学校へ行く多くの子どもたちがいて、100人くらいの生徒がひしめき合う教室で、先生は生徒を覚えきれないから学力のボトムアップを図れないし、医師免許を持たないドクターが公然と病院にいて、首都の病院であっても十分な医療器具が揃わず、少しの病気で命を落とす人がいたり、手足を切断するほかなかったりして、女性は常に虐げられる標的になり、障害者には制度保障もなかったりするのだ。そのような現状を前にして、外国人が彼らの豊かさを語ろうとしていた烏滸がましさを思った。


 そんな初歩的なことでさえも、28歳にもなって今さら知ることになるのである。ぼくはマジで何も知らないのだなあと自分の頭の悪さを恨んだ。だからこそ、知ろうとするエネルギーだけは絶やしてはいけない。過去や現実に盲目的な人間に、未来を語ることはできないと思う。